ニライカナイの童達

第二部

第四話 幽霊 3


 その後、ミエと共に家中探し回ったが簪は見つからなかった。もちろん、ユルの荷物も何度も確認したのだが……
「はあ」
 落ち込みながら、ククルはユルの傍で食事を取っていた。ミエは、また明日来ると約束して高良家に帰ってしまった。
 ユルが起きたら食べさせようと、おかゆなど食べやすい食事が載った盆が傍らにある。しかし熱がひどくなっているらしく、ユルは起こしても起きなくなってしまった。
(このままじゃ、祟り殺されちゃうよ……)
 ククルは、ユルの傍に漂う幽霊に目をやった。
 どことなく陰のある美女。
 先ほど何度問いただしても、簪の在り処は教えてくれなかった。
 そうだ、とククルは閃く。
(強硬的に行くから、だめなのかな……?)
 幽霊にも色々ある。話の通じない幽霊なら、問答無用で祓うことが求められる。しかし、話が通じるなら、本人に納得して成仏してもらうのが一番だ。
「あの」
 話しかけると、幽霊はうろんげにククルを見た。
「あなたの事情を、聞かせてくれない?」

 初めは、幽霊はククルに何も話そうとしなかった。しかし、ククルが「あなたの事情を聞きたいの」と訴え続けると、折れたのか話をしてくれるようになった。
 辛抱強い説得が通じ、幽霊が口を開いた時には、もう午前零時を回っていた。
「あなたの名前を、聞かせて」
『私は――花《はな》、よ』
「花さん、ね」
 ククルが頷くと、花は喋り始めた。
『私の夫は、武士だった。誰もが羨む結婚だったわ。俸禄も高く、殿の覚えもめでたい、精悍な武士だったのだから。でも――彼は、賭け事が好きだったのよ。ある日、夫は大負けして突然破産したわ。借金返済の足しに、と私は遊郭に売られたの』
「え……」
『一度人妻だったこともあり、私はあまりいい店には売られなかったの。……屈辱的だったわ。でも、私は幸い容姿が人より優れていた。馴染みもできて、なんとかやっていた……。でね、ある日夫が店に訪ねて来たのよ。どうやってか知らないけど、家計を立て直したのね。悪くない着物を着ていたわ。こんなことになってすまない、いつかまた迎えに来ると――約束してくれた。そして、あの簪をくれたの』
 花の頬が、綻んだ。
『でも……もう、来てくれなかった。人を雇って、調べさせたら――再婚したって……。泣きながら私は遊郭から出て、夫のところに行ったの。大変だったけど、直接問い詰めないと気が済まなかったから。そうして家に辿り着いたら、かわいらしい女性が出迎えてくれたわ。再婚相手――ですって。呆然とする私に、彼女は告げたの。“あなたが前の奥さんですか。残念ですが、苦界に身を落とした女性がまた武家の妻になるのは……と反対にあったから、夫はあなたを諦めるしかなかった”と優しく説明してくれたわ! 同情して、眉をひそめさえした! ……そうして私は、下男に捕まり、引き戻された。足抜けの罪で折檻されている内に、死んでいたわ』
 あまりの壮絶な話に、ククルは青ざめていた。
『死んでから、夫も後妻も祟り殺してやった。その子供も、もちろん。でも、怒りは収まらなかった。いつしか自分は、あの簪と共にあると気付いた。あの簪を手に入れた男を、片っ端から呪って行ったわ』
「そんな……」
 ククルは彼女の事情を頭の中で反芻し、考え込んだ。
 遊郭にいた時も、辛かったのだろうと容易に推測できた。夫への怒り、憎しみは――いつしか男性全体に普及していったのだろう。だから彼女は、男性を呪うのだ。
