4.  Cradle Song

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 ルースの体調は良くなったり悪くなったりで、意識は途切れがちだった。
 フェリックスはそんなルースを根気よく面倒見てくれた。
 おかげで無事に、農場近くの町に着いた。
「あと少しだ。頑張れよ」
 町に入って、フェリックスは馬から下りる。手綱を引きながら、馬に乗ってじっとしているルースに声をかけた。
「……うん」
「今日中に農場に着ける。とりあえず、何か食べよう。農場までは、この町から少し距離があるから」
「ええ」
 ルースは気分の悪さと戦いながら、返事をする。
 フェリックスは馬を引き、サルーンの前に辿り着く。
「ここに入るか」
「ええ」
 ルースはよろよろと、自分で馬から下りた。
 この旅の間、ずっとフェリックスに甘えっぱなしだった。最後ぐらいちゃんと、自分で立たなくては。
(役立たず仕舞いだった……けど、一応あたしがエンプティだったから、天使をここまで運べたのよね。行って良かった)
 二人でサルーンに入ると、奥の方にいた美女が顔を上げた。
「あら!」
「ジェーン!」
 フェリックスが、あんぐりと口を開ける。
「フェリックスに、お嬢ちゃん! 帰ってきたのね!」
 ジェーンは二人に走り寄り、にっこり笑った。
「……で、治療法は見つかったの?」
「一応な。話すと長くなるけど。とにかく、何か食べてから農場に帰ろうと思って」
「あらそう。それなら、奢ってあげるわ。ご苦労様。……お嬢ちゃん、顔色が悪いけど大丈夫?」
「大丈夫……」
 言葉少なに応えると、ジェーンは首を傾げた。
 そうしてフェリックスとルースは、ジェーンと共にテーブルを囲んだ。
「ジョナサン、大丈夫?」
「具合は悪そうだけど、急変はしてないわ。安心して」
 ジェーンにジョナサンのことを教えてもらって、ルースはホッと一息ついた。
「ジェーンは、ここで情報収集か?」
「ま、そんなところね。ところでフェリックス。農場に帰ったら嫌でも聞くと思うから、先に言っておくわ」
「何だ?」
「私、エウスタシオをさらって倉庫に監禁して情報を引き出そうとしたのよ」
「はあ!?」
「ええっ!?」
 フェリックスとルースは、同時に大声を出してしまった。
「何で、そんなことしたんだ? あいつ、仮にも保安官補だぞ!」
「わーかってるわよ。でも、坊やが……クルーエル・キッドがブラッディ・レズリーを立ち上げる前に入ってたギャングの関係者って聞いて。情報を引き出せないかと思ったのよ」
「あのなあ。エウスタシオが何か知ってるのなら、フィービーがとっくの昔にキッドを捕まえてるだろ」
「ふん。あの女が無能なせいかと思ってたのよ」
「……やれやれ。それで、エウスタシオがさらわれたのか」
「うん? あんた、知ってたの?」
 ジェーンは、ジョッキを傾けながら眉をひそめた。
「フィービーと会ったんだよ。エウスタシオがいなくなったとかで、捜しているところだった。ジェーンが誘拐してたのか」
「正確に言えば、私の仲間だけどね。東部に行かれたら、しばらく手を出せないから強引な手段に出たのよ。……まあ、おかげで少しは情報が手に入ったけど。キッドには近づけないわね」
「エウスタシオは、犯罪者組織に入ってたのか……」
「そうみたい。子供の頃に誘拐されて、ってことらしいから自分から入ったわけじゃないそうよ。……これは、あまり言わないでおくわね。どこまで事情を言っていいか、わからないし」
 ジェーンは、わざと濁していた。
「わかった。……あ、そうだ。それで思い出した。兄さんて、帰ってきてるよな?」
「兄さん? ああ、オーウェンね。ふらふらと帰ってきたわよ。前にもまして無口になっているけど、何かあったの?」
「途中ではぐれたんだよな。しかも悪魔に誘惑されてた事件で。トゥルーを呼んで行方を辿ってもらったら、兄さんは“血縁といる”となって。それなら農場に帰ってるってことか、って判断した。手紙も来たし……」
 そこでフェリックスは、思い至ったようだった。ルースも、ハッとする。
 偽の情報が書かれた、手紙。砂漠に迷い込んだ騒動のせいで、すっかり忘れてしまっていた。
「ルース、あの手紙持ってるか? もう一度見ておきたい」
「待って」
 ルースは床に置いた鞄から、手紙を取り出した。
 手紙を広げると、フェリックスが覗き込んできた。
「やはり、この後半がおかしいな。いきなり情報量が多すぎる。誰かが、書き加えたんだろう。筆跡を真似られたのか? それにしては、筆跡に違和感がないのが不思議だが」
「……でも、誰が?」
「俺を警戒する、誰かだ。俺とお前を引き離そうとしたんだろう」
「どうして……。それに、どうやって兄さんの手紙に細工を」
「さっぱりわからないな。郵便途中で、細工されたかな。農場なら、ウィンドワード一家とジェーンしかいないわけだし。……ジェーン、兄さんはどんな様子なんだ?」
 フェリックスの質問に、ジェーンは腕を組んだ。
「なんだか妙よ。ああ、そうだわ。オーウェンは、あんたたちへの手紙は出してきた――って言ってたわ。つまり、農場で書いた手紙じゃないわけ」
