7. Sweet Little Bird
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ルースはレネ族のもとで、静かな日々を過ごしていた。
レネ族の衣装に身を包んだ自分は落ち着かなかったが、リトル・バードはしきりに褒めてくれた。髪もレネ族風に三つ編みにされて、悪い気はしなかった。
トゥルー・アイズは相変わらず、忙しいようだ。
天幕で縫物をするリトル・バードの傍らで、ルースはぼんやりしていた。
「……ねえ、リトル・バード」
「ハイ?」
「トゥルーさんって、本当に忙しいのね。族長だし、一族の政治とかも担当してるから?」
ルースの質問に、リトル・バードはきょとんとしていた。
「イエ……政治ハ、トゥルー様ダケノ担当デハナイデス。レネ族ダケデナク、私タチ先住民ノホトンドハ、合議デ指針ヲ決メルノデスヨ」
リトル・バードは説明してくれた。
先住民には、「王様」のような強いリーダーと言うのはいない。ほとんどの部族では、政治は合議で行われる、と。
「そうだったの! 民主制なのね」
「ソウナンデス。デモ、レネ族デハ代表ヲ出サナイトイケナイ時ナドハ、族長ト言ッテ出シマス。トゥルー様ハ、レネノ代表トイウコトデスネ。トモカク、ルース様ガ想像スル族長ト、少シ違ウノデス」
「なるほどねえ」
ルースは頷き、考え込んだ。
政治を行わず、代表になるだけ。強い統率者というよりも、象徴の意味合いが強いのだろう。
「……とすると、トゥルーさんはシャーマンとして忙しいのね」
「ソウデス。……ルース様、モシカシテ退屈デスカ」
問われ、ルースはぎくりとした。
「チョウド、ソロソロ果物ヲ取リニ行クトコロデス。一緒ニ行キマショウ」
「ええ、喜んで」
ルースとリトル・バードは立ち上がり、天幕の外に出た。リトル・バードに導かれるがままに、ルースは集落の外にある森へと向かう。
澄んだ空気を吸うと、心が洗われるようだった。太古から変わらないのであろう、森の風景にホッとする。温かな木漏れ日も、静かに佇む木々も、鳥の声も、全てが安心を誘う。
そのことを語ると、リトル・バードは嬉しそうに目元を和ませた。
「ルース様モ“スピリット”ガ、ワカルノデスネ。コノ森ニハ、タクサンノ“スピリット”ガイルノデス」
「スピリット……」
先住民の思想は、万物に精霊が宿っているというものだ。物言わぬ木にも、吹き抜ける風にも、静かな湖にも、命が宿っているのだと。
「一番大事ナノハ、命ナノデス」
だからレネを始めとする先住民は、動物も植物も無機物も大事にする。狩りをするにも、取りすぎないように気をつける。
リトル・バードは手を伸ばして、赤い果実を取って籠に入れた。
「セッカクデス。綺麗ナトコロニ案内シマス」
「え、いいの?」
「秘密デスヨ?」
歩きながら、リトル・バードは秘密の場所について語ってくれた。
「トゥルー様ト、一緒ニ話シタトコロナノデス」
レネ族は、何か所か居住地があって季節ごとに移動するのだという。移動し続ける民とはいえ、思い出の場所があるのはそういう理由らしい。
「……わあ」
突如、開けた場所に出て、ルースは思わず声をあげた。湖が広がっていた。
「綺麗デショウ」
「うん……綺麗」
湖の透明度が高いらしく、底も見える。碧い水は目に染みるほど美しい。水面は、風でさざめいていた。さやさやと、木の葉の擦れる音が響く。
湖の近くに二人で座り、空を仰ぐ。
「トゥルーさんと、よく来てたところなのね。婚約は早かったの?」
ルースの問いに、リトル・バードは微妙な表情になった。
「アノデスネ、ワタシ……トゥルー様ト結婚スルノ結構大変ダッタノデス」
「え、そうなの?」
「ハイ。トゥルー様ハ、レネノ中デモ特別ナ人デスシ。ライバルモ多カッタノデス。ワタシハ特技モナカッタシ、美女ッテワケデモナカッタノデ、トニカク――」
リトル・バードは、ぐっと拳を握り込んだ。
「アピール、シタノデス」
「アピール?」
「ハイ。我ナガラ、スゴイ熱心サデシタ。……マア、色々アッテ、トゥルー様ハ、ワタシノ想イヲ受ケ取ッテクレタノデスヨ」
リトル・バードは、照れくさそうに微笑んでいた。
「まあ、そうだったの」