「……辛かったんだね」
 同情の言葉を口にすると、花はふんっと鼻を鳴らした。
『あなたに何がわかるの』
「完全にはわからないけど……あなたの話を聞いて、とても辛かったんだってわかったよ」
 今は、説得したりはしない。ただひたすらに、共感する。
「だって、あなた何も悪くないじゃない」
『……そうよ。ただ、嫁いだだけだったのに』
「でもあなた、まだ旦那さんのこと好きなんだね」
 指摘すると、花は驚いたようだった。
「昨日、ユルに触れようとしてたじゃない。旦那さんを思い出したんでしょ?」
『……』
 花は、ククルから目を逸らす。
「そんなに、ユルは旦那さんに似てる?」
『……少しね。どことなく、あの人を思い出すの』
 花の声音に滲むのは、たしかな愛情。愛があったからこそ、憎しみも深いのだろう。
「でも、別人だよ」
 ククルは、訴えるように声をかけた。
「あなたの旦那さんとも、あなたにひどいことをした男の人たちとも、違う」
『……』
「あなたはきっと、混乱しているんだよ。憎しみと恨みが募りすぎて、誰彼構わず呪ってしまうようになった。でもね……それを続けると、あなたの魂《マブイ》は、もっともっと濁って行くよ。もう、終わらせようよ。あなたの苦しみが続くだけだよ」
 切々と訴え続けると、花の表情が動いた。
『だけど、一度私を祓おうとした霊能者は言ったわ。私が悪いって。私が我慢するべきだったって。何も知らずに遊郭にいたら、希望を持ち続けて待てただろうって……』
「そんなの、おかしいよ」
『そう思うのは、あなたが女だから。男は、あの霊媒師みたいなこと言うのよ! 女が我慢すれば、全て丸く収まるって――!』
 花から憎しみが迸り、ククルはぎゅっと拳を握りしめた。
「全員じゃないよ。たとえばユルなら、そんなこと言わないよ」
 ククルは、手ごたえを感じていた。もう少し押せば、花は改心してくれるだろうと。
「ユル、起きて」
 強引に揺さぶり起こすと、彼はゆっくりと目を開いた。
「辛いのにごめんね。でも……あと少しだと思うから。――この人の、事情を聞いてあげて」
 ユルを助け起こす。彼の体は、焼けるように熱かった。
 花はもう一度、身の上話をする。
 どういう答えを返すのだろうか、とククルは少し緊張する。だけど、きっと大丈夫だ。ククルは、ユルの優しさを知っているからこそ確信していた。彼はちゃんと、共感できる人だ。
 話を聞き終えたユルは、掠れた声で呟いた。
「あんた……辛かったんだな」
『……』
「正直、同情するよ」
 ユルの答えを聞いて、幽霊はしくしくと泣いていた。
「わかったでしょう? 全員じゃないよ。だから、祟り殺すのはもう終わりにしよう。そんなことで、あなたの気は済まないよ。こうやって同情してくれる、優しい人まで殺すことになるんだから」
 ククルが訴えると、花は力なく呟いた。
『どうすればいいの……』
「簪の場所を、教えて」
『……寝台の下よ』
 その答えに、ククルは「えっ」と言ってしまった。灯台下暗しとは、このことだ。
(ああ、そっか)
 幽霊が近くにいる場所だからこそ、簪の気配が混じってわからなかったのかと納得する。
 ククルは身を屈め、ベッドの下に手を伸ばした。固いものが手に当たり、それを掴んで引き出す。
 綺麗な、赤い簪だった。
 ククルはそれを手にして、祝詞を唱え始めた。花は抵抗もせず、祝詞に身を委ねる。
『私の話を聞いて、共感してくれた人は初めてだったわ』
 ぽつりと言われて、ククルは微笑んだ。

