ニライカナイの童達

第二部

第五話 投影 3


 そして文化祭当日――。よく晴れた日だった。
 演劇は午前中だった。ククルはあくびを堪えながら、舞台袖で待機する。
 そろそろ劇も終盤なので、あとは舞台が終わった後に道具を除けるだけだ。
 観客席の反応を見るに、舞台はなかなか好評なようだ。ククルから見ても、主人公のおどけたような演技は楽しかったし、ユルの士族らしい動きや殺陣は正直格好いいと思ってしまった。
 美奈もなかなか演技が上手い。二人の男に取り合われる美女、という役どころも納得の美女ぶりである。
 そして、とうとう主人公と敵役が最後の勝負に投じる場面になった。
 あれ、とククルは舞台を凝視した。黒い鳥のようなものが、ユルに向かって飛んできている。
(魔物《マジムン》だ!)
 咄嗟に、ククルは舞台に飛び出していた。
 ユルは集中しているからか、魔物に気付いていない。ククルは彼に魔物がぶつかる前に、その魔物を抱き留めた。
 ククルの乱入に、客席はざわつき、ユルも主人公役の少年もぎょっとする。
 ユルは刀を一旦下ろし、ククルを片腕で押しやった。
「私は、この勝負を止めない! 引っ込んでろ!」
 機転を利かせてくれたらしい。ククルはよろよろと、舞台から退場する。
 舞台袖に引っ込んで、ククルはため息をついた。
(……って、ため息ついてる場合じゃなかった! 私、魔物を抱えてる!)
 恐る恐る腕の中を見下ろすと、真っ白で丸い鳥……のようなものがククルを見上げていた。つぶらな黒い目が、かわいらしい。
(あれ、かわいい)
 おどろおどろしいところもない。魔物かと思ったが、精霊の類なのだろうか。本物の鳥ではないだろう。こんな大きさで、丸っこい鳥は存在しないからだ。
「ククルちゃん!」
 鋭い声で囁かれて、ククルはびくっとして振り向く。薫が、心配そうな表情で立っていた。薫は反対側の舞台袖にいたはずなのだが、裏道を通ってこちらにやって来たようだ。
「どうしたの? いきなり飛び出したりなんてして」
「……あの、ね」
 説明しようとして、ククルは彼女に腕の中の鳥が見えていないことに気付く。
 そうだ、魔物が見える人は、今の時代ではとても少ないのだ。
「えっと――」
 口ごもっている内に、拍手が響いた。劇が終わったらしい。
「片付けないと! ククルちゃん、行こう」
「うん」
 ククルは迷った挙句、隅っこの方に鳥を置いた。ぴい、と鳥はククルを見上げる。
「待っててね。あとで、外に帰してあげる」
 幕が下りると同時に、ククルは片付けるために舞台へと駆けた。

 片付けも終え、大道具の整理をしていたところで、ヒロインを演じた美奈がククルのところにやって来た。
「ちょっと、和田津さん」
 顔が怒っている。あれ以来、話すのは初めてだった。
「どうして、いきなり舞台に飛び出したの!? もうちょっとで、舞台が台無しになるところだったじゃない!」
 怒鳴られ、ククルは拳を握りしめた。
(お、落ち着け私!)
 魔物の存在を言っても、信じてくれないだろう。なら、他の理由を言うしかない。
「待て」
 そこで、ユルがやって来た。
「オレが聞く」
 有無を言わさず、ユルはククルの手を取り、舞台袖の片隅に連れて行った。
「おい、何があったんだ?」
「魔物《マジムン》が、ユルを襲おうとしてたの」
「魔物が?」
「うん。でも、私が捕まえた後は大人しい鳥みたいな子で……精霊だったのかも」
「……」
 ユルは難しい顔をして、腕を組んだ。
「言い辛いな、それ」
 ユルももちろん、現代の琉球人のほとんどが魔物を知覚できないと知っている。存在を信じていない人も相当数いるぐらいだ。
「ど、どうしよう」
「……鳥が飛んで来て、捕まえたってことにしろ。間違っちゃ、いないだろ」
「うん……」
「オレから言っといてやるよ。着替えた後、教室に行くから。そこで合流な」
「わかった」
 ユルが離れていくのを確認して、ククルはホッと息をついた。
「ククルちゃん、大丈夫?」
 薫に問われ、ククルは慌てて頷いた。
 他の大道具係は、胡散臭そうにククルを見ていたものの、特に何も言わずにそれぞれ大道具を持って舞台袖から出て行った。
「私たちも行かないと」
「うん」
 ククルも大道具を持ち上げて、歩き出そうとしたが……
「あ、先に行ってて!」
 慌てて引き返し、片隅に置いた鳥――のようなものを迎えに行こうとした。しかし、あの鳥はもうどこにもいなかった。
「あれ……」
 どこかに行ってしまったようだ。嘆息し、ククルは舞台袖から出た。

