Chapter2. Brace Yourself for Farewell
さよならへの覚悟
決行日の前日までに一通り、突入の準備は整ったようだ。
といっても、武器や銃弾の調達などだが。
相変わらず、賞金稼ぎも保安官も「悪魔など」といった態度で、フェリックスを胡散臭く見る始末だった。
ただ、賞金稼ぎの何人かは迷信深い者がいて、フェリックスから聖水の入った小瓶を受け取ってくれた。
そういう理由もあり、こちらにジェーンがいることもあり、フェリックスは賞金稼ぎの溜まる酒場で過ごすことにしていた。
「十字架は、効かないのか?」
その迷信深い賞金稼ぎの一人、ガイがフェリックスに熱心に尋ねてきた。
「全く効かないわけじゃない。嫌がるけど、少し怯むだけだ」
「怯むなら、持ってる価値はあるわけだな」
へへっ、と笑ってガイは胸元から十字架のペンダントを取りだして見せてきた。
痩せぎすの体にぎょろりとした目、という外見のガイが持つには、いささか繊細な細工物だった。
「……どうだ? 母親の形見なんだ」
「いいじゃないか」
フェリックスは微笑んで、自分もペンダントを持っていると示すために胸元を押さえた。
「とにかく、気をつけてくれ。弾丸は惜しむな」
そう口にしたとき、ふと見覚えのある男に気づいた。
ガイに「失礼」と断ってから、フェリックスは端の方で酒を飲む男の顔を覗き込む。
「やっぱり。あんた、ジェームズだろ」
「……ああ。そういうあんたは……アンダースンのところで会った……」
例の冤罪事件のことを思い出したのか、ジェームズは青ざめていた。
「事情はジェーンから聞いたから、別に恨んじゃいない。だが、どうしてこんなところに?」
「フェリックス」
問いただしていると、後ろからジェーンの声が飛んできた。
ジェーンはカードゲーム中だったのだが、手が悪かったのか、カードを置いて立ち上がっている。
「おい、こらジェーン! 勝負が途中だぞ!」
「ざんねーん。気が乗らなくなっちゃった」
対戦相手を軽くいなして、ジェーンはフェリックスとジェームズに歩み寄ってきた。
「私もびっくりしたんだけどね。ジェームズは賞金稼ぎになったらしいのよ。恋人の敵を討ちたいんですって」
「……なるほど。いいのか? あんたに、農場は戻ったろうに」
「はん。国に取り上げられたよ。俺はもう、何もなくなった。だから、せめてクリスティの敵を討ちたいと思ったんだ」
ジェームズは心配になるほど、強い酒をぐびぐびと飲み干していた。
「そういうことか……。あんたなら、アンダースンの事件の不可解さにも気づいただろう。気休めだが、これを」
フェリックスが聖水の小瓶を渡すと、彼は頷いて「ありがとう」と小さく礼を言った。
「飲み過ぎには注意よ、ジェームズ。……ところでフェリックス、話があるの」
急にジェーンは声をひそめ、フェリックスの肩に腕を回してきた。
「どうしたんだ、ジェーン」
「気になることがあって。あんた、初期症状なら悪魔から戻せるって言ったじゃない? どうするの? 今回。見た目には、わからないんでしょ」
「……そうだな。今回は、混戦だ。しかも、あの薬はあっという間に人間に根付く」
フェリックスはためらいがちに、目を伏せた。
本当なら、戻せる人は戻したい。だが……
「全員、殺してくれ。戻せないと思う」
声に出すと、やけに苦く響いた。
しかしジェーンはもちろん、修羅場をくぐってきた賞金稼ぎたちは臆した様子も見せずに、「おう!」と威勢良く返事をしていた。
元々、悪党の手配書はデッド・オア・アライブ――生死問わず、なことが多い。彼らは今更、殺人にためらう輩ではなかった。
フェリックスは西部の荒くれ者を頼もしく思う一方で、冷血になりきれない自分を歯がゆく思う。
(俺が一番、率先して行かないといけないんだ)
ブラッディ・レズリーの壊滅、そして頭領の死――そこまで、導けるだろうか。
養父に祈りたくても、養父の魂は天になく。
