6. The Bitter Reality

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 翌日、朝も早くからウィンドワード一座とジェーンは旅立った。
 アーネストは、いきなり同行することになった少女を不審そうに見ていた。
「お前の、連れねえ……。大丈夫なのか?」
「正確に言えば、俺の知り合いの知り合いってところ。悪いけど、しばらく同行させてくれ」
「僕の友達でもあるよー! ねえ、ウィリアム?」
 フェリックスが言い募る傍ら、ジョナサンが口を出す。
「ウィリアム? ……どう見ても、女の子じゃねえか」
「男の振りしてるんでしょ。何でだっけ?」
 ジョナサンに無邪気に問われて、ルビィは苦笑する。
「事情があってな。本名はルビィだ」
「ルビィかー。真っ赤な髪だから、ぴったりだね。よろしくね、ルビィ」
 ジョナサンは人懐っこい笑顔を浮かべ、ルビィを握手を交わす。
 その様子を見て、ルースは首を傾げた。
(元々、人懐こい子だけど……妙な懐き方ねえ)
「はっはあ」
 ルースの隣で、リッキーが訳知り顔で頷いていた。

「あの子、何なの?」
 幌馬車に乗って、ルースはフェリックスに話しかけた。用意で疲れたのか、ジョナサンもリッキーもすやすや眠っている。ルビィは眠っていないようだが、じっと目を閉じていた。
「ブラッディ・レズリーのスナイパー」
 小さな声で教えられて、ルースはぎょっとした。
「そ、そんな子を、どうしてあたしたちに同行させるのよ!」
「静かに。……あの子は、ブラッディ・レズリーを裏切ったんだ。フィービーに渡すまで、俺が守ってやらないと」
「――どうして、あんたが?」
 その質問には、フェリックスは答えてくれなかった。

 その日は野宿だった。夜も更けた頃、落ち着かなくて目が覚めたルースは、天幕の外に出る。
 フェリックスは、火を焚いて見張りの番をしていた。
「……あれ、ルース。起きたのか」
「うん……。隣、いい?」
「どうぞ」
 フェリックスの隣に座って、ルースは立てた膝を引き寄せる。
「フェリックス。もう、あたしに真実を言ってほしいの」
「……」
「わかってるわ。あたしがあんたに、約束させたこと。でも――今のあたしは、それを破棄したい。以前は耐えられなかったかもしれない。今度は大丈夫、と断言できないけど……でも、一緒なの。あたしは大体、見当がついてる。自分を責め始めている」
 姉の死は、自分のせいだったのでは。考えると、止まらない。
「どうせなら、真実を知ってから自分を責めたいわ。あんた、もうすぐあたしたちの傍からいなくなるんでしょ? その前に、知りたいの」
 真剣に、フェリックスの目を見つめる。天空の色をした目は、静かにルースを見返した。
「…………そうだな。もう、言ってもいい頃合いかもしれない。今のお前は、以前よりも強く見えるから」
 ルースは、息を呑んだ。とうとう、明かされる。ルースが失くした記憶が。
 そうして、フェリックスは語り始めた。
「お前の母方は、カロというロマの一族だろう?」
「ええ」
「カロ家には、以前から旧大陸で悪魔祓いたちが注目していた」
「――え?」
「カロ家はな、悪魔を使役したんだよ」
 ルースはフェリックスの言葉が信じられなくて、何度も頭の中で繰り返した。
 悪魔を――使役した、しえきした、シエキシタ……?
「お前たちがエンプティなのも、カロの血筋だからだ。エンプティとして悪魔を宿し、普通の人間にはできないことをやった。たとえば予言、たとえば呪い――。利用するにあたって、いつ実行したのかはわからない。カロの者は、悪魔を呼びやすいように、上級悪魔を常に体に宿すことにした。悪魔を呼び寄せ、惹きつける悪魔だ。この悪魔は、通常の悪魔と違って不思議な力は持たない。人を魅了することもないし、破壊することもない。だが、悪魔を引き寄せる。その悪魔を、俺たち悪魔祓いはブラック・マザーと呼んだ」
 フェリックスは、淡々と続けた。
「ブラック・マザーはカロ家直系の、母から娘へと引き継がれる。産んだ瞬間に、娘に移るらしい」
「ちょっと、待って。じゃあ、あたしの中にいるのは」
「そうだ。ブラック・マザーだよ。……なあ、ルース。不思議だと思わなかったか? お前の行く先々で、悪魔絡みの事件が起きたこと」
 そういえばそうだ、とルースは青ざめる。
「ブラック・マザーの力は、子供のときは抑えられているんだとさ。思春期ぐらいに、その力は段々と花開く」
「……あんたはそのこと、ずっと知ってたの」
「もちろんだ。俺は悪魔祓い協会には入ってないが、色々あってプロテスタントとカトリックの悪魔祓い協会の両方から、指示を受けていた。そして、悪魔を呼ぶカロの娘が新大陸に移るから、監視し保護せよとの命令が下った。……ブラッディ・レズリーが利用するかもしれないからだ」
 フェリックスの告白に、驚きすぎてルースは何も言えなかった。
「じゃあ、姉さんが悪魔に取り憑かれたのは」
「……ブラック・マザーが悪魔を引き寄せた、と考えるとしっくりくる」
「……!」
 覚悟していたことなのに、ルースの心は悲鳴をあげるほど痛んだ。
「残念ながら、キャスリーンには悪魔に取り憑かれる要素を持っていた。お前への、嫉妬心だ……」
 かつて、エレンの喉が潰れた後はルースが歌い手を引き継いだ。キャスリーンは舞台に立つこともなく、裏方で支えてくれた。
 しかしルースのせいで悪魔が引き寄せられ、ルースへの嫉妬心で悪魔に取り憑かれた。
(……あたしが、忘れたいと願ったはずだわ)
 後悔していない、と言えば嘘になる。だけど、もう引き返せなかった。また記憶を消去する、という選択肢は取らないと決めていた。
「ブラック・マザーを祓わないの?」
「無理なんだ。カロ家が旧大陸にいた頃から、悪魔祓いたちは何とかブラック・マザーを祓おうとしていた。でも、どうしてもできなかったらしい。それこそ、ブラック・マザーを宿した娘を殺しても」
 フェリックスの言葉に、ゾッとする。
「別の女に、乗り移ったらしい。それで、旧大陸の悪魔祓い協会はカロを利用することにしたんだ。カロを監視し、行く先々で現れる悪魔を狩る。カロは、歌舞での評判が高まってきたおかげで、占いや呪いはやらなくなっていった。だから、悪魔を利用することも少なくなっていったんだ。ただ、ブラック・マザーは依然として引き継がれていった」
「……それが、あたしの中に」
 ルースは、今にも叫びそうな喉を押さえて涙を落とした。
「おそらく、お前の母親も知らなかったんじゃないだろうか。エレンさんも知らないそうだから」
「失われた、カロの伝統ってことね……」
「ああ。しかし、おそらくオーウェンの実父は知っている。ブラッディ・レズリーにルースのことを教えたのは、あいつだろうし」
 フェリックスは考え込むようにして腕を組んだが、ルースの肩が震えていることに気づいてそっと抱き寄せた。
「……だから、言ったろ。知らずに済ませるのが一番だったんだ」
「でも――目を背けちゃいけないと、思ったんだもの」
 哀しい。悔しい。ルースは濡れた目で、心配そうな顔のフェリックスを見上げる。
 そう、哀しいのは――彼との出逢いすら、偶然でなかったせいもある。彼は、たまたまウィンドワード一座に声をかけてきた用心棒ではない。初めから全てを知って、対策するために送り込まれた監視者である、悪魔祓い。
「悪魔祓い協会の指示は、遅かった。俺が合流したときにはもう、キャスリーンは悪魔の力で歌姫として輝いていたんだ」
「……姉さん、ごめんなさい……」
 今はもうここにはいない、キャスリーンに向かって謝罪した。もちろんどこからも、声なんて返ってこなかったけれど。

