Chapter1. A Caged Bird
かごの鳥
ルースはレネ族の集落で、穏やかな日々を送っていた。
(これで、いいのかしら)
怖くなるぐらい、心が凪いでいる。自分がカロの娘で、悪魔を惹きつける存在であることも――受け入れる、まではいかなくても、理解できてきた。
でも、どうすればいいのだろう。ルースが死んでも、別のカロの者に移るだけとも聞いていた。新大陸にいるカロの者はウィンドワード一座だけだろうが、旧大陸には血族がいるはずだ。
考え事をしながら、ルースはリトル・バードの縫物を手伝っていた。
「ルース様、ソロソロ果物トリニイキマショウ」
リトル・バードに誘われ、腰を上げる。天幕の外に出ると、爽やかな風が吹き抜けた。
二人で談笑しながら、森を目指す。そうして、木の実を取っていたとき――遠くから、悲鳴が響いた。
「な、なに?」
「ルース様、ココニイテ! ワタシ、見テキマス!」
リトル・バードはルースにそう言い残して籠を託し、走っていってしまった。
嫌な予感がして、手に汗が滲む。
「リトル・バード……」
十分ほど経っても、戻ってこない。焦りすぎだ、とは思わなかった。
こんな平和な集落に、悲鳴が起こる理由なんて――一つしか、ないではないか。
ブラッディ・レズリーが、ルースをさらいに来たのかもしれない。ルースは籠を地面に置いて、走り出そうとした。だが、向こう側からリトル・バードが戻ってきた。
「ルース様! 逃ゲマショウ! 今、トゥルー様ガ時間ヲ稼イデクレテイマス!」
リトル・バードはルースの手を引き、森の奥へと走り出した。ルースも走りながら、質問する。
「ブラッディ・レズリーが現れたの?」
「……残念ナガラ、ソウデス。デモ安心シテ。イイ道ヲ知ッテマス」
しばらく、草を踏む音と、二人の息遣いだけが聞こえる。
それから、どのぐらい走ったのか――森を出て、川岸に辿り着いた。
縄でポールにつないであった小さな船に乗り込み、縄を解く。
リトル・バードは見た目より力があるのか、大きな櫂を使って漕ぎ始めた。
「ねえ、リトル・バード。トゥルーさんたちは、大丈夫なの?」
「エエ。ミンナ、逃ゲテマシタ。私タチトハ別ノ道ヲ行クノデ、アトデ合流トナリマス」
「……ごめんね、リトル・バード。あなたに、負担かけて」
「何言ッテマスカ。友達、助ケルノ当然デス!」
にっこり笑って、リトル・バードは船を漕ぐ。
流れの穏やかな、広い河を見渡す。こんなときでなかったら、景色に見とれていただろうか。水面は日光を受けてきらきらと輝き、波飛沫が周囲に起こる。空を見上げると、高く飛ぶ鳥が見えた。
しばらく河を下ってから、リトル・バードは簡易な船着き場と思しき場所に、小舟を寄せた。縄をくくりつけ、二人は船から降りる。
「ココカラ、マタ森ニ入リマス」
「わかったわ」
リトル・バードの先導の下、ルースは森の中を歩いた。木漏れ日が差し、鳥の歌う、生気に満ちた森だった。リトル・バードなら、スピリットに溢れた森だとでも言うのだろうか。
当のリトル・バードはあまり喋ることもなく、進んでいた。お喋りな彼女が無言だと、心配になる。それだけ、事態が緊迫しているということなのだろうが。
時折休憩を挟みながらも、二人は進んだ。途中で、リトル・バードは、木になっていた実を取って、ルースに渡してくれた。
「ソレ、水分イッパイデスノデ。喉ウルオイマス」
「あ、ありがとう」
正直、喉はからからだった。その果実を齧ると、リトル・バードの言った通り、水気が口に染みた。
「イクツカ、取ッテオキマスネ」
リトル・バードはその実を、服を割いて作った簡易な袋に入れ、また歩き出した。
しばらく歩いたところで、ようやく森を抜ける。ここからは山道だという警告を受け、さすがにルースも身を強張らせる。だが、嘆いている場合ではない。
彼女に続いて、山道を登った。平坦な道と違って、足に応える。普段の運動量が違うのか、リトル・バードは軽やかに登っていった。
時折遅れがちになるルースを振り返り、手を引いてくれることもあった。
「ありがとう……」
「ドウイタシマシテ」
にっこり笑って、リトル・バードはまた先に行ってしまう。
