ニライカナイの童達
第二部
第三話 祝祭 3
翌朝、朝食を食べた後ククルとユルは信覚島に向かうことにした。
ククルは玄関まで、左足を庇いながら歩いた。
「港まで、背負ってやるよ」
「えっ」
戸惑うククルを意にも介さず、靴をはいてからユルはしゃがみこむ。ククルも靴を履いてから。ユルの背に乗っかる。
ユルがククルの足を掴んで立ち上がり、ぐん、と視界が高くなる。
ククルは手を伸ばして、戸をがらがらと開けた。朝から強い日差しが、二人を包む。
ざくざくと砂を踏んで、ユルが歩く。心地よい振動に目を閉じる。
(昔は、兄様によくおんぶしてもらったなあ……)
ティンの記憶が、蘇る。ククルは甘えん坊で、ティンに背負われるのが好きだった。高くなった視界も、兄の温かな背中も大好きで。さすがに長じてからはあまり頼まなくなってしまったが。
ティンのことを思い出した、と言ったらユルは怒るだろうか。
「ごめんね、ユル。重くない?」
「重い」
はっきり返されて、ククルは衝撃を受けた。
「お、降りる!」
「冗談だって」
「ほんと?」
「昔と違って体格差ついたからな。まあ、そこまででもない」
軽い、とは言わないところがユルらしい。彼はお世辞を言わない性質だ。
「……そっか」
数百年前の琉球で旅をしている時、ユルに運ばれたことがある。あの時は今ほど身長差がなかったので、重いと言われたのだろうか……。
(ユルは随分、大きくなったもんね)
こうして、しがみついている背中も――いつか見た華奢な背中とは違う。男性は女性より遅れて体が大きくなる、と聞いたことがある。ユルは典型的な成長の仕方をしたのだろう。
「骨、折れてないといいな。多分大丈夫だと思うけど」
そう言われて、ククルは頷く。
「うん……そうだね」
恨めしく、ククルは自分の足を見た。せっかく練習したのに、台無しだ。
ユルがやってくれるなら、舞台は大丈夫だと思うけれども。
(何だろ……)
見上げると、真っ青な空に灰色の雲がぽっかりと浮かんでいた。早い風に流されて行ってしまうその雲に、なんとなくククルは不吉な予感を覚えた。
結局ククルの足は折れてはおらず、捻挫と診断された。
診断結果を思い返し、少しホッとしながらククルはユルの練習風景を見守っていた。
代わりにユルがやるという知らせを受け、舞踊の先生は大層驚いていたが、すぐに気持ちを切り替えて指導に当たっていた。
とはいっても、ユルはククルの練習を見ていただけあって、ほぼ完ぺきな舞だった。指導も、細かい注意だけだった。
「はい、いいでしょう。これなら明後日のお祭りも問題ないですね」
先生はにっこりと、ユルに笑いかける。
「……どうも」
「でも、お見事ねえ。昔、習っていたの?」
「そんなところ」
ユルは口少なに答えており、ここでもユルの女性苦手具合が発揮されていた。
「これから、二才踊りの練習? 大変ね」
「ええ。でも、あっちはもう軽く合わせるだけでいいので問題ないです。――ありがとうございました」
礼をして、ユルはククルの近くにやって来る。
「行くぞ」
「うん」
ククルはユルに手を引かれて立ち上がり、片足飛びで彼の後を追った。隣の部屋まではそう距離もない。
部屋に入ると、二才踊り担当の男性たちがククルを見て憐みの表情になった。
「……やあ。聞いてはいたが、痛々しいね」
「かわいそうに」
「せっかく練習したのにね」
同情の言葉をかけられて、思わず目が潤みそうになってしまう。
「い、いえ。ご迷惑かけてすみません……。私、精いっぱい応援します!」
わざと明るく言ってみせると、彼らは戸惑いがちに微笑んでいた。
そうして迎えた祭り当日。
朝から、観光客がたくさん押し寄せた。琉球各地からはもちろん、大和人も多い。それ以外の外国から来た人もちらほらいた。そして、驚いたことに他の島々や本島からユタがたくさん来ていた。
高良ミエが、ククルにユタたちを紹介してくれた。
「どうも、ククル様。兄妹神の参加するお祭りと聞きまして、私たちも声をかけあって参りました」
「わわ……どうも、よろしくお願いします」
