ニライカナイの童達
第二部
第三話 祝祭 4
舞が終わり、演者が一礼すると拍手が響き渡る。
その間に、ククルは魂を落としたと思しき人の腕を引っ張った。他のユタもそれに続く。
結界の中に集められたイチマブイを見て、彼らは呆然として……いなかった。彼らにはイチマブイが見えないようだ。
「はいはい、ちゃっちゃとやりますよ」
ユタが、一人ひとりの口に食べ物を入れる。その食べ物は――現代風にチョコレートだった。
チョコレートが飲み込まれていくと同時に、マブイが消えていく。
ククルは直接、イチマブイを本人に向かって押した。すうっと、イチマブイは体に帰る。
ククルと他のユタでやり方が違っていたが、これは時代の差なのか地域差なのかはよくわからなかった。
だが、ユタの一人は感心したようにククルを讃えた。
「さすが、神の御血筋。霊力《セヂ》が高いから、そういうやり方ができるんですね」
「……そ、そうなのかな?」
戸惑いつつも、ククルはもう一人に魂《マブイ》をこめた。
「これで終わり、っと」
魂を奪われていた人たちは、きょとんとしてククルやユタたちを見渡した。
「あの……?」
「あ、おまじないしただけです。すみません。舞台また始まりますよ」
ククルが誤魔化すと、彼らは不思議そうな顔をしながらも観客の中に戻って行った。
「これで一安心。ありがとうございました、皆さん!」
ユタに頭を下げ、ククルは晴れ晴れとした表情で笑った。
夕方に、神事が行われた。
白い着物に身を包んだククルとユルは、島中の御嶽を周り、祈りを捧げた。
「足、大丈夫か?」
歩いている最中、ユルが心配そうに尋ねて来た。
「うん、平気」
強がってみせたものの、魂込めで無茶したせいもあり、痛みは強くなっていた。しかし、こうやって厳粛に歩いているのも、神事の一つである。運んでもらうわけにも、足を引きずるわけにもいかなかった。
(あと少し、頑張れば……終わる)
道端に立つ島人の老人が「ありがたや」と拝んでいる。ククルは彼に微笑みかけ、歩を進めた。
観光客がカメラをこちらに向け、フラッシュを炊いた。
「写真は禁止だって言ったろ!」
ユルが怒鳴り、観光客の男が逃げ出しそうになる。彼はあっさりと、島人の若衆に取り抑えられていた。
フラッシュの光が眩しくて、ククルは何度もまばたきをする。
「おいっ」
目に意識を取られたせいか、転びそうになって前のめりになる。幸い、すぐにユルが腕を引いて支えてくれた。
「お前、足ひどくなってるだろ」
「……うん。応急処置、したんだけどね」
舞台が終わった後、ククルは公民館で手当てをしてもらった。だが、焼け石に水だったようだ。
はあ、とユルはため息をつく。
「あと二か所だ。いけるか?」
「うん。頑張る」
ククルは前を見据えて、言い切った。
なんとか神事も全て終え、夜に公民館で宴会が開かれた。
「ふはあ、ホッとしたあ」
缶ジュースをあおって、ククルはほうっとため息をつく。もう一度包帯を巻き直してもらったので、足首の痛みもましになっている。
「……ま、お疲れ」
隣のユルが苦笑しながら、缶ジュースを掲げたので「うん! ユルもお疲れ様だね!」と言って乾杯の形を取った。
さっき村長が長々とした口上と兄妹神へのお礼を述べた後に乾杯したので、二回目の乾杯となった。これは、ククルとユルが互いに労う――といった形の乾杯だ。
宴会のお約束、ということで早速三線が奏でられて歌が始まる。既に酔ったおじさんが陽気に踊り始める。
「あれ、ユルも練習した曲だよね」
「そうだな」
その言葉を聞きつけたのか、近くに座っていたおじさんが声を上げた。
「おお! そういえば、ユルくんは三線が得意なんだってね! 是非、聴かせておくれ!」
「えっ」
ユルは戸惑っていたが、島人の熱い要望を断れなかったのか、演奏する羽目になっていた。
