Chapter6. The Bitter Reality
真実は苦く
とある町のサルーンにて、知らせを聞いたルビィは青ざめた。
「あの子供の病気が、治った……?」
「らしいぞ。さあ、顔を見られたお前はどうする。病気で死ななかったんだ。お前の手で殺さないといけないぞ」
「……」
耐えきれなくて、ルビィはうつむく。
「……ロビン、もう無理だ」
「は?」
「あたしはもう、殺しを続けられない」
「それは、死んでもいいってことか?」
ごった返すサルーンの中、不穏な会話を聞きとがめる者はいなかった。皆、それぞれのおしゃべりに忙しいのだろう。
「急に、どうしたんだ」
「……あたしが殺してきたのは、人間だ。それはわかっている。でも、一度話して存在を自覚した人を殺すのは……あたしには無理だ」
「情が湧く、ってやつかよ。……面倒くせえなあ。腕のいいスナイパーは貴重だってのに。まあ、お前を殺すならアーサーに任せろと言われている。アーサーのところに行け。お前、場所知ってるだろ。今は隣町だ」
「……」
「さっさと行け」
促され、ルビィは立ち上がった。
このまま、逃げたいと思う。でも、逃げてどこに行くのだろう。
どうせ、ルビィはアーサーのもとでしか生きられないのに。
指示されるがままに人を殺して、ここまできた。
スナイパーとして育ててくれたアーサーに引導を渡してもらうのが、ふさわしい末路だろう。
サルーンを出たところで、「あ」とルビィは呟く。
アーサーも手を出せない……出さない場所を、思いついてしまった。
(でも……行って、どうする?)
歩きながら、ルビィは思考する。
(アーサーの手から逃れて、生き延びて。そして……どうするっていうの)
馬鹿らしいとわかっている。だけど、ルビィは自分に価値を見出してしまった。
自分は、ブラッディ・レズリーの情報を提供できる。
ふと振り向く。ロビンは追ってきていなかった。
行先を攪乱することぐらいできるだろう。そのくらい、お手の物だ。
ルビィは覚悟を決めて、一歩踏み出した。
フェリックスは平坦な声で、尋ねてきた。
「ルース。フィービーに手紙出したんだってな」
「……ええ」
ジェーンから聞いたのだろう。彼女には口止めしていなかった。口止めした方が変だと思われると、考えたからだ。
「で、返事が返ってきたわけか。どういう手紙か、教えてくれるか?」
「……どうして、言わないといけないの?」
「言えない理由があるのか?」
フェリックスは一歩部屋に入って、後ろ手に扉を閉めた。
怖い、と思ってしまう。無表情だと、フェリックスは恐ろしい。
そういう表情をしていると、回想で見たビヴァリーに似ていると――思ってしまった。
「なあ、ルース」
フェリックスの声はまだ、硬質だった。
「お前、俺の回想に出てきただろう」
ハッとして顔を上げる。フェリックスはようやっと、笑みを浮かべた。温かみの感じない、皮肉な笑みではあったが。
「やっぱりな。なんとなく、覚えているんだよ。それに……俺が目覚めてから、様子が変だったし。言わない理由もわかるから、黙っておいたけどな。でも――」
フェリックスはルースに近づき、目を覗き込んだ。
「そういう風にされちゃあ、仕方ないな。――言え」
高圧的に命令されて、ルースはぐっと歯を食いしばる。
「嫌だって言ったら?」
「いい加減にしろ」
フェリックスは、引き下がらなかった。むしろ益々、声音が凄みを増した。
「……わかったわ」
これ以上、言い争うのは得策ではないと判断し、ルースは手紙を渡した。
フェリックスは手紙を受け取り、ざっと眺めた。
「ふうん。俺の兄がブラッディ・レズリーじゃないかって、疑ったのか。でも、フィービーは否定したな。……これで、満足か?」
「いいえ。だって、あなたのお母さんを殺したのはお兄さんだったんでしょう? どうして、食い違っているの?」
ルースの問いに、フェリックスは目を逸らした。
「俺が知るかよ。ビヴァリーも、混乱してたんだろ。自分が殺したと勘違いしただけじゃないか?」
「……本当? 実業家ってのも、本当?」
「ああ。そう遠くない町に、あいつの屋敷がある。気になるなら、行ってみたらどうだ」
フェリックスは面白くもなさそうに、肩をすくめた。
「フェリックスは、あれ以降……会ってないの?」
「会ってどうしろって言うんだよ。お前も見た通り、あいつは養父の敵だ。直接手を下したわけでなくても、養父を殺したのは兄貴だ」
「……そうなの。……ごめんなさい」
ルースはうつむき、詫びた。
「あのね、フェリックス。あたしは、ブラッディ・レズリーに狙われる理由に見当がついたのよ」
「……」
「あたしの中に、何かがいるんでしょう? 悪いものが。ブラッディ・レズリーは、それを利用したい。だから狙うのよね」
