ニライカナイの童達

第十三話 帰還 2

「馬鹿か! お前ら!」
「二人共、何言ってるのよ――!?」
 砂浜に呼び出したカジとトゥチからは伝えた瞬間、案の定とも言うべき反応が返って来た。
「馬鹿なことを! 二人で死ぬつもり!?」
 特に、トゥチの動揺は大きかった。彼女は顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそうになっていた。
「違うよ、姉様。だけどね、私達はこのまま人間の世界には居られないんだよ」
 神の血が先祖返りした娘、半神の少年……。
「私が居れば、また兄様みたいに私と結婚させようと、半神が生まれるかもしれない」
「ああ。そして、オレみたいにまた権力のために神の子が生まれるかもしれない。そいつも、利用されるかもしれない」
 二人の訴えを聞いてなお、トゥチは必死に首を振った。
「そんな、哀しいことを言わないで……。この世界は広いんだから、在るわ……。あなた達が、幸せに生きられる場所が!」
「たとえあっても、何の解決にもならないの、姉様。ニライカナイの神様たちが干渉したがってるのなら、またユルやティン兄様みたいな子が生まれるでしょう。だから、根元を正さなくちゃ。――大丈夫、安心して姉様。私とユルは、二人でなら半神じゃなくて神になれる。ニライカナイに行って、きっと帰って来るよ」
「馬鹿ククル! 他に方法があるだろ!」
 そこでカジが、ククルを怒鳴りつけた。
「ない。オレ達で終わらせないと、また同じことが起こるかもしれない。あんたらも、ティンを知ってるんだろ?」
 ユルにぴしゃりと言われて、カジは言葉を詰まらせた。
「トゥチ姉様、カジ兄様。最後にわがまま言うね。私達の体を、見守ってほしいの。いっぱいいっぱい迷惑掛けて、ごめんなさい」
 ククルは涙を流して頭を下げた。
 話は終わり、とばかりにククルとユルは静かに背を向ける。後を追わんとしたカジとトゥチは、自分達の体が動かないことに気付いた。
「お前ら、何をしたんだ!」
「ククル、ユルくん――!」
 カジとトゥチが叫んでも止まらず、二人は哀しげな目で手を振ってから、海に向かって歩いて行ってしまった。
「きっと、ティン兄様が導いてくれる」
 ククルは、翡翠をかかげて海水に踏み入る。ユルとふたり手をつないで、深くて美しくて残酷な海へと歩を進めていく。
 腰が沈み、胴体が沈み、とうとう頭が沈んで――澄み渡った空に、トゥチの絶叫が響いた。


 ようやく動けるようになったトゥチとカジは島人を呼び、船を出して二人の体を捜した。
 ククルとユルの体は、冷たくなって見付かった。ただ不思議なことに、呼吸もしていないのに心臓が動いていた。
「兄さん! 体が半分、生きてるわ。きっと、あの子達が言った通り、帰って来るのよ」
 トゥチは確信をもって、涙を堪えるカジに告げた。

 二人の体は兄妹神として、御獄《うたき》に祀られた。その御獄を祀る役目を、トゥチは自ら申し出た。
 元より、ティン以外の人と結婚する気もなかった。御獄を守る者として、一生を捧げようと思ったのである。
 トゥチは自分に霊力《セヂ》があると思っていなかったが、他の者に二人の体を任せる気にはならなかった。ククルの家族には、特に。
「島のノロの地位は、あんたに譲るよ」
 ククルの祖母の申し出には、驚いた。あれほど血を守り、地位を守り通すためには何でもした彼女が、ノロを降りるという。
「でも、あなたが降りたら、色々と困るのではないでしょうか……」
「もうわしは寿命だし、娘には霊力があまりない。この家は兄妹神を失ったから、ノロである資格もない」
 神の家の血は、ククルが目覚めるまで途絶えることになる。ククルの妹であるナミは、聞得大君になる娘だ。彼女は子を残さない。
「そうですか……。それでは、私が責任を持って二人を祀ります」
「……頼んだよ」
 祖母の声に滲んでいたのは確かに、悔恨だった。