いつの間にか三線以外の楽器も揃えられて、軽い演奏会のようになっている。
「やっぱ、こういう場には……あの曲で行こう」
高良のおじさんが、ユルと他の楽器の演奏者に耳打ちする。
皆が見守る中、三線の音が響く。陽気で拍子の早い前奏の後、ユルが歌い出す。
期待されすぎて緊張しているかと思ったが、そんな様子は見せなかった。
「わーっ」
ククルも、練習で何度も聞いた曲だった。現代の琉球曲の中でも、特に盛り上がる曲だ。ククルは拍子に乗って、手を叩く。
宴会は大いに盛り上がり――島人は踊り、歌い、騒いだ。
そうして夜は更けていった。
「ククル」
揺り起こされて、ククルは目を開く。
「うん……?」
ぼうっとして、周りを見渡す。大人たちはまだ飲んでいる人もいたが、酔いつぶれている人も目についた。子供はもういない。
ククルはいつの間にか、眠ってしまっていたようだ。
「オレたちも引き上げるか。もう夜も遅い」
「うん、そうだね」
ククルはユルの手を借り、よろよろと立ち上がった。
「おぶってやるから、オレの背中乗れ」
「……うん。ありがとう」
強がっている余裕はなかったので、有難くユルに背負ってもらう。
ユルとククルは、近くで真っ赤な顔をしていた高良のおじさんに「お先に失礼します」と言い残しておいた。
外に出て、空を仰ぐと満天の星が広がっていた。遠くから、潮騒が聞こえる。
「ユル、ちょっと浜辺に行かない? 涼みたい」
だめ元で聞いてみると、「ああ」とあっさり了承してくれた。
背負われたまま、ククルは目を閉じる。また、ティンのことを思い出してしまう。ユルが大きくなったからだろうか。
ククルの中のユルは、まだククルとそう背丈も変わらない生意気な少年で。ずっとそうだと思い込んでいたから、こうやって変わってしまったのが受け入れられないのだろうか。
最初は――形式上兄になったけど、兄だったティンとは到底似ても似つかない少年で。隠し事ばかりして、ククルに容赦ない言葉を突き付けた。そんなユルの印象が強すぎる。
ぎゅっと回した腕に力をこめ、首筋に顔を埋める。そんな甘えるような姿勢を取ってしまっても、ユルは文句を言わなかった。以前なら、言っていただろうか?
なんだか花の香がする。
「いい匂いするね……花のにおいだ」
「ああ……公民館のシャワー借りたんだが、やたらいい匂いのするシャンプーしか置いてなかったんだよ」
ユルの答えに、思わず笑ってしまう。
「ていうか、匂いを嗅ぐなっつの。犬かよ」
毒づかれたけれど、ククルは笑うだけにしておいた。
「着いたぞ」
浜辺に着き、ユルはククルを岩の上に下ろしてくれた。あつらえたように、座りやすい岩だった。
ユルはその隣に座り、夜の海を見つめる。
海の香を含んだ、ぬるい風が吹き抜ける。
「お祭り疲れたけど、成功してよかったね」
「ああ」
「……本当に、代役ありがとうね。魔物も、舞いながらよく斬ってくれたなあって思って」
にっこり笑って、彼の横顔を仰ぐ。ユルは表情を変えずに、ククルを横目で見た。
「ユルは本当に舞も歌も上手ですごいね」
「……」
ユルはどうしていいかわからないかのように、視線を彷徨わせた。
「……ユルってさ」
「うん」
「褒められるの、慣れてないでしょ」
指摘すると、ユルは大仰なため息をついた。
「……まあな。あんまり、褒められたことないんだ」
「え……」
「オレは、何でもできて当たり前――だったからな。清夜が何でもできたから、それに追いつくのは当然だった」
ユルは前かがみになって、左手で頬杖をついた。
「倫先生は褒めてくれなかったの?」
「褒めてくれたけど、ショウとずっと同じ授業受けてたからな」
「あ、そっか……」
倫先生はきっと、公平な人物だったのだろう。二人同時に褒めたはずだ。