リトル・バードとトゥルー・アイズの夫婦が微笑ましいと思うのには、そういう理由があるのかとルースは納得した。
「ダカラネ、ルース様モ」
「うん?」
「アタック! ナノデスヨ!」
急に何を言い出すのか、とルースはぽかんとしてしまう。
「フェリックス様モ、押シテ押シテ押シマクレバ、結婚シナイトイウ方針ヲ変エルカモデス! 頑張リマショウ!」
力強く言われ、ルースはただただ目をしばたたかせる。
「え、ええと……リトル・バード?」
「……ワタシカラ、助言モシマス。ダカラ、最初カラ諦メナイデ――ルース様」
そう言われて、どうしてか涙が一筋零れ落ちた。
(どうして、涙が)
リトル・バードは、心得たように抱きしめてくれた。
リトル・バードは、レネ族のことも教えてくれた。
トゥルー・アイズが記憶に関する不思議な術を使うのも、レネ族であるがゆえらしい。レネは、記憶の民と呼ばれているのだと。
レネ族は、あわいの民だという伝承が残っているらしい。
「あわい? どういうこと?」
今日もまたトゥルー・アイズが帰ってこず、二人きりの夕食だった。スープから立ち上った温かい煙が、薄暗い天幕の中にくゆる。
「モウヒトツ、世界ガアルノデスヨ。モット昔ニ、他ノ“アワイノ民”ハ向コウノ世界ニ渡ッテシマッタノデス」
他のあわいの民も、レネのように不思議な力を持っていたらしい。
「他の先住民の部族と、ちょっと違うってこと?」
「ソウナンデス。“アワイノ民”ハ、別世界ニ導ク権利ヲ持ッテマス。ソノ権利コソガ、チカラ」
あわいの民は何らかの節目に、他の先住民を連れ世界を渡っていったのだと、リトル・バードは語った。
何度も移動が行われているということか、とルースは納得した。
「じゃあ、あなたたちもいつか渡るかもしれないの?」
「ソウデスネ。タダ、レネノ一存ジャ決メラレマセン。他部族ノ要望ガ大キクナッタラ、デスネ。ヤハリ、別世界ニ行クノガ怖イ人モ多イノデ」
「……たしかにね」
別世界、とはまた漠然としている。以前の出発は相当に昔だというし、ただの伝説だと思っている人も多そうだ。
ルースは、淋しさを覚えた。
「あなたやトゥルーさんが、この世界からいなくなるのは淋しいわ」
ぽろっと本音を吐露してしまう。それを聞いて、リトル・バードは優しく微笑んだ。
「ワタシモ、淋シイデス。友達デスモノ!」
「……ともだち」
「違イマスカ?」
「う、ううん。嬉しくて――」
ルースはずっと移動生活だったせいもあり、若干人見知りなせいもあり、友達がなかなかできなかった。だから、こうして――友達と言ってくれる人がいるという事実が、嬉しくてたまらない。
二人でにこにこ笑っていると、天幕の入り口からトゥルー・アイズが入ってきた。
「トゥルー様、オカエリナサイ。ゴハンハ、食ベテキタンデスヨネ」
「ああ。合議で食べてきた」
トゥルー・アイズは、ふとルースに目を向けた。
「……ルース。食べ終えたら、少し話がある。外に来てくれ」
「は、はい」
ルースの返事を聞いて頷き、トゥルー・アイズはまた出ていってしまった。
すぐに食べ終えて天幕の外に出ると、トゥルー・アイズが近くに佇んでいた。暗い夜空を背にした彼は、陽光の下で見るより神秘的に映った。リトル・バードから、レネ族の役割の話を聞いたからだろうか。
レネは、あわいの民。いざとなったら、異界に民を導く使命を負った、最後の部族。そして、異界に行くにはシャーマンであるトゥルー・アイズの力が必要不可欠なのだと。
レネにとって、トゥルー・アイズとは称号である。父から子へと引き継がれる、証のような名前だ。トゥルー・アイズにも、昔は違う名前が付いていたらしいが……
「ルース、どうした」
声をかけられ、ルースは思考を中断した。
「……いえ。話って?」
「――リトル・バードから、お前がフェリックスのことで悩んでいると聞いた。なかなか時間が取れなくて悪かったな」
「いえ――。別に、大丈夫です」
「私が、お前に可能性があると言ったのは――フェリックスが、私に頼ってまでお前の心を助けようとしたからだ」
「……」
「あいつは、あまり私を頼らない方だ。あれがレネの秘術だということも、知っているしな。それでも――どうしても、助けてくれと頼んできた。その様が必死だったので……何か、特別な想いがあるのではないかと言ってしまった」
