Chapter 4. Good Bye, My Brother

さよなら、兄弟


 地面に叩きつけられる、と覚悟したのに、誰かに抱き留められて、ルースはたいそう驚いた。
「え……?」
「び、びっくりした」
「全くだ。なぜ、小娘が降ってくるんだ」
 ルースを受け止めたのは、ジェーン。その隣にいたのは、フィービーだった。
「な、なん、で……」
「これから踏み込む予定だったのよ。少し作戦を変えて、少数精鋭で抜けていこうかって」
 ジェーンに丁寧に説明されたが、ルースの疑問は隣の存在にあった。
「だって、フィービーはしばらく目覚めないはずって」
「ああ……それね。ちょっと退きましょう、フィービー。この子を安全なところにやらないと」
「わかった」
 わけのわからないルースをよそにジェーンとフィービーは頷き合い、庭からこっそりと塀を越えて出ていく。ルースは一人では登れなかったので、ジェーンに手伝ってもらって、無事に向こう側に下りることが出来た。

 そのまま一旦、ルースは町に連れていかれた。
 サルーンに入った途端、足の力が抜けそうになる。
「大丈夫? お嬢ちゃん。マスター! レモネードをこの子に! 私と、この保安官にはウィスキー……と言いたいところだけど、砂糖少なめのレモネードね!」
 ジェーンが三人分の注文を済ませた後、三人は席に座った。
「まず、説明しておくわ。フィービーには、毒があまり効かなかったみたい。夜明けに、自力で起きて出て来たわ」
「……毒?」
 ルースは眉をひそめて、フィービーを見る。
 彼女は面白くなさそうに、腕を組んでいた。
 ジェーンはどうやら、フィービーがエウスタシオに薬を飲まされたとは知らないらしい。
(エウスタシオさんの、計算ミスね)
 フィービーが薬に強い体質だったのか、耐性があったのか、たまたま効きが悪かったのか、それとも根性の力なのか……。ルースには、わからなかった。
「それで、どうしてあそこに?」
「……どうしても、あの子を見捨てられなくて。どうにかして、潜入できないかうかがっていたの。フィービーは、勝手についてきたのよ。もう人数もろくにいないし、正面突破は無理だしね。お嬢ちゃんが出て来た窓は良さそうだったけど、あそこは足がかりが何もない。中から出られても、外から入るのは難しいわ。それに、お嬢ちゃんが使ったから、あそこも封鎖されるでしょうね」
 ルースの質問に、ジェーンは運ばれてきたレモネードをぐっとあおった後、答えた。
「ごめんなさい」
「あら、謝ることないわよ。よく脱出できたものだわ」
「そ、それよりジェーンさん! もう、悪魔憑きはいなくなっているはずです! あたしが、この力で還したから……」
 ルースが訴えると、ジェーンもフィービーもぽかんとしていた。
「どういうこと? お嬢ちゃんに、そんな力あったっけ?」
「実は……そういう力が、あって。フェリックスから、聞いてたでしょ。カロの娘がどうとか……」
「ああ、そういえば。え? それじゃあ、あそこの警備はほとんどいなくなった?」
「はい! あのときは、あたしが歌った直後だから何も起きていないように見えたかもしれないけど――」
 ルースが言い終わらない内に、どやどやとサルーンに男の集団が入ってきた。
「マスター! 気付けのテキーラくれ!」
「俺はビールだ」
「ぼ、僕はウィスキーを」
 カウンターに押しかけて、口々に酒を注文している。
「あら!」
 ジェーンは立ち上がり、男のひとりの肩をつかんで振り向かせた。
「あんた、昨日私に蹴っ飛ばされた奴よね?」
「な、何の話だ。……俺、しばらく記憶がないんだ。あんたのことも知らないよ」
 男は、しどろもどろになっていた。
 ジェーンはそれ以上追求せず、席に戻ってきた。
「お嬢ちゃんの言ってることは、正しいみたいだわ。昨日の敵が、素に戻ってる。悪魔が、落ちたんだわ。……フィービー。あんた、ここでお嬢ちゃんを守っていてくれる?」
「馬鹿を言うな。私は誰にどう言われても、突入するぞ」
「そう言うと思った。なら、信頼できる保安官を一人か二人、手配して。こっちも、二人ほど用意するわ」
「了解」
 フィービーはレモネードを飲み干した後、立ち上がってサルーンから出ていってしまった。
