6. Loss

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 ジェーンは、やたらよく喋った。
「いっそ、“お嬢ちゃん”じゃなくて“子猫ちゃん”って呼びたいわあ」
 何と答えて良いかわからずにルースは戸惑っていたが、気にした様子もなくジェーンが話しかけてきた。
「ねえ、フェリックスは最近どうしてたの。めっきり会ってなかったから、話を聞きたいわ」
「……ええと」
 最近どうしていたかと聞かれても、ルースは自分たちの用心棒になってからの彼しか知らないのだった。まだ付き合いは浅い。
「よく、わかりません」
「あら? 教えたくない? ヤキモチかしら」
 それを聞いて、ルースは茹でダコのように真っ赤になってしまった。
「誰が、ヤキモチなんか!」
「冗談のつもりだったんだけど……んもう、フェリックスってば悪い男ね。こんな純情な子引っかけて」
「だから違うってば!」
 ルースがじたばたすると、ジェーンは益々おかしそうに笑った。
「フェリックスは、随分トゲがなくなったわね」
「――トゲ?」
「あら、昔はツンツンしてたのよ」
 かり、とジェーンはつまみのピーナッツをかじった。
 全く想像がつかなかった。いつもへらへら笑っているのがフェリックスの特徴で、真剣な表情すら珍しいと思っていたから。
 ルースが面食らったことに気づいたのか、ジェーンは軽やかに笑って顔を近づけた。
「変わったわ。それが良いのかどうか、私には判断がつかないけれど」
 不可思議な、言葉だった。トゲがなくなったなら良い方向だろうとルースは思うのだが、ジェーンはそう考えていないらしい。
「あたしの家族は――兄さん以外だけど、みんなフェリックスを頼りにしてるわ」
 ルースの突然とも言える発言に、ジェーンは目を細めた。
「――そう。それは何よりだわ。お嬢ちゃん、良い子ね」
 一体自分は何を、と顔が赤くなる。ここに本人がいなくて良かった。
「私が初めてあの子に逢ったのは、十四歳の頃だものね。そりゃあ、変わるわね」
 そんなにも昔のフェリックスを知っていることに驚いたが、ジェーンの遥か遠くを見るような目にルースは首を傾げた。
「あの、二人はどういう知り合いなんですか?」
「うふふ。知りたいー? 秘密! ……って言っても良いんだけど、別に隠すような関係じゃないわよ。私とフェリックスは、師匠が同じなの」
「師匠が同じ? でも、ジェーンさんはナイフ使ってて……フェリックスは銃で」
「私たちの師匠は、銃もナイフも使えるすごい人なのよ。――まあ、そういうわけで私にとってフェリックスは、弟弟子に当たるのかしらねえ」
 二人の関係を知って、ルースはどこかホッとした。
「ジェーンさんは、どうして賞金稼ぎに?」
 そして、自分でも意識しない内に質問が口を突いて出た。虚を突かれたように、ジェーンは少しだけ間を空けてから答えた。
「ある男を追うために。理由は、ありきたりよ」
「ありきたり?」
「家族を殺されたの」
 淡々とした口調で紡がれる言葉には何の感情もこもっていないように思えたが、ルースは違うと気づく。こもっていないのではない。押し殺しているのだと。
「ある日、外出先から帰ったら、家族がみんな殺されてた。強引な商売をしていたらしいから、父と母は仕方なかったかもしれないわ……。でも、妹には何の罪もなかった」
 そうしてジェーンの艶やかな唇は、敵の名前を吐き捨てた。
「クルーエル・キッド」
 ルースは目を見張る。
「そのときは駆け出しの殺人鬼だったわ。そして、追いかけて何年にもなるのに、一向にあいつを殺せない。犠牲者だけが増えていく」
 ジェーンは懐からナイフを取り出し、それをもてあそび始めた。まるでそうすれば、心が安らぐかのように。
「実は私、結構良いところの娘だったのよ。南部のね。あの事件がなければ今頃、婚約者に嫁いで子供が二人ぐらいいたでしょうね。幸せかどうかわからないけれど、少なくとも――こういう暮らしはしていなかったと思うわ」
 ジェーンがドレスに身を包んで、子供と共に談笑している風景を思い描いてみる。さぞかし、似合うだろう。
 だが、対する実際のジェーンは男物の服に身を包んだ、猛々しい女性だった。
 いつか、フェリックスが言っていたことを思い出す。賞金稼ぎとは、西部で最も危険な職業だと。
 用心棒のように悪人から守るのではなく、悪人に自ら挑んでいく。更に、保安官のように権力に守られてはいない。
「両親が死んだから、婚約は破談になったの?」
 ルースの疑問がまるで子供の無邪気な質問であったかのように、ジェーンは苦く笑った。
「いいえ。婚約者も、その家族も良い人だった。むしろ、結婚を早めてくれようとしたのよ。でも私は、自ら全部捨てて西部にやってきたの」
 ジェーンは金の髪に指を入れ、耳を塞いだ。
「だって聞こえてくるのよ。何年経っても――。聞いたはずのない、妹の泣き声が」
 ルースが言葉を失ったとき、サルーンの扉が開いた。
「あら、フェリックス」
 ジェーンはさっきまでの真剣な表情から素早く笑顔に切り替え、近づいてきたフェリックスを仰いだ。
「親父さんたちに話して、町の入り口まで連れてきた。ジェーン、先に話を通してくれるか? 幌馬車が入ってきたら、みんな注目しちまうだろ」
「お安い御用よ。行きましょう」
 ジェーンが立ち上がったので、ルースも慌てて腰を上げた。
「ジェーン、ルースのお守りありがとな」
「いえいえ。かわいいわねえ、お嬢ちゃん」
「だろー? ぐふっ」
 フェリックスが得意げに言い切った途端、ルースはフェリックスの背中を殴ってやる。
「ルース、痛い……」
「痛くしたのよ。馬鹿!」
 ルースは呻くフェリックスと唖然とするジェーンを追い越し、さっさとサルーンから出た。

