3. Angel's Heart

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 しばらくは一人で馬に乗っていたルースだが、段々と具合が悪くなってきた。
 すぐに気づいたフェリックスは、ルースを呼び止めた。
「待て。顔色が悪い。大丈夫か?」
「……お腹が、苦しい。気分が悪いわ。あの症状よ。天使を入れたときと同じ」
「わかった。一緒に馬に乗ろう」
 フェリックスは馬から一旦下り、ルースを下ろしてくれた。
 フェリックスはルースを馬に先に乗せ、その後ろに飛び乗る。ルースの乗っていた馬の手綱をつかんで、ゆっくり馬を走らせ始めた。
 そのままルースは、眠り込んでしまった。

「変な話よね、ルース」
 闇の中で声がして振り向く。すると、美しい姉が立っていた。
「姉さん?」
「どうしてあなたは、私のことを忘れてしまったの?」
「……」
 そんなこと、自分だって聞きたかった。
「それは――」
「私は悪魔に取り憑かれて死んだ。それは、あなたのせいだったんじゃない?」
 そこでルースは、目の前にいるのが姉ではないと悟る。これは、自分の疑心だ。
「私の中にいるものが、姉さんに悪魔を?」
 口に出すと、心が痛んだ。
 姉は悪魔のせいで死んだ。もし、姉が悪魔に取り憑かれたのが自分のせいだとするならば。
 そんなの、耐えきれない――。



 フェリックスとルースがまだまだ農場からは遠い位置にいる頃、フィービーはようやく農場に辿り着いた。
「おい、小僧」
 牛の世話をしている茶髪の少年を呼び止め、すごむ。
「はい? ……ってあんた、なに勝手にうちの敷地入ってきてんだよ」
「黙れ。私は連邦保安官だ」
「えっ」
 茶髪の少年こと――リッキーは、フィービーの胸元を見て仰天した。
 それはまごうことなく、連邦保安官だけが付けられる星のバッジだった。
「保安官? 保安官が何で?」
「ここに、ジェーンという、いけ好かない女が滞在しているだろう」
「ジェーンさん? うん」
「そいつが何やら企んでいるらしい。どこにいるか、案内しろ」
「え、でも……」
「口止めでもされたか? 案内しないと、お前を牢屋にぶちこむぞ。早くしろ。人命がかかっているんだ」
 フィービーに脅され、リッキーはとうとう頷いた。
「わ、わかった。こっちだ!」
 そしてリッキーは走り出す。フィービーはすぐさま、彼の後を追った。
 そして辿り着いた倉庫の扉を蹴破り、彼女は銃を構えて言い放った。
「連邦保安官だ!」
 そして――椅子に縛られたエウスタシオが、顔を上げる。
 彼の前に立つジェーンが振り返り、彼らを取り囲む屈強な男たちは一斉に銃に手を伸ばす。だが、抜けば撃たれるとわかっているからか、彼らは銃を抜こうとはしなかった。
「……これは、不意を突かれたわね。いらっしゃい、フィービー」
「この、クソ女。よくも、私の保安官補を連れ去ってくれたな。しかも……拷問でもしたのか」
 フィービーは、エウスタシオの頬が赤くなって口の端から血が垂れていることに気付いた。
「拷問とは失礼ね。血の気の多い仲間が、ちょっと殴っただけ。強情ね、この子。全然口を割らないんだもの」
「何を聞き出すつもりだったんだ?」
 フィービーは銃を構えたまま、ジェーンに問いを投げつける。
「その前にフィービー。交渉といきましょう。この子は解放するけど、私は情報がほしいの」
「……ものによるな。何の情報だ」
「質問は簡単。エウスタシオ・D・ソルは何者なの?」
 その質問に、フィービーはため息をついた。
「なぜ、そんなことを聞く」
「怪しいのよね、この子。あなたもよく知っての通り、クルーエル・キッドはブラッディ・レズリーを立ち上げる前に、“シエテ”というギャングに入っていた。南大陸で勢力を伸ばしたそれは、この連邦に目を付け、やってきたのよね。キッドは、ここに来たシエテに入り、暗躍した」
「……そうだ」
「シエテはキッドの裏切りと情報漏洩のせいで、瓦解したわ。統領はキッドに殺されたとされる。シエテのメンバーは捕まって刑務所入り。――なのに、一人だけ刑務所から出された男がいたのよね。副統領という立場にありながら」
 ジェーンは、歌うように続けた。
「それが――この子なわけよね? なぜ、彼は罪も償わずにあなたの補佐官になったの? ……彼が、キッドの顔を知っているからじゃないの?」
 ジェーンはフィービーに一歩近づいた。
「だから情報提供の代わりに、牢屋から出してやったんじゃない? ……ここまで読んだ私は、彼に直接聞きたくて七面倒くさいことをしたわけ。一向に吐かなかったけど」
「……そうだったか」
 フィービーは唇を舐めて、告げた。
「素性は、その通りだ。だが、エウはキッドの顔は知らない。私が彼を解放したのは、シエテのことをよく知っているから……キッドに通じる情報を得られると思ったのが一つ。もう一つは――」
 ためらいの後、フィービーは続ける。
「エウは幼い頃、シエテに家族を惨殺されてさらわれた。シエテの統領は、男女問わずに幼い子供が好きでな」
「……」
 それを聞いて、ジェーンは顔をしかめた。
「シエテで犯罪行為に手を貸したことは事実だが、それも生きるため。エウは必死に統領に取り入った。私はその事情を知り、こいつには情状酌量の余地があると思ったんだ。償いのために、私の補佐をしろと命じた。キッドを追う私にとって、前身であるシエテをよく知るこいつは役立つだろうと思った。――それだけだ。お前の邪推は、外れている」
「……わかったわ。ヘンリー、彼を解放して」
 縄を解かれたエウスタシオは、よろよろと立ち上がった。
 フィービーは彼の元に歩み寄り、肩を貸す。
「おい、クソ女。此度の非道な行い、捕まえてやってもいいんだぞ。今なら謝罪で許してやる」
「はいはい。――ごめんなさいね」
「毒を盛ったのも、お前だろう」
「正確に言えば、私の仲間ね。やっと坊やの情報をつかんだのに東部に行かれては困るから、強引な手段に出たわ」
「このツケは高くつくぞ。わかったな!」
 怒鳴り、フィービーはエウスタシオを連れて外に出た。
 外で待っていたリッキーは、二人の姿を見て仰天する。
「ほ、保安官。その人、怪我してる」
「ああ。手当をしたい」
「うちに案内するよ!」
 そうしてリッキーの案内の元、フィービーとエウスタシオは倉庫を後にした。