「あの、ジェーンさん」
「お嬢ちゃんは、心配せずに待っておきなさい。あなたは、十分なすべきことをしたわ」
「……でも」
 ぶわっと涙が溢れて、ルースはうつむいた。
「最初に、あの人たちに悪魔を降ろしたのはあたしだもの。そのせいで、たくさんの人が死んだのでしょう?」
「――まあね。でも、キッドに脅された結果でしょう? お嬢ちゃんは、そのときは自分が悪魔を還せるなんて知らなかった。違う?」
「その通りなの。あたしにもよくわからないけど、できる……って思って」
 ルースが説明すると、ジェーンは黙って耳を傾けてくれた。
 そうこうしている内に、フィービーが戻ってくる。
 彼女は、背の高い男を二人連れていた。
「連邦保安官と、保安官補だ。……この小娘の保護を頼む。先ほどまで、ブラッディ・レズリーに捕らわれていたんだ」
 フィービーの指示に、彼らは殊勝に頷いていた。
「それじゃ、私も」
 ジェーンも腰を上げ、近くで食事を取っていた鋭い目つきの男と、黒髪の女に声をかけていた。
「……それじゃ、頼んだわよ。お嬢ちゃん、この二人にも護衛を頼んだから。ここにいてもいいし、上は宿屋になってるから部屋で休んでいてもいいわ」
「はい」
 ルースが頷いている間に、保安官たちがフィービーとジェーンが座っていた席に着き、賞金稼ぎとおぼしき二人が近くの席に陣取った。
「それじゃあ、私たちは行ってくるわ。おとなしくしておくのよ」
 ジェーンは忠告した後、何人かの男を伴って出ていった。それに、フィービーも続く。
 一気に静かになったサルーンで、ルースはレモネードを一口含む。その甘酸っぱさで、ずっと張っていた気が少しだけ緩んだ。



 フェリックスは、静かな廊下を早足で歩き続けた。
 恐ろしいほど、ひとがいない。
(兄貴は、護衛を雇っていないのか?)
 曲がり角では逐一様子をうかがいながら、進んでいく。昨日、エウスタシオからもらった地図をじっくり読み込んで頭にたたき込んだおかげで、迷わず進めた。
 ――兄の待つ、部屋へ。
 とうとう目的の部屋がある廊下に差しかかり、フェリックスは銃把を握り直す。
 既に、ロビンは異変に気づいたろう。ビヴァリーも起きているはずだ。
 ビヴァリーだけ、仕留めればいい。そうすれば、ロビンとの契約はなくなる。
 フェリックスは目的の部屋のドアを蹴破り、銃を構え――一瞬で照準を合わせた。
 椅子に座り、けだるそうにしていたビヴァリーが顔を上げたときにはもう、引き金が引かれかかっていた。
 絶対に負けることのない“西部の伝説”を使っての早撃ちだったのに――――フェリックスの右手は、銃を撃つ前に撃ち抜かれていた。
 手首を打たれたせいで銃は、床に落ちた。更に、ビヴァリーはフェリックスの左足まで撃ち抜く。
 呻いて膝をつき、顔を上げたときには銃を踏まれていた。ビヴァリーは銃を片手に、微笑んでいた。素早く、左のホルスターの銃も奪われる。
「お前だけが“西部の伝説”の使い手と、思ったか?」
「……まさか、お前も」
 ビヴァリーは、フェリックスの頬を張った。
「兄さん、と呼びなさい」
 怒りに打ち震えるフェリックスを見て、ビヴァリーは嬉しそうに目を細めていた。
「ヴラド」
 ビヴァリーの指示で、いつの間にか傍にいたヴラドがフェリックスを拘束する。
「そこの椅子にでも、縛りつけておけ」
「ああ」
 フェリックスは抵抗したが、この怪我でできる抵抗で解放されるはずもなかった。
 あっという間に捕らわれて、フェリックスは椅子に縛りつけられた。
「やれやれ。無謀な奴だ。逃げりゃ良かったのに」
 部屋の奥から、ロビンがやってきた。あらかじめ、三人で待機していたのだろう。
「まあまあ。エヴァンが浅はかなのは、昔からのことだ。大丈夫だよ、エヴァン。手当してあげるからね」
 自分で撃ったというのに、ビヴァリーは甘い声を出して微笑んだ。
 ビヴァリーは戸棚にあった箱を持ってきて、フェリックスの傍に跪いた。
「ああ……水がいるな。ロビン」
「へいへい」
 ロビンは面倒そうにしながらも、すぐに水をたたえた盥を持ってきた。
 ビヴァリーは盥を持ち上げ、手を洗うように言う。フェリックスは右手を水につけた。傷に染みて、叫びそうになる。
