5. The Beautiful Lynx
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かくして、エウスタシオは正装をして夜会に参加することになった。
髪をなでつけて礼服を身に付けた彼は、フィービーほどでなくても別人のようだった。
「……落ち着きませんね」
「私の気持ちが、わかったか」
「大いにわかりました」
会話を交わしながら、フィービーとエウスタシオは先導するフィービーの母親を追う。
夜会会場は既に、盛り上がりを見せていた。
「おお、フィービー! 来たか! こちらへ!」
先に着いていた父に呼ばれて、フィービーは「おや」と眉を上げる。
「先日、南大陸からやってきたご家族だ。この国でビジネスチャンスを得たそうでな」
父の説明を聞きながら、フィービーは納得した。
エウスタシオを連れてこいと言ったのは、通訳のためか。あと、共通の話題を探るためなのかもしれない。
三人家族で、両親の方は英語を解しているようだったが、娘の方は英語が苦手なのか困った顔をしていた。
「どうも、これが娘のフィービーです。連邦保安官でしてな」
「まあ、勇ましい」
「とんだ、お転婆ですよ。そしてその横の彼が、フィービーの助手エウスタシオです。まだ言葉に慣れないお嬢さんを助けてやりなさい、エウスタシオ」
「……はい。喜んで」
エウスタシオは、殊勝に頭を下げる。
南大陸から来たといっても、彼らは先住民の血が混じっていないのか、褐色の肌ではなかった。貴族の末裔なのかもしれない。
娘の方は、少し頬を赤らめてエウスタシオに話しかけていた。エウスタシオも、素早くにこやかに答える。
何を喋っているかわからないが、友好的な会話のようだ。
「フィービー、母さんが呼んでるぞ。ここはいいから、もう行きなさい」
「……はいはい」
父に促され、フィービーは渋々その場を後にした。
「フィービー! こちら、ラス家のご子息よ!」
母が、誇らしげにフィービーを“ご子息”とやらに紹介する。
にこやかな笑顔を浮かべた彼は、フィービーを「お美しい」と褒めた。
「どうも」
「……アレクサンドラの令嬢は、連邦保安官だという噂は本当ですか?」
「噂でもなんでもなく、事実だ」
傲然と言い切ると、彼はぎょっとしたようだった。噂だと思っていたらしい。
「西部で荒くれ者を追いかけ回すのは、なかなか楽しいぞ?」
「フィービー!」
母に叱られ、フィービーは「ふん」と鼻を鳴らす。
(この程度で怯える男など、御免だ)
「すみません。どうもお転婆でねえ……。でも、教養もあるんですよ」
母が言い訳を口にするのを聞きながら、フィービーはエウスタシオに視線をやった。
すると、あの家族だけでなく多くの女性が彼のもとに集まっている。
(……ほう)
エウスタシオは、見た目は文句なしだから女性にも受けがいいのだろう。今日のように、正装していればなおさらに。
(逆玉の輿とやらも狙えるかもしれないな、あいつなら……)
そういえば、エウスタシオの父方は貴族の家系だ。洗練された動作が嫌味でなく似合うのは、血筋のせいもあるのか……。
「フィービー、何を見てるの? ……ああ、あの子供」
母も、フィービーの視線に気づいたらしい。
「お前より、あの子を注目させてどうするの!」
そんなこと言われても、と肩をすくめてフィービーはグラスを傾けて赤い酒を少し口に含んだ。
夜会を終え、アレクサンドラ家は家に帰ってきた。
両親はさっさと自室に引き上げたが、フィービーとエウスタシオは居間で一旦休憩することにした。
「……疲れました」
フィービーよりも、エウスタシオの方が疲れているようだった。
「ご苦労。だが、なかなか楽しんでいたようじゃないか。お前、もてるな」
「楽しんでいた? ご冗談を。好奇心で近寄ってきた女性ばかりですよ」
「ふむ」
フィービーは、紅茶を一口飲んで首を傾げた。
「なあ、エウ」
「はい」
「もし、あの中で気に入った女がいたら私に言えよ。紹介ぐらいしてやるさ」
「いませんよ、そんなの」
エウスタシオは、気を悪くしたようだった。
「まあ聞け。これから、現れるかもしれないだろう? そのときは、ちゃんと言うんだぞ」
まるで保護者のようだと自分で感心しながら、フィービーは笑う。エウスタシオは全く笑っていなかったが。
「……どうして、急にそんなことを言うのですか」
「別に。なんとなく」
フィービーはこれ以上言わない方がいいと判断し、はぐらかした。
「――フィービー様の方は、どうだったのですか」
「どう? ああ、夜会でのことか。母が挨拶しまくっていたが、ろくに覚えていないな」
全く、とフィービーはため息をつく。
そもそも、一人娘なのがついていなかった。きょうだいでもいれば、自分は好き勝手やれたのにと口惜しくなる。
両親はアレクサンドラ家の断絶を許さない。フィービーを無理矢理にでも、結婚させるだろう。
