2. Don't Leave Me

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 教会に帰ったフェリックスは、養父の心臓が呼吸を止めているのを確かめて――はらはらと涙を落とした。
 どうして、養父は砂にならなかったのか。魂だけ連れ去られたからなのか、彼の力のせいなのかはわからなかった。
 牧師の葬式では、多くの人が泣いていた。
 偶然あの翌日帰ってきたカルヴィンまで、泣いていた。
 自責で苦しむフェリックスを支えてくれたのは、トゥルー・アイズだった。
(泣いてばかりで、兄弟に甘えてばかりじゃいられない。俺は――悪魔を追わないと)
 決意して、フェリックスはぼんやりするカルヴィンに頼むことにした。
「カルヴィン。俺は、牧師様の魂を連れた悪魔を追う。そして、解放する。……だから、俺に荒野で生き抜く術を教えてくれ」
「ガキが、何を言ってる。まだ一人で旅できる年じゃねえだろ」
「そんなこと言ってられない。お願いだ!」
「……やれやれ。仕方ねえな。だが、全部の修行が終わってからだ。いいな?」
「ああ!」
 このとき、フェリックスはまだ十三だった。

 その日から、血のにじむような修行が始まった。
「銃の腕だけじゃ、生きていけねえ。素手でも戦えるようにしないとな」
 カルヴィンはフェリックスの覚悟を知っていたからこそ、厳しく教えたのだろう。
 泣き虫エヴァンとよく呼ばれていたけれど……フェリックスは、あの日以来、一切泣かなかった。
「おいおい、そんなすぐにへばってちゃ、荒くれ者の餌食だぞ!」
 カルヴィンの容赦のない拳を受けて倒れたフェリックスは、よろよろと立ち上がる。拳で、口から流れた血を拭う。
 傍らで見守っていたトゥルー・アイズは心配そうに眉をひそめていたが、フェリックスは諦めなかった。
 日々が過ぎても、牧師の死の記憶は薄れなかった。
(早く、解放しないと……)

 そうして、とうとうトゥルー・アイズが記憶を取り戻した。
「私はレネ族の族長にならなければならない。これは通過儀礼だったのだ」
 記憶を失くし、荒野をさまよう――それが通過儀礼で、生き残って記憶を取り戻したら族長の資格ありとされる。そんな風習を、トゥルー・アイズは語ってくれた。
「じゃあ、トゥルーは行ってしまうのか?」
「ああ。戻らなければならない。でも、お前が旅立つまでは共にいようと思う」
「……ありがとう」
 宣言した通り、トゥルー・アイズはしばらく留まってくれた。
 そうしてカルヴィンからの許可が出たのは、牧師の死から一年経った日のことだった。
「もうお前も、なんとか荒野で生きていけるだろう。用心棒でも賞金稼ぎでも、できるさ」
「……なあ、師匠」
「何だ?」
「あんたの“西部の伝説”を教えてほしい」
 そう告げると、カルヴィンは青ざめた。
「誰から聞いた……。いや、ネイサンか」
「うん。あまりせがむなと言われたけど、俺はあれを教わりたい」
 西部の伝説――それは、西部開拓が始まった折に編み出された必殺の早撃ちだった。それを生み出したビリー・L・ホワイトは七人の弟子にだけ教えた。
 そして、その弟子のひとりが――
「あんたなんだろ? 七人の弟子の、生き残り」
「……やめとけ。たしかに、あれは早い。でも、あれでなければ間に合わない場面ってのは、そうそうない。リスクの方が大きいんだぞ」
 カルヴィンは、大げさなため息をついた。
「七人の弟子は、ほとんど殺された。俺はたまたま、幸運だっただけだ」
 西部の伝説を恐れるがゆえの暗殺で死んだ者。教えてもらいたいからといって拷問にかけられ、死んだ者。災いばかりを呼ぶ技だった。
「それでもいい。リスクは引き受ける」
「だが」
「師匠。悪魔祓いは一瞬が勝負だ。西部の伝説でなら間に合ったのに、という場面は必ず出てくる。そしてそれが、牧師様の魂を奪った悪魔相手なら――」
「……」
 カルヴィンはしばらく逡巡していたが、たっぷり間を開けた後に頷いた。
「――わかった。基本射撃はもう大丈夫だろうから、ひと月ぐらいで授けられるだろう」
「ありがとう、師匠」
 こうしてフェリックスは、必殺の早撃ちを習ったのだった。

