ニライカナイの童達

第二部

第一話 覚醒 4


 豪華な刺身料理が振舞われたが、食事中もククルは上の空だった。それはユルも同じだった。首飾りのことが気になりすぎていたのだ。
 ククルは風呂に入った後、ユルの部屋を訪れた。
「ユル。入るよ」
 戸を叩くと「ああ」と短い応答があった。
 戸を開き、部屋に入る。ユルは窓際に腰かけて、ぼんやり夜空を眺めていた。先に風呂に入ったユルの髪は、まだ濡れていた。今は髪を束ねていないので、濡れて艶を増した黒髪が肩にかかっている。いつもと髪型が違うだけで、違う人のように見えた。
 ゆっくりこちらに顔を向け、ユルは首を傾げる。
「お前、何持ってんの」
「三線。弾いて弾いて」
「何でだよ。高良のおじさんに頼めよ。名手だろ」
「今日は、ユルの三線が聴きたいの!」
 我儘を言って、ククルはユルに三線を半ば無理矢理渡す。
 渋々受け取り、ユルは調弦を始めた。
 ククルは床に座り、懐に持っていた首飾りを取り出す。
 爪弾かれる三線の音に耳を傾けながら、ククルは不思議な首飾りを見つめる。
 ユルが弾いているのは、聴いたこともない曲だった。本島の民謡だろう。
 ぼうっとして聴いている内に、曲が終わる。
「――で? お前はそれをどうしたいんだ?」
 問われ、ククルは顔を上げた。
「……着けてみようかな」
「着ける?」
「うん。何か、思い出すかもしれない。……私は、こっちだよね」
 ククルは青い首飾りを首にかけた。ユルも続いて、三線を置いた後にククルの手からもう片方の首飾りを受け取り、それを着けた。
「……」
「……」
 何も、起こらなかった。記憶も戻らなかった。
「ただの、お土産かなあ」
 ため息をついて、ククルは首飾りを外そうとしたが――
「大変だ、ユル」
「何が?」
 ユルは青ざめたククルを見て、不思議そうな顔をしていた。
「首飾り、外れない」

 しばらく二人で悪戦苦闘していたが、首飾りは全く外れてくれなかった。
「ど、どうしよう」
 ククルは青い宝石を見下ろす。相変わらず、ゆらゆらと揺らぐ水面のような宝石の様は不思議だった。
「……外れねえってことは、オレたちが着ける必要があったものってことだよな、多分……。オレのは夜空みたいだし、お前のは海みたいだ。あつらえて作られた、って考えた方がよさそうだ」
「私の祖先が海の神様で、ユルの親が空の神様だからか……。じゃあ、何らかの役割があるのかな。そういえば、霊力(セヂ)を感じるなあ」
 首飾りの宝石には、はっきりとした霊力が秘められていた。
「とにかく、今日これが見つかったこともオレたちが身に着けたことにも何か意味があるだろう。オレたちが忘れた記憶にきっと、関係している。何が起こるかわからないが、しばらく様子を見るしかない」
 ユルの冷静な意見を聞くと少し落ち着き、ククルは頷いた。

 二人は首飾りを着けたまま、翌日信覚島に帰った。
 ククルが自室に入るともう、夕陽が窓から差し込んでいた。
(なんだか、疲れちゃった)
 この首飾りのせいだろうか。
 ベッドに寝転び、ククルは首飾りの宝石を眺めた。
 青い、蒼い、碧い。正に様々なあおが織りなす、琉球の海のようだ。
 魅入られそうになって、ククルは首飾りをまた胸元に仕舞った。外せないので学校にも着けて行かないといけない。さすがに校則違反なので、教師やほかの生徒に見つからないように、服から出さないようにせねば、と誓った。
(ユルの首飾りも綺麗だったなあ)
 銀の鎖は昏い夜空のような宝石によく映えて、何よりユルに似合っていた。
 ククルは起き上がり、机の引き出しを開けた。
 なんとなしに、カジからの手紙を読みたくなったのだ。
 カジは、手紙を遺してくれていた。紙はもちろんぼろぼろで、よく残っていたものだと感心する。手紙を守り続けてくれていた彼の子孫に、感謝してもし切れない。
(カジ兄様……)
 慎重に手紙を開く。
 ひたすらにククルを気遣う言葉が綴られており、涙が出そうになる。
(私、頑張るね)
 正直、この時代にはまだまだ馴染めていない。不安も大きい。けれど――
(カジ兄様とトゥチ姉様が残してくれたもの、無駄にはしないよ)
 手紙を閉じ、ククルはまた引き出しにそれを仕舞った。
 そういえば、とふと思い出す。
(ユル宛の手紙は、どんなものだったんだろう)
 カジはもちろん、ユルにも手紙を遺していた。手紙を読み終わった後、ククルは大泣きしたが、ユルは微妙な表情をしていたのだ。どんな内容だったのかと聞いても、教えてくれなかった。
(カジ兄様のことだから、まあ私をよろしくと言ってくれたんだろうけど……あとは何だろう?)
 少し厳しい言葉でも添えられていたのだろうか。だが、カジは朗らかな人物で、ユルの境遇にも同情していた。
(また今度、ユルの機嫌がいい時にでも聞いてみようかな)