「……それだと、おかしくないか? 手紙は、トゥルーと会った翌日ぐらいに届いたんだ。既に血縁と一緒にいないとおかしい」
「本当だわ……」
 ルースは青ざめた。
「その、血縁といる――って情報は正しいわけ?」
「トゥルーが記憶を辿ってくれたから、間違いないだろう。実際、フィービーはここにやって来ただろう。あれも、トゥルーが居場所を推測してくれたからだぞ」
「ははあ、なるほど。……となると、妙ね。待って。血縁、ってウィンドワード一家のことよね?」
 ジェーンの質問に、ルースが答えた。
「うちは、ちょっとややこしくて。今のパパとママは再婚。あたしと兄さんの血はつながっていない。ジョナサンはあたしの実の弟」
「ということは、あのエレンさんしかオーウェンの血縁がいないってことね?」
「そうなるわ」
 ルースの説明を聞いて、ジェーンは益々考え込んだようだった。
「待って。再婚前の夫はどうなの? オーウェンの、実父は」
「亡くなったって聞いたわ」
「伝聞情報か。生きている可能性もあるってことだな」
 そこでフェリックスが口を挟む。
「でも、もし生きていたとしても新大陸に来てて兄さんと会う、なんてこと……あるのかしら」
「凄まじい偶然だが、それだと説明がつくんだよな。兄さんの様子がおかしかったのも、父親と会ったせいだとすれば納得がいく。手紙にあった“行きずりの男”が父親だったのかもしれない」
 フェリックスの推理に、ルースは舌を巻いた。
「うーん。そうなると、兄さんの手紙に細工したのもその父親かもしれないわねえ。だけど、フェリックスが悪魔祓いだと知っていることになる。どこかで見守ってて、あんたの悪魔祓いを見たとか?」
 ジェーンは手紙を眺めながら、つらつらと呟いた。
「……わからないことばかりだな。とにかく、農場に帰ってジョナサンを何とかして、そのあと兄さんに色々と尋ねよう」
 フェリックスは心を決めたように、頷いた。
「賛成。それにしても、料理来るの遅いわね」
 ルースが首を傾げると、ジェーンが声を立てて笑った。
「そりゃそうよ。あんたたち、まだ注文してないじゃない」
 ジェーンの指摘で、ルースとフェリックスは同時に「あっ」と小さく叫んだのだった。

 フェリックスとルースは食事を取った後、ジェーンと共に農場に帰還した。
「ルース、フェリックス! おかえり!」
「おお、よく帰ってきたな!」
 早速、両親に迎えられる。
「話は後で。とにかく、ジョナサンの部屋に」
 フェリックスは挨拶もそこそこに、ルースをジョナサンの部屋に連れていった。
 ジョナサンはベッドで、青ざめた顔で眠っていた。
 布団から出た腕には、以前より濃くなった緑の痣が刻まれていた。
「ジョナサン――。おい、頼むぞ」
 フェリックスはルースに向かって呼びかけた。
「何……あ、そっか」
 自分の中に天使がいるのだった。すっかり忘れていた。
 戸惑うルースは、急に腹が熱くなったことに気づいた。
「……くっ」
 何かが、体から抜けていく心地がする。それはとても不快な感覚で、膝をついてしまった。
「ルース、しっかり」
 フェリックスが支え、立たせてくれた。
「ほら、ジョナサンを見ろ」
 風もないのに、ジョナサンの前髪が揺れている。そしてジョナサンの腕から、緑の痣が一斉に引いていった。
 ジョナサンはゆっくりと、起き上がった。
「ジョナサン……じゃあないな。天使か」
「ああ、そうだ」
 ジョナサンの表情は、いつもとは違っていた。ずっと大人びている。
「浄化できたのか?」
「一応な。しかし、予想以上に深く根を張っていた。私が一旦入り、浄化したぐらいでは収まらないだろう」
「つまり?」
「私が長い間、この身体に留まれば症状は治まる。いつしか、根も完全に枯れるだろう」
「……わかった。じゃあ、あんたに滞在してもらわないといけないわけだ。それは可能なのか?」
「私は構わない」
 天使の返答にホッと一息をついて、フェリックスは頭を下げた。
「それじゃあ、頼むぜ」
「ああ。だが、それに伴いこの少年にも色々と変化がある。たとえば、人間でない者が見えるようになるだろう。それでもいいのか?」
「背に腹は代えられない。元々、エンプティなんだ。むしろ、その方が安全だろう。ジョナサンを助けてやってくれ」
「承知した。では――少年の意識と代わろう」
 天使が目を閉じる。すぐにその目は再び開かれたが、もうあの大人びた天使の表情ではなかった。
「フェリックス……お姉ちゃん……」
「ジョナサンっ!」
 思わずルースは、自分の体のことなど忘れて抱きついてしまう。
「もう大丈夫!? 体、辛くない?」
「う、うん。今は平気……」
 ジョナサンは姉の肩越しに、フェリックスを見上げていた。
 ルースはちらりと、振り返る。
 彼は穏やかな笑みで、姉弟を見守っていた。
「フェリックスが見つけてくれたんだね。ありがとう。どうやったの?」
「お前の中に、天使を入れたのさ」
「てんし……」
「話すと長くなる。とりあえず、みんなに元気な姿を見せてやろう」
「うん!」
 ジョナサンは、久しぶりに満開の笑顔を浮かべた。