ニライカナイの童達

第二部

第三話 祝祭 2


 翌日から、公民館で本格的な舞の特訓が始まったが……
(ううう)
 明らかに、舞の先生の目が泳いでいる。「どうしよう」と困っている様子だ。
 ククルは習った通りに踊りながら、自分でも「どうしよう」と思っていた。
 ふにゃふにゃ、と擬音が付きそうな頼りない舞になってしまっている。
「えっと……ククルさん」
「は、はい」
「もうちょっと、手を……こう、ね」
 熱心に指導してくれて、ククルも改善しようとするのだが――ふにゃふにゃ、がせいぜいへろへろになったぐらいであった。
「うーん、一旦休憩にしましょう。二才踊りの見学してみますか?」
「ぜ、是非」
 ククルは荒い息の合間に返事をした。二才踊りでは、ユルが主役で踊るはずだ。ちらっと見たことはあったが、どんなものかしっかり見てみたかった。
「では隣の部屋に行きましょう」
 先生に促され、ククルはタオルで汗を拭きつつ隣の部屋に行った。
 戸を開けるなり、だんっ、という音が響く。ユルが跳び上がった音だった。
 二才踊りは激しく、勇壮な舞だ。縦横無尽に舞台を駆け巡る舞は見た目にも派手で、観光客にも人気があるのだという。
 手に木刀を持って、ユルは軽々と身を躍らせていた。
(す、すごい)
 敵役の男たちと剣を交える様は、まるで本当の戦いのようで。
「――休憩! いやあ、ユルくん素晴らしいねえ」
 踊りの先生――こちらは男性だ――も、満足そうに何度も頷いている。
「本当に。何年もやってるはずの、俺たちが負けそうだ!」
 共演者たちが、わははと笑う。
 ユルはさすがに息を切らせていたが、そう疲れた様子も見せていなかった。入り口に立っていたククルに気付き、こちらを見る。
「何だお前、見に来たのか」
「う、うん。休憩で。お疲れ様」
 とことこと、ユルに近寄る。
「ユル、上手だねえ。すごいね!」
「……そうか?」
 微妙な表情になって、そっぽを向いてしまう。やはり、褒められることに慣れていないらしい。
「お前の方は、どうなんだ?」
 問われ、うっと詰まる。
「あんまり、上手にできてないけど……頑張る。まだ日にちあるし」
「ふうん」
 素っ気ない返事だったが、どことなく目が心配そうだ。
「大丈夫だよ! 一応、ばば様と母様に習ってたこともあるし」
「……なら、いいけど」
「うん!」
 わざと元気のいい声を出して、ククルは笑っておいた。

 ユルには強がって見せたものの、ククルは危機感を覚えていた。
 島人はククルを生き神だと崇めているから、舞を依頼したのだ。巧拙は気にしないだろう。でも、祭りに来るのは地元民だけではない。下手なのにどうして、と観光客は首を傾げるかもしれない。
 せめて、少しでもましに踊れるように練習したい。
 ククルは帰宅した後、家で練習できる部屋はないかと高良夫人に尋ねた。
 一階奥の客間を使っていい、とのことだったので、夕食後ユルの三線練習が終わってすぐ、ククルは舞の練習に赴いた。
 高良夫人が気を利かせてくれたのか、大きな姿見も置いてある。
 助かる、と思いながらククルは浴衣姿で舞の練習を始めることにした。
 音楽は、CDプレーヤーをかける。この物体からどうして音楽が鳴るのかが不思議だが、今は現代技術の神秘に思いを馳せている場合ではない。疑問を押し込め、スイッチを押して、音楽を鳴らす。
「う、うー」
 やっぱり、へろへろだ。
 それに、曲半ばというところで体力が早くも尽きかけている。
 負けない、と足を持ち上げたところで、戸口に誰かが立っていることに気付いた。
 ユルが、腕を組んで立って――こちらを見ていた。
 恥ずかしくなって、曲が鳴っているのに舞を中断してしまう。
「……続けろよ」
「恥ずかしいもん……」
 きっと無様だと思われただろう。そう考えると、顔が熱くなってしまう。
 見に来ないで、と言っておけばよかった。音楽が聴こえたから、来てしまったのだろう。
「オレも教えてやるよ」
「……え? これ、女踊りだよ?」
「舞は、一通り習ったんだよ。ほら、初めからやってみろ」
 促されたが、ククルはうつむいた。
「オレの前で恥ずかしがって、どうするんだよ。本番では、たくさんの人の前でやらないといけないんだぞ」
 じっと見られても、顔を上げられない。
「……笑ったり、しねえよ。見ないと、お前がどんな調子かわからないだろ」
 真剣に言われて、ククルはようやく頷いた。