「大丈夫? フェリックス。顔が青いわよ」
「……ああ」
「気付けに、スコッチでも飲みましょ」
ジェーンはフェリックスの肩を抱いて、カウンターにまで誘った。
「マスター、スコッチを二人分ね」
ジェーンが注文しながらスツールに座り、フェリックスも彼女に続く。
賞金稼ぎに占領されていることを特に何とも思っていないのか、細身のマスターは素早く二人にスコッチのグラスを渡した。
ジェーンは一気に半分ほど飲んでいたが、フェリックスはちびちびと舐めるようにして飲んだ。
「あら、辛気くさい飲み方ね」
「俺はいつも、この飲み方だよ。ジェーンの飲み方は、体に悪いだろ」
「ばっかばかしい。体に良いとか悪いとか、気にしていられるものですか!」
ジェーンは哄笑して、もう半分をぐびぐび飲んでいた。たんっ、とグラスをカウンターテーブルに置いて、フェリックスの顔をのぞき込む。
ジェーンは底なしに、酒に強い。顔に赤みが差すこともなく、彼女の表情はいたって冷静だった。
「それで? 何を悩んでるのよ、弟弟子さん」
「……ジェーン。かなりの、死者が出ると思う」
「そりゃ、そうでしょ。乗り込むんだもの。向こうは、悪魔憑きでしょ? ためらってられないんだから」
「あっちじゃない。こっちだ」
「――なぜ、そう思うの? こっちは、歴戦の賞金稼ぎよ? 保安官も、一応いるし」
ジェーンは「保安官」と口にしたとき、若干顔をしかめていた。ジェーンの保安官嫌いは、相変わらずだ。
「わかってる。でも、俺はクルーエル・キッドのことをよく知ってる。あっちもちゃんと、準備してるはずだ。……キッドは、とても賢い。俺よりも、ずっと。俺たちの想定以上の人間を、用意しているだろう」
「…………」
さすがにジェーンも言葉を失ったようで、頬杖をついていた。
「だから、あんたは葬式のときみたいな顔をしてるってわけね」
「そうだ。俺が、集めてくれって頼んだ。相当、被害が出るとわかっていて」
「止めなさい、そういうの。私も他の連中も、キッド相手だとわかっていてやってきたのよ。賞金稼ぎは、西部で一番命知らずな連中だって、忘れた? あ、保安官どもは知らないけど。連邦国民のためなら本望なんじゃない?」
ジェーンはわざと軽く笑って、フェリックスの背を叩いた。
「……ありがとう」
「いいえ。弱音はもうなしよ、フェリックス。あんたが、先導するんでしょ? 臆病な奴には、誰もついていかないわ。虚勢でもいい。胸を張って、俺に命を預けろって顔してなさい」
「わかった」
端的に答えて、フェリックスはすうっと深呼吸をして目を閉じる。
相手がビヴァリーだから、だろうか。油断をすると、弱気なエヴァンが出てきてしまう。
目を開いて、フェリックスは虚空を睨みつけた。
その視線には先ほどまでの弱々しさはなく、いつもの悪魔を見透かす透徹な青い目が強い光をたたえていた。
ルースは個室に閉じ込められ、退屈な時間を過ごしていた。
ビヴァリーは、ルースが退屈するかどうかなんて、どうでもいいようだ。ここには、本も置いていない。広いベッドに寝転がって、眠るしかなかった。
それか、ルースは小さな声で歌った。いつも通りに歌っていると、ロビンと呼ばれていた男がやって来て「うるせえ」と言ってきたからだ。
ふう、とため息をつく。
こんなに小さい声で歌っても、気は晴れない。ただ、こんなときでも歌い続けているのだという自分への気休めだった。
椅子に座ってぼんやりしていると、昼過ぎ頃にビヴァリーがやってきた。
「やあ、ルース。気分はどうだい?」
「……これでご機嫌だったら、怖いでしょ」
ルースの返答が面白かったらしい。ビヴァリーは、声を立てて笑った。
「それは、もっともだ。さあ、来てごらん。君の力が必要なんだ」
「あたしの、力が?」
それは、とルースは腹に手を当てた。
「さあ、早く」
手を引かれて立ち上がらされて、引きずられるように歩かされる。
「ま、待って。あたしの力、なんて。悪魔を惹きつける力をどう使うのよ」
