5. A Little Break
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養父の魂を見送った後、フェリックスは急激な眠気を覚えてベッドに倒れ込んだ。
鎮痛剤のせいだろうか。早朝から続いていた緊張が切れたせいか。それとも、単なる疲労のせいなのか。
浅い夢の中に、兄が出てきた。
ビヴァリーは美しい顔で、笑っている。初めは、少年の姿で。次いで、成長した姿で。
そして、フェリックスは銃を撃つ。
現実とは違って、ビヴァリーは撃ち返すこともなく床に倒れ込む。血が、じわじわと広がっていく。
兄さん、とフェリックスは――エヴァンは呼ぶ。すると、ビヴァリーは目を開いた。ただ、その目は生きている目ではなかった。死人の目に、臆病なエヴァンは叫ぶ。
「フェリックス、しっかりして!」
揺さぶられて、目を覚ます。そこには、灰色の目を持つ少女がいた。
「ルース……?」
「そうよ。あんた、熱出てるんだって。薬、飲んで」
誰かに背を持ち上げられるようにして、フェリックスは身を起こす。
見れば、ジェーンがルースの隣に座っていた。
ルースが、水の入ったグラスと錠剤を差し出す。
フェリックスはぼんやりしながらも、どうにかグラスを受け取って薬を嚥下した。喉が渇いていたらしく、水を一気に飲んでしまう。
「もっと、飲む? たくさん水を飲まなくちゃ。それに、もうすぐ夕食の時間よ」
「……ああ、水をくれ」
フェリックスがグラスを差し出すと、ルースは重そうな水差しで水を注いだ。
水を飲み干し、フェリックスはグラスを返す。それを受け取ったのは、ジェーンだった。彼女は、また布団に潜るフェリックスを見て渋い顔をする。
「フェリックス、寝るの? ごはんは?」
「無理だ……。眠いし」
「仕方ない子ね。朝食は、しっかり取るのよ。病院に頼み込んだら、ここに泊まってもいいって言われたから、私とお嬢ちゃんはここに泊まるわ。わかった?」
「…………」
返事をする気力もなく、フェリックスは目を閉じる。
ふと、手を握られた。
この小さくて柔らかな手は、ルースだろう。ジェーンはもっと、骨張って大きな手をしている。
「さっき、悪い夢見てたみたいで、うなされてたから……。心配で」
ルースは言い訳するように、手を握り直した。
ルースのおかげか、薬のおかげか、フェリックスはその後は悪夢を見ることなく朝まで眠れたのだった。
窓から差し込む光で、目を覚ます。フェリックスはふと、左手が握られたままであることに気づいた。
ルースが、突っ伏すようにして眠っている。
「……良い子ねえ」
ジェーンの声がして、フェリックスは身を起こす。彼女は隣のベッドに寝転んでいた。
「私が何度もベッドで寝なさい、って言っても抵抗したのよ。ずっと、ついていてあげたい……って」
「どうして」
「そりゃ、察してるんでしょう。あんたが、唯一の肉親を失ったこと。キッドは極悪人だったけど、あんたには優しかったものね。複雑な気持ちでしょう」
「……ああ。殺す覚悟で行ったのに……正直、トドメを刺したのが俺じゃなくて、ホッとしている自分がいるんだ。情けないな」
「まあ、いいじゃない。それで、良かったのよ」
ジェーンに諭され、フェリックスは頬を緩めた。
そのとき、ルースが目を開けた。
「ふああ……。おはよう、フェリックス。よく眠れた?」
「ああ。ルースこそ、寝にくかったんじゃないのか? 別に、ずっと手を握っておかなくても良かったのに」
「…………そ、そう? でも、心配だったから。フェリックスが、うなされるところなんて初めて、見たから……」
ルースは言い訳をしながら、手をそっと放した。
「無粋な男ね。そういうときは、ありがとうの一言でいいでしょ?」
「うるさいな、ジェーン」
「はいはーい。さってと、あんたが起きたなら食事を運んでもらうわ。私とお嬢ちゃんは、またサルーンに戻って食べるわね」
「そもそも、どうして二人が泊まり込むことになったんだ? 一旦、帰ったろ?」
