6. The Bitter Reality
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その町を後にして、次の町に行ってからも――ルースの調子は戻らず、リッキーが歌い手を務めた。
リッキーの声はいい。溌溂としていて、憂鬱さを吹き飛ばす。何より、声変わり前の少年特有の声は魅力的だった。今のルースの声とは対照的だ。
リッキーに歌い手を任せて正解だと思いつつ、悔しくて仕方がなかった。ずっと歌っていなくて、巡業のときも楽器やコーラス専門だったリッキーが、あんなに華やかに歌うことができるのに。
(あたしは、何やってるんだろう)
ある夜、ルースはフェリックスに呼び出された。呼ばれて行ったフェリックスの部屋には、トゥルー・アイズが待っていた。フェリックスと同室であるはずのリッキーはどこに行っているのか、今はいなかった。
「トゥルーさん……」
久しぶりに見る顔に、どこかホッとしてしまう。トゥルー・アイズの持つ静謐な空気は、ルースのささくれた心を癒してくれるようだった。
「ルース、また会ったな。……どうやら、耐え切れなかったようだな」
ハッとして、トゥルー・アイズの傍らのフェリックスを見やる。フェリックスは無表情で、ルースを眺めた。
「記憶を消してもらおう」
「……嫌よ」
「今のお前は、以前のお前と同じだ。真実に耐え切れなくて、壊れかけたお前と。現に、歌えてないじゃないか」
指摘され、ルースはうつむいた。
「食事も、ろくに取ってないだろ」
「でも、忘れてどうするっていうの!? あたしはきっとまた、知りたがるもの! 何で、あたしの中に悪魔がいるのよ! 祓ってよ! あんた、悪魔祓いなんでしょ!?」
八つ当たりだとわかっていても、ルースはフェリックスに怒鳴ってしまった。言ってから、後悔する。
「……ごめんなさい」
「――いいさ。ブラック・マザーを地獄に帰す手段は、俺もずっと捜してるんだ。でも、見つからない。おそらく、カロの祖先が交わした契約のせいだろうな。……もし俺がお前の傍から消えても、他の悪魔祓いが監視に付くだろう。そいつも、祓う方法を探してくれるさ」
「本当に? 悪魔祓いは、カロ家を利用して来たんじゃないの!?」
また、なじる口調になってしまい、ルースは口をつぐむ。
「もう……やだ……どう考えていいか、わからないわ」
ぼろぼろ涙を零すと、近づいてきたトゥルー・アイズがそっとハンカチを差し出してくれた。
「ルース、私からも勧める。お前は忘れた方がいい。お前には耐え切れないのだ」
「……嫌、それは嫌っ!」
泣き崩れ、床にへたりこんでしまう。低い、ため息が聞こえた。
「しばらく、この一座に同行させてもらおうと思う。お前の決意が固まったら、いつでも声をかけてくれ」
トゥルー・アイズの言葉にも頷けず、泣きじゃくっていると、いきなりふわっと宙に浮く心地がした。見れば、フェリックスが、ルースを抱き上げていた。
「……もう、壊れたお前を見たくないんだよ」
切なく囁かれても、ルースは何も答えられなかった。
「下ろして、フェリックス。自分で歩くわ……」
請うと、フェリックスはすぐにルースを下ろしてくれた。とん、と床にブーツが着くとホッとする。
「……ねえ、フェリックス。あのルビィが同行してあんたが守ってるのって、やっぱり……」
どうして、急にそんなことを聞きたくなったのか、自分でもわからなかった。ただ、少しでも話題を逸らしたかったのかもしれない。
「あなたの兄は、ブラッディ・レズリーなんじゃないの?」
「……」
フェリックスは表情を失くしていた。庇うように、トゥルー・アイズが口を挟む。
「今更、言い訳も苦しいだろう、兄弟。説明すればどうだ? どうせ……」
どうせ、ルースはいずれ記憶を失うのだから――と続けたかったのだろうと、嫌でもわかる。