でも、とルースは続ける。
「なぜか彼らは、あたしにそうそう手を出さなかった。それは、あなたが近くにいたせいだと思ったからよ。そう、ブラッディ・レズリーの一員の兄弟がいるから――強引に、あたしをさらえなかったんじゃないかって。……これが、あたしがあなたの兄を疑った理由」
「……そうか」
フェリックスは一息ついて、腕を組んだ。
「ねえ、教えて。あたしの中に何がいるか。それがあたしが記憶を失くした理由なんでしょう? 姉さんの悪魔もきっと、あたしの中にいる何かが原因になったんだわ。だから、耐えきれなくなった。どうなの? 違う?」
まくしたてても、フェリックスは動じなかった。
「……俺は何も、答えないよ」
「どうして!? 他の誰でもないあたしが、知りたいって言ってるのに?」
「――お前は耐え切れないさ。事実、一度耐え切れなかった。この話は終わりだ。文句があるのなら、過去の自分に言うんだな」
冷たく言い残して、フェリックスは部屋を出ていこうとする。
待って、と叫んだとき――扉の向こうからジョナサンの声が響いた。
「お姉ちゃーん! お父さんから、みんなに話があるってさ!」
父からの話は、恐れていたものだった。
「……定住しようと思う」
ルースは顔を強張らせたが、他の家族はそれほど表情を変えていなかった。
ルースが旅に出ている間に、事前に聞いていたのかもしれない。
「理由はまあ、色々ある。やっぱり、この人数で旅芸人をするのはきついってのが大きかったな。一人ひとりの負担が大きすぎた。幸い、レイノルズは――人手が足りないから、是非一緒に住んでくれ、と言ってくれている」
父は、心配そうにルースを見た。
「勘違いするなよ、ルース。お前は立派に、一座の歌い手を務めてくれたさ」
ルースは頷き、拳をもう一つの手で包んだ。
(でも……あたしの歌で、状況をひっくり返せなかったことも確かだわ)
悪魔に憑かれていたとはいえ、あのキャスリーンが歌い手だった時代を超えるどころか並べなかった。
(あたしの歌は、無力だ……)
じくじくと、胸が痛んだ。
「みんな、賛成してくれるか? 反対なら、手を挙げてくれ」
父はそう言ったが、誰も手を挙げなかった。
「……よし。それじゃあ、決まりだ。でも、このまま終わりってのはなんだ。最後に、もう一度巡業をしよう」
父の言葉に、ルースは思わず顔を上げる。
「ウィンドワード一座はそれで、解散だ」
「パパ、ありがとう」
「礼を言うようなことじゃないだろ。ジョナサンが本調子に戻ったら、出発しよう。そして巡業を終えたら、ここに戻ってくるんだ」
「はーい」
ジョナサンも、にこにこ笑っていた。
「……ということでフェリックス。長い間ありがとうな。最後の巡業で、契約は終了ってことにしてくれ」
それまで黙って話を聞いていたフェリックスに、アーネストは話を振る。
フェリックスはがっかりした様子もなく、微笑んだ。
「了解。長い間、楽しかったよ」
「こちらこそ。お前さんほど優秀な用心棒はいなかった。また何かあったら、よろしくな」
二人のやり取りを見て、ジョナサンが明らかにがっかりしていた。恨みがましい視線も感じるが、ルースは気づかないふりをする。
(どうしようもないってのに)
フェリックスは結婚する気がないらしいし、更に今のルースとフェリックスの仲は険悪と言っていい。
(大体、何でこんなこと考えないといけないのよ)
ルースは天井に視線をやり、ため息をついた。
ルースもいずれ、両親か叔父夫婦に急かされて誰かと結婚しなければならないのだろう。農場を出るかもしれないが、農家の嫁にでもなって子供を産み育てる生活を……。
(嫌だ……)
想像しただけで、泣きそうになってしまった。
(歌を、諦めたくないのに)
暗くなったルースを心配したのか、フェリックスが声をかけてきた。
「なあ、ルース。歌を続けたいなら、東部に行ってもいいじゃないか。――なあ、親父さん?」
まさか助け船を出してくれるとは思わず、ルースは戸惑うばかりだった。
「ん? おう。オーディションとやらを受けないといけないが、お前が行きたいなら俺が付き合うぞ」
「本当?」
「ああ。お前の才能は惜しいしなあ。巡業が終わってここに帰って、しばらくしたら俺とルースで東部に行ってみるか。何事も挑戦だ」
「わかったわ」
小さく「ありがとう」と言ってみると、フェリックスはいつも通りの屈託のない笑みを浮かべてくれた。
「また巡業かあ。いいなあ、オレも行きたいなー」
リッキーが、多少わざとらしく話に入ってきた。
「お前も来たいなら来い、と言いたいところだがなあ……」
