2. Brace Yourself for Farewell

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 夕刻、エウスタシオはフィービーが待機する部屋を訪れた。
「ああ、エウ。どこに行ってたんだ?」
「色々と、支度がありましてね。何せ、指導者がここでのんびり酒を飲んでいるんですから」
 エウスタシオは、ワイン瓶片手に椅子に座るフィービーに、きつい視線をくれた。
「うるさいな。何せ、明日だろう。一応私も、気合いを入れてるんだ」
 フィービーは空になった瓶をテーブルに置いて、息をついた。
「どうせ、私にやることはない。もう決起集会もした。だろう?」
「……ええ、そうですね」
 エウスタシオは、懐から琥珀色の酒が入った平たい瓶を取りだした。
「それよりも、もっと上等な酒ですよ」
「……何だ、結局飲ませるのか」
「そうですね」
 エウスタシオは笑って、フィービーに瓶を渡す。
 フィービーは片手サイズのそれの栓を開け、直接口に流し込む。コニャックだ。たしかに、上等な酒だった。
「これは美味いな」
「でしょう?」
「ああ――――」
 そこでフィービーは強烈なめまいに襲われて、椅子から転げ落ちた。
 床に落ちた瓶が割れて、酒が零れて広がっていく。
 勿体ない、とうつぶせになったフィービーは思う。
(なぜ、私は倒れたんだ?)
 相手がエウスタシオでなければ、容易に気づけたことだった。だが、フィービーは倒れたまま「なぜ」と考えつづけていた。
 焦れたようにエウスタシオが近づいて、フィービーを仰向けにする。
「麻痺薬を盛りました」
 エウスタシオは秀麗な顔を、少し意地悪な笑みに歪めた。
「……エウ?」
 まだ、思考がついていかなかった。
(どうしてだ。エウが、私を……)
 思い出す。暗い牢屋に、差し伸べた手。フィービーが切って、ざんばらになった髪。
 噛みついてきたのは最初だけで、エウスタシオはずっと、忠実な保安官補だった。誰よりも信頼できる、部下だった。
「フィービー様。全て、告白します」
 エウスタシオは屈んで、フィービーの横に膝をついた。
「私は、あなたをずっと裏切っていたんです」
「…………嘘、だ」
「私は、クルーエル・キッドの顔を知っていました。私とキッドとで、シエテを潰したのですから当然でしょう? 私は、クルーエル・キッドの望みなど、どうでもよかった。ただ、シエテの首領を殺せればよかった。私から両親を奪って、私を痛めつけたあいつに……」
 エウスタシオは長いまつげを伏せて、語り続ける。
「私はどうして、シエテの首領に殺されなかったと思います?」
 エウスタシオは、フィービーの顔に手を伸ばした。
「お前が、気に入られていたから?」
「それもあります。でも、何より……私はエンプティという才能を持っていました」
「エンプティ?」
「この身に、人でないものを宿せる能力です。シャーマンの一種ですね。私の母は、先住民の巫女だったんですよ。その身に神や精霊を降ろしました」
 フィービーは相槌も打たず、彼の話に耳を傾けた。いや、打てなかったのだ。舌まで痺れてきたから。
「シエテはその評判を聞き、まず母をさらおうとしました。ですが、母は不運だったのか幸運だったのか、乱闘の末に命を落としました。それで、私が連れていかれたんです。首領アレハンドロのもくろみ通り、私は母の力を受け継いでいました。だから、首領は私に降ろしたんです」
 エウスタシオは、少し間を開けてから呟いた。
「……悪魔を」
「…………あく、ま」
「ええ。信じがたいでしょうが、私はこれをやりました。幼い体に悪魔を宿し、戦ったのです。普通の人には、できない所業でした。普通の人は、悪魔を宿せばいつか死んでしまいますから……。でも、私は悪魔を降ろしては帰し、また降ろし……ということができたのです。もう、こんなことはもうやりたくない。ずっと、そう思っていました。そんなとき、キッドが接触してきたのです。そこで、私はキッドに全面的に協力しました。悪魔をどう使うか……首領はそれも、研究してましたから。悪魔を宿す薬の開発も途中でしたが、キッドが引き継ぎました」