フェリックスの疑問に、ジェーンは横臥の姿勢を取り、答えた。
「そりゃまあ、お嬢ちゃんが様子見に行きたいって言ったから、付き合ったのよ。宴会はみんなぐでんぐでんになってたから、抜けても大丈夫だったし。あれは夕方だったわね。そしたら、ちょうどうなされていて発熱もしてたから、看護婦を呼んだの。傷が原因の発熱だろうから、これを飲ませてって薬をもらったわ。薬飲んだときのことは、覚えているでしょう?」
「そうだな……」
ふと、フェリックスは自分の額に手を当てる。熱はどこにいったのか。冷たいぐらいだった。
「お嬢ちゃんに感謝しなさいよ」
「でも、多分いずれ看護婦さんが見回りで気づいたと思うし……」
ルースは、やけに殊勝だった。いつもの強気な態度がないので、心配になってしまう。
「……じゃ、行こうかしら。あっ、そうだ。お嬢ちゃん。先に出口に行っててくれる? ちょっと、フェリックスと話があるから」
ジェーンの頼みにルースはこくんと頷き、立ち上がって行ってしまった。
扉が閉められ、足音が遠のくのを確認してから、ジェーンはベッドから下りてブーツを履き、フェリックスを見下ろした。
「どうするつもりなの?」
「どうするって?」
「あの子よ。どう見ても、惚れてるじゃない」
「どうするつもりも、ない。ルースとはブラックマザーの件が片付いたら、さよならさ。片付かなくても、他の悪魔祓いに監視を頼むつもりだ。ルースはおそらく、東部に行くから……」
フェリックスが冷たく言い放つと、ジェーンはフェリックスの耳を引っ張った。
「何するんだよ!」
「女の子を傷つけちゃだめ、って師匠や私に教わらなかったのかしら?」
ジェーンに耳元で囁かれて、フェリックスは顔をしかめてジェーンの手を払う。
「傷つけたくて、傷つけるわけじゃない。言ったろ。俺は、西部でさまよう生活だ。そんな生活に、誰も付き合わせるつもりはないって」
「でも、お嬢ちゃんは一緒に行きたいって言ったのでしょう?」
「何だ。ルースから、聞いてたのか」
「まあね。様子が変だから、聞いておいたのよ。あの子には、覚悟があるじゃない。あんたと一緒なら、流浪の生活でも良いって言ってる。元々、ロマの民なんだから抵抗もないんでしょ?」
「そういう問題じゃない」
「……なるほどね。あんたは、怖いのね。大切な人を失ってばかりだったから……大切な人を作りたくないのね」
「…………」
フェリックスは黙り込んだが、ジェーンは続けた。
「傍に、置いておきたくないんでしょう」
「その通りだ。牧師様は俺のせいで死んだ。兄貴は、俺のせいで狂った。俺の周りにいると、ろくなことがない。ジェーンやトゥルーみたいに、たまに会う関係ならいい。でも、ずっと一緒は無理だ」
「失いたくないから、傍にいてほしくない……ね。それじゃあ、半分ぐらい答えは出てるようなもんじゃない? どうでもよかったら、そんなこと言わないでしょ」
図星を突かれて、フェリックスは眉をひそめる。
「結論を急いじゃだめよ、フェリックス。あの子は、待つって言ったんでしょう? あの子の方が大人じゃない、全く。仕方ない子ね」
ジェーンはフェリックスの頬に両手を当てて、引き寄せて額をつけた。
「私はあんたの姉弟子として、あんたが幸福になることを祈ってるのよ」
「…………そういう、ジェーンはどうなんだよ」
「え?」
手を放しながら、ジェーンは首を傾げた。
「もう、復讐は遂げただろ? 南部に帰るのか? 婚約者、いたんだろ」
「あんたねえ。私が南部を出てから、何年経つと思ってるのよ。元婚約者は、とっくに結婚してるはずよ。――でも、そうね。どうしようかしら。南部に戻る気は、あんまりないけど。懸賞金も、もらえるし……賞金稼ぎを引退してもいいわね」
「それが、いいかもな」
キッドの懸賞金は、一生暮らせるような額だったはずだ。
ジェーンが、西部で一番危険な職業を続ける必要もないだろう。
「サルーン経営とか、良いわね。そこで、のんびり余生を送ろうかしら? 結婚はしても、しなくてもいいけど……かわいい男の子からプロポーズされたら、考えようかしら」
