3. Angel's Heart
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どうやら、ここは賞金稼ぎの町だったらしい。食事を取っている最中に説明を受け、ルースはきょとんとしてしまった。
「賞金稼ぎの町? この前、行ったところと一緒?」
「いや、違う。もう一つあるんだよ。こっちの方が小さいけどな。というわけで、あそこに負けず劣らず治安が悪い。一人じゃ歩かないように」
「わかったわ」
そもそも、一人で歩き回れるような体調でもないのだが。
「おーい」
大柄な男が、こちらに手を振って近付いてきた。
誰、と尋ねかけたところでルースは気付いた。
フェリックスの記憶に出てきた、カルヴィン・エスペル――フェリックスの銃の師匠だ。
(そういえば、彼は賞金稼ぎだった)
しかしフェリックスは、ルースが彼を知っているなんて、思いもしていないのだろう。
フェリックスは、きちんと説明してくれた。
「あのオッサンは、俺の銃の師匠。賞金稼ぎだ。さっき町を歩いてたら、偶然会ってな。夕食を一緒に取ろう、ってことになった」
「そ、そうなの」
ルースはぎこちない反応しかできなかった。
「おーっす、邪魔するぜ。いやあ、偶然だな。フェリックスにトゥルー・アイズ。……で、この嬢ちゃんがお前の雇い主の娘さんだっけ」
「そうだ。口説くなよ」
「へいへい。心配しなくても、子供には興味ねえよ」
フェリックスに警告され、カルヴィンは豪快に笑っていた。
フェリックスの師だからなのか――それとも関係ないのか、カルヴィンはどうやら女好きらしい。
「どうも、嬢ちゃん。俺はカルヴィン・エスペルだ。このクソガキに銃を教えてやった、偉大な賞金稼ぎだ」
カルヴィンに手を差し出され、ルースはその手を握り「よろしく。ルース・C・ウィンドワードです」と名乗った。
カルヴィンは自信たっぷりなところも、フェリックスを彷彿とさせる。やはり弟子は師に似るのだろうか。
「賞金稼ぎってことは、ジェーンさんとも知り合いなのよね」
既に知っている事実ではあったが、本人に確かめたくなって思わず口にしてしまった。
「ああ。あいつも俺の弟子だ。賞金稼ぎになりたいって、ドレスを着た令嬢に頼まれたときはびっくりしたぜ。ジェーンは銃があんまり得意じゃなかったが、ナイフの才能があってな。投げナイフを教えてやった」
「へえ……。カルヴィンさん、ナイフも得意なんですか」
「俺に使えない武器はないのさ」
カルヴィンは軽く笑って、ようやく運ばれてきたビールをジョッキで一気飲みしていた。
「そういやフェリックス、あの町に戻ってこないよな。トゥルーでさえ、たまに来て墓参りしてくれるのに」
カルヴィンの発言で、その場の空気が凍った。
「……この前、帰ったよ。墓参りはしてないけどな。この話は後だ、カルヴィン」
「お、おう?」
カルヴィンはルースを見て、「ああ」と納得したようだった。
ルースは気まずさから顔を背けるように、ピラフを口の中に押し込んだ。
話があるというフェリックスとカルヴィンを残し、ルースはトゥルー・アイズに送られて部屋に帰ることになった。
トゥルー・アイズもあとで、彼らのところに戻るのだろう。彼にとっても、カルヴィンとの再会は嬉しいものだろうから。
「送ってくれてありがとう」
「ああ。……ルース」
「何?」
「明日、私はお前たちと別れようと思う。そろそろ一族のところに戻らなくては」
「……そっか。今まで、本当にありがとう」
ルースが笑顔で礼を言うと、トゥルー・アイズもわずかに笑い返してくれた。
「道中、気をつけて」
「ええ。……ねえ、トゥルーさん。聞きたいことがあるの。あたしの中に、天使を宿す前に何か……いたの?」
突然の質問に、トゥルー・アイズは表情を動かすこともなかった。