しかし両親がフィービーに望むのは、釣り合う家系との結婚だ。そんな家の者は大抵、フィービーが結婚後も連邦保安官を続けることをよしとはしないだろう。
「……さて、私たちもそろそろ引き上げるか」
化粧もかなり落ちただろうな、と思って口元を拭うと手の甲に真っ赤な筋がついた。
その赤に見入るようにして、エウスタシオは呟いた。
「早く、西部に帰りましょう」
年の割に大人びた彼にしては珍しく、子供めいた口調だった。
「わかってるっての。だが、もう少し用事があるんだ。我慢しろ」
母は、二・三件ほど見合い話を持ってきていたはずだ。それを済ませてからでないと、西部に帰してくれないだろう。
のびをして立ち上がろうとしたところで、いつの間にか傍に来ていたエウスタシオが手を貸してくれた。
恰好とあいまって、貴族のようだった。昔に読んだ小説に出てきた、謎めいた異国風の貴族男性――彼はそんな役どころにぴったりだ。
(勿体ないな)
彼の手を取るのが自分のような荒れた手の女でなければ、絵になっただろうに――などと思い、フィービーは思わず苦笑してしまった。
ルースは、朝起きて腹のあたりに触れた。
(……大丈夫、みたいね)
昨日のような、苦しさはない。
ホッとした後、着替えながらつらつらと考えた。
(結局、フェリックスの兄がブラッディ・レズリーに属しているかどうか、トゥルーさんは聞いてくれなかったのかしら)
いえ、とルースは首を振る。
(聞いてないというか、トゥルーさんは多分知っているのよね。情報を伏せているだけ)
いかなる事情があるといえど、ここまで残虐なことを仕出かしているブラッディ・レズリーの情報を伏せていることが、ルースには耐えられなかった。
(兄さんの実父が関わっているかもしれないし、なおさらだわ)
おそらく、ブラッディ・レズリーは自分たちに深くかかわっているのだ。
ルースを罠にはめようとしたのがオーウェンの父親なら、ブラッディ・レズリーがルースを狙ったことになる。しかし、どうしてあんなに回りくどいことをしたのだろうか。
理由は一つ――フェリックスから、引き離さねばならなかったからだ。
(ブラッディ・レズリーが手を出さないのは、フェリックスがいたから)
やはり、かの団にはフェリックスの身内――兄がいるのだろう。傷つけないようにと、指示があるのかもしれない。
(フェリックスは怒るだろうけど、このままではいられない)
ルースは、決意をした。
フィービーに、情報を提供しようと。
ジェーンによると、フィービーは東部に行ったらしい。東部なら実家にいるそうだから、それなら手紙は確実に届くだろう。
昼食後、ルースは部屋にこもって手紙を書き上げた。
ひょんなことからフェリックスの過去を知ったこと。彼の兄が、ブラッディ・レズリーかもしれないということ。
成果を教えてほしいという文も添えて、ルースは手紙に封をした。
居間に出ていくと、ジェーンが煙草をふかしているところだった。
「ジェーンさん」
「お嬢ちゃん、手紙書けた?」
ジェーンが、郵便局まで送ってくれることになっていた。
「でも、フィービーに手紙ねえ。何の用なの?」
「ええと、この前お世話になったから、お礼です」
「律儀ねえ。礼なんて言わないでいいでしょ」
ジェーンは面白くないようだ。
「それにしても、フィービーの住所がすぐわかるとは思わなかった」
「有名な家だからね。アレクサンドラ家は、東部でも有数の名家よ。ああ見えてフィービーは、お嬢様」
「へえ……。ジェーンさんも、令嬢だったんですよね?」
「まあね。ま、私は成り上がりの家だったし南部出身だけどね」
ジェーンは、煙草の煙を吐き出しながら笑った。
「アレクサンドラ家は、本物のエリートよ。彼女の叔父は、大統領だし」
「えっ!?」
「あら、初めて知ったのね。あの女は権力の塊なのよ」
むかつくわね、とジェーンは付け加えていた。
「さて、郵便局に行きましょうか。お嬢ちゃん」
「ええ」
「フェリックスには言わないで、いいの?」
「フェリックスは、疲れてると思うから……大丈夫」
「ふうん」
ジェーンは、それ以上聞かないでいてくれた。
フェリックスは昨日、夜遅くまでオーウェンと話したのか、未だに起き出してこなかった。旅の疲れが出てしまったせいもあるのだろう。調子の悪いルースを抱えての帰路は、大変だったはずだ。
(それが、今は有難いけど)
あの目に見据えられたら、見抜かれてしまいそうで。
まさか、言えまい。フィービーに、フェリックスの兄がブラッディ・レズリーの一員かもしれない――なんて手紙を送るなどと。
ルースはジェーンと共に郵便局に行き、手紙を出した。
それあとは家に帰り、居間でジョナサンと話すことにした。
旅中での話を、ジョナサンが聞きたがったからだ。
フェリックスが起き出してきたのは、夕方前だった。
「……おはよう。二人とも」
フェリックスを見て、ルースもジョナサンも戸惑った。
「おはよう、って時間じゃないけどね。大丈夫?」
「ああ、大丈夫さ。ちょっとばかし、疲れが出ちまったなあ」