 片づけを終え、ククルは教室に向かった。薫は部活の方に行ってしまったので、途中で別れてしまった。
 戸に手をかけたところで、話し声に気付く。
「和田津って、変だよな」
 ぎくっ、としてククルは動きを止める。
「んー。鳥がいたんだっけ? でも、客席にいた友達に聞いたけど、鳥なんて飛んでなかったらしいぞ」
「怪しいよなあ」
 男子生徒が、そう小さくもない声で話し合っている。
「雨見は、何であんなに庇うんだ?」
「親戚だから、放っておけないとかだろ」
 彼らの口ぶりで、ククルが嘘つきだと思われていることが、嫌でもわかってしまう。
 ぎゅうっと、胸が痛む。
 入り辛い。こんな話をしているということは、ユルはまだ教室に帰っていないのだろう。着替えがあるから、もう少しかかりそうだ。
(どこかに行っておこうかな……)
 ククルがくるりと振り返った時、すぐ後ろにいたらしい美奈と目が合った。
「……」
 彼女はククルに視線も寄越さず、教室に入って行ってしまった。
(……嫌われたかな)
 美奈とは気まずい関係ではあったが、嫌われている感じはしなかった。色々教えてくれた恩もあり、ククルの方はいつかまた話せたらと思っていたのだが。
 そのまま佇んでいると、後ろから声がかかった。
「……どうした?」
 ユルが、主役を務めた男子と一緒に立っていた。
「う、ううん。今、教室に入ろうかと思って……」
「ふうん」
 ユルは首を傾げつつも、手を伸ばして戸を開いた。ククルは彼の背に隠れるようにして、続く。
 特に何も言われなかったので、ホッとしてククルは自分の席に行って鞄を持ち上げた。

 ユルと一緒に文化祭を回っていると、気が紛れた。
 屋台で売っている食べ物は、どれもおいしそうだ。生徒が少ないため、地元の人たちや教師も、店を出していた。
 イカの姿焼きを頬張りながら、校庭を歩く。ユルはとっくに食べ終わったらしく、ごみ箱に串を投げていた。
(ほんとに、男女で歩いてる人少ないなあ)
 やはり、あの迷信を信じている人が多いのだろうか。それとも単に、囃し立てられるのが嫌なのだろうか。
 実際、ククルとユルも「そこのカップル!」と屋台から何度か呼びかけられたという。
 ユルには、屋台を見回りながらあの迷信も話しておいた。
「今のところ、現れないな。お前が舞台で捕まえたっていう、魔物と関係あるのか?」
「……うーん、どうだろ。無害そうに見えたから、あの子は舞台のユルの霊力《セヂ》に惹かれてやって来ただけかもね」
 ククルは答えた後、むぐむぐとイカ焼きを齧った。
「あの子、どこか行っちゃったからなあ……」
「何で、オレが舞台に上がると魔物がやって来るんだよ」
 ユルは不服そうだった。
「ユルの霊力が上がるからだよ。前と同じ。今回は舞じゃなくて劇だったけど、演劇も舞と同じく奉納の意味合いも強いでしょ。それに、舞台ってある意味特殊な空間だからね。人でないものを呼びやすいの」
「……へえ」
 ユルは感心したように、ククルを見下ろした。
「そういや、お前どっか寄りたいって言ってなかったっけ」
「あ、そうだ。比嘉さんの部活! まんが部に行きたいの」
「もう腹も膨れたし、屋台巡りはこのぐらいでいいな」
「うん。……あ、待って。あのワタアメっていうの買って来る!」
 ククルが慌てて屋台に向かって走り出すと、その背に「食いしん坊」、とユルの呆れた声がかけられた。