山と言っても、そう高い山ではなかったので、そこそこ登ったところで下りに移った。
汗を拭いながら、ようやく裾野に辿り着いたときにはもう、夕方だった。
集落の中から煙が見えるので、他のレネ族が先に来ているのだろう。
二人は顔を見合わせ、ホッと笑い合う。
そして、中に足を踏み入れたが――
そこにいたのは、レネ族ではなかった。いや、レネ族もいるにはいたが――全員、捕らわれていた。トゥルー・アイズはいないようだが……
「ルース様、逃ゲテッ!」
リトル・バードがルースの体を押したとき、銃声が響いた。その銃弾は、リトル・バードの無防備な背中を打ち抜いた。
「リトル・バード!」
叫び、彼女を助け起こす。
貫通した銃弾のせいで、みるみるうちに腹のあたりに血が染みていく。
彼女の口からも、血が溢れた。
それなのに、彼女は笑ってみせる。
「逃ゲテ……。ワタシ、大丈夫デスカラ……」
「そんな――」
ここで、リトル・バードを置いて逃げるのが正しいわけがない。この傷では、すぐに手当てをせねば、命に関わるだろう。
「どーも、お嬢さん。逃げたの無駄だったね。レネだか何だか知らないけど、俺たちの追跡能力を舐めないでほしいなあ」
そこに現れたのは、顔の下半分をスカーフで隠した男だった。妙に小柄な男――何度か見た、ブラッディ・レズリーの一員だろう。
「狙いは、あたしなんでしょう? ……わかったわ、無抵抗で付いていく。だから、これ以上レネの人に手を出さないで」
「はーい。いいよ、別に。こっちは、あんたとトゥルー・アイズを連れていけばいい話だからさ」
トゥルー・アイズ、という名前にルースは目を見張った。
「何で、トゥルーさん!?」
「んー。それは秘密。色々使い勝手よさそうじゃん? うん? でもあいつ、どこ行ったの?」
どうやら、トゥルー・アイズは捕らわれていないらしい。ルースたちと一緒に来たと思われたようだ。
(頭を働かせないと)
せめて、トゥルー・アイズは無事に逃がさねば。
「彼は、山で待機してるわ。怪我をしたから」
ルースのはったりに、男はため息をついた。
「えー、めんどくさ。いいや、お前たち。山狩りだ」
男は疑う様子も見せなかった。
「俺は先に、この子を連れて帰っとく」
指令を出し終え、男はルースに手を伸ばす。ルースはリトル・バードをそっと地面に横たえ、立ち上がった。
「一人でいいから、誰か縄を解いてあげて。彼女の手当てをしてもらわないと」
「めんどくさ。はいはい」
男はナイフを取り出し、捕らわれたレネの女の縄を切って解放していた。
「俺たちが行くまでに向かってきたら、皆殺しにするから。変なこと考えないようにね」
男の脅しを、言葉がわかるらしいレネの青年が大声で訳していた。
解放された女は、怯えたようにリトル・バードに駆け寄っていた。
「んじゃ、行こうか。ルース?」
馴れ馴れしく名を呼ばれ、ルースは頷いた。
フェリックスは、あの不思議な青い羽根を取り出してトゥルー・アイズに呼びかけた。
もう薄闇が満ちている。日が暮れてしまう前に、レネの集落に入れるだろうか――
フェリックスが馬に拍車を入れたとき、「兄弟!」と声が飛んできた。右手にあった森の中から、トゥルー・アイズが出てきた。
「トゥルー! どうしたんだ?」
フェリックスは馬から飛び降りながら、嫌な予感を覚えていた。
トゥルー・アイズの頬から、血が滴っている。長いこと走っていたのか、息も切れ切れだ。
「……ブラッディ・レズリーが来た」
フェリックスは、思わず舌打ちした。
「集落を襲われたのか?」
「そうだ……。逃げたものの、途中で追手が付いてきていることに気付いた。それで私は一人、道を外れてルースたちを他のところに導こうとしたんだが……。遅かったようだ。――守り切れず、すまない。向こうは、私も狙っているようだった」
「……そうか。いや、お前のせいじゃないさ。お前まで捕まってたら、大変なことになる。その判断で正しかったさ」
慰めたが、トゥルー・アイズは落ち込んだように、うつむいた。
「あの子は、私を庇ってくれたようだ……」
「お前が出ていっても、捕虜が増えるだけだろ。仕方ない」
フェリックスはため息をついて、馬の手綱を引いた。