 週半ばの帰り道、珍しく寄り道をしたい、とユルが言い出した。
「いいよー。どこ行くの?」
「本屋」
 素っ気なく答えて、ユルは先に行ってしまう。彼の背を速足で追ったが、なかなか距離が縮まらない。
 そういえば、彼は寄り道をしたいと言っただけで付いて来いとは言わなかった。ククルが付いて来ると思っていないのかもしれない。
「ユル、私も行く。待って……」
 呼びかけた時、どやどやと観光客と思しき一団が前からやって来てククルは立ち往生。益々ユルとの距離が離れてしまう。
「あわわ……」
 ククルはふと、一団の中に見覚えのある姿を見つけた。
「……あに、様……?」
 茶色い髪と目に、優しい顔立ち。あれは――たしかに、ティンだ。
「兄様!」
 ククルは彼に向かって走ったが、すぐに見失ってしまった。
「あれ……?」
 観光客たちはククルのことを意にも介さず、ガイドに従って歩いて行ってしまう。
(今、たしかにいたような……。でも、どこ?)
 きょろきょろ見渡すも、ティンの姿は影も形もない。
 肩を叩かれ、思わず「兄様!?」と振り返る。しかし、そこにいたのはティンではなくユルだった。不快そうに、眉をひそめている。
「……ユル。さっき、たしかに兄様がいて。どうしよう。生まれ変わりかな」
 しどろもどろになって、ククルは言い募る。動揺のあまり、呼吸が荒くなってしまう。
「落ち着け。ゆっくり呼吸しろ」
 促された通り、呼吸を落ち着けると、しばらくして元に戻った。
「――で、ティンがいたってのは本当なのか?」
「うん。あれは、兄様だよ。生まれ変わってたんだ……よかったあ」
 涙を堪えて、万感の思いをこめて呟く。しかし、ユルは顔をしかめていた。
「あのなあ。生まれ変わって、そっくりな姿に生まれつくと思うか?」
「……うーん。有り得る?」
「はっきり言うが、ない。それにティンは無茶したせいで、かなり魂が削られていた。転生するには、もっとかかるだろ」
「じゃあ、あれは誰なの。そっくりさん?」
「お前の見間違えだろ。ティンに会いたいからって生み出した、幻かもな」
 ユルの冷静な意見に、カッとなりかける。だがククルも、落ち着いて考えると――あれは見間違いだったのではないかと思えて来た。すぐに見えなくなったのも、妙だ。
「ほら、行くぞ。お前も来るんだろ」
「う、うん」
 どうやら、待ってと呼んだ声が聞こえていたらしい。それで戻って来てくれたのだろう。
 また歩き出したユルを追わんとしたククルだったが……つい、振り向いてしまった。もちろん、後ろにティンがいるはずもなかったが。

 ユルは本屋に入ってすぐ、さっさと奥に行ってしまった。
(私も何か買おうかな)
 入り口付近には、漫画がたくさん並べられていた。
(まんが……。そうだ、大和語の勉強にもなるし買ってみようかな)
 字がいっぱいの本より、絵があった方が読みやすそうだ。美奈が「君の瞳に完敗」という漫画が面白いと言っていたことを思い出す。
 ククルは漫画の読み方をいまいちわかっていなかったが、ユルなら知っていそうだしユルが知らなくても下宿先の伊波家の人が教えてくれるだろう。
(きみのひとみにかんぱい……どれだろ)
 全部同じに見えてきてしまう。焦りながら、一冊を手に取る。
「えー……これ、かな」
「おい」
 後ろから声をかけられ、ククルは驚いて漫画本を落としそうになってしまった。
「何だお前、そんなの買うのか?」
 ユルが珍しく、ぎょっとしたような表情をしているので、ククルは疑問に思って手元の本を見下ろしたが……
「あわわっ!」
 裸の男女が見つめ合っている表紙だった。タイトルは“君との日々”。“君”しか合っていなかった。
「ち、違う! 間違えたの! クラスの女の子から教えてもらったの捜してたんだけど、どれかわからなくて適当に取っちゃったの!」
「わかったから大声出すな」
 ユルは呆れているようだった。
 ククルは真っ赤になりながら、漫画本を元に戻す。
「捜すの手伝ってやろうか。題は何なんだよ」
 問われ、ククルは頷いた。
「よろしく。“君の瞳に完敗”っていう本だってさ」
「ふうん」
 ユルはククルの横に立って、棚を眺め始めた。
「これか。一巻でいいのか?」
「う、うん」
 ユルは取り出した漫画本の後ろを眺めて、「へーえ」と言っていた。
「な、何?」
「別に。ほら」
 渡された漫画を受け取り、ククルは表紙をまじまじと見つめた。
 さっきのものと違って健全な表紙だった。かわいい女の子と、彼女に平伏している男子が描かれている。
(どういう状況なんだろう)
 内容が気になるところだったが、試しに一巻だけ買ってみようと決める。
「ユルはもう買ったの?」
「手元見りゃわかんだろ」
 質問に対し、ユルは素直に答えず手提げ袋を掲げる。数冊、本を買ったようだ。
「そう。じゃ、私も買って来るね」
 ユルに言い残し、ククルは会計へと向かった。