清夜王子はユルを褒めたこともあったのかもしれないが、それはユルにとっては素直に受け取れない誉め言葉だったろう。
つまり――本当の意味で、ユル個人で褒められたという経験がほとんどないに等しい……ということだろう。
「私も、ばば様や両親にはあまり褒めてもらえなかったんだけどね……。兄様が、小さなことでも褒めてくれたの」
たとえ大したことのない物事でも。ククルが何か成功させたりすると、ティンは大げさなほど褒めてくれた。ククルはすごいね、と。
今思えば、あの兄の行為がククルのちっぽけな自信につながったのかもしれない。
「私は、兄様に褒められるとすごく嬉しかったんだ……。だから、ってわけじゃないんだけど――私は、ユルがすごいって思ったら褒めるからね。お世辞じゃないからね」
自分でも何が言いたいかわからなくなってしまって、少し恥ずかしくなる。
「そのー、ユルの舞はすごかったし、歌も上手だったし私は……すごいと思いました」
子供の感想のようになってしまい、思わずうつむく。ちらっと視線だけ上げると、ユルが少し笑っているのが見えた。
珍しい、優しい笑顔。すぐにその表情は失われ、真顔になってしまったが。
「……ま、お前も今回はよくやったじゃねえか。オレからも、褒めてやるよ」
「そ、そう? でも、足引っ張っただけな気がするけど……」
「オレはお前の練習も見てたしな。それに、魂込めも……お前が気付いて、あれをしなかったら大変なことになってただろうからな」
褒められ、悪い気はしなかった。それどころか、とても嬉しい。自然と口元が綻んでしまう。
「……なあ、ククル」
名前を呼ばれて、ククルは顔を上げてユルを見つめる。彼は恐ろしく、真剣な顔をしていた。
「お前にとって――オレって、何だ?」
その質問に、ククルは虚を突かれる。
何って――。
「ユルは、私にとっての……」
以前、美奈と綾香には、ユルは自分の“大切な人”だと言った。でも、それは二人には自分たちの関係性が理解できないと思ったからだ。
(そう、私たちを表すのに一番ふさわしい言葉は――)
ククルは潮騒に耳を傾けながら、ゆっくりと考えた。沈黙が、重い。ユルはどういう答えを求めているのだろう。
彼が何を求めているにせよ、ククルの心に浮かんだのはただ一つの単語だった。
「ユルは――私にとっての、大切な」
そこでユルの表情が緩みかけたが……
「“兄”、だよ」
告げた瞬間、少し空気が変わった。
笑ってみせたが、ユルは笑い返してくれなかった。
「……そうか」
ようやく放たれたユルの声音は平坦で、感情を伺えない。
「う、うん」
何か、答えを間違えただろうか。しかし、ククルにとって“兄”とは最上の称号のようなものだった。
ククルをいつでも助けてくれて、愛情を注いでくれたティン。彼に負けず劣らず、大切だという意味もこめたのだが……。
「そろそろ、帰るか」
「そうだね」
促され、ククルは頷く。すぐにユルは、背を向けてしゃがんだので有難くその背に乗った。
ユルが歩き出してすぐ、ククルは急激な眠気を覚えてしまった。
(背が温かくて、安心する……)
疲労のせいか、意識はすぐに途切れた。
急に背負っていたククルの体が重みを増したような気がして、ユルは足を止める。
首を後ろに向ける。ククルは、気持ちよさそうにすやすや眠っていた。
(手のかかる“妹”だな――)
苦笑して、ユルは彼女の体を背負い直す。
妹――。その単語を、反芻する。
自分は、どんな答えを望んでいたのだろう。ククルが、ユルを兄だと思っている――と言うことは明白だったのに。
ユルは星空を仰いだ。
「兄、か」
そう、兄だ。自分はククルの兄だ。もう戸籍上は兄でなくても。もう二人で発揮する力は使えなくとも、兄妹神の片割れだ。彼女が兄と認めた男児。たった一人の家族。
ならば、兄にふさわしい振舞いをせねば。
ユルは決意をこめて、目を伏せた。