トゥルー・アイズは、短いため息をついた。
「それは、あたしがカロの娘だからじゃないの?」
「……残酷なことを言うようだが、カロの娘である事実と、お前が心を壊す事実はまた別のもの。むしろ、記憶を消してフェリックスはやりにくくなったはずだ」
そこで、ルースはハッとした。
「だが――それで、お前を困らせたなら、悪かった」
「……トゥルーさんは、フェリックスの心を開く者がいてほしいって言ってたわよね。それは、あなたじゃだめなの?」
兄弟と呼び合う彼らには、既に深い絆がある。フェリックスも、トゥルー・アイズには心を開いているだろう。
「私はフェリックスの過去に属する。そうでなくて、新たに心を開く者がいてほしいと思ったんだ……。私はずっと、傍にはいてやれないし。……いつか、この世界からいなくなるかもしれない」
「異界に、行くってこと?」
「ああ。――リトル・バードから聞いたんだな」
頷きながら、ルースは自分の足元を見下ろした。ブーツではなく、レネ族の靴――モカシンを履いた足は、まるで自分のものでないように見えた。
「そうだったの――。あなたの気持ち、よくわかったわ」
「もう、平気か」
「ええ。ここで過ごしていると、心穏やかになってきた。まだ、あたしがカロの娘だっていう悪魔憑きの事実は――受け止め切れていない。でも、もうすぐきっと……前を向けると思うの」
そうしたら、また歌うこともできるだろう。
嘆いていたって、仕方ない。どうにかして、内なる悪魔を祓う方法を捜すしかない。
(多分、鍵は兄さんの父さんよね……)
オーウェンの実父が、ブラッディ・レズリーにいることは偶然でないはずだ。彼が、悪魔祓いさえ知らない事実を知っている可能性はあった。
だけど、その前にルースがブラッディ・レズリーに捕まるわけにはいかない。
(利用されてなんか、やるもんですか)
そう考えると、少し勇気が湧いてきた。
ルースの顔をまじまじと見て、トゥルー・アイズは微笑んだ。
「少し、元気な顔になったな。ここに来たのが、いい結果をもたらしたか」
「ええ。レネの考えは素敵だし、ここは自然がいっぱいで元気になるわ。……あと、リトル・バードっていう友達に、本当に助けられたの」
その言葉を聞いて、トゥルー・アイズは嬉しそうに目を細めていた。
その翌日、湖畔でルースとリトル・バードは何をするでもなく、じっと座っていた。
ふと、リトル・バードが口を開く。
「ルース様、歌ガ上手ナンデスッテネ。聴イテミタイデス」
リトル・バードのさりげないリクエストに、ルースは戸惑う。
(……でも)
ここでなら、歌える気がする。
「わかったわ」
ルースは立ち上がり、息を吸い込んだ。余計なことは考えず、水の音と風の音に意識を集中する。
父のアーネストが作った、自然を言祝ぐ歌。この歌こそが、今にふさわしいだろう。
喉から、声が滑り出た。我ながら、思ったより澄んだ声が出せた。
聴いているのは、リトル・バードと、森の動物ぐらいのものだろう。
だけど、とルースは目を閉じる。もっと、たくさん聴いている存在がいるように思えた。
(ああ、これが――)
スピリット。
精霊の存在を感じて、ルースの歌は輝きを増した。派手な輝きではない、素朴な温かい光。自然の持つ、優しい光だ。
歌い終えると、リトル・バードが一生懸命拍手をしてくれた。
「スゴイ! 素敵デシタ!」
ごうっと、風が吹き抜ける。水が揺れ、波紋が広がる。
「スピリットモ、喜ンデイマス!」
「……それなら、嬉しいわ」
ルースは笑い、空を仰いだ。
とても大事なことを、学んだような気がしていた。
The End of “Part 3. My Poor Old Heart”
Phrase3 My Poor Old Heart
I notice my poor old heart
みじめな古ぼけた心に気づいたの
I can' see what I want
自分が何を望むかもわからない
But I met a little bird
でも、小鳥に出会ったの
She tells me what is important
彼女は私に何が大切か教えてくれたわ