フェリックスはあくびをかみ殺し、ルースの隣に腰かけた。
「ジョナサン、体は平気か?」
「うん、もう大丈夫。天使ともいっぱい話したよ」
「そうか。天使はいい奴か?」
「つまんないけど、いい人だと思う」
つまんない、というところでフェリックスは大笑いしていた。
「でも、名前ないんだって。だから、僕がつけてあげたよ。ナサニエル――ちょっと天使っぽい名前でしょ?」
「なるほど、いい名前じゃないか。……それでジョナサン。天使からも説明があったと思うが、お前も悪魔が見えるようになった」
「……うん」
ジョナサンは神妙な顔で頷いた。
「それで生じるリスクもあるだろうが――天使の言うことに従え。天使が中にいるなら、浄化してやれる」
「つまり、僕も悪魔祓いになれるってこと?」
「そうだ。だが、お前はまだ幼い。それに、素質があるからといって無理に悪魔祓いになる必要もない。けど……お前が成長した後も、悪魔祓いになりたいって思いがあるなら俺に連絡してくれ。教えられることは、全て教えてやる」
「わかった!」
ジョナサンは、ぱっと明るい表情になった。
「でも、フェリックス。その言い方じゃ、フェリックスと離れ離れになっちゃうみたいじゃない」
「……なるだろうさ。もう、親父さんは定住するつもりだろ?」
フェリックスの発言に、ルースが青ざめた。
「それ、パパが言ってたの?」
「いや。でも、様子見てればわかるさ」
「……そうね」
ルースも、薄々察していたことだった。
「フェリックス、行かないでよ。僕らと、ここに住もうよ」
「――そう言ってくれるのは、有難いんだけどな。俺はどうしても、放浪生活しなくちゃいけないから」
ぽん、とフェリックスはジョナサンの頭を軽く叩いた。
「さあて、腹が減ったから何かもらってくるか」
フェリックスは立ち上がり、居間から出ていってしまった。
「……お姉ちゃん」
「何よ」
「フェリックスと結婚して」
「……またあんたは、無茶言って」
舌打ちをして、ルースは頬杖をついた。
「無理よ。フェリックスは、誰とも結婚しないつもりらしいから」
「な、何で?」
「知らない。本人に聞いて」
ルースはそう告げて、ジョナサンから目を逸らした。
(フェリックスはいずれ、あたしたちのもとから去る。それは、決定事項)
でも、その前に――
(色々と、聞いておかないと……)
たとえフェリックスに恨まれ、憎まれようとも。明らかにしなくてはならない事実があった。
速達で出したおかげで、フィービーが東部滞在中にルースの手紙は無事届いた。
「……ルース・C・ウィンドワード? あの、小娘か」
手紙を受け取ったフィービーは、差出人を見て首を傾げた。
「小娘が私に手紙とは、どういうことだ?」
「さあ……。何かあったんですかね?」
傍らのエウスタシオも、不思議そうな顔をしている。
「ま、中身を見てみるか」
封を開け、手紙を広げる。
そこに書かれていた内容に顔をしかめ、フィービーはエウスタシオに手紙を渡した。
「……これは」
彼も驚いたようだ。
「フェリックス・E・シュトーゲルの素性や家族のことなんて、とっくに調べているというのに。あの小娘は何を言っているんだ?」
「そうですよね……。しかも、彼の母親を殺した事件の犯人は、彼の兄ではないですよね?」
「そうだ。最初、あいつの兄が犯人として疑われたが、結局は野盗の犯行だとわかったんだ。兄のビヴァリーだったか……そいつは、西部で実業家やっているんだろう? ブラッディ・レズリーの一員なわけあるか」
「ええ。あのお嬢さんは、どうして勘違いしているんでしょうね? 返事はどうします?」
「早めに返してやるか。あの書類は、写しを取っていたはずだな? 一応、再確認しておくか」
「ええ。行きましょう」
そうして二人は、フィービーの部屋に向かった。
ルースに返事が来たのは、手紙を出して数日後だった。向こうも速達で返してくれたのだろう。
随分早い、と思いながらルースは手紙を受け取り――自室で封を開けた。
“小娘へ”
(この人、あたしの名前覚えてないのかしら……)
気を悪くしつつも、ルースは続きを目で追う。
“お前は何か勘違いをしているらしい。フェリックス・E・シュトーゲルの本名がエヴァン・F・シュトーゲルであることは、とっくにわかっている。私たちも素性を調べたからな。
そして、奴の兄ビヴァリーが母親を殺害したというのは誤情報だ。ビヴァリーが疑われたこともあったが、結局は野盗の仕業だと判明した。
そしてビヴァリーは、西部の実業家として名を立てているような奴だ。ブラッディ・レズリーなわけあるか”
ルースはすぐには呑み込めず、手紙を落としてしまった。
(……う、そ?)
それなら、あの記憶の世界は何だったのか。
自分が殺したと言ったビヴァリーは……?
(あの記憶は、嘘だった?)
そこでルースは気配に気づき、振り向いた。
戸口に、フェリックスが立っていた。彼は恐ろしいほどの無表情で――ルースを見ていた。