 教会には、新しい牧師が派遣されてきていた。
 町の人は、シュトーゲル牧師のことはもう、みんな過去の人としているようだった。
 フェリックスとトゥルー・アイズは、同時に旅立つことになった。
「ま、途中までは俺が同行してやろう」
 とカルヴィンが言ってくれたので、しばらくフェリックスはカルヴィンと行動を共にする予定だった。
 そしてトゥルー・アイズとは、町の外で別れることになった。
「世話になったな、兄弟。私は一族の元に帰るが、もし何かあればいつでも呼んでくれ」
「呼ぶって言っても……」
「これを」
 トゥルー・アイズは懐から、鮮やかな青い羽根を取り出した。
「何だこれ?」
「これに念をこめれば、私につながる。お前が呼べば、私はお前の居場所を感知して向かう。わかったな?」
「ああ……。レネ族って、不思議な一族なんだな」
 わざと茶化して言い、フェリックスはそれを大切に懐に仕舞った。
 別れを告げ、フェリックスは荒野に一歩足を踏み出す。
 空間が、ぐにゃりと歪んだ。凄まじい勢いで、周りから景色が消えていく。
 フェリックスの姿が変化を始める、少しずつ幼くなる。
 そこで――ルースはハッとした。
(しっかりして、あたし! ここで巻き戻るのよ!)
 ルースは走り出して、フェリックスの手をつかんだ。
 無我夢中で、彼の手をつかんで走り出す。
 一度振り向いたが、フェリックスは虚ろな表情をしていてルースを認識していないようだった。
(外へ!)
 しばらく走っているとようやく、光が見えて……体が浮き上がる心地がした。



 ハッとして、目を覚ます。
「ルース……おかえり。ご苦労だった」
 トゥルー・アイズにねぎらわれ、ルースは青ざめた顔で起き上がる。
 傍らのフェリックスはまだ、目を覚ましていないようだ。
 ルースはベッドから下り、そのまま部屋から出て――廊下にうずくまった。
「ルース。大丈夫か?」
 後ろから声がする。振り向くと、トゥルー・アイズが立っていた。
「……ちょっと、さすがに応えたわ」
「だろうな――。……フェリックスももうじき、目を覚ますだろう。そのとき、お前が彼の過去を見たことは言わない方がいいかもしれない」
「え?」
「私は、お前とフェリックスの信頼関係がどうなっているのか、よくわからない。だが、少しでも不安があるなら言わない方がいい」
「……そうね」
 フェリックスが、匂わせもしないように気をつけていた過去だ。ルースが見たと知ったら、彼はどういう反応をするだろう。不安だった。
「言わないことにするわ」
「わかった。それでは、私が記憶の中に入って助けたと説明しよう。まあ、嘘ではないからな。フェリックスも、詳細は覚えていないはずだ」
 トゥルー・アイズは頷き、ルースに手を伸ばした。その手を取って立ち上がり、ルースは自らの足が震えていることを自覚した。