「……私は、お前がエンプティだということも、知らなかった。私には、わからない」
トゥルー・アイズは、はっきり否定もしなかった。
「わかったわ。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
トゥルー・アイズが背を向けたのをきっかけにして、ルースは部屋の中に入って扉を閉じる。
(やっぱり、トゥルーさんも本当のことは言ってくれない)
トゥルー・アイズは、記憶消去にも手を貸した。ルースに言ってくれるわけがないのだ。兄弟であるフェリックスに頼まれ、秘密にしているのだろう。
しかし皮肉なことに、二人の反応で疑いが確信に変わってしまった。
(あたしの中に、何かがいる。それはきっと、害をもたらした)
だから精神的に耐えきれなくなって、以前のルースは記憶消去を選んだのだ。
どうあっても、知らなければならない。
(ジョナサンのことが終わったら、聞いてみるしかない)
たとえまた自分の心が壊れようとも。このままは嫌だった。
夜中、ルースはひどい喉の渇きで目を覚ました。
水……と呟いて、枕元の水差しに手を伸ばす。
「あれ、空っぽ」
そういえば、寝る前に全部飲んでしまった気がする。補充しようと思って、すっかり忘れていた。
「はあ……」
ルースは靴をはき、マントを羽織った。水差し片手に部屋を出る。
廊下は、しんとしていた。宿の中だから、そう危険もあるまいと思って、そろそろと歩を進める。
一階に下りて、ルースは驚いた。まだ、サルーンの中には人が数人いたからだ。どの男も、前後不覚に酔っ払っていた。
「うーん……」
厨房まで行くには、サルーンの中を通らねばならない。とすると、絡まれる可能性が高いだろう。
もうフェリックスもトゥルー・アイズも寝ているだろうし、今からたたき起こすのも……と逡巡したとき、肩を叩かれた。
「おう、嬢ちゃん」
「……あ、エスペルさん」
フェリックスの師匠、カルヴィン・エスペルが立っていた。彼とは初対面だが、フェリックスの夢の中で見たので、昔から知っているような気さえしていた。
「カルヴィンって呼んでくれよ。苗字で呼ばれ慣れてなくてな。こんな夜中に、どうしたんだ?」
がはは、と彼は豪快に笑う。
「お水、もらおうと思って」
「ほーん。……酔っ払い多いからな。俺が付いていってやるよ」
カルヴィンは片目をつむってみせて、ルースの後に付いてきてくれた。
「カルヴィンさんは、どうして下りてきたの?」
「目が覚めたから、もう一杯ぐらい引っかけるつもりでな」
とことん、お酒が好きらしい。こういうところは、フェリックスよりもジェーンに近い気がする。フェリックスも酒は強いが、ジェーンほど好き好んで飲んでいる印象は受けない。
厨房に行くと、眠そうな顔の女将が水差しの水を補充してくれた。ホッとして、ルースは厨房を出る。
「嬢ちゃん。よかったら、少し話さないか。レモネードでも奢ってやるよ」
「……ええ。喜んで」
せっかくだし、とルースは頷いた。カルヴィンは自分にウィスキーを、ルースにレモネードを注文してからサルーンの席に着いた。
ルースが水差しを机の上に置いた途端、でっぷりした男がウィスキーとレモネードのグラスを運んできた。
カルヴィンは、うまそうにウィスキーを舐める。
「……あたし、ジェーンさんにもお世話になったことがあるの」
そう言うと、カルヴィンは「へえ」と目をすがめた。
「ジェーンか。最近会ってないが、元気にしてるか?」
「ええ」
「ジェーンは、あそこまで化けると思わなかったな。覚悟ができていたから、強くなるとは思っていたが……」
カルヴィンの台詞に、ルースは首を傾げる。
「覚悟?」
