ニライカナイの童達

第二部

第五話 投影 4


 屋上に出ると、少し心が安らいだ。強い風が、スカートをあおる。
「……はあ」
 落ち込む心を堪えて、ククルは鉄柵に近寄った。すると、鉄柵の近くに丸い物体が転がっていた。
「あ!」
 舞台に飛んで来た、丸い鳥か魔物かよくわからない生き物だ。
「ここに、いたんだね」
 見下ろし、声をかける。鳥はククルを見て「ぴい」と鳴いた。
(……やっぱり、かわいいな)
 きっとこの子は魔物じゃないだろう。そう確信して、鳥を抱き上げる。
 青い空を見上げていると、落ち着いてきた。
(後悔は、してない)
 もし、あれが危険な魔物だったら――あの時、ユルは気付いていなかったのだし、彼が傷ついたかもしれない。だから、これでいいと思った。
(別に謗られても、耐えればいい)
 このくらい耐えられる。でも、ユルに何かあれば耐えられない。
 そうだそうだ、とククルは自分を鼓舞した。
「……でも、おかしいな」
 ククルはつい、独り言を口にした。
 ククルは、舞台に飛び込む物体を見た。あれはたしかに黒かった。だが、こうして抱いている鳥のようなものは、真っ白だ。
(私は……別のものを捕まえちゃったの?)
 他に、魔物がいるのだろうか。
 ククルは手すりを握り、行き交う人々を見下ろした。
 うまくやれてないな、とまた暗い気持ちが蘇って来た。元々、人付き合いは得意な方ではない。こういう、集団生活は疲れてしまう。
 ユルはいいな、と思う。ちゃんとクラスに溶け込めて。もちろん、彼なりに努力しているのだろうけど。
『やっかまれたりしないよう、気を付けてね』
 薫の忠言を思い出す。
 美奈は明らかに、ユルに庇われるククルを面白くなさそうに見ていた。
 教室で噂話していた男子生徒は、なぜユルがあんなにククルを庇うのかと疑問を持っていた。
 嫌な気持ちが、どんどん湧いて来る。
(ユルの、せいだ)
 そうだ、と、どす黒い念が渦巻く。
 大体、ククルはユルを魔物から庇ったのだ。それなのに、どうして……
 そこまで考えたところで、屋上の扉が開いてユルが出て来た。
「おい、ククル。置いて行くなよ」
 振り返ったククルは、ユルの驚いた顔を目にする。
「お前……その、魔物《マジムン》」
 ユルが差した先には、ククルの腕に収まる白い鳥が――いや、鳥は真っ黒に染まっていた。
「……!」
 息を呑んだククルの腕から黒い鳥が飛び立ち、ユルに襲い掛かった。
「天河《ティンガーラ》!」
 天河を召喚し、ユルは刀を一閃した。黒い鳥は、ぎゃっという声と共に霧散した。
 そこでククルは、さっきまでの暗い思考がどこかに行ってしまったことに気付く。
「おい、大丈夫か」
 ユルが近付き、ククルの顔を覗き込む。
「わかった……」
「は?」
「あの魔物、人の気持ちを反映するんだ」
「人の気持ちだって?」
「そう」
 ククルがユルを妬んだ途端に、あの鳥は黒く染まり狂暴になった。
 舞台で捕まえた時は、そのような醜い気持ちもなかったから、白く染まり無害になったのだろう。
 それに、と思う。あの鳥の魔物は、良くも悪くも人の感情を増幅するようだ。さっきは前向きな気持ちも、後ろ向きな気持ちも、異常なまでにどんどん膨らんでいった。
「じゃあ、やっぱりあれは魔物か。……ちょっと待て。感情の反映ってことは……」
 ユルに見下ろされて、ククルはぎゅっと拳を握りしめる。
「ごめん……」
「何だよ」
「ユルに、嫉妬した」
 たとえ増幅した感情とはいえ。ひとかけらでも、その気持ちがあったことは事実なのだ。そう思ってしまったという事実が、辛かった。
 ユルは、困ったようにため息をついた。
「何でオレに嫉妬するんだよ」
「……この時代でも、上手くやってるから」
 ずっと堪えていた涙が零れて。その涙は、ユルの指で拭われた。
「馬鹿じゃねえの。オレは、お前よりちょっと器用なだけだ」
 その器用さが羨ましいのだ、と言いかけたところで、そっと胸に抱かれた。
 ククルは驚いて、目を見開く。ティンは、ククルが泣いている時にはよくこうして抱きしめてくれた。安心して、甘えたものだった。
 でも、ユルにこうされるのは初めてだ。安心するけど、どこか落ち着かない気持ちもある。
「泣き虫。早く泣き止め」
 そう言われると、かえって涙が出てきてしまって。ククルはユルにしがみついて、涙を零し続けたのだった。

