3. Promise

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 ロビンは、地下牢へとフェリックスを誘った。
 隣の牢屋にルースがいて驚いたが、彼女はベッドで眠っていた。
 声をかける暇もなく、フェリックスは牢屋に押し込まれる。牢屋といっても、ベッドは随分寝心地が良さそうだったし、ご丁寧なことに洗面所などは併設されている小部屋にあると説明された。
「さあ、しばらくそこで沙汰を待つんだな」
 ロビンは牢の鍵をしっかりとかけた後、去っていった。
 彼が行ったことを確認して、フェリックスは「ルース!」と叫ぶ。だが、深い眠りの中にいるのか、ルースは目を覚まさなかった。あの悪魔憑きたちには、ルースの力を使ったのだろう。目覚めないはずだ。
 舌打ちをして、フェリックスはベッドに座る。
 ルースさえ逃がせれば……と思う。
「いや、だめだな」
 ルースを逃がしても、またビヴァリーに捕まる。
 ブラッディ・レズリーは、何やら薬で悪魔を憑かせる実験をしていたが、まだ完成とは言えないのだろう。
「…………」
 フェリックスは横たわり、体中に走る痛みに顔をしかめた。あの乱戦で、あちこち傷を負っていた。深い傷はひとつもないのが、救いだった。
 そうしてフェリックスはいつしか、眠りに落ちていた。



 気がつくと、見覚えのない場所にいた。
「ここ……どこ」
 ふかふかしたベッド。簡素な椅子。一件、ただの狭い部屋だと思うだろう。――前に、鉄格子がなければ。
 ルースが閉じ込められていた部屋と、変わっている。いつの間に移動させられたのだろう。
「だ、誰か! いないの!? 牢屋なんて、聞いてないわよ!」
 ベッドから飛び降りて、ルースは鉄格子をつかんで叫ぶ。
「……ルース?」
 聞き覚えのある声が響いて、ルースは横を向いた。壁越しに、フェリックスの声が聞こえたのだ。
「フェリックス!」
 ルースは思わず、壁に飛びついた。
「そこに、いるのね? どうして……」
「まあ、落ち着け。少し話そう。ルース、お前の部屋にも椅子があるだろう。それをなるべく壁に近づけて、座るんだ」
「……わかったわ」
 フェリックスの冷静な指示に、ルースの頭も冷える。ルースは椅子を壁際まで引きずり、座った。
「まず、状況把握といこう。ルース、あの男たちに悪魔を降ろしたのはお前だな?」
「…………ごめんなさい。家族を殺すって言われて、逆らえなかった」
「まあ、兄貴ならそう言うだろうな。仕方ない」
 フェリックスの声に、責める響きは含まれていなかった。
「それで、あんたたちの方はどうなってたの……?」
「証言が取れたから、保安官と賞金稼ぎをかき集めて屋敷に踏み入ったんだ。……だが、相手の数が多すぎた」
 フェリックスが生きているのは、ビヴァリーの命令だろう。彼は、異常なまでに弟に執着しているのだから。
「みんな……どうなったの? フィービーや、エウスタシオさんや……ジェーンさんは!」
「心配するな。ジェーンは無事に逃げたよ。フィービーは元々、踏み入ってない」
「フィービーが?」
 あの、最も先陣を切りそうなフィービーが踏み入っていないとは、おかしな話だった。
「エウスタシオは……」
 フェリックスがそう言いかけたところで、足音が響いて誰かがやって来た。ちょうど、話題に上がっていた人物……エウスタシオだ。
「どうして、エウスタシオさんが?」
 鉄格子越しに、秀麗な顔立ちの保安官補をまじまじと見つめる。
 彼はふっと笑って、ルースに一礼した。
「どうも、ルース。私は裏切り者ですよ」
「裏切り……!?」
「からかうなよ。……二重スパイだから、一応俺たちの味方だ」
 フェリックスは声をひそめて、そう告げた。
(二重スパイってことは……ブラッディ・レズリーに協力しているふりをして、こちらの味方ってこと?)
