ニライカナイの童達

第二部

第七話 再会 2


 ナハ空港に降り立ち、ククルは国際線に乗り換えることにした。
 ナハ空港は、巨大な空港だった。天井が異様に高くて、ハラハラしてしまう。外国人も多く、色んな国の言葉が飛び交っていた。
(……不安になって来た)
 現代文明には、まだ慣れない。特に、広い空間に来ると緊張してしまう。
 ガラガラとスーツケースを転がしながら、広い通路を歩く。
『いいかい、ククルちゃん。わからなくなったら、絶対に誰かに聞くんだよ! 空港のスタッフはたくさんいるから!』
 高良に必死に言い聞かされたことを思い出したが、特に道を聞くこともなく目的の搭乗ゲートまで来ることができた。
 ホッとして、ククルは空いていた椅子に座る。広い窓からは、飛行機が見える。その大きさを見ていると不安になるので、視線を外す。
(ユルは、平気だったのかな)
 ユルも、一人でトウキョウに向かったはずだ。こんな慣れない広い空間でも、彼は泰然としていたのだろうか。
(……ああ、そっか。ユルは初めてじゃなかったんだよね)
 ユルは、修学旅行で大和に行ったはずだ。ククルは行けなかったけれど……。
 何で、と呟きそうになる。
 いつから、ユルはククルを避け始めてしまったのだろう。「帰りたい」と言ったのが、悪かったのか。あれで修復不能なまでに、関係が壊れたのか。
 考え始めると、泣きそうになってしまって、ククルは鼻をすすった。
(考えるのは、大和に行ってからでいい)
 今は無事にたどり着くことを、考えないといけない。

 トウキョウ行きの飛行機も幸い窓際の席だったので、離陸の時にククルはまたも下界を覗いた。
(わあ、本島だ!)
 琉球国の中心であり、かつての琉球王国の中心地――本島の形が、くっきりわかる。テレビや地図では何度も見ていたけれど、こうして実際に見るとやはり違う。
 ここは、ユルの故郷。ユルの生まれた島。
 同じ琉球でも、ククルとユルは随分離れたところで生まれたのだ、と実感してしまう。本島の言葉と八重山の言葉は、今はそうでもないけど昔は随分と違っていて。文化も少し違っていて。
 島を囲む青い海も、八重山と少し色が違うように思えた。こちらの方が、少し深い。
 でも、大和の海はもっと違う色をしているのだろう。
 綺麗なところだな、と素直に思う。八重山も宮古も本島も、綺麗だ。
 琉球という国名は、この国にそぐわしい。琉球という字面も、リュウキュウという音も、紺碧の海と緑の島々で構成された国に、相応しいと思った。
 こんなことを考えてしまうのは、初めて琉球の外に出るからか。
 怖くないわけではない。でも、恐怖感よりも使命感が勝っていた。
(私の兄弟《エケリ》は、私が守る)
 嫌われても怒られてもいい。ただ、ティンの時のように、後悔して泣くようなことがあってはならない。
 決意を新たに、ククルは琉球の海を見下ろした。

 そしてククルは、大和に降り立った。
 ゲートを出て、凄まじい人の数に圧倒されてきょろきょろしてしまう。
 ナハも大きな空港だったが、ここはその上をいく。壁際に寄って、ククルは携帯電話を取り出した。
(ここからが、怖いかも)
 ユルは絶対怒るだろうな、と思いながら彼に電話をかける。しばらく鳴った後、応答があった。
『――どうした』
 平坦な声だったので、機嫌がいいか悪いかは、よくわからなかった。
「ユル。私ね」
『ああ』
「今、トウキョウの空港にいるの」
『……………………』
 恐ろしいほどの、長い沈黙。
「ユ、ユル?」
『……冗談、だよな?』
「ううん、本当にいるの」
『…………』
 そうして、
『お前は、どうしてそういうことをするんだ!!』
 思い切り、怒鳴られてしまった。
「だ、だって! ユルが悪いんだよ! 霊力《セヂ》が危険を告げてるから心配してるのに、すぐに電話切っちゃうし! そもそも、ユルはずっと私を避けてる! すぐに帰って来ないのだって、何か理由があるんでしょ!」
 まくしたてている内に、気が大きくなって来る。同時に大声になってしまい、通行人がうろんげにククルを見て行く。
 泣きそうになって、歯を食いしばる。
「ユル、ずーっと私に隠し事してるでしょ! わかってるんだからね!!」
 息を切らせていると、ユルのため息が聞こえて来た。
『……わかったわかった』
「何がわかったのか、言ってみてよ! ずっとずっと対話を拒んでるのは、ユルの方じゃない……!」
『わかったから、一旦黙れ! そこ、空港なんだろ!』
 指摘され、ククルは周囲を見渡す。すっかり、好奇の視線が集まっていた。
「……それで、迎えに来てくれる? さすがに私じゃ、ユルのところまで行けないから……」
『わかった。そのへん、どっか店でもないか? どこかに入って茶でも飲んでろよ。オレが空港行くまで、結構かかるから』
「えーっと」
 近くに、カフェがあった。その旨と店名を、ユルに教える。
『わかった。国際線ゲート近くの、その店な。迎えに行ってやるから、そこから動くなよ』
「うん」
 そうして、通話が切れる。ククルは、スーツケースをガラガラ言わせながら、カフェに近付いた。店内はいっぱいのようだが、オープン席は空いている。オープン席の方がユルも見つけやすいし、都合がいいだろう。
 スーツケースを椅子の傍に置いて席を確保してから、ククルは手鞄だけを持って注文するために店内に入った。

