1. A Caged Bird
3
宿の一室にて、フェリックスは大仰なため息をついた。
「あら、元気ないわね。大丈夫?」
ジェーンが首を傾げ、フェリックスの顔を覗き込む。
「大丈夫じゃないな。……とうとう、悪魔祓い協会の要請が間に合わなかった。東部から悪魔祓いは呼べない」
旧大陸から、どころか東部からも呼び寄せられなかったのだ。
「うーん。西部からは、集められないの?」
「西部には、悪魔祓いの数が少ない上に連絡がつかないんだ。悪魔祓い協会が西部にはないから。……東部の協会を通さないといけないが、それだともちろん間に合わない」
「どこにいるかもわからない、ってわけね。やれやれ、連携の取れてない職業ね」
おかげさまで、とフェリックスは皮肉気味に答える。
「協会に要請が通るまで、待ってもらう?」
「それは無理だ。もう保安官たちが集まるし、彼らを待たせるわけにはいかないだろう。それに、あっちにはルースが捕まってる。救出するなら、早い方がいい」
「ふうん。……ま、賞金稼ぎたちも、もうすぐ全員集まるでしょう。血の気の多い連中だし、こっちもあまり待たせたくないのよね。悪魔祓いがあんたしかいないと、勝算が少ないの?」
ジェーンはフェリックスの正面にあった、おんぼろな椅子に座って長い足を組んだ。
「……まあ、やりにくいだろう。何とか説明してみるけど」
「連中は、階下にいるわ。もう説明しとく?」
「そうだな――」
フェリックスは立ち上がり、ジェーンと共に部屋を出た。階段を下り、サルーンになっている一階に足を踏み入れる。
酒を飲んで馬鹿騒ぎしていた男たちが、ジェーンを見て話を止める。
「――どうも、みんな。此度の協力、ありがとうね。これから、保安官たちと合流してブラッディ・レズリーの本拠地に踏み入るわけだけど……そのときに関して、この私の弟弟子――フェリックスから説明があるわ」
ジェーンが紹介するときにはもう、その場はすっかり静まり返っていた。
「どうも、俺はフェリックス・E・シュトーゲル。……悪魔祓いだ」
その自己紹介に、何人かが顔を見合わせ笑っていた。
予想していた反応だったので、動揺することもなく、フェリックスは軽く微笑んで続ける。
「実は、ブラッディ・レズリーは悪魔を使役している。だから、戦うときも十分気をつけてほしい。相手はただの人間じゃないだろう。悪魔に憑かれた人間は、身体能力が異常に上がる。普通の人間相手だと思わず、全力で戦ってほしい」
説明を終えると、男の一人が呵々大笑した。
「あっはっは。それを信じろってか? 無茶言うなよ。俺は無神論者でね。悪魔も信じてないよ」
「……信じなくてもいい。ただ、相手が異常に強いということだけ忘れずに」
フェリックスの答えに、質問した男は虚を突かれたようで、肩をすくめただけだった。
一応警告はしたが、彼らには油断がある。これだけの人数がいれば一網打尽にできるはず、という余裕。また、彼らが歴戦の賞金稼ぎであるという、経験に裏打ちされた自信。その二つが生み出す油断だ。
これ以上は自分から言っても仕方ないか、とフェリックスは嘆息する。あとは、ジェーンから警告してもらう方が効果があるだろう。
「これでいいの? フェリックス」
「ああ。あとはジェーン、前日にでも警告しておいてくれ」
「……わかったわ」
「そろそろ、保安官たちが到着するかな。駅まで行ってくる」
ジェーンの肩を叩き、フェリックスはサルーンから出た。
大陸横断列車は、先ほど着いたところのようだ。
フェリックスが駅に向かう途中で、先頭をずんずん歩くフィービーに出くわす。
「おや、用心棒。迎えか?」
「ああ。……無事、証言は取れたか」
「もちろんだ。ばっちり令状も取ってきたぞ。お前、言っておいた宿は予約してくれたんだろうな?」
フェリックスは黙って頷いた。
何せ多くの保安官がやって来るため、この町の宿屋は押さえておけと言われていたのだ。比較的大きな町なので、宿も複数あって助かった。
「今日から、どこも貸し切りにしてもらってる」
「ふむ、悪くないな。宿に案内しろ」
「はいはい」
フェリックスはふと、フィービーの後ろから歩いてくる男たちを見やる。さすがに多い。三十人はいるだろうか。
