Chapter 7. Sweet Little Bird

優しい小鳥


 事件が起こったのは、二つ目の町を発ったときのことだった。
 幌馬車でのんびり荒野を進んでいると、前方から男が三人馬に乗って走ってきたのだ。
「……何だ、穏やかじゃねえな。フェリックス!」
 御者台からアーネストが叫ぶと、馬に乗っていたフェリックスは神妙な顔で頷いた。
「みんな、馬車の中に入ってろ。親父さんは、いざという時のために馬を操ってもらわないといけないから、御者のままで」
 フェリックスの指示で、顔を出したルースたちもまた幌馬車に引っ込む。だが、ルビィは反対に出てきた。
「……ルビィ。隠れてろ」
「あたしはスナイパーだ。対処できる」
 ルビィはライフルを構えた。
「止めろ。相手に敵意がなかったら――」
 フェリックスの言葉は、途中で打ち切られた。彼の頬を、銃弾がかすめたからだ。
「ちっ」
 舌打ちして、フェリックスは銃を構えて応戦する。銃弾が飛びかい、アーネストは悲鳴をあげた。
 銃弾が馬をかすめたらしく、馬が動揺していななき走り出した。
 あとは、大混戦だった。銃弾を潜り抜けた一騎が、幌馬車に近寄る。フェリックスの銃弾が、その男を貫く。
 だが、彼は腕から血をだらだらと流しながらも、馬車からルースを引っ張った。抱きかかえられ、ルースの悲鳴が空気をつんざく。
「ルース!」
 フェリックスは叫んだものの、遠すぎた。更に、まだ相手からの襲撃は続いていて、ルースの方に行くのは難しかった。
 幌馬車からトゥルー・アイズが飛び降り、ナイフでルースの腕をつかむ男の手を一閃した。落ちそうになったルースは、トゥルー・アイズの腕に受け止められた。
 悲鳴をあげたものの、男は馬でトゥルー・アイズに追いすがる。
 トゥルー・アイズは呪文のように長い言葉を唱え、ルースごと何もない空間へと消えてしまった。
 ルースが消えたことを確認した男たちは、一斉にルビィへと銃弾を向ける。だが、ただでさえ弱っていた彼らはフェリックスとルビィの銃弾によって貫かれ、絶命した。
 落馬した男たちに、フェリックスは近寄る。
「……知らない顔か?」
 ルビィに尋ねると、彼女は苦々しく頷いた。
「雇われ者だろうな。……あの男と、ルースはどこに行ったんだ?」
「……多分、レネ族のところだな」
「は?」
「トゥルーが、一瞬で故郷に帰る術があると言っていた。あれは、その術だろう。だが、それはあくまで故郷への片道だ。ここから、レネの集落は大分離れているはずだから――参ったな」
 フェリックスは足元に落ちていた薬莢を蹴って、銃をホルスターに収めた。
「かえって、好都合じゃないか? あの娘を匿ってくれるなら」
「だといいけど……。レネ族は隠れるのが上手い民族と言っていたからな……」
 ルビィの言葉に頷きながらも、これからどうしたものか、とフェリックスは弱り切った表情を浮かべるしかなかった。