 そうか、とフィービーは思い至る。
 ずっと、クルーエル・キッドがシエテをなぜ解体したか不思議だった。もう、役目を終えたからだったのだ……。
「私はキッドの仲間になれと言われましたが、断りました。もう、私は悪魔を宿しすぎて、エンプティの力を失って降ろせなくなっていたんです。だから知識だけ渡して、キッドのことは顔を知らないと言い張ると約束し、他のシエテの団員と同じように捕まりました。もう、悪事に手を貸すのは御免だったから……」
 エウスタシオの美しい黒い目から、涙が一筋落ちた。
 手を伸ばして、指で拭ってやりたい衝動に駆られたが、フィービーの腕は動かなかった。
「でも、あなたが知ってる通り、私は牢屋を出た。あまつさえ、連邦保安官補になってしまった。あなたと一緒に西部を回るのは、楽しかったです。これが償いなのだと、自分に言い聞かせて……そしたら、ある日キッドが接触してきたんです。キッドが、私が連邦保安官補をやっている情報をつかむのは、容易なことだったでしょう」
 そうだろうな、とフィービーは声にならぬ声で相槌を打つ。
 エウスタシオの容姿は、目立つ。帽子をかぶっていても、その顔が完全に隠せるわけでもない。
「キッドが要求してきたのは、情報の横流しです」
 フィービーの脳裏に浮かんだのは、東部に帰ったときの会議だった。エウスタシオが疑われ、フィービーは当然庇った。
 なぜ、とフィービーはかすれた声を出したつもりだった。だが、声は吐息になっただけだった。
 エウスタシオはフィービーの心を読んだかのように、目を伏せた。
「私の命なら、いくらでもくれてやるところでしたが……」
 まさか、とフィービーは目を見張る。
「キッドは、私が一番大事だと思っている存在をもう見抜いていました。……そうです。フィービー様。条件を呑まなければあなたを殺すと、言われたんです。――――わかってます。あなたは、自分はそんなに弱くないと言いたいのでしょう。でも、私はキッドをよく知っています。連邦保安官一人を殺すことなど、造作もないでしょう。私は、あなたが死ぬのは嫌だった。だから、裏切り者になりました」
 エウスタシオは、投げ出されたフィービーの手を握り、押しいただくように持ち上げた。
「ごめんなさい……」
「…………」
「でも、私はこのままキッドに利用されているのは嫌でした。だから、とある男に接触しました。フェリックス・E・シュトーゲルです。私には、彼がキッドの弟であることはわかりましたから。フェリックスは、事情をわかってくれました。私は彼に、キッドの情報を流すと約束しました。代わりに、居合わせたときには助けてくれると、彼は請け負ってくれました。彼は悪魔祓いですから、ブラッディ・レズリーの起こす事件では誰より頼りになると思ったからです。私はいわば、二重スパイのようなことを、していたんです。でも、言い訳にはなりませんね。誰より、あなたを騙していたのだから」
 エウスタシオは手をそっと離し、フィービーの体の下に手を入れて抱き上げた。
 フィービーは動けず、喋れもしない。ただエウスタシオを、見つめることしかできなかった。
(一体、何が、どうなって)
 ベッドにそっと横たえられて、フィービーはぼんやりした頭で考えようとした。だが、薬のせいか思考がちりぢりになっていった。
「あと一つ、大切なことが。私以外の――ブラッディ・レズリー担当の連邦保安官に、裏切り者がいます。私たちを仕切る、あの老保安官です。彼はフェリックスの訴状をもみ消したりしたようですね。彼も、ここに来ていますが、背後から襲って、縄で縛って隣の部屋に放り込んでおきました。強い眠り薬も飲ませましたので、明日は暗躍できないはずです」
 あのベテランが、とフィービーは驚いた。一番可能性が低いと思っていた者が、ブラッディ・レズリーに通じていたのだ。
 次いで、呆けるフィービーに、エウスタシオは祈るように呟いた。
「フィービー様、愛してます」
 突然の告白に、驚く暇もなかった。次いで、エウスタシオが身をかがめて、フィービーの動かぬ唇に、唇を押し当ててきたからだ。
「ごめんなさい。悪いことばかりして。これだけは、忘れないでください。私は本当に嬉しかったんです……。あのまま処刑を待つだけだった私を助けて、色んなものをくれたこと……名前を取り戻してくれたこと……」
