ニライカナイの童達
第二部
第五話 投影 2
きりのいいところまでやってから、三人は解散した。といっても、ククルはもちろんユルと一緒の帰り道だ。
帰り道はもう、暗い。今日はいつもより遅くなってしまった。
暗いからなのか、ユルは歩幅を合わせて並んで歩いてくれた。しかし会話はなく、なんとなく気まずい雰囲気が流れている。どうやら、ユルはまだ怒っているようだ。
「ユル、怒ってる?」
「……何でオレが怒ってるか、わかってんのかよ」
逆に問い返されて、ククルは詰まる。
「黙ってたから、だよね」
「そうだ」
「でも、比嘉さんに頼まれたからだし……」
ここで、薫がついてくれた嘘にすがることにした。
「意見もできなかったのか? あの調子じゃ、到底間に合わなかっただろ。今日、オレが指摘しなかったらどうなってたんだよ?」
「う、うーん」
「あのなあ、お前――オレの立場を慮ったとか言ってたけど、逆を考えろよ」
「逆?」
「間に合わなかった場合の、お前と比嘉の立場だよ」
そう言われて、想像してみた。立場をなくす――なんてものじゃないだろう。もちろん手伝わなかった生徒だって責められるだろうけど、やはりククルと薫が責められる割合が大きいのではないか――。
「お前や比嘉が、口下手なことなんて知ってる。オレに一言頼めば、オレから言って解決してやれるだろうが。オレが、立場を失くす? オレはお前よりずっと上手く立ち回れる。変な心配してんじゃねえよ!」
怒鳴られて、ククルは身をすくませ足を止めてしまった。
(……怖い)
怒鳴られるのは、怖い。ただでさえ臆病なククルは、足の震えを止められなかった。
ユルは大声を出してしまったことを恥じたのか、口元を抑えた。ため息をついて、続ける。
「何よりむかつくのは、お前がオレを信用してなかったってことだ」
「違うよ! 私は、ユルを……」
「オレがティンだったら、相談してたんじゃねえのか」
問われ、ククルは即答できなかった。
でもそれは――ユルとティンでは性格が違うからだ。ティンならきっと、穏やかに話し合うだろう。
ククルの反応でわかったらしく、ユルは不機嫌そうに鼻を鳴らしてさっさと歩きだしてしまった。
「待って……」
追いすがりながら、ククルもようやくユルの怒りを芯から理解できた。
そうだ、ティンなら相談していた。ティンなら穏やかに解決すると思うから。それは逆に、ユルなら騒動を起こすと確信したから。
ユルを信頼していないわけではない。でも、ユルから見るとそう取られても仕方がないだろう。
(……どうして、こうなるの)
泣きそうになって、ククルは歯を食いしばった。
帰宅後、夕食時もククルとユルはほとんど喋らず、伊波夫妻を心配させてしまった。
このままではいけない、と強く思い、ククルは夕食後にユルの部屋を訪れた。
「……ユル、入っていい?」
扉を叩いて、声をかける。しばらくして「ああ」と短い言葉が返って来た。
そっと中に入る。一足先に風呂に入ったユルはもう、寝間着の浴衣姿で、ベッドの上に座っていた。
「ごめん……。寝るところだった?」
「別に。本読んでただけだし」
ため息をついて、ユルは持っていた本を横に置く。
「何か用か?」
「……あのね、謝りたくて。私の行動、ユルからしたら面白くなかっただろうなって……考えて、よくわかった。ごめんね……」
真摯に謝って、頭を下げる。顔を上げると、ユルは複雑そうな表情でこちらを見ていた。
何か言うかと思ったが、ユルは口をつぐんだままだ。
「だけど、これだけは否定させて。私はユルを信用してない、なんてことはないよ。誰より信頼してる。それは……本当。疑わないで」
ククルはそれ以上ユルの顔を見られなくなって、うつむいた。涙がこみ上げそうになったが、我慢する。
「……わかった」
ため息と共に、ユルは答えた。
ククルは顔を上げ、すがりつくようにユルを見つめた。ユルの表情はまだ、晴れてはいなかったけれど。
「なあ、ククル」
「うん?」
「今回みたいに、勝手にお前だけで判断するなよ。何でも言えよ、オレに……」
後半はまるで、懇願するような声音で、ククルは驚いてしまった。ああ、と思う。ユルは……傷付いたのだと。
「うん……。これからは、何でも言うようにする。私だけで、判断しない」
約束すると、ようやくユルの口元が綻んだ。
「――忘れるなよ」
「うん」
「なら、いい」
それで、ユルは怒りを収めたようだった。
ふと、ユルはベッドから降りてククルに近付く。
「カジは、オレにお前を何ものからも守ってほしいと――手紙に書いていた」
突然の告白に、ククルは目を丸くする。
(カジ兄様の手紙……!)