ククルは、十人ほどのユタたちを見渡してから、頭を下げた。
ユルは今日明日と舞で忙しいのだから、ククルが応対せねばならないだろう。
兄妹神の伝承は、ユタ間では有名だったらしい。ちなみに、今はノロ(神女)はすっかり減ってしまっているようだ。
「ユタの皆さん。今日は楽しんで行ってくださいね。神事は明日の午後から。それまでは舞などの出し物です」
「……ククル様。その足はどうされたんです?」
「舞の練習の時に痛めまして――」
ユタの一人に聞かれ、ククルは事情を語った。本来は女踊りをするはずだったが、代わりにユルがやってくれることも告げた。
「おやおや、それはお気の毒に」
ユタは皆、同情的だった。
「何かあったら手伝いますんでね。言ってくださいね」
ありがとうございます、と答えてククルは微笑んだ。
舞の演目が始まり、島は不可思議な熱狂に包まれた。
とうとうユルの出番がやって来て、皆が息を呑む。
化粧を施し、艶やかな女物の琉装に身を包んだ彼は、背の高い女性にしか見えなかった。
曲が始まり、ユルの手と足が動き出す。柔らかい、しかし芯のあるしっとりとした動き。
(ふわあ……綺麗)
思わずククルも見とれてしまう。
「あの子、美人だなあ」
「出番終わったら、連絡先聞いちゃおうぜ」
隣に立っていた男性二人組が、熱に浮かされたように囁き合っている。舞台の上にいるのが女だと思っているらしい。ユルが聞いたらどう思うだろう。
思わず笑いかけた時、ククルは舞台近くに何かいることに気付いた。
丸い物体が、ふよふよと浮いている。
(あれは……魔物《マジムン》?)
悪意や敵意といったものは感じられなかったが、舞台の周りを飛んでいるので気になって仕方なかった。一匹ではなく、何匹もうろうろしている。
ククルは眉をひそめ、魔物を目で追う。
何匹かは、他の魔物より膨らんでいた。何か食らったのだろうか。
(食べ……た?)
ふと、ククルは斜め前の女性の様子がおかしいことに気付く。ぼんやりとして、心ここにあらずといった様子。
これは、魂《マブイ》を落とした時の症状とよく似ていた。
(まさか!)
首を巡らせると、他にも様子のおかしい観光客がまばらにいた。
何とかしないと、と人ごみを押しのけ前に出ようとしたが――
曲が終わり、ユルの舞が終わる。割れんばかりの拍手が鳴り響いた。すると、魔物たちは興味をなくしたように四方八方に飛んで行ってしまった。
ククルは大慌てで、近くに並んでいたユタたちに声をかけた。
その後、あの魔物を探し回ったがどこにも見当たらなかった。
「いないですねえ」
「ほんと……。どうして、あの舞台の時だけ」
ククルは汗を拭い、足を引きずりながらため息をついた。
ふと思いついて、ククルはユタたちに告げた。
「ちょっと、捜索は中断しましょう。ユルにも相談して来ます」
頭を下げて、ククルはゆっくりと公民館へ向かった。出番を終えたユルは今、あそこにいるはずだ。
公民館に入って、ユルの待機している小部屋へと向かう。
「ユル、入るよー」
声をかけて扉を開けると、ユルが振り向く。
まだ化粧を落としておらず、着物も上布を脱いだだけの状態だった。かつらもまだ付けたままで、結い上げていたのは解かれていたので、長い黒髪が背に垂れている。その艶めかしいとも言える姿に、ククルは慌てた。
(き、聞得大君かと思った……)
舞台に上がった時は遠目だったので、よくわからなかったが、こうして近くで女装した姿を見ると、彼は母親に似ていた。
もっとも、ユルは清夜王子にそっくりな姿かたちになったというから、ユルが母親に似た――というよりも、清夜王子が伯母に似たのだろう。王家らしい顔なのかもしれない。
濃いめの化粧は、はっきりとした顔立ちの美女を思い出させた。
「お疲れ。まだ着替えてなかったんだね」
「ああ――。着替えないといけないのに、疲れすぎてぐったりしてた」
「脱ぐの手伝おうか」
「ああ」
舞の衣装は豪華なので、脱ぎ着にも一苦労である。
ククルはユルが衣装を脱ぐのを手伝い、化粧落とし液を染み込ませたガーゼで彼の顔を拭いながら話し始めた。
