Chapter 3. Promise

約束


 分厚く締め切られたカーテンの隙間から、ビヴァリーは近づいてくる混合部隊の様子をうかがっていた。
「ざっと、五十か。こちらは百の悪魔憑き。……余裕だな」
 ビヴァリーは勝利を疑う様子もなく、笑っていた。
 ここは三階にある応接室で、ブラッディ・レズリーの主要メンバーが皆揃っていた。……といっても、四人しかいなかったが。
「エウスタシオ、お前がこっちに来るとはな。まあ、あっち側なら容赦なく殺されるだろうから、正解ではあるが。あの女を守らなくて良いのか?」
 彼は、後ろに佇んでいた少年を振り返った。彼の胸にはもう、バッジはない。
「……ええ」
 頷くと、ビヴァリーは鼻を鳴らしてエウスタシオから目をそらした。
「ああ、そうだ。ロビン。万が一にも悪魔がエヴァンを殺さないように、指示を出しておいてくれ。といっても、下級すぎるとお前の指示も聞けないだろう。そのときのために、彼の近くにいて守るように」
 ビヴァリーは、けだるそうに椅子に座るロビンに指示を出した。
「めーんどくせえっ! てめえは、どこまであの弟にこだわるつもりなんだよ!」
「仕方あるまい。この世でたった一人の血族で、私が唯一愛している存在なのだから」
 ビヴァリーが目を細めると、ロビンは「けっ」と言葉を吐いていた。
 エウスタシオは顔色を変えないようにしながらも、寒気を覚えた。
 クルーエル・キッドことビヴァリーの口にする「愛」は、どこか歪んでおかしく感じる。
(フィービー様にあんなことをした私が、言えた義理じゃないのかもしれませんけどね……)
 エウスタシオが床に視線を落としたとき、ビヴァリーが窓から離れて近づいてきた。
「ああ、そうだ。ルースを移さなければ……。エウスタシオ――――いや、ヴラド」
 ビヴァリーはエウスタシオの後ろで壁にもたれるヴラドへと、視線を移した。
「ルースの部屋に行き、地下牢に」
「わかった。だが、なぜだ?」
「この屋敷中が、戦場になる。あの部屋は、外から破られるとおしまいだ。ルースは、頑丈な地下牢に」
「……そういうことか。了解」
 ヴラドは肩をすくめ、すぐに出ていってしまった。
 エウスタシオは彼を見送った後、ビヴァリーと目を合わせる。
「お前には、甘いところがあるからな。ルースを助ける可能性が、なきにしもあらずだろう?」
「心外ですね。あんな娘、助ける気なんてありませんよ」
 皮肉な笑みを浮かべて、エウスタシオはロビンの横にあった椅子に腰かけた。
「同じエンプティなのに?」
「どうでもいいですね」
「だが、あの子の方がお前より役に立つぞ。……エンプティとしては」
 ビヴァリーはそう言って、自分で笑っていた。
 エウスタシオは、傷ついたりはしなかった。
 もう、やりたくなかった。あのような戦いは。
「でも、あの子がやることは一般的な悪魔召喚と一緒じゃないんですか?」
「まあそうだ。だが、悪魔召喚の手順は面倒だ。あの人数を一気にやるなど、本来はもっとかかる。それに、召喚には失敗の可能性が付きものだ。ブラックマザーの力は、得がたいものだよ」
 酔ったように語るビヴァリーに、もちろん共感はできなかった。
 シエテの首領も、悪魔について研究していた。今も実験中の悪魔憑依の薬も、あと少しでできるところだった。
 彼が失敗したのは、南大陸を出てここに来てしまったことだろう。こっちの方が豊かだから、実入りが良くなると思ったのだろう。
 だが、彼は知らなかった。この西部に、とんでもない悪党がいたことを……。
 キッドはシエテの噂を聞くなり、首領に手紙を送ってきた。そして、幹部だけで会った。
 エウスタシオ以外の幹部は皆、死んでいる。もちろん、キッドが処分したのだ。エウスタシオが生かされたのは、キッドの気まぐれな慈悲のせいか、『元エンプティなら使えるかもしれない』と思ったせいだろう。
 実際、エウスタシオはキッドことビヴァリーに使われる羽目になった。
 エウスタシオがこの世で一番憎んでいるのは、シエテの首領だ。それは、いつまでも変わらない。
 そんなエウスタシオでも、シエテの首領よりもビヴァリーは恐ろしいのではないかと感じることが多々あった。
 対して弟のエヴァンがあまりにもまともで、兄弟でこれほど異なるのかと思うほどだ。
 エヴァンは悪魔を滅することを望み、ビヴァリーは悪魔を使役することを渇望した。資質は同じでありながら――――本当に、対称的な兄弟だ。