 曲に添って、女踊りを舞う。あぐらをかいてこちらを眺めるユルは、無表情だった。それが少し、怖い。
「んー。大体わかった」
 曲が終わると立ち上がり、ユルはもう一度曲をかける。
「初めの方覚えたから、見てろ」
 え、と言う間もなくユルは型を取る。
 柔らかな動き。だが決して、ククルのようなへろへろの動きではない。止めるところはきちんと止めて、メリハリを生み出している。
(美女だ……)
 ユルが、美女に見える。美女の動きだ。女踊りが体現する、美女そのものだった。
「……こんな感じか」
 ユルが動きを止める。魔法が解けたようにククルはハッとした。
「す、すごい。どうして女踊りもできるの?」
「習ったからだって言ったろ。お前がやったのと、オレがやったの――何が違うかわかるか?」
「うーん。私のは、へろへろだよね」
「そうだ。女踊りは柔らかな動きが特徴なんだが、柔らかい動きってのは早い動作よりも力が要るんだよ」
「ははあ」
「お前の動きには芯がない。もっと芯を意識しろ」
「芯……ねえ」
 考え込みながら、音楽なしで最初の動きをなぞる。意識してみたが、へにょへにょ、と擬音が鳴りそうな動きだ。
「お前、腹筋がないんだよな」
 いつの間にかユルがククルの後ろに回り込み、腹を掴んだ。
「……!」
 しばらく我慢していたが……
「へへへへ」
 笑いが漏れてしまった。
「な、何だよその不気味な声」
「くすぐったい!」
 堪え切れず、けらけら笑って振り返るとユルは呆れたような表情になった。
「びっくりするだろが」
「へへっ。くすぐったいってば!」
「はいはい」
 手を放されて、ようやく人心地つく。
「舞の先生は何も言ってないのか?」
 問われ、ククルは首を傾げる。
「うーん、細かい助言はくれるんだけど……どうも、遠慮してるみたいなんだよね」
「生き神様に助言なんて恐れ多いってか。遠慮せずに厳しく教えてくれって、言ってみろよ」
「うん、そうしてみるね」
「オレも、この時間になったら見てやるから」
「ありがとう! 助かるよ!」
 にっこり笑って礼を言うと、ユルは困ったようにそっぽを向いてしまった。

 技術的な問題はもちろん、全体的に筋力がないのも原因だろうと考え、ククルは寝る前に腹筋をすることにした。
「う……うう」
 五回で既に疲れてしまう。
「む、無理せず一日五回でいいか」
 効果があるのかは、わからなかったが……。
(今日は勉強できなかったなあ)
 宿題はかろうじて、数学の宿題を一ページできた。自主勉強の方は、まだまだだ。ククルは現代の学校に通っていなかったので、基礎的な知識がまだ身に付いていない。だから、空いた時間に高良家の息子――今は首都のナハで下宿中なので留守だ――の教科書を借りて復習しているのだが。いまいちはかどらない。
 夏休みになればのんびりできると思ったが、舞の練習が始まるとむしろ忙しいかもしれない。
(でも、頑張らなくちゃね)
 数百年も時を越えて、どうしていいかわからなかった。そんなククルとユルが、ちゃんと生活できるようにしてくれた。島人たちには、感謝してもしきれない。
 できるだけ、期待に応えたい。
 強く願い、ククルは布団に入った。