 泣いたらお腹が空いてしまった、と訴えるとユルは呆れた顔をしていた。
 二人はもう一度屋台の並ぶ校庭に、ジュースや食べ物を買い込みに行った。そしてまた、屋上に戻る。
 飲み食いしながら、ククルとユルは魔物について話し合う。
「……じゃあ、ユルはあの魔物が毎年出たと思ってる?」
 ククルは問いかけ、たこ焼きを頬張った。
「まあ、そうだろ。オレ、何で恋人同士ばかり狙われるのかって不思議だったんだよな。……でもまあ、そういう奴らはやっかまれやすいし、嫉妬もされやすいだろ」
「なるほど」
 たしかに、そうだ。しかもあの魔物は感情を増幅する。「羨ましい」と軽く思ったのが、増幅されて激しい嫉妬心に変わることも有り得る。
「多分、他の場合もあったはずだ」
「恋人同士以外にも、ってこと?」
「そうだ。でも、事例が多かったから、迷信は恋人同士だけ言及しているんだろ」
 ふむふむ、と頷きながらククルはもう一つたこ焼きを口の中に放り込んだ。
「もう退治したから、心配ないよね」
「ああ」
 ユルは一つ頷き、缶ジュースをごくごくと飲み干していた。
「……そろそろ、お開きの時間だな。教室、帰るか」
「うん」
 ククルは最後の一つになったたこ焼きを頬張って、容器をまとめて袋の中に入れた。
「お前、口の周り青のりまみれになってるぞ」
「ええ!?」
 ユルに指摘され、慌ててククルはごみ袋にした袋を傍らに置き、懐から手鏡を取り出した。……だが、口の周りはきれいなものだった。
「……っていうか、買った時に青のりいりませんって言ったんだった! もう、嘘つき!」
「あっはっは。ばーか。ひっかかってんじゃねえよ」
「ユルの方が馬鹿っ!」
 からから笑うユルの胸を叩くが、ユルは笑い止まなかった。
 ククルも思わず笑ってしまい、怒るのが馬鹿らしくなって来る。正直、教室に帰るのが憂鬱だったのだが、なんだかどうでも良くなって来た。
 笑うのは、いい。つられて心が軽くなる。
 二人は笑いながら立ち上がり、屋上を後にした。

 ホームルームが終わり、文化祭の一日は終了となった。といっても、ククルはこれから大道具の後始末に行かなければならないのだが。
「ククルちゃん、行こうか」
「うん」
 薫と一緒に連れ立ったところで、主役を務めた少年が声をあげた。
「突然ですが、打ち上げしようと思いまーすっ。参加希望者は、手を挙げてくれー!」
 ククルと薫は顔を見合わせた。
「片付けもあるし、参加しなくていいよね」
 うん、とククルは薫に同意する。賑やかなことは苦手だし、ククルは気まずい思いをすることになるだろうし、で行く理由がなかった。
 ちらっとユルの方を見ると、挙手していなかった。
(まあ、ユルはそういう性格だよね。でも、重要な役やったんだから……)
 そんなことを考えていると、隣席の男子生徒に手を掴まれて勝手に挙手されていた。
(……やっぱりね)
 ククルは思わず、苦笑してしまう。
「そりゃあ、雨見は参加しなきゃだめだろー」
「そうだそうだー」
 他の生徒にも囃し立てられ、「はいはい」と面倒臭そうに返事をしている。ユルはククルを振り返った。
「先に帰っとくね」
 と口の形だけで伝えてみると、ユルにはわかったらしく小さく頷いていた。
「行こうか、薫ちゃん」
「うん」
 そうしてククルは薫と共に、教室を出た。

