Chapter 5. The Beautiful Lynx
美しき山猫
大陸横断鉄道に飛び乗ったフィービーとエウスタシオは、ようやく東部に帰ってきた。
フィービーが家の門をくぐると同時に、母親が迎えてくれた。
「フィービー! おかえり!」
「……どうも、母さん」
「どうも、じゃないわよ全く! 西部に行ったら帰ってこないんだから。ほら、あなたにお見合いの話がたくさん届いているのよ。西部に戻る前に、お見合いしていって」
母親は、フィービーに似ていなかった。面差しも、性格も。
はあ、とため息をついてフィービーは実家を見上げる。
東部でも名家に数えられる家だった。
フェリックスあたりが聞けば大笑いするだろうが、フィービーは名家の令嬢だったのである。
「見合いはまだしない、と言ったでしょう。ブラッディ・レズリーを捕まえてから考えます」
言い切ると、母は哀しそうに顔を歪めた。
「また、そんなこと言って……」
「連邦保安官の集まりがあるので、急ぐんです。行くぞ、エウ」
フィービーはさっさとその横を通り過ぎ、エウスタシオはその後を追った。
家に荷物を置いた後、フィービーとエウスタシオは連邦保安局本部に向かった。
会議室に向かう途中で、見覚えのある人物が向こうから歩いてきた。
「おお、フィービー!」
「叔父貴」
堂々たる体躯の男性――彼は、フィービーの叔父であり……
「大統領。次の予定が……」
彼の後ろに控える男性が言った通り、大統領でもあった。
「まあまあ、少しぐらい話せるだろう。せっかくの、姪との久しぶりの再会だ」
大統領は秘書をいなし、フィービーに向き直る。
「元気そうだな。西部では相変わらず、銃を振り回しているのか?」
「そうですね」
「ははは。元気なのはいいが、この前みたいに器物損壊はやめてくれよ。あれは揉み消すのに苦労したんだから。保安官補、何せ無茶をする姪だから気をつけてやってくれ」
「はい」
話をふられ、エウスタシオは殊勝に頭を下げていた。
「先ほど会議室で保安官連中にも言ってきたが、ブラッデイ・レズリー関連のことは早めに解決してほしいものだね。西部が荒れ続けるのは、大統領としても本意じゃない」
「安心してください。私が捕まえてみせますよ」
「期待してるよ、フィービー。では」
フィービーの叔父――大統領エリック・T・アレクサンドラは片手をあげ、行ってしまった。
「……さて、行くか。エウ」
「はい」
そうして二人は、会議室へと向かった。
ブラッディ・レズリー担当の連邦保安官は、フィービーを合わせて五人だ。
どの保安官もめぼしい成果をあげられず、渋い顔をしていた。
フィービーの成果も、以前報告したブラッディ・レズリーから薬を買っていた町長の逮捕ぐらいだ。
「……ここまで来ると、認識を改めねばならないかもしれませんな」
会議を取り仕切る老保安官が、呟く。
「認識とは?」
「我らは、ブラッディ・レズリーは巨大な組織だと思い込んできた。実際、そうでなければ起こせない事件が多々あった。ですが、それなら尻尾もつかめないのはおかしい」
老保安官の意見に、フィービーは眉を上げた。
「つまり、もっと小さな組織だと言いたいのか?」
「そうでないと説明がつかない。実際、関係者は捕まっている」
「――なるほどな」
ブラッディ・レズリーは、人数が少ないとするならば……一時的な契約か何かで人を動かしているだけだとすれば……。
「あと、考えられる可能性がある」
突如、まだ若い保安官が口を開いた。
「保安官側に、裏切り者がいる可能性だ」
「……何っ」
他の保安官が気色ばんだが、老保安官は手を上げて彼を制した。
「続けて。どういうことだね?」
「――保安官側の情報が漏れていればこそ、ここまで立ち回れるのではないだろうか。あんなに派手な悪事を行っておいて、捕まらないのには理由があるだろう」
