Chapter 6. See you Again

さようなら


 フェリックスは一週間後に退院した。
 完治にはまだ時間がかかり、足は引きずるが歩けないほどではない。
「……とはいえ、まだ馬に乗って移動はきついな」
 サルーンにて、ジェーンとルースと共に朝食を取りつつ、フェリックスは呟いた。
「まだもうちょっと、休んでおいたら? あんたとお嬢ちゃんの宿泊費は、私が貸しておいてあげる」
「奢りじゃないのかよ、大富豪さん?」
「まだ富豪じゃないのよ。金額が金額だから、手続きが面倒らしくて」
 ジェーンはため息をついて、ナイフで切った目玉焼きの一片を口に放り込んだ。
「とはいえ、あんたが回復しないことにはお嬢ちゃんも帰れないし。そうでしょ?」
「まあな」
 農場まで、フェリックスがルースを送る手はずになっていた。ジェーンに頼む案も出たが、どうせ契約満了となるのだから、最後の挨拶のためにもフェリックス自身が行った方がいいという話になったのだ。
 もちろん、家族には無事だとルースから手紙を送ってある。
「悪いな、ルース。早く帰りたいだろ」
 いきなり声をかけられ、ちょうどオレンジジュースを飲んでいたルースはびっくりして顔を上げた。
「え!? ううん、別にあたしはいつでも……。怪我がちゃんと治ってからじゃないと、心配だし」
「……そっか。ありがとう」
 二人のどこかぎこちない会話に、ジェーンはにやにやしてコーヒーを啜っていた。
「左手でも、銃は撃てるんでしょう? フェリックス」
「ああ。右手並とは、いかないけどな」
 フェリックスは顔をしかめて、包帯の巻かれた右手を見下ろす。
「前のように銃が使えるまで、二ヶ月はかかるだろうな……。ま、左手だけでもルース一人なら護衛できると思う」
「それなら、何よりだけど。お嬢ちゃんを送り届けた後、ここに帰ってきたら? 私がしばらく、いるから。あんたも利き手が使えない状況で一人旅は、大変でしょ」
「そうだな……。そうするよ」
 二人の会話を聞きながら、ルースはフェリックスが離れていくつもりなのだと実感してフォークとナイフを握り締める。
 答えは、まだもらっていない。もしかすると、家族に話した後にルースを連れていってくれるのかもしれない。どちらにせよ、フェリックスとルースが一緒に行くには、家族の許可も必要だ。
(悲観的になる必要、ないのに)
 それでも、フェリックスの淡々とした様子が気になる。
 優しくないわけではない。ただ、妙な距離感がある。
「最低、あと三週間は静養しとけって言われたからな。三週間、待てるか? ルース」
「ええ、三週間ね。大丈夫よ。フェリックスが怪我をしているから、帰るのが遅くなるとは書いておいたから。また、手紙を書いて届けてもらうわ」
「よかった」
 フェリックスはにっこり笑って、コーヒーのカップの取っ手を左手で掴んだ。

 そうして、ルースとフェリックスは三週間もその町に滞在することになった。
 退屈だったが、大きな町だったので図書館も大きく、ルースはそこで本を読んだ。幸い、ルースたちの泊まる宿と図書館は近かったので、一人で行き来することができた。
 フェリックスは宿屋で日がな一日寝転んでいたので、「退屈じゃない?」と聞いたら「大丈夫だ」と笑っていた。
 彼は懐に持っていた小さくて古い聖書を、ベッドの上で何度も読み返したり、毎日新聞に目を通したりしていた。
 悪魔祓いだからなのか、養父が牧師だったからなのか、フェリックスはとても信心深い。
 ルースは、見舞いという名目で昼間に度々彼の滞在する部屋を訪れた。ジェーンは賞金山分けと聞いて集まってきた賞金稼ぎたちを、穏便に追い払うのに必死になっているようで、見舞うのはほとんどルース一人だった。
 フィービーも保安官の仕事が忙しいのか、ヴラドの連行以来姿を見ていない。
 といっても、ルースとフェリックスの間に会話はほとんどなかった。
 本当なら、ルースが話題を提供しないといけないのだろう。フェリックスは怪我人で、身内を亡くしたばかりという境遇だ。