「そうだな――。……残念ながら、ルースの推測通りだ。俺の兄ビヴァリーは、ブラッディ・レズリーだ」
「どうして……あんたは、それを言わないの?」
「証拠がないんだよ、ルース。あと、どうやら保安官側にもブラッディ・レズリーに付いてる奴がいるらしい。一度、訴えを出したが取り下げられた。そして――悪魔祓い協会は、俺の立場を利用しろと言ってきた。ビヴァリーは、俺を傷つけないからな。ブラッディ・レズリーが悪魔絡みの事件を起こしていることは、ルースもわかっているだろ?」
問われ、ルースは深く頷いた。
「ビヴァリーは西部の実業家だし、俺一人の訴えだけじゃ引っ張れないんだよ。ビヴァリーには前科もないし」
「本当は、あんたのお母さんを殺したのよね?」
「そう。それも、気がつけば証拠不十分で釈放された。新たな証拠が見つかり、野盗の仕業とわかりましたとさ――。ま、どう考えてもビヴァリーが仕組んだことなんだけどな」
フェリックスはため息をついて、ベッドに腰かけていた。
「フィービーなら、何でも信じてくれそうじゃない?」
「フィービーはまあ、そうだけど。あいつ一人が動いたってどうしようもない。保安官には、悪魔に対抗する手段がないからな」
フェリックスは、悪魔祓い協会が悪魔祓いを手配し対抗しようとしていたことを語った。
「それに、フィービーには特に言うなと言われていてな」
「誰から?」
「それは、秘密」
フェリックスは、食えない笑顔を浮かべた。この悪魔祓いは――隠し事が多い、とルースは実感する。
「悪魔祓い協会も、悠長よね……」
「それはそうだな。カトリックとプロテスタントで別れてるせいもあって、あまり連携が取れてないみたいだ。どちらも、東部にはあっても西部にはないしな。後手後手に回ってるってのが、実際のところだ。連邦政府に訴えても、悪魔なんて信じないお役人ばかりだからなあ」
「そうなの……。――ねえ、フェリックス。ブラッディ・レズリーはあたしを狙うって言ったけど、それにしては動きが遅いし回りくどいわよね」
「……まあ、俺を傷つけないようにって指令が出てる以上、動きにくいんだろう。あと、まだいいと思ってたのかもしれないな。そろそろ、本格的に取りにくるぞ」
警告にも似た呟きに、ルースは身を震わせた。
「あんたを傷つけないようにって指令が通るぐらい、ビヴァリーはブラッディ・レズリーで偉いのね」
ルースの言に、フェリックスは皮肉な笑みを浮かべた。
「そりゃあ……首領だからな」
「え!?」
「俺も、直接聞いたわけじゃないけどな。……でもさ、ルース。俺たちの母親の名前は、レズリーといったんだ」
ブラッディ・レズリー《血まみれのレズリー》……団の名前の意味がわかって、ルースは目を見張った。
「そんな名前をつけるんだから、首領に決まってるだろ? 俺へのサインなんだよ、あの名前は。兄貴はずっと、俺を呼んでるんだ……」
フェリックスの声音に怒りはなかった。ただ、空しい諦めが含まれていた。
ルースはフェリックスの部屋を後にして、自分の泊まっている部屋に帰った。
驚いたことに、ジョナサンだけでなくリッキーとルビィもいた。
「あれ、おかえりルース。フェリックスとの話、終わったのか?」
「ええ。……なに、三人で盛り上がってたの?」
塞ぐ気持ちを押し込め、わざと明るい声で聞いてみる。
「まあねー。じゃ、オレは部屋に帰るかなあ。んじゃ、おやすみ!」
リッキーは手を振り、部屋を出ていってしまった。彼に続くかのように、ルビィも腰を上げる。ルースはなんとなしに、彼女の後を追ってしまった。
廊下に出たところで、ルビィが振り返る。
「……何か?」
「いえ……あの、あなたフェリックスの兄と、ずっと一緒にいたのよね?」
「そうだけど」
「話を、聞かせてくれない?」