 エウスタシオの口調が、少し子供めいたものになっていた。まるで、出会ったばかりのときのように。
「私は、キッドのところに行きます。内部から、ブラッディ・レズリーを破壊するために」
 それは、死地に行くに等しい。止めろ、と止めたかった。だが、フィービーの体は動かない。
 フィービーがもどかしい思いを抱えている傍ら、エウスタシオはフィービーの上に、掛け布団をかける。
「あなたの保安官補は、キッドの屋敷で死んだことにしてください。……さようなら」
 胸から星のバッジを外して、エウスタシオはフィービーの枕元に置いた。
 帽子を取って、彼は優雅に挨拶をした。そうして、振り返ることもなく部屋を出ていった。



 早朝を待たずして、エウスタシオは発っていった。彼を見送り、フェリックスは息をつく。
 エウスタシオとの約束通り、フィービーの泊まっている部屋へと向かった。
 エウスタシオから受け取った鍵で鍵を開くと、フィービーは静かに眠っていた。
「フィービー」
 フェリックスが呼びかけると、待っていたかのように目を開いた。
「エウスタシオから、事情は聞いたようだな。……今回、あんたは作戦に参加できない。……ああ、私が率いないでどうする、って顔してるな。大丈夫だ。あんたと、あの裏切り者保安官はブラッディ・レズリーに毒を盛られたと伝えておくから。俺とジェーンで、保安官たちも誘導する。エウスタシオは、あんたの仇を取りに一足先に乗り込んでいった……と説明する。悪くないだろ?」
 フィービーの表情は動かなかった。もし彼女がいつも通りの体調なら、フェリックスの胸ぐらをつかんでいたか――いや、蹴倒していたかもしれない。
「すまないな。これは、エウスタシオの願いだ。あんたを、無事に生かすことが。明日には、あんたは動けるようになってる。そういう薬だ。明日には、多分全て終わってるから――ゆっくり、眠っておくといい」
 そう言い残して、フェリックスはフィービーの部屋を後にした。施錠も忘れず、鍵はポケットに入れておく。
 廊下を歩いていると、ジェーンに出くわした。
「あら、フェリックス。早いわね」
「ジェーンこそ」
「気が立ってるのか、早く起きちゃったのよね」
 ジェーンは腕を組んで、壁にもたれた。
「だって、今回で決着がつくかもしれないんでしょ?」
「ああ」
「ところであんた、ここで何してたの? このあたりって、保安官の泊まってる界隈でしょ。ちなみに私は、フィービーをたたき起こしてケンカでもしよっかなと思ったの」
「何でケンカするんだよ」
 姉弟子ながら、わけがわからない。フェリックスは頭痛を覚えて、ため息をついた。
「互いに、気合いが入るかなと思って。……それで?」
「……ああ……あとで、みんなに話すつもりだったんだが」
 フェリックスは、あらかじめ用意していた事情を語った。ジェーンに、エウスタシオが苦しみながら二重スパイをしていたことを言う必要はないだろう。彼も望まないはずだ。
「フィービーが毒を盛られて、坊やが復讐に? ……穏やかじゃないわね」
「まあな。とりあえず、ジェーン。賞金稼ぎのところに、戻っておいてくれ。俺はこの宿の下にあるサルーンで待機して、保安官たちに説明するから」
「あんたが保安官を率いるっていうの? できるのかしら」
「あんまり自信はないけど、フィービーが動けない以上、やるしかない」
「連邦保安官ってプライド高いの、多いからね。……ま、あんたに任せるわ」
 ジェーンはため息をついてから、去っていった。
 彼女を見送った後、フェリックスは懐に仕舞った鍵を意識する。
(俺は今日、無事に帰れるかわからない。この鍵は、誰かに預けておくべきか? ……いや、あの部屋は中から鍵が開く。持ったままでいよう)
 下手に他人に預けると、厄介なことになりかねない。今のフィービーは動けない、無防備な状態だからだ。
 明日になれば、フィービーは動けるようになる。怒り狂って、自分で出てくるだろう。
「……さて。行きますか」
 フェリックスは口笛を吹きかけて、今が早朝だと思い出す。だから代わりに、こう呟いた。