 翌日から、ククルは舞の先生に厳しく指導してくれるよう頼んだ。
 彼女もこのままではまずいと思ったのか、きっちり指摘してくれるようになった。
 夕食後、家の一室で行う練習も続けた。ユルは辛抱強く付き合ってくれた。
 そして、祭りの三日前――
「大分、形になって来たな」
 ユルの一言に、ククルは決めの構えを解いて微笑んだ。
「ほんと?」
「ああ」
 ユルは素直にものを言うので、こう言ってくれるということは、大分見られるものになったということだろう。
(寝る前の腹筋も効果あったかも……へへ)
 あちこち筋肉痛だが、構ってはいられない。
「あと一回ぐらい通しでやろうかな。手拭い取って来るから、少し待っててくれる?」
「ああ」
 ククルはユルを残して、部屋を出た。階段をゆっくり上がり、自室に入る。
 これこれ、と花柄のお気に入りの手拭を引き出しから取り出す。
 空調が利いているとはいえ、踊っていると汗をかく。首筋を拭いながら、ククルは階段を降りたが――
 ずるっ。
「ひゃあっ!」
 足を踏み外し、階段を転げ落ちてしまった。大きな音を立てて、床に転がる。
「いったあ……」
「おい、大丈夫か!」
 物音を聞きつけたのか、ユルが走って来た。
「う、うん」
 立ち上がりかけたところで、ククルは青ざめた。
「どうした」
「……足、痛い」
 左足に、激痛が走っていた。
 思わず、涙が零れる。痛みのせいではない。
(これじゃ、踊れない……!)

 高良夫人に応急措置として湿布をしてもらったが、痛みはちっともましにならなかった。足首が、既にかなり腫れている。
「うーん。これは病院行った方がいいねえ。骨折してたら大変だし、大きい病院に行った方がいい」
 高良のおじさんも心配そうだ。
「信覚島《しがきじま》まで行けるかい?」
「オレが運んでいきます。港から病院までは、タクシーで行けばいい。この家から港は大したことない距離だし」
「そうだね。ユルくん、よろしくね」
 ユルと高良の会話を聞きながら、ククルはぼんやりと腫れた足を見下ろす。
(どうしよう――)
 任された演目を、こなすこともできなくなるとは。
「とりあえず今日は安静にしておきなさい。明日、私からみんなに伝えるから」
「はい……」
 ククルは、呆然として答えることしかできなかった。
「その足じゃ、二階上がるの辛いでしょ。一階に布団敷くから、そこで寝てね」
 高良夫人の言に、「ありがとうございます」と頭を下げた。

 布団の上に座って、ククルはじっと考え込んでいた。
(お祭り、台無しだ……。演目が一個なしになるってことは、どうなるんだろ――)
 泣きそうになって、唇をかみしめたところで襖の向こうから声がした。
「オレだ。入るぞ」
「……うん?」
 中途半端な返事をしたところで、ユルが入って来た。
 布団の傍に座って、ユルはククルの顔を覗き込む。
「おじさんと話して来た。お前のやる予定だった女踊りも、オレがやることにした」
「え!? で、でも」
「オレはお前の見てたから、振りも覚えた。あと二日あるし、何とかなるはずだ」
「そう、だけど」
 たしかにユルは見本でやってくれた動きを思い返す限り、ククルよりもずっと上手い。しかし……
「ユルは二才踊りもやらないといけないでしょ? 大丈夫なの?」
「女踊りは一日目、二才踊りは二日目だ。問題ないだろ」
「――そっか」
「ああ。……兄妹神の片方がどっちもやるなら、島人は満足してくれるさ」
 ユルの言葉で、とうとう我慢しきれない涙の滴が落ちた。
「……ごめんね」
 島人の期待に応えたい。その思いを、ユルもわかってくれていたのだ。
「謝るなよ。来年はちゃんと踊れるよう、練習しとけよな」
「うん……もっと、頑張る」
 ぼろぼろ零れる涙を手の甲で拭っていると、呆れたようにユルが傍らに置いていた手拭を取り、渡してくれた。
「でもさ、ユル。あの衣装着るの?」
 ククルの指摘に、ユルは嫌なことを思い出したかのように顔をしかめた。
 もちろん、女踊りは女性を表す踊りなので――華やかな女性の琉装を着なければならない。
「……ま、しゃあねえだろ」
 嫌そうだが、ユルはもう覚悟を決めているらしい。
「じゃあ、オレはもう行くから。明日は早めに病院行くぞ」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
 ユルの背を見送り、ククルはすっかり濡れてしまった手拭いを畳んだ。