 トゥルー・アイズとルースは、フェリックスの推測通り――レネの集落に来ていた。
「……ここは?」
 ぎょっとして、トゥルー・アイズを見上げる。彼は困ったように、微笑んだ。
「私の集落だよ。……咄嗟に、帰還の術を使ってしまった――。やれやれ、帰るには距離がありすぎる。フェリックスは、この場所を知っている。彼が迎えに来てくれるまで、ここで待とう」
「わかったわ」
 頷きつつ、ルースは周りを見渡す。開けた土地に、たくさんの天幕が並んでいる。先住民の天幕らしく、細長い形をしていた。
 集落の人々は、突然現れたトゥルー・アイズに笑顔で声をかけていた。おそらく、「おかえりなさい」と言っているのだろう。
 ふと、こちらに走り寄ってきた少女が目についた。二つのみつあみを横にたらした、典型的な先住民といった風貌の少女だ。
 かわいい、とルースは微笑んでしまった。
 彼女の目は、トゥルー・アイズを認めてきらきらと輝いていた。赤褐色の肌は滑らかで、黒い髪は艶々としている。顔立ちはかわいらしく、整っていた。
「……!」
 ルースにはわからない呼び名で叫んで、彼女はトゥルー・アイズに近づき頭を下げた。
「ルース。彼女は私の妻、リトル・バードだ」
 ああ、とルースは得心した。
「リトル・バード。……事情は色々あるんだが、彼女は友人の……まあ友人といったところだ。彼女は私たちの言葉はわからないから、こちらで会話してくれ」
「ハイ! 下手ナノデ恥ズカシイデスケド。オ名前、何テイイマスカ?」
 リトル・バードは戸惑ったように、ルースに話しかけた。
「ルース・C・ウィンドワードです。よろしく、リトル・バードさん」
「ルースサン! ヨロシクデス!」
「悪いが、しばらく面倒見てやってくれ。留守にしていたし、私は色々と他の者に話すこと、やることがある。――ルース、リトル・バードに何でも聞いてくれ」
 トゥルーの言葉に頷くと、彼は集落の奥に消えていってしまった。
「ルースサン。トリアエズ、ワタシト――トゥルーサマノ家ニ案内シマスネ」
 リトル・バードはにっこり笑って、ルースの手を取った。

 突然、先住民の集落にやって来て不安いっぱいだったが、ぶしつけな視線は飛んでこなかった。ただ、不思議そうな視線が静かに投げかけられる。物静かな人たち、という印象だった。
 ルースはリトル・バードに大きな天幕に案内された。さすがトゥルー・アイズは族長なだけはあり、立派な天幕だ。
「ドウゾ、オ座リクダサイナ」
 促され、示された敷物の上に座る。
 リトル・バードは、水差しから木のコップにジュースを注いで、ルースに渡してくれた。
「……ありがとう」
「イエ、ハイ」
 リトル・バードは、そわそわしていた。口を開きかけては、止まる。
「どうしたの?」
「ウウン……アノ、トゥルー様トハ、ドウイウ関係ナノデショウ。友達ノ友達トイウコトデスガ……」
 どうやら、ルースとトゥルーの仲を邪推しているらしい。ルースは思わず笑ってしまった。
「ええとね、フェリックスって知ってる? トゥルー・アイズさんの義兄弟みたいな男で……」
「アア! フェリックス様、知ッテマス! 結婚式ニモ、来テクレマシタ。伊達男デス」
 伊達男、というところに噴き出しそうになってしまう。
「フェリックスは用心棒をしてるのね。それで今は、あたしの家族の用心棒してるの。その縁で、トゥルー・アイズさんに助けてもらったのよ」
「ソウナノデスカ。安心シマシタ!」
「……あなたは、トゥルーさんのことが本当に好きなのね」
 しみじみ言うと、リトル・バードは真っ赤になってしまった。