「もう追いつけない距離か」
「信じられないが、目撃した者によると――一瞬で姿を消したらしい」
「何だって? 悪魔の力を借りるにしたって、随分使いこなしてるな」
「とにかく、話すためにも集落に」
「ん? ああ」
フェリックスはトゥルー・アイズの先導の下、集落に入った。集落の中は、閑散としている。
「ほとんどの者は、ここより少し離れたところにある集落の方に留まっている。私は、お前に知らせなくてはと思ったから、ここに出てきたんだ」
「ああ、なるほど。それで時機よく俺が現れたって寸法なんだな」
フェリックスは、トゥルー・アイズの天幕に招かれた。トゥルー・アイズは手早く水を木のカップに注ぎ、フェリックスに渡してくれる。
「ルースを連れ、男が消えたとき……ブラッディ・レズリーの一員と思しき男が、苦しんで亡くなった」
「それって――」
「使い捨て、だな」
トゥルー・アイズは、痛ましげに首を振った。
「雇った奴に悪魔を寄生させ、力を使わせているんだな。代償は、雇われ者の魂」
「そうだろうな。……ひどいことを、するものだ」
「……」
フェリックスは、凝った紋様の絨毯に目を落とす。
兄が、そんなことをするなんて――非道な男だと知ってはいても、信じきれなかった。
「レネの集落があっさり突き止められたのも、悪魔の力を使ったからだろうな。……なあ、トゥルー。ブラッディ・レズリーの一員がビヴァリーであることを、証言する用意は整った。だが、ブラッディ・レズリーは、こっちは邪魔してこなかったんだ。おかしくないか?」
「結局、ルビィの命を狙わなかったのか」
「そうだ。おそらく、ビヴァリーはもう正体がばれてもいいと思ったんだ。むしろ、ばらそうと」
「だが、それで何の利益がある?」
トゥルー・アイズは難しい顔で、腕を組んだ。
「向こうは、準備ができたんだろう。踏み込まれても、こっちを倒せる自信があるんだ。たとえ、悪魔祓いや保安官、賞金稼ぎが束になっても敵わないっていうぐらいの」
「ルースが、鍵か?」
「……ああ。失策だな。あそこではぐれたのが、まずかった」
「すまない。よかれと思って、ああしたのだが――」
「いや、あれも計画の内じゃないか?」
フェリックスの一言に、トゥルー・アイズは眉を上げた。
「ビヴァリーの情報網なら、レネの秘術を知ってもおかしくない。一瞬で集落に帰れる術があると知って、お前と共にルースを追い詰めたのかもしれない。元々、お前も捕まえる予定だったんだろう。そういう指令を出していても、おかしくない」
トゥルー・アイズは納得しきれないような顔で、うつむいていた。
「どっちにしろ、お前のせいじゃないさ。……俺が始末をつける」
「……どうするつもりだ?」
「あんまり使いたくなかった手だが――賞金稼ぎと保安官に呼びかけ、助けにいくしかない。悪魔祓い協会が動くのを、待ってられない。さすがに、俺一人で乗り込んでもどうしようもない。殺されなくても、捕まるだろうからな」
「それはそうだな。私も協力しよう」
「いや、それは遠慮しとく」
素早くフェリックスに断られ、トゥルー・アイズは眉をひそめていた。
「今回のことで、レネのみんなは動揺しているだろ?」
「……ああ」
「被害は?」
「幸い、死者はなかった。怪我人は出た」
トゥルー・アイズの答えに一瞬ホッとしたものの、彼の様子を見てフェリックスは顔をしかめる。
「もしかして……」
「ああ。リトル・バードが大きな怪我をした」
「――参ったな。奥さん、付いておかないでいいのか?」
「今から戻るのは無理だし、念のため今日いっぱいは私はあちらに行かないようにと助言された。今夜は、私はここに留まる。不幸中の幸いで……命に別状はなし、とのことだ」
「すまないな、兄弟。明日からは、ずっと付いてやるといい」
「……そうだな」
そうして、二人の間に沈黙が落ちる。
「ルースは、無事だろうか」
「大丈夫なはずだ。ルースは利用価値があるから殺されないし……ブラック・マザーは宿主を守るらしい。よほどのことがない限り、死なないさ」
フェリックスはそう言ってから、ごろんと横になった。
今、焦っても仕方がない。全ては明日から――動くしかない。