(あたしって、本当にフェリックスに頼り切りだったのね)
 冗談を言ったり、軽口を叩いたりして、緊張をほぐしてくれたり。それとなく話しかけてくれたり。
 ルースは、反発することもあったけれど、彼と話すことが楽しかったのだと今更思う。
 フェリックスのベッド脇にある椅子に座って、ルースはただ黙って、聖書を読むフェリックスの顔を見る。
(何を話したら、いいのかしら)
 気になっていることは、ある。だけど、聞けばフェリックスの機嫌を損ねてしまうかもしれない、と思った。
(お兄さんが死んで哀しい? なんて)
 聞けるはずもなかった。
(シュトーゲル牧師の魂を解放できて本当に良かったわね、なんて)
 関係者面して、言えるはずもなかった。
 迷った挙げ句、ルースは気になっていたことを口にする。
「ねえ、フェリックス。ブラッディ・レズリーについて、尋ねても良いかしら」
「……どうぞ?」
 フェリックスは聖書を閉じて、小首を傾げてこちらを見た。そうして表情をなくすと、彼の兄を思い出してしまうのは、仕方ないだろう。ビヴァリーの怖さは未だに、ルースの胸に刻まれているのだから。
「あの……教えてくれたわよね。ロビンって人は、悪魔だったって。それならロビンは偽名よね。ルビィも、ウィリアムと名乗ってた。ヴラドも、でしょ? もちろん、クルーエル・キッドも……アーサーと名乗ってた。全員偽名って、どうしてかしら? 犯罪組織は、そういうもの?」
「ああ、なるほど。あれは、偽名っていよりコードネームだな。あれには法則性があるんだ。気づいたか?」
「法則性? ……わからないわ」
「おそらく、ビヴァリーは俺と一緒でひっくり返しただけだ。ビヴァリー・アーサー・マクニールが本名だからな。でもそれから、ヒントを得たんだろう。ロビンは、ロビン・フッド。ウィリアムは、ウィリアム・テル。ヴラドは、串刺し公ことヴラド三世」
「……全員、伝説の人物!?」
「そういうことだ」
 ならアーサーは、自分をアーサー王に例えていたのか。
「悪魔を従え、連邦を支配するって言ってたからな。王様気取りでも、不思議じゃないだろ?」
 フェリックスは苦笑して、目を伏せた。彼の表情からは、何も読み取れなかった。フェリックス自身も、きっと混乱しているのだろう。
(そうよね。難しいわよね……)
 重々しい沈黙が満ちたところで、ルースは次の話題を捜した。
(トゥルーさん、元気かしら? リトル・バードも……とか?)
 これは、三日前に言ったばかりだ。答えは「元気だと思う」だった。
(フェリックスが本調子になれば、自分で様子を見にいくわよね)
 そこまで考えたところで、ルースはぽんっと手を打った。
「フェリックス」
「うん?」
「あたし、リトル・バードにすごく良くしてもらったの。だから、お返しに何かあげたいの」
「ああ……。いいんじゃないか? 俺が届けるよ。どうせ、落ち着いたらトゥルーのところに行くつもりだったし」
 フェリックスは顔を上げて、百点満点の笑顔を浮かべた。
「本当!? でも……何をあげたらいいのかしら。手作りするにも、あたしって不器用だし」
「あー。まあ、あの料理を生み出す腕じゃなあ……」
「料理は関係ないでしょ!」
 ルースが怒ると、フェリックスは声を立てて笑った。
「それなら、別にものじゃなくていいだろ」
「え?」
「手紙にすればいいじゃないか。リトル・バードに、感謝の言葉とかルースの気持ちとか書いたら喜ぶと思うぞ」
「な、なるほど。あれ? でも、あたしたちの文字を読めるかしら」
 リトル・バードは、話し言葉が片言だった。勉強している、とは言っていたが……。それに、先住民は基本的に文字を持たないと、誰かが言っていた。
「トゥルーが読めるから、通訳してくれるよ」
「あ、そっか。そういえばトゥルーさんは、フェリックスに教わっていたわね」
 フェリックスの過去を覗き見たときのことを語ってしまい、ルースはハッとした。
 フェリックスは怒った様子は見せていなかったが、無表情だった。