「実はね、舞台近くに魔物《マジムン》が出たの。ユル、見えてた?」
「魔物? いや……舞に夢中で、見てなかったな」
「まずいことになったよ。観光客の何人か、魂《マブイ》を落としてるみたい。その魔物が何かしたみたいなんだよね」
「……何だと?」
ユルの眉が上がった。
「その魔物はどこに行ったんだ?」
「わからないの。さっきまで、ユタのおばあさんたちに頼んで一緒に探してたんだけどね……。ユルの舞台が終わったら、どこかに行っちゃって」
「……もしかして」
ユルが、ふと呟く。
「オレに寄って来たのか?」
「多分ね。あのね、舞って儀式の一種なの。だから、霊力《セヂ》を持っている人はいつもより霊力が昂る。ユルは神の子で、霊力が高いでしょう。だから、昂ったユルの霊力に惹かれたんだろうね」
「――なるほどな」
ふう、とユルはため息と共に相槌を打つ。
化粧を落とし、衣装も脱いで肌襦袢一枚になった彼は――さっきまでの美女はどこへやら――いつものユルだった。
「見つからないとなると、どうするんだ?」
「考えたんだけど……明日、もう一度ユルが踊るでしょう? 今度は二才踊りだけど。その時に多分また、同じ魔物が来ると思うんだよね。魂を飲み込んじゃった魔物に魂を吐かせて、魂を戻すのはどうだろう」
「舞の最中に、そんなことできるのか?」
ユルは顔をしかめたが、すぐに「あ」と何か思いついた表情になった。
「そうか。明日の二才踊りでは、刀を使う。天河《ティンガーラ》を使えばいいんだ」
「天河で魔物を斬るってこと?」
「そうだ。斬り払い、客席に飛ぶようにする。あとは任せたら、お前が何とかしてくれるか?」
「うん! 私だってノロだもん! ユタもたくさんいるし、魂《マブイ》込めなら任せて!」
ククルは大声で言い張り、胸を抑えた。
魂《マブイ》込めは、ノロやユタの大切な仕事の一つだ。魂を落としたまま観光客が帰ってしまうと、その内彼らは命を落としてしまう。祭りのせいだ、とでも評判が広まれば来年の祭りにも響くだろう。これは、ククルが何とかしなければならない問題だった。
その後またククルは外を捜したが、あの魔物は見つからなかった。
そして翌日。ユルの舞台が始まる前に、ククルとユタたちはそれぞれ位置について待機していた。ごった返す客の中に混じり、ほどほどに間を開けて魂《マブイ》を落としたと思しき人の横に立つ。
拍手が響き、ユルと他の舞手が舞台に上がった。
それぞれ位置につき、静止する。ユルは予告通り、天河を構えていた。ほの白く輝くその刀の美しさに、観光客はため息をついて見つめている。
(そもそも、来るのかな)
ククルはそわそわとして、落ち着かなかった。
それに、踊りながら魔物を斬るなんて芸当ができるのだろうか。二才踊りは派手な踊りだし、この祭りでは古典に改良を加えて更に早く激しい振付にしてある。誤魔化せないこともないだろうが……とククルは首を傾げる。
音楽が始まり、舞が始まった。昨日とは正反対の、雄々しい青年の衣装を身にまとったユルは、だんっと舞台を蹴った。高い跳躍に、観客が湧く。
杞憂だったようで、舞台に惹かれるようにして魔物がやって来た。
「来た!」
ククルはじっと、魔物の行方を見守った。
ユルにも見えたようで、彼は器用に舞の放物線を崩すことなく魔物を斬り払った。
ぎゃ、という悲鳴と共に魔物が裂け、その中から人の姿が現れ……観客の中に落ちる。
「ここは私が!」
近くにいたククルはイチマブイに近付き、呆然としている彼の手を引っ張った。
観客の中から抜け出し、後方で待機していたユタに彼を任せる。ここには結界を張っておいたので、魂は入ることはできても逃げられない。
ククルは踵を返し、また観客の中に帰る。
またユルが一匹、斬り払ったところだった。近くにいたユタが、落ちて来たイチマブイを回収している。
(急がなくちゃ!)
イチマブイに逃げられる前に、捕まえなくては。
また一匹、斬り払われる。
ククルは足の痛みをこらえながら、走った。