賞金稼ぎよりは品のよさそうな男たちばかりだったが、目がどこか剣呑だ。
「あれ、エウは?」
「あいつは最後尾にいる。何か用でも?」
フィービーに問われ、フェリックスは「いいや」と答えてから、歩き出した。
一旦保安官は、宿のあるサルーンに集められた。もちろん、賞金稼ぎが集まっているサルーンとは別のところだ。
そこでフェリックスは、悪魔のことについて説明した。だが、賞金稼ぎ同様に反応は芳しくなかった。
「……まあ、とりあえず気をつけてくれ。それだけ、覚えておいてくれたらいいから」
うろんげな視線から逃れるように、フェリックスは一旦サルーンを出る。すると、後ろからフィービーが出てきた。
「……おい。さっき言ったことは本当か」
「そうだけど――。あんたは、信じるんだ?」
「正直、信じがたいが……ブラッディ・レズリーの奇妙さが、それだと説明がつくなと思ったんだ」
「奇妙さ?」
「人数の少なさだ」
フィービーは腕を組み、壁にもたれた。
いきなり賞金稼ぎや保安官が集まったから、町人は警戒して外に出ないようにしているのだろう。人通りは少なかった。サルーン前の道も、ほとんど人が通っていない。缶の転がる音が、かんからかん……と淋しげに響く。
「ブラッディ・レズリーは、末端が異常に少ない。そのせいで尻尾をつかめなかった。おそらく、実際の人数は二十もいないのではないかと、考えていた。だけど、ここで問題が持ち上がる。そんな少ない人数で、どうやって動かすのかということだ。一時的な雇われ者だけでは、やっていけないだろう? もちろん、多少は雇っていたのだろうが」
フィービーは一呼吸置いて、続けた。
「お前が説明した通り、悪魔とやらを使役していたのなら、納得できる。悪魔を適当な人間に取り憑かせ、利用した――。憑かれた奴は悪魔に殺され、遺体も残らない。人間の調達自体は簡単だ。西部には、仕事を求めてやって来る、新しい移民が多いからな」
「ふーん。さすがは連邦保安官じゃないか。あんたの推理は合ってるよ。俺も悪魔祓いとはいえ、なかなかその実態がつかめなかったんだ。……悪魔は普通、言うことなんて聞かないからな。盲点だったわけだ」
「つまり、悪魔の言うことを聞かせる何かを――クルーエル・キッドは持っているということか?」
「そうだ。それか……上位の悪魔がいるのかもしれない」
フェリックスの答えに、フィービーは眉を上げた。
「どういうことだ?」
「悪魔は高位の悪魔に逆らえないんだ。キッドは、上級の悪魔をどうにかして傍に置いているのかもしれない」
「ふむ。それでは、その悪魔を何とかすればいいのだな。見当は付いているのか?」
「……いや。高位の悪魔ほど、俺たち悪魔祓いにも気配を見せないんだ。一度、潜入してみないとわからないな」
「歯痒いな。……ま、私はお前に全面的に協力してやろう。これは貸しだからな。感謝しろよ。いつか借りを返せよ」
「はいはい、っと」
フィービーは相変わらずだ。だが、その変わりのなさが今は有難く思えた。
フェリックスは宿の一室で、椅子に座って窓の外を眺めていた。けぶるような月の浮かぶ、夜だった。
ルースは無事だろうか。何に利用するにせよ、兄は彼女をひとまず傷つけないとは思うが……。
(やれ、情が湧きすぎたかな)
フェリックスは第二の故郷とも言える村を発って以来、ずっと流浪の生活を続けていた。ひとところに収まったことはないし、用心棒の依頼も全部一時的なもの。
恒久的に、うちの用心棒になってくれないか――という依頼は何度かあったが、全て断っていた。荒野をさまよい、悪魔を狩り続けることこそが、自分の使命だったから。
だから、これほどまでに長く一緒に過ごしたのは、ウィンドワード一家が初めてだった。
特に、ルースはカロの娘という監視対象であり護衛対象だったから、ずっと目を向けてきた。
ルースは物怖じしない性格のくせに、傷つきやすいところを持っていて。自分には厳しいくせに、他人にはやたら甘くて。誇りを持っているのに、自信はない方で。
……と、何だか矛盾だらけの女の子だった。彼女の内包する、相反する性質はとてもアンバランスで――だからこそ、魅力的だった。