 ルースが眉をひそめると、エウスタシオは軽やかに笑った。
「すみませんね。ですが、彼の言っている通りですよ」
 そこでエウスタシオはフェリックスの方の牢屋に行ってしまい、ルースからは姿が見えなくなってしまった。声だけが聞こえてくる。
「……幸運なことに、私はしばらくの信頼を得ました。少しの間なら、誰もここには来ないでしょう。とはいえ、長くはいられませんので報告を手短に済ませます。まず、ヴラドの部屋を漁りましたが、資料らしきものは出てきませんでした。彼を殺してはいけない、とだけ伝えておきましょう」
「……そうか。まあ、そうだろうな。ロマは元々、口承の民だ。ヴラドだけは捕らえておきたいな」
「鍵は何とか、調達しましょう。ですが、これから夜が来る。夜には動かない方がいいでしょう。朝に来ます」
「了解。エウスタシオ……鍵を渡したら、お前は逃げろ」
「しかし――」
「さすがにそこまでしたら、ビヴァリーは気づく。さっさと逃げろ」
「ですが、あなただけでどうやって戦うというのです。あの悪魔憑き共は、まだまだいますよ」
「そうだな……。でも、お前がいても一緒だ」
 フェリックスの言葉に、エウスタシオは沈黙していた。
(それは、そうよね)
 あの人数の悪魔憑き相手に、一人増えたところで戦況は変わらないだろう。
「幸い、俺は殺されないはずだ。ルースも利用価値があるから、同じだ。だが、お前は違う。ビヴァリーの残酷さを、知ってるだろう。特に裏切り者は、ひどい殺し方をされる。もう、お前は十分戦ってくれた。……逃げてくれ。朝に実行するから、フィービーもまだ目覚めない内にカタをつける。約束するさ……」
 エウスタシオはしばらく沈黙した後、「わかりました」と小さく返事をした。
「それでは、これで一旦」
「ああ」
 エウスタシオはフェリックスに別れを告げた後、ルースにも頭を下げて早足で行ってしまった。
「……ねえ、フェリックス。あたし、何が何だかわからないんだけど」
「とりあえず、エウスタシオは味方だと把握してくれ。それだけでいい」
「でも、フィービーは置いてきたの? ……わからないわ」
「そりゃそうだ。エウスタシオは俺の味方ではあるが、保安官たちを裏切っていたんだから」
 フェリックスの答えに、ルースは目をむいた。
「何ですって?」
「情報の横流しだ。だからブラッディ・レズリーは、上手く立ち回れたんだ。あいつも、したくてしたわけじゃない。エウスタシオは、お前と同じ素質を持っていた。エンプティだったんだ。だが、シエテというギャングで無茶な使い方をされて、もう力は使えなくなった。自分の家族を殺し、自分をさらったシエテの首領を深く恨んだエウスタシオは、クルーエル・キッドことビヴァリーと接触した」
「そこで……つながりが生まれたのね」
「ああ。顔を知ってしまった。エウスタシオは、仲間になれという誘いを断り刑務所に入った。そこでフィービーが、手を差し伸べて保安官補までにしたのさ。だが、そんなエウスタシオはキッドにすぐ見つかって脅された。情報の代わりに、フィービーの命が保証されたんだ」
「そんな……」
 エウスタシオの事情を知って、ルースは言葉をなくした。
「だけど、あいつはそのまま使われるのをよしとしなかった。エウスタシオは、俺に接触を図ってきたんだ。エウスタシオは俺に色々と情報をくれた」
「……あんたが、唯一ビヴァリーに殺されない人間だから?」
「それもある。とにかく、エウスタシオの話はこんなところだ」
 そこで、ふとルースは胸に湧いた疑問を口にした。
「なら、どうしてエウスタシオさんはあんたを追いかけてたの? 例の事件は、何だったの?」
「ああ……俺がブラッディ・レズリーを逃がした事件、か。あれは本当にビヴァリーが追われてて、俺と出くわしたんだよ。ビヴァリーは、俺に仲間になれと声をかけてきた。だが、保安官たちが来て……ビヴァリーは忽然と姿を消したんだ。ロビンの力なんだろうな」
「なら、あんたは逃がしたわけじゃないのね」
「当たり前だろ。むしろ、捕まえようとした。だが、反対に俺が怪しいとされて捕まってしまった。そこでエウスタシオが、俺に口止めしてきたんだ」
 口止め、とルースは反復する。
「エウスタシオは、表面上はブラッディ・レズリーの協力者だからな。エウスタシオが俺の証言を止めないと、おかしいわけだ」
「……なるほどね」
「ああ。それに、俺を泳がせることによってフィービーとエウスタシオは、俺を追う理由を得た。これがエウスタシオと俺の狙いだ。ブラッディ・レズリーの事件には、悪魔が絡む。フィービーへの危険を減らすためにも、エウスタシオは俺のいるところに現れる理由が必要だったんだ。エウスタシオはエンプティというシャーマンだが、悪魔は見えない。お前と同じだよ」
 ルースは改めて、自分の腹部を見下ろした。そうだ、ルースには悪魔は見えなかった。ジョナサンも、天使を宿すまではそうだったろう。フェリックスの養父もそうだと言っていた。
「基本的に、“エンプティ”と“見る力”は両立しない性質なのね」
「そういうことだ。ヴラドは、どうやら見る力はあるみたいだな。だから実験に協力をしていたんだろう」
 フェリックスは一旦、間を置いてから話を続けた。
「エウスタシオの話に戻ろう。フィービーには、エウスタシオが薬を盛った。殺すためじゃない。今日、突入させないためだ」
「エウスタシオさんは、あれだけの規模を集めていると知っていたの?」
「まさか。だけど、エウスタシオはどうしても嫌だったんだ。フィービーが死ぬのが。あいつにとっては、恩人だからな。フィービーは真っ先に踏み込むし、ジェーンほど器用に立ち回れない。今日踏み込んでいたら、死ぬ可能性が高かっただろう」
 そこで、ルースは想像してしまった。フィービーが倒れ、茶色の髪がほどけ、床に広がる光景を。
「エウスタシオがフィービーを庇って戦っても、難しい。それに、ここでエウスタシオが保安官側につくとエウスタシオも殺される。ビヴァリーは、保安官や賞金稼ぎを招いて一掃する計画を立てていたんだろう。だから敢えてフィービーを置いて、エウスタシオは味方の振りをしてここに来たんだ」
「……よく、わかったわ。でも、大丈夫かしら。あたし、あのアーサーだかビヴァリーだかに会ったけど……すごく怖かったわ。全て見抜かれているみたいで、ひどく冷たくて」
 一気に言ってしまってから、ルースはハッとする。いくら敵対しているとはいえ、ビヴァリーはフェリックスの兄だ。
「ま、そうだろうな。兄貴は、歪んでるんだ。でもエウスタシオは、しばらくの信頼を得たって言ってたから、おそらく大丈夫だ。確証のないことを言う奴じゃない」
「それなら、良かったけど……。フェリックス。あたしたちは明日、どうするの? エウスタシオさんは逃げるとして、あんたは……」