 それから十年が過ぎ、二十年が過ぎ、三十年が過ぎ――すっかり老いたトゥチは、今も変わらぬ姿をして横たわる少年と少女を見下ろす。
「あなた達はまだ、ニライカナイに居るの……? 早く、戻って来て。私もそろそろ、おばあさんになっちゃうわよ……」
「おばちゃんっ!」
 囁いていたトゥチに、カジの孫がまとわりついて来る。
「ノロのおばちゃん、お話してよ! おーはなし!」
「はいはい、何から話そうかね」
「この島の、神様のお話!」
「はいはい。ククルとユルのお話だね――」
 いつしか二人の物語は、言い伝えとなった。
 神の血を濃く引いた二人が出逢って旅をして、最後にニライカナイを改革すべく旅立った、勇ましき物語となって今に伝えられている。もちろん、彼らを助けて導き、最初に道を切り拓こうとしたティンも、その物語には出て来る。
「どうして、私達の周りに広がる海がこんなにも美しいか知っているかい? それは、勇気のある子供達が、ニライカナイを正しに行ったからだよ――」
 神の世界は神の世界。ひとの世界はひとの世界。二つは異なるもの。だが、同時につながっている。ニライカナイを、現世は映す。
 争いは減り、人々の心はおおらかになった。そのことが、二人と関係ないはずがない。
「今も兄妹神は、私達を見守ってくれているんだよ。ほら……風のささやき、海のざわめきに混じって、二人の笑い声が聴こえないかい――?」




 そうして、何百年も過ぎ――ノロは幾度も代替わりをした。
 島を、津波や戦争が襲ったこともあった。されど島には今も人が生き、伝統が生き、言い伝えが残っていた。
「神様、今日も御機嫌よう……」
 年老いたノロは挨拶をしながら御神体が眠る御獄《うたき》に足を踏み入れたが、中が空になっているのを見てあんぐり口を開けた。
「か、神様!?」
 ノロは慌てて、御獄を飛び出したのだった。

『生きた体は、彼らが戻って来る徴《しるし》』
 伝承を思い出しながら、ノロは杖を付いて外を歩き回った。
 そしてふと、岬の上に佇む人影を見付ける。手をつないだ、二人の姿を。
 距離があるせいでよく見えないが、おそらくは少年少女で――今は誰も着ていないような古い型の着物が、風にはためいている。
「ああ、ああ……」
 涙が流れた。歴代のノロが見《まみ》えなかった奇跡に自分が遭遇しているのかと思うと、感動で胸がいっぱいになった。



 少年と少女は岬の上に佇み、海を見下ろしていた。
「帰って来たんだな……」
「うん。人間の寿命はまだ、残ってるもんね」
「……あっという間だったのに、人間の世界は時間の流れが随分早いんだな」
「そうだね。ユル、私達の体もちょっと成長してるみたいだよ?」
 ククルは微笑み、袖をめくって少し伸びた腕を披露した。
「ニライカナイに居た時間分は、成長したんだな。なら、十六ぐらいか」
 いくぶん逞しくなった自分の腕をまじまじと見て、ユルは少し笑った。
「神の力は、もう使えないみたいだね。じゃあ私達はただの、人間だね」
「ああ」
 ニライカナイに渡り、こうして帰って来るだけで、神の力は失せてしまったようだ。
「でも、私達……こんな変わった世界で、もう一度生き直せるのかな……。約束したのに、トゥチ姉様にもカジ兄様にも、とうとう逢えなかったね」
 様変わりした世界を見る限り、トゥチもカジもとっくに亡くなってしまっているだろう。
「子孫ぐらいは居るんじゃねえか? ま、何とかなるなる。オレ達は、ニライカナイを変えた奴らだぜ?」
「……それも、そうだね!」
 笑って、二人は踵を返した。
 二人から、恐れは消えていた。もうきっと、神々はいたずらに子供を授けることはない。古《いにしえ》から伝わる神の血も、すっかり薄れてしまったことだろう。

 ニライカナイの血を引く、最後の童達《わらんちゃ》は、手をつないだまま歩き始めた。
 今はもうすっかり変わってしまった人間の世界に、戻るために。



(完)

ニライカナイの童達 第一部完結    第二部に続く






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