 なんだかやたら高くて甘い氷の飲み物を啜りながら、ククルは空港を行き交う人々を眺めていた。
(……もう既に、疲れた)
 琉球の何倍もの人口は伊達じゃない。こんなに人がいて、よく空気がなくならないものだ、とくだらないことを考えてしまう。
 どうしてユルは、大和を選んだのだろう。彼も人の多いところは苦手なはずだが――。
 なんだか眠くなってきてしまって、目を覚ますためにもストローを啜る。すっかり溶けたフラペチーノは水っぽくて、おいしくない。さっきは驚くほどおいしかったのに。
 とうとう船を漕ぎ始めた時、懐かしい声が響いた。
「ククル」
 それで一気に目が覚め、顔を上げる。
 傍にユルが、立っていた。四か月前とそう変わりないが、心なしか少し肌が白くなったような……それに――
「どうした」
 問われ、ククルは首を傾げる。
「ユルこそ、どうしたの? 疲れてるみたいだけど」
 何だろう。顔色がよくない。それに、どこか荒んだ空気をまとわせている。この荒みは、一体……。
「ちょっと寝不足なだけだ。ほら、行くぞ。荷物はこれだけか」
「う、うん」
 ユルはククルのスーツケースを持ってくれる気らしく、取っ手を引いた。
「お前、どこか宿を予約して来たか?」
 質問に、ククルはきょとんとしてしまう。
「もちろん予約なんてしてないよ。え、何で? ユルのところ、泊めてくれないの?」
「……だろうと思った。一応聞いただけだ」
 呆れたように笑って、ユルは先に行ってしまう。
「待って!」
 ククルはカップをゴミ箱に放り込んだ後、慌ててユルを追った。

 空港の外に出て、またククルは人の多さに驚愕する。
 上手く人が避けられなくて、ユルと距離が開いてしまう。
「あわわ」
 どうしよう、と混乱に陥りかけたところで、ぱしっと手を握られた。いつの間にか戻って来たユルが、手を引いてくれる。
「あ、ありがとう」
「相変わらず、どんくさい奴」
 嫌味を言われて、感謝の気持ちが台無しになる。むっと頬をふくらましたものの、ククルは有難くユルに手を引いてもらうことにした。
 それから電車に乗って、何度か乗り換えた。その度ククルは仰天していたのだが、二番目に乗った電車が一番混んでいた。
「……何でこんなに人が多いのっ」
 つい涙目になってしまう。こんな圧迫感は初めてだ。
「よりによって、混む時間帯だからな」
 二人は扉付近に陣取り、ユルはククルの頭上付近に手を付いていた。斜め前の人などは、若干足が浮いているようだ。
 ひい、と思いながらユルを見上げる。どうやら、ユルは少し空間を作ってククルが押しつぶされないようにしてくれているらしい。
 たまに優しいんだから、と口元が綻んでしまった。

 ようやく最寄り駅に辿り着き、徒歩でユルの下宿先に向かった。
「お邪魔します。見て回っていい?」
「好きにしろ」
 玄関に上がり、家の中を見て回る。どこも綺麗にしてあった。
 リビングとキッチンは一緒になっていて、寝室が一つついていた。バスルームは、一人暮らし用の部屋にありがちなユニットバスではない。
「結構、いいところだね?」
「まあな」
「ていうか、綺麗にしてある。急いで掃除したの?」
「してない。普段から、お前みたいに散らかしてないだけだ」
 その返答に、むかっとしてしまう。
「私は散らかしてないの! ちょっと、仕舞い忘れるだけ!」
「それを散らかす、って言うんだよ。馬鹿。――いいから、座れ。茶ぐらい淹れてやる。荷解きはあとにしろ」
 馬鹿呼ばわりされて益々腹を立てたククルに、ユルは座るよう促した。
 有難く、ククルは床に座り込む。ククルにしては大冒険だったし、加えて人ごみのせいですっかり疲れていた。
 ユルは冷たい緑茶をグラスに注ぎ、テーブルに置いた。ククルは早速それに口をつける。
「さんぴん茶じゃないんだね。こっちじゃ、売ってないの?」
「売ってるけど、ジャスミンティーとかいう名前になって売られてる」
「へえ!」
 琉球お馴染みのさんぴん茶が、そんなハイカラな名前になっているとは……とククルは感心した。
「――それで?」
 ユルはグラスを傾けながら、ククルに問う。
「オレに危険が迫っているように、見えるかよ」
 少し、声が怒っていた。
「……様子が違うことは、わかる。ユル、私に何か隠してるよね?」
 ククルも負けずに、強い口調で言いきり、ユルを見据えた。ここまで来て、退いてたまるか、という気持ちだった。
「その荒んだ空気――何もないとは思えない」
「……」
「私の目を舐めないで。これでもノロだよ。……ユル」
 目をすがめる。人混みから離れ、ようやく安定した霊力《セヂ》が教えてくれた。
「魔物《マジムン》を、狩ってるでしょう」
 彼に染み込み、まとわりついているのは、魔物の血だった。