「心配ない。弾は貫通しているからね。この家には、よく効く薬もある。あとで医者も呼んでやるから、我慢するんだよ」
 あくまでビヴァリーは、フェリックスの兄として振る舞っていた。命を狙った者と、狙われた者としてでなく。
「いつ……」
「うん?」
「いつ、“西部の伝説”を身に着けたんだ。あんたに、教える奴がいたとは思えない」
 フェリックスが睨みつけると、ビヴァリーは笑って赤く染まった水に満ちた盥を床に置いた。
「ま、少し拷問してね」
「…………最低だな」
「仕方ないだろう。教えてくれ、と言ったのに教えてくれなかったんだから。だが、計算外だったろう? エヴァン。お前は、エスペルしか生き残りはいないと考えていた。もうひとり、いたんだよ。ま、教わった後に殺したから、もういないんだけどね」
 ビヴァリーは自分で笑っていたが、他の誰も笑わなかった。
「……兄貴……」
「何だい?」
「どうして、そんなひどい奴になったんだ」
 フェリックスの子供めいた質問に、ビヴァリーは口の端を上げた。
「お前が、私を見捨てたからだよ」
「…………! あのとき、言ってくれれば……」
「うるさい!」
 ビヴァリーは怒鳴って、立ち上がった。
「……まあ、どうでもいい。私は、おかげで良い方法を思いついたんだから」
「良い方法だって?」
「ああ。あの女――――私たちの母親は、私たちの才能を忌み嫌った。だからこそ、逆手に取れば良いと思いついたんだよ。悪魔を使役し、世界を支配する。……まずは、この西部からね。薬の開発も、あと少しだ。実験は、もう十分。ブラックマザーも、もちろん利用させてもらう。ブラックマザーの力はたしかだ。保安官と賞金稼ぎは脅威ではないが、ただ邪魔だから実験ついでに一掃しようとしたまでだ」
 ビヴァリーの目的を知り、フェリックスは身を震わせた。予想していたことではあったが、本人の口から聞くと、より衝撃的に響いた。
「何を、顔をしかめている? 私は、お前のためにここまでやったんだよ?」
「……俺のために?」
「そうだ。お前の居場所を確保するためだ。悪魔を見抜く力は、偉大な才能だ。それを最大限に活かせる場だと思わないか?」
「思わない。悪魔は祓うものだ」
「祓っても祓っても、湧き出てくるものさ。人間自体が醜いからな。だから、悪魔祓いなんてやってもやってもキリがない行為だ。感謝されることも少ないし、人々は奇異の目で見る。そうだろう?」
「…………」
 フェリックスは答えず、うつむいた。
 たしかに、悪魔祓いは理解されにくい職業だ。しかも、西部には悪魔祓いは数えるほどしかいない。そのせいもあって、地位を得られていない。
「私はずっと、お前のためにやってきた。あの女も、殺してやった。血まみれのあの女を想起させる、ブラッディ・レズリーという名前を付けたギャングを立ち上げた。それも、お前が生きやすい楽園を作るためだった。なぜ、喜ばない?」
 ビヴァリーはフェリックスの頬に手を当て、優しく囁いた。
 母に折檻された後、慰めてくれた兄の顔を思い出す。
「牧師様は、この力は神の恩寵だと言っていた。正しく使いなさいと……。悪魔を使って、世界を支配しようなんざ、真っ平だ!」
 フェリックスが叫ぶと、ビヴァリーは首を傾げてフェリックスの右手首を握った。
「…………っ!」
「口には気をつけなさい、エヴァン。お前には、仲間になってもらうんだからね。だが、頭領はこの私だ。私に逆らわないように。いくらでも、言うことを聞かせる方法はあるんだよ」
 淡々と言い放つビヴァリーを睨んでも、その笑みが崩れることはなかった。
「やれやれ。手当を続けるか」
 ビヴァリーはさっきの箱を漁り、包帯を取り出し、フェリックスのブーツを脱がせ、ズボンの裾を上げて、ふくらはぎに穿たれた傷口の血を、いつの間にかロビンが汲んできていた新しい水で洗い流した。
 ガーゼに消毒液をしみこませて、どちらの傷口にも消毒を施す。最後にしっかりと包帯を巻いて、ビヴァリーは満足そうに笑った。
「やれやれ、これで一安心か。……彼らの様子を見に行くか。ヴラド、付いてこい。ロビンは、ここに」
 二人は頷き、ビヴァリーはヴラドだけを伴って出ていった。
 残されたロビンは、フェリックスを無表情で見下ろしてきた。