 主よ、憐れみたまえ――――。

 フェリックスが下におりて早めの朝食を取っていると、次々と保安官たちが下りてきた。
 これで全員だろう、と目視で数えた後、フェリックスは立ち上がる。
「悪い! 保安官諸君!」
 いきなり声をあげたフェリックスには、胡乱げな視線が飛んできた。
「アレクサンドラ連邦保安官とビル連邦保安官が、毒を盛られて動けない状態だ。ブラッディ・レズリーの仕業だろう」
 その報告に、一同はざわついた。
「そして、その復讐にと……止める間もなく、ソル保安官補が単身でアジトに向かった。正直、彼の生存は絶望的だろう」
 ざわめきが、いっそう大きくなる。
「アレクサンドラ連邦保安官がいない以上、保安官たちを率いるのは……俺だ。悪いが、了承してくれ。今から、誰をリーダーにするか決める暇はないだろう。俺はアレクサンドラ連邦保安官から、何かあったら指揮を頼むと言われていた」
 もちろん、ハッタリだった。あのフィービーが、そんなことを言うはずがない。
「お前が指揮権を取りたいから、アレクサンドラ連邦保安官に毒を盛ったのでは?」
 年若い保安官補が、挑戦的にフェリックスをねめつけてきた。
「そんなことして、何になるってんだよ。相手はブラッディ・レズリー。味方の戦力を削って、どうするんだ?」
 フェリックスの反論に納得したのか、相手は黙って鼻を鳴らしていた。
「頼む。俺の指示に従ってくれ」
 フェリックスが請うと、保安官たちはそれぞれ生返事をした。
(俺じゃ、士気が上がらないな。仕方ないけどさ)
 フェリックスは席に着いて、冷えたコーヒーを啜った。
 元々、フェリックスは一匹狼で荒野をさすらい、用心棒で金を稼ぎながら悪魔を仕留める生活をしていた。
 あまり、集団に向いていないのだ。
 それに対し、フィービーは人に命令することに慣れている。
 エウスタシオの頼みがなければ、フェリックスが先頭に立とうなどとは露ほどにも思わなかっただろう。
 だが、仕方がない。どうしてもフィービーに死んで欲しくないという、エゴにも似た願い。エウスタシオは、ブラッディ・レズリーの内側から働きかけるという、危険な役目と引き換えに叶えて欲しいと頼んだのだ。
(でも、まあ……そうだよな)
 フェリックス自身、自分が生きて戻れる気がしなかった。
(俺は死んでもいい。ただ、牧師様の魂を取り戻して……兄さんを)
 殺せればいい。相打ちでもいい。
 これ以上、歪んでしまったビヴァリーに西部を荒らして欲しくなかった。

 フェリックスは、サルーンを出る。その後に、保安官たちが続いた。面白くなさそうではあったが、賞金稼ぎに比べれば上品な彼らはフェリックスを悪し様に罵ったりはしなかった。
 そして、一同はぞろぞろと大きな宿屋のある通りで足を止める。
 待っていたのか、すぐに扉が開いてジェーンが出てきた。
「ご苦労様、フェリックス。……保安官さんたち? 私たち賞金稼ぎも、今回は全面協力よ。互いの背中を撃ち合うことだけは、止めましょう。ブラッディ・レズリーのアジトの中に、何があるかわからないのだから」
 ジェーンがよく通る声で告げると、保安官たちは頷きはしなかったが、特に反論の声は上げなかった。
「沈黙は肯定と見なすわよ。……さあ、みんな! 行くわよ!」
 ジェーンの後ろから、わああああっと野太い声が湧いた。

 かくして、フェリックスとジェーンが先頭を歩き、その後を賞金稼ぎと保安官たちの混合部隊が追う……という図式ができあがった。
 民家から出てきた女性は、異様な集団を見てすぐに引っこんでしまう。
 そんなことは気にせず、一同は黙って歩き続けた。
 ジェーンでさえ軽口を叩かない。緊張しているのだろう。
 町から少し離れたところに、その大きな屋敷は立っていた。
 見上げて、フェリックスは目をすがめた。
「見たところ、門番もいないみたいね。こんなもの?」
 ジェーンはざっと確認し、肩をすくめる。
「キッドは、中で迎え撃つつもりなんだろう」
 フェリックスはホルスターから銃を取り出し、手によく馴染んだそれに安心感を覚える。
「行こう」
 大きな声ではなかったが、静まりかえったその場に、フェリックスの声はよく通った。