「来ればわかるさ」
ビヴァリーはルースを振り返らず、ひたすら進み続けた。
そうして連れていかれた先は、広い庭を見下ろすバルコニーだった。たくさんの男が、集まっている。見る限り、彼らの年齢はバラバラのようだ。
「彼らは?」
「仕事の斡旋を頼みにきた人たちだよ。私は、彼らに仕事を与えるんだ」
それは結構、と言いかけたところでロビンの存在に気づいた。ロビンの隣に立つ、誰かによく似た壮年の男にも。
「ああ、そういえば……君とヴラドは初対面か。ヴラド、自己紹介しておけ」
「……ヴラドだ。私はオーウェンの父親だよ」
褐色の肌を持つ男は、ルースに一歩近づいた。近くで見ると、益々オーウェンに似ている。
「兄さんの、実の父親?」
エレンがろくでなし、と言っていた。たしか、エレンのいとこに当たる。
「なら、あなたはカロ家の――」
ハッとして、ルースはビヴァリーを振り返る。
「あなたが、あたしのことを知ったのは」
「その通り。ヴラドに、色々と教わったんだよ。素晴らしい話だね、ルース。悪魔を操る人々なんて。……もっとも、カロは、そこまで大がかりに悪魔を使っていなかったようだ。勿体ないと思うだろう?」
「勿体ないですって? 何も、勿体なくないわ。こんな力、なかったらよかった!」
叫んだ瞬間、涙が出てしまって、ルースは指で涙を拭った。こんなところで、泣きたくはなかった。
「やれやれ。まあ、君の意見はどうでもいい。ルース、私が唱える文言通りに唱えて欲しい。私は、彼らに悪魔を降ろす」
「悪魔を降ろすですって!?」
「そう。薬も試したが、量産が間に合わなかった。くわえて、効果はバラバラだ」
「……薬」
そういえば、とルースは考える。誰かが、怪しげな薬で死んだのではなかったか。
「あなたは、悪魔を宿す薬を作っていたのね」
「ああ。だが、難しすぎた。召喚した下級悪魔を宿した薬を飲ませて、そのまま取り憑かせることもできたが、耐えきれず死んでしまうことも多かった。ロビンもヴラドも、実験ご苦労」
ビヴァリーがねぎらうと、ロビンは「全くだぜ」と鼻を鳴らした。
「しかも結局、カロの娘頼りかよーって感じだな」
ロビンは面白くなさそうに、ルースをねめつけた。
「さあ、ルース」
ビヴァリーに後ろから手を回されて、腹をそっと撫でられる。
ぞわぞわと、皮膚が粟立った。
「嫌よ! 何でそんなこと、しなくちゃいけないの!?」
「君に拒否権はない。拒否する場合、君の家族を殺す」
「えっ――」
「ウィンドワード一家は、農場に帰るところだね。農場の家族も、もちろん殺すよ。カロの血が惜しくないわけではないが、天使を宿した君の弟は特に生かしておきたくないね」
ビヴァリーは、ゾッとするようなことを歌うように呟いた。
「ジョナサンのこと、どうして知って……」
「ブラッディ・レズリーの情報網を舐めないでほしいね。ルース、どうする?」
問われたが、選択権などないにも等しかった。
ルースは涙をこらえて、頷いた。
「良い子だ。さあ――――」
そうして、ビヴァリーは不思議な呪文のようなものを唱え始めた。
ルースも、拙いながらもそれを真似する。すると、途中からそれが知っている言語であるかのように、腹の底から知らない言葉が溢れ出ていった。
「ブラックマザー。君の子らを、呼んで」
ビヴァリーが囁いたと同時に、ルースの詠唱は終わった。そして――轟音と共に炎のように、赤い光が地上から迸った。
男達はみんな倒れ込んでおり、一人一人ゆっくりと立ち上がる。みんな、様子がおかしかった。
「大成功だな。さすがはカロの娘!」
ビヴァリーに褒め称えられながら、ルースは青ざめた。
(とんでもないことを、してしまった……)
ずるずると座りこむように、膝をつく。
(でも、どうすればよかったの)
ビヴァリーなら、すぐにルースの家族を殺してしまう。
しかし、これだけ多くの人に悪魔を降ろした言い訳になるはずもない、とルースは心の中で自分を罵倒した。