ただでさえ人手不足の農場だ。子供とはいえ、リッキーがいなくなると叔父夫婦は困るだろう。
アーネストが苦笑したところで、オーウェンが口を開いた。
「リッキーが行きたいなら、行くといい。代わりに俺が残ろう」
兄の発言に、ルースは眉をひそめた。
「兄さん、どうして」
「……深い理由はない」
オーウェンは、ルースの方を見なかった。
何か事情があるのだろうか、と今度はフェリックスに視線をやる。
だけどフェリックスは、頬杖をついた姿勢のまま動かなかった。
「オーウェンがそう言うなら……。リッキー、お前はギターできたよな?」
「おう、任せろ。しばらく弾いてないが、ちゃちゃっと練習して勘を取り戻してやるぜ」
リッキーは嬉しそうに笑っていた。
話が終わった後、ルースは居間を出ていこうとするオーウェンを引き留めた。
「兄さん、どうしてか理由を教えてよ」
「……深い理由はないと言っただろう」
オーウェンはルースを見下ろし、妹が引き下がる気がないことを悟ったらしい。ため息をついた後、椅子に腰かけた。
ルースはその隣に座り、じっと兄を見る。
「用心棒には話したんだけどな。……俺の父親がまた、俺に連絡を取る可能性がある」
「なら、ここにいたら危険じゃないの? さらわれてしまうとか……」
「いや、さすがに無理強いはしないだろう。無理に俺の身柄を確保したかったのなら、俺をここに帰さなかったはずだ」
「それもそうね……」
ルースは腕を組み、天井に視線をやった。
「俺は父親から、もっと詳しい話を聞いてみようと思う。……なあ、ルース。変だと思わないか。俺は悪魔に力を与えやすいらしい。ジョナサンは天使を宿した。お前も、天使を宿してここまで運んだんだろう?」
フェリックスから聞いたらしい。懐疑的な兄が信じているのが不思議ではあったが、ジョナサンの快癒を目撃した以上は否定できなかったのだろう。
「……そうね」
「用心棒曰く、こういう素質は血筋で受け継がれるらしい。だがもちろん、ウィンドワードの血筋じゃないだろう。カロ家の血筋が関係している」
「ええ」
エマとヘイリーは姉妹扱いされていたが、実の姉妹ではなかったと言われている。だが、彼女たちが同じカロの家系であることは確かだった。
「だが、母さんはよく知らないらしい。一方、ヴラドと名乗った俺の実父はよく知っていそうだった。俺たちは、知るべきだと思わないか?」
「思うわ」
「だろう? だから俺は敢えて残り、実父からの連絡を待とうと思う。何か、カロに関することをあいつは知っているはずだ」
あと、とオーウェンは声をひそめて続けた。
「用心棒はおそらく、初めから俺たちの――カロのことを知っていたはずだ」
「え?」
「そうでないと、おかしい。悪魔に何らかの関係のある力を持つ一家を、悪魔祓いの用心棒が“偶然”護衛するか?」
「フェリックスは、何て言ってたの?」
「しらばっくれた。あいつは、味方なのか敵なのかわからない。だが、情報を全て提供するつもりはないらしい。あいつは、何か隠している」
オーウェンは面白くなさそうに舌打ちした。
「お前を傷つけることはないと思うが、気をつけろ」
「わかったわ」
いつものように、反発できなかった。ルースも、フェリックスをどう見ていいかわからなくなっていたから。
「ねえ、兄さん。あたしたちに何か力があるなら、姉さんもあったってこと?」
「……ああ、それはないだろう……」
オーウェンは、言いにくそうに口を開いた。
「あのな、ルース。そもそもキャスリーンは血縁じゃない」
「え?」
「キャスリーンは、捨て子だったらしい。まだ子供のいなかったヘイリーが、どこかの国で拾ったんだ。俺の口から言っていいかわからないから、今まで言わなかったが――」
「そう、なの?」
たしかに、キャスリーンはルースにもジョナサンにも似ていなかった。だからといって、父の方に似たわけでもない。
でも、ルースは彼女が実の姉だと疑いもしなかった。
キャスリーンがいつもどこか遠慮がちだったのは、そのせいもあったのだろうか。
「ともかくルース、用心棒には気を許すなよ」
「ええ」
頷くルースを満足そうに見た後、オーウェンは立ち上がった。
「じゃあ、俺はそろそろ行く。またな」
「ええ」
兄を見送り、ルースはため息をついた。
オーウェンは、フェリックスを警戒しろと言って殊勝に頷いたルースが気に入ったようだった。いつもなら、「そんなこと」と言って笑うからだろう。
(フェリックスは、いつもあたしを助けてくれた)
味方のはずだ。でも、味方にしては……
ルースは拳を握り込んだ。
(次の巡業が、あたしの最後の旅になるはず。フェリックスとも、そこでお別れ。上手くやるしかない)
お別れ、と考えるとどうしようもなく淋しくなってしまった。