 長い祝詞を終えると、幽霊の姿は消えた。ぱきん、と簪が割れる。
「あーあ」
 残念だったが、仕方ない。それに、いくら綺麗な簪でも、あの事情を聞いた後に着ける気は起きない。このまま、燃やすのが一番いいだろう。
「……はあっ」
 大きな息と共に、ユルが顔を上げた。顔色が、平時のように戻っている。
「ユル、よかった!」
「……死ぬかと思った」
 ユルは汗ばんだ額を腕で拭い、ため息をついていた。
「死にかけてたんだよ、実際。もう平気?」
「ああ――。悪いな、ククル。まさか土産に悪霊が憑いてたなんて」
「仕方ないよ。多分、あの簪はユルを引き寄せたんだと思うし」
「そういうことかよ。……簪、割れたのか」
「うん。この簪は焼こうと思う」
「それがいいな」
 ユルは突然立ち上がり、机に向かった。
「……土産。渡そうと思ってたんだが、その前に寝込んじまった」
「あ、うん」
「ほら」
 ユルは土産を抱えて、ククルに渡してくれた。
「ありがとう! わー。このぬいぐるみ、やっぱりかわいい」
「それ買うのが、一番恥ずかしかった」
 思い出したのか、ユルが苦虫をかみつぶしたような表情になる。その表情が面白くて、ククルは思わず笑ってしまった。

 翌日、すっかり元気になったユルは土産話を色々と聞かせてくれた。
 伊波のおじさんに借りたパソコンに、デジタルカメラで撮った写真データを取り込み、二人で眺める。
「ふわあ、ここが大和かあ」
 トウキョウの街並みは驚くほど都会だった。琉球の首都ナハも目じゃないほどの規模の街なのだろう。
 ミッチーランドは、本当に夢の国のような、楽しそうなところだった。
「……」
 思わず涙ぐんだククルを見て、ユルが慌てる。
「ま、またいつか行けばいいだろ」
「……うん」
 ぐすっと鼻をすすり、写真を見て行く。
 ミッチーマウスに肩を組まれたユルが写った写真があって、思わず笑ってしまった。ユルが嫌そうな顔をしているところが、何とも笑いを誘う。
「あっはっは。ユル嫌がりすぎ!」
「うるせえな。この鼠の着ぐるみを写してたら、クラスの奴らに“一緒に撮ってやる”って言われて、半ば無理矢理撮らされたんだよ」
「この写真好きだなあ。……ね、この写真って印刷できるの?」
 できれば手元に置いておきたいほど、気に入った。
「オレはやり方知らないけど、おじさんかおばさんに聞いてみたらできるだろ」
「そっか。あとで聞いてみよっと」
 ククルは気をよくして、写真を見て行く。
 ちらっ、とユルの方を見る。昨日まで寝込んでいたのが嘘のように、ユルは元気だった。
(よかったよかった)
 安堵して、写真に意識を戻す。
 随分たくさん撮って来たようだ。ユルが出先で写真を多く撮る性質だとは思えないので、ククルに見せるために頑張って撮ってくれたのだろう。
 そう思うと、じんわり心が温かくなった。
「……ああ、そうだ」
 ふと思いついたように、ユルは立ち上がって鞄をごそごそ漁り始めた。
「これ、土産っていうかおまけでもらったんだけど、お前にやるよ。簪だめになったし、これで勘弁してくれ」
 ユルがククルに差し出したのは、透明な袋に入ったヘアピンだった。桜の飾りがついている、薄紅色のかわいらしいものだった。
「わ、かわいい」
 感動してから、ククルは我儘を言ってみることにした。
「着けてー」
「はあ?」
 案の定、ユルの反応は芳しくなかった。だが、すぐに袋の口を開ける。
 あれ、と口に出す間もなく、ユルの腕と顔が近付く。ぱちん、と音がして少し頭皮が引っ張られる心地がする。
「ほらよ」
「……ありがとう!」
 急いで立ち上がり、姿見を覗いてみる。
 桜色のピンが、ククルの茶色い髪に栄えていた。
「嬉しい! ありがとうね!」
 振り返って礼を言うと、ユルは呆れたように少し笑ってくれた。