 家屋に案内され、フィービーとエウスタシオは一室に通された。
「これ、救急箱。俺は両親に言いにいくから!」
 そう言い残して、リッキーは慌ただしく出ていってしまった。
 フィービーはエウスタシオと向かい合わせに座り、首を傾げた。
「……大丈夫か」
「大丈夫ですよ。荒っぽい連中ですので、無傷とはいきませんけどね。ジェーン・A・ジャストがちゃんと制してくれましたから」
「そうか。それは何よりだ」
 フィービーは脱脂綿を取り出し、それに消毒液をつけた。
 エウスタシオの口元を拭ってやると、痛いのか口元が微妙に痙攣した。
「何も、喋らなかったんだな」
「ええ」
「別に、お前の事情ぐらい言ってやってもよかったんだぞ」
「……どこまで開示していいか、わかりませんでしたから。黙秘を通しました」
「そうか」
 腕の切り傷も消毒してやり、包帯を巻く。
 意外にけがは少なかったようで、フィービーはホッと一息をついた。
「フィービー様……」
「何も言うな。あいつらが、聞き耳を立てているかもしれない」
「……そうですね」
 しばらく二人は沈黙していた。
 突如響いたノックの音に、同時に顔を上げる。
「――誰だ」
「私よ、フィービー。入っていいかしら」
「勝手に入れ」
 促すと、ジェーンが入ってきた。
「この度は、悪かったわ。お詫びと言っちゃなんだけど、東部行きのチケット代よ」
 ジェーンは紙幣を数枚、フィービーに渡した。
「ふん。当然の措置だな。お前のせいで、私たちは途中下車する羽目になったのだから」
「はいはい」
 ジェーンは肩をすくめていた。
「おい、どこでエウの情報をつかんだ?」
「……私、前から不思議だったのよね。連邦保安官補にしては、坊やは若すぎるから。何らかの事情があるんだろうと思って、調べさせていたのよ。そうしたら、シエテつながりって言うじゃない。それじゃあ、坊やならキッドの顔を知っているのかと。最大の手がかりを、こっちも利用させてもらおうとしたの」
「キッドの顔を知っているなら、もっと早くに捕まえているだろう。しかも、捕らえられたシエテのメンバーはエウだけではなかった。そのいずれも、取り調べではキッドの顔は知らないと言った」
「……それって妙な話よね。キッドは確かに、シエテに入ったはず。それなのにどうして、誰も彼の顔を知らないの?」
 ジェーンは顔をしかめ、腕を組んだ。
「キッドは、シエテの頭領とだけ接触していたらしい。その頃からもう、シエテを崩壊させると決めていたのだろう。シエテの情報を保安官に売り、自分はさっさと逃げおおせた。あいつがシエテで何をしたかったのかはよくわからないが、頭領から何らかのものを奪ったのだろう」
「なるほどね――」
「情報提供はここまでだ。あとは自力で調べろ」
「わかったわ。……もう行くの?」
 立ち上がったフィービーを見て、ジェーンは眉をひそめた。
「ああ。行くぞ、エウ」
「はい」
 エウスタシオも、弱々しく立ち上がる。
「あの少年には、お前から事情を話しておけよ」
「はいはい。随分急ぐのね」
 ジェーンは目を細めたが、無視してフィービーは彼女の横を通り過ぎた。

 馬は二頭連れてきていたので、フィービーとエウスタシオはそれぞれ馬に跨って農場を後にした。
 フィービーが一刻も早く農場を離れたがった理由は、もちろんあそこには賞金稼ぎたちがたくさんいるからだった。
 ジェーンが統制しているとはいえ、強引な手段に出る者もいないとは限らない。
「エウ。すぐに列車に乗れるか?」
「……大丈夫です」
「そうか。さすがにもう、東部行きを伸ばせないし、また妨害されては困るからな。悪いが、もう少し頑張ってくれ」
「はい」
 そうして二人は馬に拍車をかけた。