 しばらくして、ヴラドが帰ってきた。
「早かったな。ルースは抵抗しなかったのか」
 ビヴァリーが感心したように言うと、ヴラドは首を振った。
「眠っていた。私が抱き上げても、起きなかったな。おかげで楽だったが」
「ブラックマザーの力を、一気に使ったからな。疲れているんだろう」
 ビヴァリーは優しく微笑んだ。まるで、彼女を本当に労っているかのように。
「そろそろ、ロビン。下に行け。あとは全部任せるぞ」
「けーっ。ほんっとに人使い荒いよな、お前!」
 文句を言いながらも、ロビンは立ち上がって、さっさと出ていってしまった。
「私たちは、ここで待機しておけばいいだろう」
 ビヴァリーはにっこり笑って、豪奢な椅子に腰かけた。
「……よく、あんな上級の悪魔を従えられましたね」
 エウスタシオの言に、ビヴァリーの目が輝く。
「まあね。コツがあるんだ。だが、そろそろあの体が限界だな。いかにエンプティといえど、永遠には悪魔を宿せないものなのか」
「そうですね。天使や精霊ならともかく、悪魔は……。人間を蝕む存在ですから」
「ふうん。お前がまだ、エンプティなら良かったのに。惜しいな」
 ビヴァリーはこうして、非人道的な言葉を平然と口にする。これが、この男の怖いところの一つと言えた。
「新しくエンプティを捜さねば、な」
 ビヴァリーは決戦前とは思えぬ、暢気さだった。実際、彼は負けるとは思っていない。
 エウスタシオは、ここに来てフェリックスたちの勝機が薄いことを思い知った。ビヴァリーは、密かにあれだけの人数を集めていた。更に、彼らに悪魔を宿すことによって戦力を増強したのだ。
 いかに歴戦の賞金稼ぎや保安官といえど、苦しい戦いになるだろう。
(敵方の倍以上の人数が、必要でしたね……。それでも、やっとというところか)
 自分にできることは何だろう、とエウスタシオは考える。
 今日、フェリックスたちに味方して戦えば……二重の裏切りが知れて、エウスタシオは殺されるだろう。
(なら、もうしばらくは裏切り者でいないと――――)
 そう考えて目を伏せたとき、ビヴァリーが声をかけてきた。
「どうしたんだ?」
「……いえ。あの、ルビィはどうするつもりなんですか?」
 咄嗟に話題を変えると、ビヴァリーは平坦な表情になった。
「ああ……まあ、どうでもいいな。スナイパーは惜しいが、証人保護された人間を捜すのは面倒だ」
 できない、ではなく、面倒だとビヴァリーは言い切っていた。
「あなたは、あれほどルビィに執着していたのに?」
「私が? 面白い見解だ。私はルビィに執着していたわけではない。あれは、代理だ。だから男の服を着せた。一心に私を慕うあの子は、少し私の心を癒やしてくれたよ」
 とことん歪んでいる、とエウスタシオは舌打ちをこらえる。
 ビヴァリーが執着するのは、エヴァンだけだ。ルビィは代理で、大切にされているように感じていたに過ぎない。
「もう、ルビィはどうでもいい。彼女の証言のおかげで、大量の敵がここに踏み込む。実験には最良だ。私はエヴァンを取り戻し、堂々と悪魔の力を使って政府を樹立するんだ。私たちの国だ。最高だろう? エウスタシオ」
 芝居がかった口調で宣言し、ビヴァリーはエウスタシオをねめつける。
「……ええ」
「君ならわかってくれると思った。私やエヴァンのような、悪魔を見られる者。ルースや君のようなエンプティ。いずれも、選ばれし者だ。悪魔祓いはその力で悪魔を祓うが、馬鹿馬鹿しい! 悪魔は利用すればいいのだよ。シエテの首領は先鋭的だったね。本当に、彼は得難い人間だった」
 ビヴァリーは首を傾げ、自ら殺した男を褒め称えていた。
「そう……ですね」
 エウスタシオは、無理に笑わず無表情で答えた。
「ああ、これはすまない。君にとっては、傷をえぐることになったか。……さあて、そろそろ始まるな。見物に行ってもいいが、巻き込まれないようにね、エウスタシオにヴラド」
 ビヴァリーに許可を出されたものの、二人はどちらも動かなかった。
 その様を見て、ビヴァリーは哄笑する。
「エウスタシオには是非、あの保安官を殺して私に忠誠を示して欲しいところだったんだがな」
「……殺しましたよ」
「本当か?」
「ええ。毒殺しましたので、ここには来ていない。疑うなら、彼女が来ていないことを確かめてはどうでしょう」
 エウスタシオが涼しい顔で言い切ると、ビヴァリーは口の端を上げてヴラドに顔を向けた。