 リトル・バードは、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
 集落の女たちで作った食事を運んできてくれたり、体を洗うのを手伝ってくれたりした。そして、着の身着のままのルースに服をくれた。
 簡素な寝間着である貫頭衣に袖を通し、ルースはほうっと息をつく。
「トゥルーさん、帰ってこなかったわね」
 食事のときも、トゥルー・アイズは戻らなかった。リトル・バードは「合議ガアルノデ、ソコデ皆ト食ベルト言ッテマシタ」と説明していたが……もうあとは寝るだけ、という段階になっても戻ってこないのは、さすがに遅すぎではないだろうか。
「今日ハ、遅イノデショウ。先ニ寝マショウ」
 リトル・バードはいそいそと、布団を敷いていた。
 はっ、とルースは気づく。
「あの、二人って結婚して何年目?」
「ヘ? エエト、モウスグ一年ニナルグライデス」
(まだ、新婚の範疇よね……。あたし、完璧にお邪魔だわ)
 新婚夫婦の天幕に泊まっていいのだろうか、と素直に懸念を伝えるとリトル・バードは大笑いしていた。
「遠慮ナサラズ! オ客様ハ堂々トシテテクダサイ!」
「そ、そう?」
 奥さんがそう言うなら、とルースは引き下がる。それに、他に行くところもないのだ。客用の天幕もなさそうだし、他の人たちだと言葉も通じない。
(しばらくは、ここにお世話にならないと)
 ルースはふと、リトル・バードの髪に目を留めた。三つ編みにされていた髪は今は解かれ、真っ直ぐな黒い髪は腰にまで垂れている。
「綺麗な髪ね」
「エ、ソウデスカ? ルース様ノ髪ノ方ガ綺麗デスヨ。フワフワデ金色、ウラヤマシイ」
 リトル・バードに褒められたものの、自分の髪があまり好きではないルースは素直に喜べなかった。
 金髪というよりも、茶髪に近いこの髪。昔は金髪だったのに、と金色のままのジョナサンの髪を羨むこともあったぐらいだ。くわえて癖っ毛で、雨天の折にはまとまらなくて苦労する。
「ところで、あなたはいくつ?」
 同い年ぐらいだろうか、と思って問いかけてみる。だが、返ってきた答えは想定したものとはかけ離れていた。
「十八デス!」
「じゅ、十八歳!? あたしよりも、三つ上なの?」
「ハイ。ソンナニ幼ク見エマスカ?」
 リトル・バードはきょとんとしていた。ルースは自分も童顔の自覚があったが、リトル・バードはその上をいく。少女めいた言動のせいもあるのだろう。自分より年上とは、到底思えなかった。
「じゃあ、トゥルーさんとあんまり変わらないのね」
「ハイ。一ツ違イデス」
 リトル・バードは、口元を綻ばせる。彼女は、トゥルー・アイズの名前を出すと、嬉しそうな表情になる。
(本当に、好きなんだなあ……)
 微笑ましくて、こちらまで温かい気持ちになってしまう。
「眠ル前ニ、私カラモ質問アリマス」
「……なあに?」
「フェリックス様ト、ルース様ハ恋人デスカ?」
 その質問に、思わずのけぞってしまった。
「まさか! ただの用心棒と……」
 と言いかけ、ルースは言葉を途中で切った。
(違う、か。用心棒と雇い主の娘、ってわけでもなかった。監視者と、カロの娘……)
 ルースの暗い顔に気づいたリトル・バードは、心配そうに眉をひそめた。
「ルース様、大丈夫デス?」
「あ、うん。……ともかく、フェリックスとあたしはそんなんじゃないから。大体、あの男は所帯持つつもりないって心積もりらしいわ。そういう関係になるはず、ないのよ」
 つらつらとまくしたてると、リトル・バードはかわいらしく小首を傾げた。
「ルース様、哀シソウデスネ」
「哀しくなんてないわ。でも……そうね、いつかトゥルーさんから言われたことがあるの」
 トゥルー・アイズは、ルースに「――どうか、あいつの心を開いてやってはくれないか」「だが私は本当に期待しているんだ。可能性を持つ者が現れたのだと」と、言った。そのことを語ると、リトル・バードは目を見開いた。
「……でも、それはトゥルーさんの勘違いだったの。フェリックスは、あたしがカロの娘だから過干渉だった。守護して、監視していただけ……。トゥルーさんは、あたしがカロの娘だってことも知ってたはずなのに、どうしてそんなこと言ったのかもわからない……」
 いつしか、頬を涙が伝っていた。リトル・バードは慌て、白い清潔な手巾でルースの頬を拭ってくれた。
「ルース様ハ、ソレデ少シ期待シテシマッタノデスネ」
「……そう、だったんだわ」
 拭われる傍から、涙が次々と滑り落ちて。
 フェリックスのことをどう想っているか、自分ではわからない。でも、トゥルー・アイズの言ったことに期待した。フェリックスにとって、自分は特別なのではないかと。
 特別では、あったのだ。ただ、それは職務に絡んだ“特別”であっただけ。
「泣カナイデ、ルース様。大丈夫デスヨ。トゥルー様ハ、嘘ハ言イマセン。他ニ目的ガアッタンダトシテモ、フェリックス様ハ、ルース様ニ心ヲ開キソウダッタト思ッタカラ、ソウ言ッタノデショウ」
 リトル・バードは、ルースを優しく抱きしめ、とんとんと背を叩いてくれた。そうされていると、ひどく安心した。彼女が年上だというのが、よくわかるような母性を感じさせる抱擁にルースは目を閉じた。