「なるほどね。……あまり考えたくないことだが、可能性は高い」
そこで保安官たちは沈黙した。
そしてフィービーは、彼らの視線がこちらに向けられていることに気づいた。いや、自分にではない。エウスタシオにだ――。
「言いたいことがあったら、言えばどうだ」
フィービーが告げると、それまで黙っていた壮年の男が口を開いた。
「その保安官補は、ブラッディ・レズリーの前身シエテの副頭領だった。あなたが牢屋から出したんだったな?」
「その通りだ」
「クルーエル・キッドは、シエテに入っていたことがある。クルーエル・キッドとつながっているとしたら、その男しかいないだろう」
そこでフィービーは、椅子を蹴って立ち上がった。
「エウスタシオは、私とずっと一緒にいる。情報を漏らす隙などあるものか」
「だが――」
「何を今更。シエテのメンバーは、エウスタシオだけでなく全員がキッドの顔を知らなかった。つながりなど、あるはずないだろう!」
その後も議論は続いたが、フィービーは自分の保安官補が疑われたことにムシャクシャしてしまい、ろくに議論に参加できなかったのだった。
フィービーとエウスタシオが会議室を出てすぐ、最初にエウスタシオを疑った保安官が追いついてきた。
「おい、アレクサンドラの嬢ちゃん」
「……何だ」
「そんな顔するなって。おい、俺は本気で心配してるんだぞ。その男は、シエテの頭領の愛人だったって言うじゃないか。あんたも、たぶらかされてるんじゃないのか?」
「貴様……どこまで愚弄する気だ」
胸倉をつかむも、保安官はへらへらと笑うだけだった。
「悪いことは言わないから、そいつは早く解任して牢獄に戻せよ」
「断る。お前、あんまりしつこいと叔父貴に進言するがいいんだな?」
「好きにしろよ。大統領といえど、そうそう簡単に連邦保安官をクビにはできないからな」
舌打ちをして、フィービーは保安官から手を放した。
「今度、西部で会ったら撃つ」
と宣言をして、フィービーはさっさとその場を後にした。
しばらく歩いたところで、少し後ろを歩いていたエウスタシオが「すみません」と呟いた。
「謝るな」
一言だけ答えて、フィービーは振り返らなかった。
その夜、母親に熱心に請われたせいでフィービーは、どこぞの家が開いた夜会に出席する羽目になった。
「ああ……面倒だ」
ドレスに着替え終えたフィービーは、居間の椅子に腰かけてため息をついた。その内、母親が迎えに来るだろう。
エウスタシオは、あれ以来大人しくフィービーに付き従っていたが、フィービーの姿を見て微笑んだ。
「そういう格好をしていると、別人みたいですね」
エウスタシオの言う通り、赤いドレスに身を包んで髪を下ろしたフィービーを見れば、彼女の保安官の姿を知る者は驚くだろう。
「似合ってますよ」
「黙れ。……ああ、早く連邦保安官の制服に戻りたい。用事を済ませたら、さっさと西部に帰るぞ」
「はいはい。……私も、東部は落ち着きませんね」
エウスタシオの珍しく弱々しい声に、フィービーは眉をひそめた。
東部でも色々あるのだが、この地区はエリートや富裕層の集まる区域だ。エウスタシオのような混血は、見た目にも浮いてしまう。それだけでも居辛いだろうに、ああとまで言われては……。
「あまり、気にするなよ」
「……わかってますよ」
エウスタシオはフィービーから目を逸らして、窓の外に目を向けていた。
腕を組み、フィービーはそんな彼を見て出会ったときのことを思い出した。
連邦保安官になったばかりのフィービーはブラッディ・レズリー担当になり、勢いごんでいた。
そして居間で資料を広げて漁っていたところ、気になる人物の書類に目を留めた。
ブラッディ・レズリーの前身となった組織シエテの、関係者だ。
「……リンセ……?」
本名ではないだろう。苗字もない。
年齢は十五という年若さだった。