のんきな夢語りだったが、ジェーンの表情の穏やかさにつられてフェリックスも微笑んだ。
「ま、私のことはいいのよ。問題は、あんた。静養しながら、考えなさいよ。……ああ、あと昼前にはヴラドを連れてフィービーが来るから。そのとき、また来るわ」
「了解。じゃあ、また」
「ええ、またね」
ジェーンは片目をつむってから、どこか軽い足取りで行ってしまった。
フェリックスが看護婦が持ってきた朝食を平らげ、包帯を替えてもらい、しばらくベッドの上でうとうとしていると……ドアがばんっと開かれた。
案の定、そこにはフィービーが立っていた。
「ヴラドを連れてきたぞ」
フィービーの他、二人の保安官、それにジェーンに伴われて、後ろ手に縛られたヴラドが入ってきた。
彼は右頬が腫れていた。捕らわれるときに、殴られたのだろう。
「悪いが、ジェーン以外は出ておいてくれないか」
フェリックスの頼みに、フィービーは露骨に顔をしかめた。
「私に聞かれたくない話か?」
「……というより、保安官なしで話した方が吐く情報があるんじゃないか、と思って。頼むよ、フィービー。あんたらは、この後いくらでもヴラドを尋問できるだろ?」
「それはそうだが」
フィービーは腕を組んで考え込む素振りを見せた後、「わかった」と頷いた。
「ヴラドは縛られているし、丸腰だ。それに、その女がいれば、護衛は十分だな。下にいるぞ。何かあったら、呼べ」
まくしたてて、フィービーは戸惑う保安官たちを連れて病室から出ていった。
もう少し文句を言うかと思っていたから、拍子抜けだった。
フェリックスは肩をすくめて、ジェーンを見上げた。
「ジェーン。ヴラドを椅子に座らせてくれ。ジェーンも近くに」
「はいはい」
ジェーンはヴラドの背を押し、椅子に座らせた。ジェーンも座って、足を組む。
「お前に聞きたいことはひとつだ、ヴラド。ブラックマザーを還す方法を知っているな?」
「……知らないと言ったら?」
すっ、と心得たようにジェーンがナイフをヴラドの首に押し当てた。
「あんたに、断る権利はないのよ」
「その通りだ。俺は穏便に話を進めたい。あんたにとっても、キッドの夢が潰えた今は協力する必要もないだろう。……あんたしかいないんだ。カロでは、口伝で伝えられていたはず。ヘイリーの死が早すぎたからか、ルースには伝えられていない。エレンさんは知らないという。あんたは、絶対に知っているはずだろう? ブラックマザーの情報をブラッディ・レズリーにもたらしたのは、あんたなんだから」
「…………はっ」
ヴラドは唇を歪め、フェリックスを睥睨した。
「知ってるが、お前はきっとできないさ」
「できない? どういうことだ」
フェリックスが詰問すると、ヴラドはぽつぽつと語り始めた。
彼の話が終わったときには、フェリックスとジェーンの顔はひどく青ざめていた。
「うそ、だろ……?」
「だから言ったろ。できない、って」
ヴラドは乾いた笑い声を立てた。
「だって、それって……フェリックス! どうするの!?」
「……まず、ヴラドを下まで送っていってくれ。ジェーン」
フェリックスの冷静な口調に虚を突かれたのか、ジェーンは戸惑いながらもヴラドを立たせて病室から出ていった。
(さて、どうするか)
フェリックスは、窓の外に広がる青い空を見つめる。
養父はきっと、天国に行っているだろう。
「牧師様……俺は……」
目をつむって、服越しに十字架を握り締める。
『悪魔が見える力っていうのは、神の恩寵なんですよ。その力で、たくさんの人を救うことができる』
養父の声を思い出し、奮い立たせる。
ジョナサンの、オーウェンの、エレンとアーネストの……そしてルースの笑顔が蘇る。
もうきっと、彼らはフェリックスに笑いかけてくれないだろう。
(そういう運命だったんだ)
ルースに、答えを言っていなくて良かったと心底思う。ルースはきっと、フェリックスを嫌いになるだろうから。
枕元に置かれた銃を左手で取り、宣言のように呟いた。
「悪魔は、殺す」