 ルースはいつの間にか、あのまま眠ってしまったらしい。目覚めると、天幕の中に寝かされていた。フェリックスが運んでくれたのだろう。
 起き上がり、ルースは隣で眠るジョナサンを見下ろす。
 天使を宿した弟と――
「耐えられないわ……」
 ルースは口を抑えて、呻いた。
 ルースの中には、悪魔がいる。キャスリーンを殺した悪魔を引き寄せた、悪魔が。
(ブラッディ・レズリーは悪魔を利用している。かつてのカロも、悪魔を利用していた)
 どうして、と思う。あんなもの、御し切れないに決まっている。
 ルースは初めて、自分に流れる血を憎んだ。

 その日の内に町に辿り着き、公演の許可を取りつけた。
 舞台に立ち、ルースは歌った。
 自分でもわかるぐらい、哀しみに満ちた歌声になってしまった。だが、良い歌声では到底なかった。哀しみを消化しきれない、ぐちゃぐちゃな気持ちが歌に現れてしまったのだ。
 公演は気のない拍手で終わり、ルースはうつむいた。
 公演後、アーネストはルースにぴしゃりと言った。
「何のための、最後の巡業だよ。お前、歌いたかったんだろ!?」
「……パパ。あたし、無理。今は歌えない。リッキーに、歌ってもらって……」
 泣き崩れるルースを見下ろし、アーネストは大きなため息をついた。

 次の日も同じ町での公演だった。結局、ルースはマンドリンの演奏に回ることになり、歌い手はリッキーが務めることになった。元気でよく通る、少年らしいリッキーの歌声は町人には大好評だった。昨日のしけた拍手が嘘のような盛大な拍手で公演は終わり、実入りも良かった。
「いやあ、ルースが調子悪いなんてなあ。オーウェン兄ちゃんに変わって、オレが来て正解かな」
 気を良くしたリッキーが夕食時に、ルースに声をかける。悪気はないのだろうが、ルースは少し傷ついてしまった。
「そうね……ごめんね、リッキー。いきなり歌い手を任せちゃって」
「いいっていいって。久しぶりに楽しいぜー」
 リッキーは鼻歌を歌いつつ、ジャンバラヤを頬張る。
 ふと、ルースはフェリックスを見やった。フェリックスは、こちらに視線を向けなかった。
 もしかすると、フェリックスはルースに言うべきではなかったと、後悔しているのかもしれない。
 ルースが受け止め切れていないことは、誰の目にも明らかだろう。