 漫画部の部室に顔を出すと、薫が手を振ってくれた。彼女の前のテーブルには、何冊も本が並べられている。
「うわあ、すごい。これ、部員さんが描いたの?」
「そうだよ。最新号はこちら。これとこれは、昨年度のやつね」
「全部買う!」
 ククルは財布を取り出し、全冊購入した。
 ちらっと後ろを伺うと、ユルは不思議そうな顔で展示された漫画原稿を眺めていた。
「そういえば、ククルちゃん」
「うん?」
「あのね……」
 薫が声をひそめたので、ククルは彼女に顔を近づけた。
「演劇、結構評判よかったらしいの」
「へえ、嬉しいね」
「うん。……それで、敵役を演じた雨見くんいいねって何やら評判になってるみたい」
「え」
 ククルは、ユルの方を見やる。彼には聞こえていないようで、相変わらず展示品を首を傾げつつ見ている。何がそんなに疑問なのだろう。
「主役の子じゃなくて?」
「うん……。ああいうのって、ライバル役のが人気出たりすることあるじゃない?」
 あるじゃない? と確認されても、ククルにはよくわからなかった。
「やっかまれたりしないよう、気を付けてね」
「……それは大丈夫」
 ククルは、薫の心配を一蹴した。ククルとユルが親戚で下宿先も一緒だと知っている人も多いはずだと、ククルは思っていたのである。
「まあ、ククルちゃんが大丈夫って言うなら大丈夫なんだろうけど。お節介でごめん」
「そんなことないよ。心配してくれてありがとう。じゃ! 部活頑張って!」
 ククルは薫に手を振り、「行こう」とユルの服の裾を掴んで部室から出た。
 廊下に出て、ククルは首を傾げる。
「ユル、熱心に原稿見てたね」
「ああ……。何でこの男はこんな台詞を言うんだろう、とか疑問で仕方なくてな。あんなの、普通言わないぞ」
「少女まんがは、夢の世界だからいいんだよっ」
 夢を壊すようなことを言わないでほしい、とククルは頬を膨らませた。
「大体、それってユルの意見でしょ? ああいう台詞を言う男の人だっているかもしれないじゃん!」
「いたとしても、西欧人だろ。少なくとも、琉球の男や大和人は言わないはずだ」
「もー! 夢を壊さないで!」
 わあわあ言い合いながら歩いていると、前から団体がやって来た。端に寄ってやり過ごそうとしたところで、声をかけられる。
「あ! 二年の演劇やってた子じゃない?」
 派手な印象の女生徒が、ユルに話しかける。
「……そうだけど」
 ユルは面倒くさそうに返事をしていた。
「あの役、すごくよかった!」
「殺陣、上手だった!」
 と、他の女生徒も加わりユルを褒め称える。他の生徒もどんどん加わっていく。
 女嫌いなユルにとっては、辛い展開ではなかろうか、と思いながらククルはぽつねんとして待つ。
「……あ」
 ふと、一人がククルに気付いたようだ。
「あなた、舞台に飛び出した子よね? あれって事故か何かでしょ? 一人だけ制服だったものね」
 くすくす笑われて、ククルはいたたまれなくなる。
「……」
 どう言い訳すればいいのだろう。
「ユル、ごめん。屋上行ってる!」
 それだけ言い残して、ククルは走り出した。返事も聞かずに。