「ああ、こいつが……」
副頭領が異様に若かった、と聞いていた。
「おい、ちょっと待ってくれ」
通りかかったメイドを呼び止める。彼女は南大陸出身で、イスパニヤ語を解したはずだ。
「はい? どうかしましたか、お嬢様」
「リンセ……という単語を知ってるか? 南大陸で使われている言葉だと思うんだが」
「リンセ――ああ、山猫(リンクス)のことだと思いますよ」
「……なるほど」
山猫――コードネームに使われそうではある。
フィービーは、書類の続きに目を通した。
“幼い頃にさらわれてシエテの一員にされたもよう。どうやって副頭領になったかは不明。頭領のアレハンドロは小児性愛者だという。彼も恋人(愛人)の一人だったと言われている。他の子供たちは軒並み死んでいったが、彼だけは生き残った。お気に入りだったのか、興味が尽きた後も有用だとされたからなのか……。”
「……ふん」
シエテの頭領に近かったなら、キッドのことも何か見聞きしているかもしれない。
資料には、知らないと言い張ったと書いてあるが……
「副頭領でありながら、知らないとは考えられないな」
フィービーは会いに行ってみようと決意し、立ち上がった。
彼が捕らわれている刑務所に行き、フィービーはリンセとの面会を求めた。
取り調べ室に連れてこられたリンセは、想像していたよりも幼い容姿をしていた。混血特有の不可思議な魅力があり、華やかな顔立ちはなるほど、頭領に愛されただけはある。
「どうも、リンセ。私はフィービー・R・アレクサンドラ。連邦保安官だ」
「……知っていることは全て、話しましたが」
連邦に来てから日数がそこまで経っていないからか、言葉はややたどたどしかった。
「副頭領でありながら、クルーエル・キッドに会っていないというのが気になってな」
「……会ってないので、仕方ない」
リンセの顔には、覇気がなかった。
まるで、親を亡くした子供のように。
「お前はシエテの頭領にさらわれて、そのままメンバーになったんだったな」
「はい」
「情状酌量の余地があると思うんだが、処刑か」
「そうですね」
リンセは、面白くもなさそうに淡々と返事をした。
「副頭領として、何をした?」
「細かい計画の相談に乗ったり、実際に銀行に乗り込んだり……」
「ふむ。……まあ判決は決まったわけだが、私なら何とかお前を救うことはできるだろう」
フィービーの言に、リンセは眉をひそめた。
「どうやって」
「ちょっと伝手があってな。そもそも、私はお前の判決は不当だと思っている。お前は他のメンバーと違って、監禁されて洗脳されていたようなものじゃないか。どうだ?」
リンセは答えなかった。
「エウスタシオ」
その名に、リンセはびくりと肩を震わせた。
「リンセと呼ばれる前は、そういう名前だったのだろう」
「……どうやって」
「調べた」
フィービーは懐から書類を取り出し、読んだ。
「凄惨な事件だったようだな。山の中でひっそり暮らしていた、夫婦――先住民の女性と移民の男性の夫婦だったようだな。夫の方は、貴族の家系で学者か。先住民の文化を調査していたところ、妻になる女性と知り合ったというところか? ……あの日、シエテに襲撃されて金品を奪われ夫婦は惨殺。彼らの子供は、奪われた」
そして、とフィービーは続ける。
「その子供の名前は、エウスタシオ。……そうだろう?」
「……」
リンセ――エウスタシオは、うつむいた。
フィービーは、その手を差し出す。
「私の手を取れ、エウスタシオ。悪いようにはしない」
「……でも」
「償いは、シエテの後継者となったクルーエル・キッドの逮捕尽力に当てろ。お前はキッドに会ったことがなくとも、何か知っているんだろう。その情報を生かさない手はない」
フィービーはそのまま、辛抱強く待った。
そして何分経ったのか……ようやく、エウスタシオはその手を取った。