「確認を頼む。アレクサンドラなら、先頭を切って入ってくるはずだ。彼女の存在の有無を確かめるだけでいい。その後は、帰ってきてもいい」
「わかった」
 ヴラドは渋い顔一つ見せず、頷いて扉の向こうへ消えていった。
 ビヴァリーと二人きりになったことに気づいて、エウスタシオは薄ら寒い気持ちになる。
「酒でも飲むか? エウスタシオ。真っ赤なワインでも」
 彼はあくまで、にこやかだった。



 玄関の大きな扉を数人がかりで体当たりして開こうとしたが、そもそも鍵が閉まっていなかった。
 体当たりをした者たちは、倒れそうになりながらも何とか踏みとどまる。
 その中のひとりであるジェーンは、舌打ちした。
「……妙ね」
「自信があるんだろう」
 ジェーンに並び、フェリックスはそう囁き――――黒々と続く廊下を見た。
 心得たように、男たちは扉を大きく開いて光源を得ようとする。
 だが、日光の届く範囲には誰もいなかった。
「フェリックス。どうする? 私は先頭を切るわ。でも、あんたは後ろにいた方がいいんじゃない?」
「そうもいかない。俺が、盾になれるかもしれない」
 まだ、ビヴァリーがエヴァンに執着しているなら。殺すな、という指示が出ているはずだ。
「……俺とジェーンが先頭を行く。適宜、ついて来てくれ。分散は止めておこう。この屋敷は、得体が知れない」
 後ろに指示を飛ばすと、彼らは黙って頷いた。
 そして、フェリックスとジェーンはできるだけ足音を立てないように歩き始めた。もちろんフェリックスは銃を、ジェーンはショットガンとナイフを隙なく構えている。
 どれだけ、進んだことだろう。いきなり、扉が現れた。
 フェリックスが、取っ手に手をかける。案の定、施錠はされていなかった。
「……開けるぞ」
 そうして、扉を蹴破った瞬間――――一同は、驚愕した。そこには、様子のおかしい男たちが所狭しと集まっていたからだ。
 元来、広い部屋なのだろうが、尋常な人数ではないせいで狭く見える。
 驚いていた間は、一瞬だったろう。だが、その一瞬で男たちはフェリックスたちに一斉に飛びかかってきた。
「みんな、応戦しなさい! こんなの、手加減できる人数じゃないわ!」
 ジェーンの声をどこか遠くに聞きながら、フェリックスは的確に一人一人の心臓に弾を撃ち込んでいった。

 善戦は、した。だが、人数が違いすぎた。更に、彼らは悪魔憑き状態なのだろう。身体能力が異常に上がっており、味方は次々とやられていった。
「ジェーン! 撤退だ! 生きてる奴を連れて、出てってくれ!」
「何ですって!? あんたはどうするのよ、フェリックス!」
 互いに、敵と取っ組み合いながら、怒鳴るように会話を交わす。
「俺は殺されない! それに、ここで退くわけにはいかない……。ジェーン、頼む! 増援を連れて戻ってきてくれ!」
「簡単に、言ってくれるわね!」
 ジェーンは敵を蹴飛ばし、心臓にナイフを突き立てながら叫んだ。
 だが、ジェーンにもよくわかっているだろう。このままでは、待っているのは全滅でしかないと。
「わかったわ……。みんな! 撤退よ! 歩けない怪我人を背負って! もう息がない人は、残念だけど置いていきましょう!」
 ジェーンの指示に、生き残っていた男たちはしゃにむに飛びついた。
 悪魔憑きの人間など、相手にしたことがなかったのだろう。逃げるように、彼らは怪我人を引きずって撤退していく。
「ジェーン、あんたも行け!」
 フェリックスが怒鳴ると、ジェーンはためらった。
「頼む!」
 その一言で意志が固まったのか、ジェーンはショットガンで敵を吹っ飛ばした後、フェリックスを残して走っていった。
 そうして、フェリックスに悪魔憑きたちが群がるかと思ったが――
「そこまで」
 よく通る声が響いた途端、悪魔憑きたちは足を止めた。
 彼らの間を縫って、金髪の男がやってくる。
「……度胸があるな。エヴァン」
 にこりと笑って、背の低い男はフェリックスの前に立った。
「あんたは――」
「ロビンと呼ばれている」
 彼は人間にしか見えなかった。悪魔の気配すらない。だが、彼の一言で悪魔たちは言うことを聞いた。つまり、彼は――上級、いや特級の悪魔なのだろう。
「…………俺をどうするつもりだ?」
「捕らえろという命令だ。抵抗はするなよ? 俺の一言で、あんたはこいつらに襲われるんだから」
「了解」
 フェリックスが頷くと、ロビンはフェリックスから銃を奪った。
「さあ、付いてくるんだ」