ルビィは戸惑ったようだったが、少し経ってから頷いた。
「……じゃあ、あたしの部屋に行くか」
「ええ」
ルビィは、自分の泊まっている部屋に案内してくれた。といっても、フェリックスの部屋の隣だったが。
「何で、アーサーのこと知りたいの?」
「……これから、会うかもしれないでしょ」
「ああ、そっか。あんたはブラック何とかだもんね。もうすぐ、さらわれるかもね」
ルビィの口調は、まるで他人事だった。
「あなたの入ってた組織でしょ? 頭領の傍にいたってのに」
「頭領? あたしも、頭領の顔は知らないよ。アーサー伝手で指令を聞くだけで」
ルビィの言葉に、ルースは目を丸くする。アーサーことビヴァリーは、自分が首領だとルビィには明かしていなかったのか……と、驚いてしまう。
「ブラッディ・レズリーって変わった組織よね」
「まあね。みんなが思っているより、団員は少ないんだよ。一時的に雇った者とか、たくさんいた」
「そうなの……」
「うん。それで、アーサーの何を聞きたいの?」
「ええと。どんな人か、ってこと。フェリックスに、似てるのかしら?」
「――どうだろう。あたしは、エヴァンのことはよく知らないから。顔立ちは似てるね。……アーサーは、ときどきゾッとするほど冷たい表情になるんだ。要らなくなったら、あたしもあっさり殺しちゃうんだろうな、ってわかっちゃうぐらいに」
ルビィはため息をついて、倒れ込むようにしてベッドに寝転がった。面倒くさそうにショートブーツを脱いで、床に落とす。
「……正直、今もまだあたしが生きていることが信じられない。アーサーなら、すぐにあたしを殺すと思ってた。エヴァンと撃ち合うのが、本当に嫌なんだね……」
ルビィの赤茶色の目が、ルースを射る。
「アーサーはね、あたしをかわいがってくれた。あたしは捨て子同然だったんだけど、そこをアーサーに拾われて、色々な武器の扱い方を教えてもらったの。そうして、あたしはスナイパーになった。……男装してたのは、アーサーの指示。男の恰好の方が、西部では浮かないからって言われて。でも――」
「……うん」
たしかに、彼女は一見男に見えないこともない、というぐらいで、すぐに女性と気づくような顔立ちと体型だった。
「みんな、すぐに気づくんだよね。それなのに、アーサーはどうしてあたしにこういう格好させたんだろうって、ずっと疑問だったんだけど……。やっぱり、エヴァンの代わりとして見られていたんだろうね」
「……!」
ルースは、ぎょっとして息を呑んだ。同時に、ああそうか――と思う。
無条件に自分に従うルビィに、エヴァンことフェリックスを重ねていた。エヴァンとは、決別したからこそ、未練があったのだろう。そして今も、アーサーことビヴァリーは異常なまでにエヴァンを大切にしている。
「なら……あたしも、さらわれることはないかしら」
「それはわからないよ。あんたが、鍵だろうから」
「鍵?」
「そう。あたしも全て知ってたわけじゃないけどね。カロの娘は鍵だから、最終的にどんな形であっても手に入れろと言われていた」
ルビィは、滔々と語った。
「気をつけなよ、ってあたしが言えた義理じゃないけどさ。エヴァンから離れない方がいいよ、あんたは」
「……わかったわ」
しばらくルースは黙って佇んでいたが、ルビィに「まだ何か話あるの?」と問われてしまった。
「いえ……色々、教えてくれてありがとうね」
手を振り、ルースはルビィの部屋を後にした。
廊下を歩きながら、色々と考えてしまう。
フェリックスも、トゥルー・アイズも、ルースが記憶の消去を選択すると思い込んでいるようだ。
しかし、ルースはそれをするつもりはなかった。
まだ、向き合うには時間がかかる。今もルースは、受け止め切れていない。自分の弱さに、嫌気が差す。
でも、ルースは今度こそ目を逸らさないと決めていた。