「ごめんなさい。無神経だったわ」
「いいさ。連想して当たり前だ。……そういうことだから、ルース。出発までに手紙を書いておけよ」
「ええ、わかったわ」
 沈黙が流れて、フェリックスはまた聖書に目を落とす。ルースは居づらくなって、腰を上げた。
「じゃあ、また……。夕食のときに」
「ああ。あんまり、うろつくなよ」
「ええ」
 頷いて、ルースはフェリックスの部屋を出た。
(いつ、答えを聞かせてくれるのかしら)
 フェリックスは答えるどころか、真剣にルースと話す様子もない。
 答えを聞きたい気持ちと、聞きたくない気持ちがせめぎ合って、苦しかった。

 三週間は、何の進展もないまま過ぎていった。
 馬にフェリックスが先に乗って、ルースに手を差し出す。ルースは鐙《あぶみ》を踏んで、フェリックスの前に収まった。
「ジェーン。色々、ありがとな。また近いうちに、会うことになると思うけど」
「ええ。お嬢ちゃんも、元気でね」
 ジェーンは手を振り、二人を見送ってくれた。彼女の顔に心配そうな影がよぎっていたのは、どうしてだろう。
 町を出てから、久しぶりに二人きりの旅となった。
 フェリックスは療養中のときよりも、よく喋ってくれたし、冗談も言ってくれた。前のフェリックスに戻ってくれたようで嬉しくて、ルースが柄にもなくはしゃいだほどだ。
 ある夜、野宿のときにルースはたき火を見ながらぽつりと呟いた。
「早く、家族に無事な姿を見せたいわ」
「……そりゃ、そうだろうな。みんなきっと、すごく心配してる」
 フェリックスはルースの頭に手を置いた後、立ち上がってしばらく歩いた後、空を見上げた。荒野の空は、途方もなく広い。輝く星が散りばめられた夜空に、ルースも思わず見とれる。
「ルースは、家族に恵まれてるよ」
 その言葉に、ルースは眉をひそめた。
「フェリックスは…………」
「聞くまでもないだろ? 見たんだから」
 フェリックスは背中を向けたままだったから、表情がうかがい知れなかった。
「ええ。その……お父さんが、悪魔祓いだったのよね」
「ああ。ルースも知ってる通り、悪魔祓いは儲からない。西部では、悪魔祓いの制度が確立してないせいもあるし、町と町の距離が離れていることが多いからな。親父は元々は東部の出身だったんだ。西部に悪魔祓いがいないから、依頼を受けて悪魔祓いをするようにと言われてきたらしい。だけど、東部の悪魔祓い協会はろくな支援もしてくれなかったそうだ。しばらく、親父は頑張った。だけど、教師である俺の母親と出会って結婚して……馬鹿らしくなったんだろな。酒浸りで、悪魔祓いをしなくなった」
 フェリックスが家族のことを語ってくれたので、ルースは思わず身を乗り出した。
「お母さんは、お父さんが悪魔祓いだと知っていたの?」
「まあな。何せ、母さんの父親が悪魔憑きになったところを、父さんが祓ったのがきっかけだったらしいから。初期だったから、聖水で祓えたとか」
「それが……出会いのきっかけだったのね」
「そう。不幸な不幸な、出会いだった」
「……そんなことないわ。あなたが、生まれたじゃない」
 ルースが気遣って声をかけると、フェリックスは冷たい目をして振り返った。
「そう。俺とビヴァリーが生まれた。他人を不幸に陥れるエヴァンと、歴史上に残るような極悪人のビヴァリーが」
「フェリックス、止めて! そんな言い方は……」
「ごめん。……でも、会わない方が良かったよ。俺の両親は。父さんは結局、酒で体を壊して早々に死んだ。残された母さんは父さんの全てを憎み、悪魔を見る力も信じなくなり……それを語る俺を折檻した。そんな母さんも結局は、信じていた出来の良い息子に殺された……。なんて、ひどい結末だろうな」
 フェリックスの、淡々とした語り口に、ルースは黙り込むしかなかった。
 あまりにも凄惨な境遇。何を言っても、フェリックスを傷つけてしまう気がした。
 うつむくルースを心配したのか、フェリックスは焚火の傍まで戻ってきた。
「……悪い」
「ううん、あたしこそ」
 二人は互いに謝ってから、寝支度を始めた。