まるで、硝子細工。強く見えるのに、脆いところ。美しいところ。誇り高いところ。煌くところ。
そして、とても綺麗な歌を歌う子だった。
一度、真実を告げてルースが心折れたとき、フェリックスは激しく動揺した。そう、フェリックスはルースをもっと強い少女だと思っていたのだ。
だから嘘つきになってみせたのに、ルースはまた知りたがった。そしてフェリックスは、また失敗してしまった。
結局、彼女は立ち直れないままにブラッディ・レズリーにさらわれた。
ため息をついて、フェリックスは額を押さえた。
ヴラドなら、ルースからブラック・マザーを取り除く方法を知っているだろう。潜入の際にあの男を捕らえ、口を割らせようと決めていた。
悪魔から解放されたら、自由に生きてほしい。大好きな音楽を諦めず、歌い続けてほしい。彼女なら、評判の歌姫になれるだろう。今はまだ完全に花開いていないだけで、彼女には才能があるのだから。
そして、いつか結婚するだろう。そのときには、遠くからでも祝いたい――そう思った。
ちくり、胸が痛むのはどうしてだろう。
コンコン、とドアをノックする音で我に返る。
この時間だと――彼か、とわかりつつも、一応「誰だ?」と尋ねてみる。
「……私です」
予想した声と同じだったので、フェリックスは立ち上がって扉を開けた。
そこには、エウスタシオが立っていた。
「どうも。――入って」
片手で扉を押さえている間に、エウスタシオは素早く中に入った。扉を閉めつつ、フェリックスは部屋の中央で佇むエウスタシオを振り返った。
「お前は、どう動くつもりだ?」
「せっかくの立場ですからね。皆の潜入前に、中に入ります。できれば、裏から手助けしましょう」
「そりゃあ有難いけど……危険じゃないか?」
「そうも言ってられないでしょう」
「キッドは、お前を疑ってないのか?」
その問いに、エウスタシオは少し考えてから、首を横に振った。
「大丈夫だと思います。彼の命令は全て、遂行していましたから」
窓から差し込む月光が、彼の彫の深い顔立ちに陰影をつける。無表情とあいまって、とても美しい彫像のように見える。
「フィービーには、俺から言っとくべきか?」
「いえ、フィービー様には全て吐露します。……形はどうあれ、ずっと裏切ってきたことは、たしかですから……」
エウスタシオの唇がわななき、それを抑えるかのように白い歯で唇を噛みしめる。
「そっか。……エウスタシオ。終わったら、南に逃げるといい。手配はしといた」
フェリックスは、懐から封筒を取り出した。
「これは?」
「小切手と偽造パスポートと、船のチケット」
「でも……私は……」
「お前は裁かれる必要はない。受け取っとけ」
フェリックスは無理やりエウスタシオにそれを押しつけ、彼の肩を叩いた。
「……どうも。受け取っておきます」
「ああ。いつ、発つつもりだ」
「前日に。それまでは、手配を手伝うつもりです。……それまで、よろしく」
エウスタシオは微笑み、一礼して部屋を出ていった。
扉の閉まる音を聞きながら、フェリックスはため息をついて窓を振り向いた。
(俺は、勝てるのだろうか)
ふと、頬に親指を走らせる。トゥルー・アイズの施してくれた、戦士の化粧を思い出しながら。
(俺の命と引き換えなら、上々。……何があっても、あいつを殺さないと)
幼き頃は、兄しか頼れなかった。フェリックスは――エヴァンは、彼にずっと依存していた。
何度も何度も思い出しては、後悔する。どうして、兄も悪魔が見えるのだとシュトーゲル牧師に言わなかったのかと。
兄も連れていってもらえば、きっとあんなことにはならなかっただろう。
エヴァンは、いつもこうだ。肝心なことを言わないで、言わなくていいことも言ってしまう。だから――母に鞭打たれたのだ。そして兄を歪め、養父を悪魔に奪われた。
エヴァンはいつも、大切な人を不幸にしてしまう。
レネの一族が襲われたのだって、トゥルー・アイズを頼りすぎたせいだ。
悔やんで、フェリックスはうなだれた。
体が大きくなって、ケンカが強くなって、銃が上手くなっても、心の奥底にいる幼い自分は変わらない。ずっと後悔して、泣き叫んでいる。
兄さん、と声に出さずに呼びかける。
せめて、一緒に死のうか――。