ユルが今まで一度も、口にしなかったカジの手紙の内容。その一部が明かされたことに、驚かずにいられない。
「オレは、その頼みを……実行しているつもりだ」
「……そうだね」
「だから、今回みたいなことはやめてくれ。オレなりに――努力してるつもりなんだ」
「……わかったよ」
頷きながら、ククルはどこか落胆している自分を認識した。
たしかに、ニライカナイから帰って来て、ユルは以前より優しくなった。それはユルが変わったからだと、思っていた。前のユルは、ククルに情を移さないようにしていたから、冷たく振舞っていただけで。
でも、カジに頼まれたから、という理由が大きいのなら……。
「どうした?」
考え込んだククルを心配したのか、ユルが眉をひそめる。
「ううん、何でもないよ」
(がっかりする理由なんて、ないのにね。カジ兄様に頼まれて、責任感覚えるの当たり前だよね)
自分の気持ちが、自分でもよくわからなくて。ククルは微笑みでごまかしておいた。
翌日、放課後になった途端、比嘉薫は大きな声を出した。
「すみません! 大道具係のみんな、集合してください!」
ククルはもちろん、他の生徒たちも渋々といった様子で集まる。
「あの……今まで、和田津さんと私でやってたんですけど、進捗具合を見ると、他のみんなにも手伝ってもらわないといけないみたいです。なので、悪いけど今日から残って下さい」
薫が真摯に頼むと、ククル以外の者は明らかに嫌そうな顔になった。
「えー? 残らなくて大丈夫だって、あなた言ってたじゃない」
「そうだよ。当日だけ手伝えばいいんだろ?」
言い募る生徒たちに怯んだものの、薫は引き下がらなかった。
「言ったけど、予定より時間がかかっちゃったの。元々、あなたたちは大道具係なんだし、手伝ってほしい」
ククルはハラハラしながら、薫の横に立っていた。
ユルが、席に着いたままこちらを見ている。あの様子では、揉めたら出て来そうだ。
このまま薫だけに言わせるのも悪いと思って、ククルは口を開いた。
「あ、あの! 実は、私――あんまり美術が得意じゃなくて。比嘉さんの想定通りに進まなかったの、私のせいなんだよね……。だから、その」
必死に言い募るが、他の生徒は不審そうにククルを見るばかり。
「お願い……一緒に残って下さい!」
ククルが頭を下げると、さすがにばつが悪くなったようで「わかったよ」と大道具係の生徒たちは承服してくれた。
ホッとして顔を上げると、ユルがちょうどこちらから視線を外したところだった。
気まずい思いをして頼んだ甲斐あって、大道具は前日には全部完成した。
「これで終わり。みんな帰って大丈夫ですよ。明日は指示を書いた紙の通り、動いてね」
薫が最後に言うと、ククルと薫以外の生徒は挨拶をして帰って行った。彼らは初めは不服そうだったが、なんだかんだ文句も言わずに協力してくれた。
「和田津さんも、お疲れ様!」
「うん、比嘉さんこそ! ていうか、比嘉さんが一番の功労者だよねえ。部活の出し物もあるのに」
薫は漫画部で、明日は何か本を出すのだという。
「部活の方は、大分前に仕上がってたから……」
薫は苦笑した後、思いついたように手を打った。
「ジュースでも飲んで乾杯しようか。ちょっと早い打ち上げってことで」
「うん!」
大道具係は明日、道具を出したり下げたりするだけなので、実質今日で終わりのようなものだ。
ククルと薫は缶ジュースを買って来て、乾杯した。
「あ……そういえばさ」
突如、薫が神妙な顔になる。
「うん?」
「そろそろ、名前で呼んでいいかな」
そう問われ、ククルはぱあっと明るい顔になった。
「うん! 是非!」
そもそも和田津という苗字で呼ばれることに抵抗があったククルには、嬉しすぎる申し出だった。
「じゃあ、ククルちゃんって呼んでいいかな」
「いいよー。私も、薫ちゃんって呼ぶね! いい?」
「うん、もちろん」
にこにこと笑い合ったところで、ククルはほっこりした気分になった。
「……ククルちゃんは明日、雨見くんと文化祭回るの?」
「うん、そうだよ。比嘉さ……じゃなかった、薫ちゃんは部活あるから回れないんだよね」
「そうなんだよね。うちって部員少ないから。ま、いいけどね」
「漫画部にも行くねー」
ククルは明日、どうやって周るかユルと相談しなくては……と考えていた。
「待ってるね。……ところでククルちゃん。雨見くんと文化祭回るのなら、ちょっと気を付けてね」
「へ? 何で?」
「雨見くん付いてるから、大丈夫だと思うけどさ……。文化祭回るカップルって、毎年何か事故に遭うって迷信があるの。だから、付き合ってる人たちでも敢えて文化祭は一緒に回らなかったりするんだって」
「ええ!?」
ククルは仰天した後、腕を組んだ。
何か、魔物《マジムン》が悪さでもしているのだろうか。
「事故のない年もあったから、迷信だと思うけどさ。まあ、一応ね」
「うん、わかった。でも私とユルは恋人同士じゃないよ?」
「傍から見たらそう見えるよ……」
薫は呆れているようだった。
(……魔物《マジムン》が男女二人組を狙うだけかもしれないし、その場合は私たちも襲われるってことか)
それなら、ユルと一緒にいるのは好都合だ。ついでに魔物退治をすればいい。
なぜ文化祭の時だけ、という疑問は湧いて来なかった。そういう非日常的な行事に、魔物は惹かれてやって来るのだ。