 小一時間後、フェリックスは目覚めた。
「……あれ。トゥルーにルース……」
「目覚めたか、よかった。水を飲め」
 トゥルー・アイズは急いで水差しからグラスに水を注ぎ、グラスをフェリックスに渡した。
 水を飲み干し、フェリックスは不思議そうに首を傾げた。
「結構、眠ってたか?」
「お前は、数日ほど意識を取り戻さなかった」
「ええっ。やたら長い夢を見たと思ったら、そういうことかよ」
「ああ。精神的な原因もあったようだ。それで、私がお前の夢に入って目覚めを促した」
「ふーん。よくわからないけど、ありがとな」
「ああ」
 二人の会話を聞きながら、ルースは所在なさげに天井を仰いだ。
「ルースも無事みたいだな。よかった」
「え、ええ」
 いきなり話を振られて、ルースは慌てて笑顔を取りつくろう。
「ルース、俺の夢に出てこなかった?」
 無邪気に問われて、ルースはぎょっとした。
「気のせいじゃない?」
「……そうかなあ」
 どうやら、少し覚えているらしい。
「とにかく、フェリックス。お前はかなり弱っている。しばらくは、ここで養生することだ」
「へいへい」
 フェリックスは渋面で頷いていた。

 翌日の昼下がり、ルースは食事の片づけをしていた。
 すると二階から、フェリックスが下りてきた。
「あら、フェリックス。寝ておかないでいいの?」
「もう大丈夫だろ。買い物に行ってくる」
「ええ?」
 しかし、フェリックスの足取りは少し危なっかしい。
「待って。あたし、ついていくわ」
「いいって。子供じゃないんだから」
「今のあんたは弱ってるの! あたし、勝手についていくからね!」
 ずびっと言うと、フェリックスはやれやれと肩をすくめた。
 そうして半ば無理矢理フェリックスについて外に出て、二人並んで外を歩く。
 すると途中で、声をかけられた。
「フェリックス?」
「……ビアンカ」
 あ、とルースも声をあげそうになった。
 あの記憶に出てきた、パメラの妹ビアンカだ。
(そっか。彼女には悪魔は憑いてなかったものね。この町にいたって不思議じゃない)
 ビアンカは、たおやかな美少女だった。
「トゥルーには先日会ったのよ。お見舞いに行くって言ったんだけど、まだお見舞いできる状況じゃないって言われて……。よかった。元気になったのね」
「ああ……」
 二人が並び立つ光景は、実に絵になった。
 ルースは自分が邪魔者でしかないだろうと悟り、居心地の悪さを覚える。
「よかったら、サルーンで話さない? 数年ぶりでしょう? あなた、全然ここには戻らなかったから……」
「あー、うん。ええと」
 フェリックスはルースを、ちらっと見た。
(はいはい。わかってるわよ)
「そういうことなら、あたしは家に帰るわ。買い物、代わりにしておきましょうか?」
「いや、後で俺が自分で買いに行くよ。悪いけど、戻っててくれ」
「わかったわ」
 ルースは、そっとビアンカを見た。彼女は無邪気な笑顔を浮かべていた。
「じゃあ、またね。どうも――」
 一応ビアンカにも会釈してから、ルースは二人に背を向けた。
 しばらくして、会話が風に乗って聞こえてくる。
「あの子、誰?」
「雇い主の娘さんだよ」
「へえ。なんだか、おしゃまな子ね」
 ビアンカの発言にルースはぴきっとなったが、そのまま歩を進めた。
(完璧、子供扱いされてる……)
 ビアンカは記憶の中でフェリックスを気に入っていると言われていたし、今も彼を慕っているのではないだろうか。
(うう、気になる)
 ルースが地団太を踏みそうになったところで、正面からトゥルー・アイズがやってきた。
「ああ、ルース。どうした。フェリックスと、買い物に行ったのではなかったか?」
「途中で、ビアンカさんに会ったの。二人は話をしに、サルーンに行ったわ」
「ふむ。それで、お前は気になって仕方ないという顔をしているのか」
 そんなにわかりやすいのかしら、とルースは頬に右手を当てる。
「そんなに気になるなら、私たちもサルーンに行こうか?」
「え。でも、いいの?」
「まあ、構わないだろう」
 トゥルー・アイズは軽く笑って、ルースの手を引いた。