 大道具を解体し、ゴミを分類して、その後は下に持って行って担当の教員に任せた。
「疲れたねえ……」
 校門を出たところで、ククルはため息をつく。
「うん。結局、片付けは私たち二人だけだったね。みんな、打ち上げ行っちゃったかな」
 薫は苦笑していた。しばし待っていたが、他に誰も来なかったのだ。
「そうだね。盛り上がってるだろうな」
「ククルちゃん、行きたかった?」
「ううん……。むしろ行きたくなかったから、口実あって助かったよ。あ、そうだ。薫ちゃん。恋人同士の事故、今年はあったのかな?」
「あー、誰だっけね。三年生のカップルが階段踏み外したとか聞いたよ」
「……そっか」
 ククルが見つけるまでに、悪さをしていたのだろうか。
「でも、今年は一組だけだったからいい方なんじゃないかな」
「ん? いつもは複数出るの?」
「そうだよ。二・三組ぐらいはね……。それでもカップルで周る人は絶えないんだから、みんなすごいよね。ククルちゃんと雨見くんは大丈夫だった?」
「うん。私とユルは平気だった」
 そもそも恋人同士じゃないし、と呟いたところでククルはふと足を止めた。
「ククルちゃん?」
「……もしかして」
 あの魔物は、複数いたのではないだろうか。そうだ、舞台に出た魔物と屋上にいた魔物が同一だったとは、限らない……。
 そして、ククルは青ざめた。
(私が初めに止めた魔物は、ユルを狙った。あの時、ユルは舞台に上がっていた)
 誰かが、舞台に上がっているユルにわずかなりとも悪意を抱いていたのだ。
 もし、あの魔物がまた同じ人の感情を受けて、黒く変化したら。
 ユルが、危ない。
 ユルは天河を持っている。大抵の魔物は斬り捨てられる。しかし、ククルは妙な胸騒ぎを感じていた。
 こういう時、直観に逆らってはならない。霊力《セヂ》が教えてくれているのだ。
「ごめん、薫ちゃん。打ち上げって、どこでやってるかわかるかな?」
「打ち上げ……? カラオケって言ってたよね。ここらへんでカラオケって言ったら……」
 薫は詳しい道と店名を教えてくれた。
「でも、どうしたの?」
「ユルに、言わないといけないことあったの忘れてたの。急ぐから、行くね! 今日はお疲れ様!」
「う、うん! またね!」
 呆気にとられる薫に手を振り、ククルは駆け出した。



 めんどくせえなあ、と思いながらもユルは周りを見渡した。
 結構な人数が参加していて、カラオケで一番広い部屋だと店員が太鼓判を押していたこの部屋も、いささか狭いぐらいだ。
 今回の演劇で主役を務めた新垣は、打ち上げでも仕切っていた。
 鞄の中で携帯が鳴っていることに気付き、「悪い」と隣の男子生徒に断ってから、鞄ごと持って部屋を出た。
 廊下に出て、鞄から取り出した携帯を確認する。着信は、ククルの携帯からだった。長く鳴っていたらしく、もう切れている。
 あいつが携帯を使うなんて珍しい。全く使いこなせていなかったのに――電話をかけられるぐらいにはなったんだな、としみじみ思ってしまう。
 かけ直したが、『おかけになった電話番号は、電源が切られているか電波の届かないところに――』と無機質な音声が応じるだけだった。
 何なんだ一体、とユルは舌打ちする。
「あ、雨見くん」
 廊下の向こうから、女子生徒がやって来た。
「どうしたの?」
「……電話してただけだ」
 ユルは気まずさを感じながら、簡潔に答える。
 彼女は、いつぞやの告白大会で告白して来た女子だ。断った手前、話し辛かった。
 あの時の気まずさといったら、なかった。周りのみんなは、ユルが頷くと期待していたらしい。何でだよ、と思うが――なぜか脈ありと思われていたらしい。
「ちょうどよかった。少し、話したいんだけど」
 そう言う彼女の目は、どこか澱んでいた。しかし断るわけにもいかず、ユルは頷いた。