「ああ。復讐のために、全てを捨てる覚悟だ。ジェーンには、その――最も大切な覚悟ができていた。だから、やっていけたんだろうな。……ジェーンは、元々は南部の裕福な家の娘だ。金に任せて買ったのか、とびきりいい銃を持ってたが、まるでなっちゃいなくてな。俺に教えを乞うた後も、銃はいまいち上達しなかった。だが、ナイフ投げには天性の才能があった。というわけで、ナイフを教え込んだわけだ」
懐かしそうに、カルヴィンはとうとうと語る。先ほども聞いた話だったが、今回の方が詳細に語られていた。
「……フェリックスとは、どういう縁で?」
聞きながら、ルースは自分の声音が不自然なことを自覚する。それに、もう知っているのに、どうして聞こうというのか……。
「フェリックス? ああ、あいつは俺の友達の養子でな。その縁で……。昔は女の子みたいにかわいかったんだ」
笑いかけられ、ルースもつられて微笑む。たしかに、夢で見た昔のフェリックス――エヴァンは、かわいらしい少年だった。おどおどした言動も、今となっては信じられないが。
「あいつも一丁前に、荒野で生きる男になったな」
カルヴィンは感慨深げに呟き、ウィスキーをぐっとあおった。
「あの、カルヴィンさん」
「んー?」
「用心棒や賞金稼ぎって、家庭を持たないのが普通なの?」
ルースの問いに、カルヴィンは不思議そうな顔になった。
「……人によるけどなあ。用心棒はともかく、賞金稼ぎの死亡率って結構なもんだし。家庭を持つ奴は少ないだろうな。かくいう俺も、結婚はしてねえなあ。ま、俺の場合は各地に“いいお姉ちゃん”がいるから、いいのさ」
カルヴィンは、にやにやと笑う。
「どうした? ああ、フェリックスに何か言われたか?」
「あたしに、じゃないですけど。女の子に言ってるの聞いて」
「ふーん。まあ、あいつは悪魔祓いでもあるしなあ。あいつ、ああ見えてストイックだし、家庭は持たないだろうな」
ストイック、という言葉にルースは耳を疑ってしまった。
「す、ストイック?」
「軟派な態度は、処世術ってやつだよ。あいつは強面じゃないし若いから、どうしても舐められる。だから笑顔を張り付けて、女にいい顔して……味方にするんだ」
「……女好きなのかと思ってた……」
「いや、嫌いじゃないと思うけど。ああいうやり方が身に付いてるってことは、まあそういう素質があったんだろうしな。そりゃあ女と付き合ったこともあるだろうが、お嬢ちゃんが思う以上にストイックな奴だぞ、あいつは」
意外すぎて、ルースは何度もぱちぱちとまばたきしてしまった。
「……そのやり方を教えたのって、カルヴィンさん?」
「大正解だ。いつから実行してたのかは知らねえけどな」
ふああ、とカルヴィンは大あくびをして立ち上がる。
「そろそろ寝るかあ。嬢ちゃん、行こうぜ」
「え、ええ」
ルースは慌ててレモネードを飲み干し、立ち上がった。
翌朝、朝食の席で解散となった。
カルヴィンはこのままこの町に滞在。フェリックスとルースは農場に帰還。トゥルー・アイズは、一族に戻る。
「それじゃあ、俺たちは急ぐからもう行くぜ。トゥルー、本当にありがとな」
「ああ。またな、兄弟」
フェリックスとトゥルー・アイズは、固い握手を交わした。
「カルヴィンも、またな。またどこかで会うこともあるだろう」
「おう。元気でやれよ」
カルヴィンに片手をあげただけで、フェリックスは立ち上がった。ルースも慌てて立ち上がる。
「トゥルーさん、お世話になりました! カルヴィンさん……えと、またどこかで」
カルヴィンに対してどう言っていいかわからず、無難な挨拶をするとカルヴィンは大笑した。
「おうよ、嬢ちゃん。もっと食べて、肉つけろよー。今のままじゃ、男を誘惑できないぞ」
「……!」
思わずルースが真っ赤になってしまうと、フェリックスが呆れたように笑った。
「まあ、とにかくしょうもないオッサンなんだ。俺の師匠ってことで、許してやってくれ」
「しょうもないとは何だ!」
カルヴィンの怒鳴り声を背に、ルースとフェリックスは歩き始めた。