 元々賞金稼ぎは流れ者が多いので、ここに定住している者は少ない。そういった事情もあり、宿屋はどこも混んでいた。
「二軒に分けて泊まることにしましょう。とりあえず、私とフェリックスは分かれるわ。よろしくて?」
 ジェーンの提案に、ウィンドワード一家はためらいがちに頷いた。
「残念ながら、私が泊まってる方は特に治安の悪い地区にある。その分、部屋は余分に空いてるけどね」
「治安が悪いなら、俺たち夫婦とオーウェンにした方が良いんじゃないか」
 アーネストの提案に、ジェーンはにっこり笑った。
「それもそうね。じゃあ、お嬢ちゃんと坊ちゃんは、フェリックスと一緒のところにしましょう」
「はーい!」
「わかったわ」
 嬉しそうなジョナサンに呆れながら、ルースは了承した。
「節約で、お兄さんは私の部屋に泊まっても良いわよ?」
 ジェーンにいきなり誘われ、オーウェンは真っ赤になっていた。
「け、結構だ!」
「あら、つれないわね」
 ジェーンは、あっさり肩をすくめる。どうやら冗談だったらしく、からかわれたとわかったオーウェンは益々赤くなっていた。無論、フェリックスが見逃すはずもない。
「あれー? もしかして兄さん、がっかりしてるー?」
「黙れ!」
 つんつんと頬を指で突かれ、激昂したオーウェンはフェリックスを殴ろうとしたが、あっさりかわされていた。
「もう、止めなさいよ!」
 ルースは一声叫び、ジョナサンの手を取った。
「行くわよ、ジョナサン」
「うん。ね、お姉ちゃん。家族じゃない男の人と女の人が一緒に寝るのは、よろしくないんでしょ? なのに、どうしてジェーンは、ああ言ったの?」
 ジョナサンの質問に、ルースはぎょっとして答えに窮した。
「誰から聞いたの、そんなこと」
「フェリックス」
 本当にろくなことを教えない男だわ、とルースは心中で毒づいた。 

 宿の食堂は混雑していた。屈強な男ばかりが、席に着いている。
 そんな中、入ってきたルースたち三人に否応がなしに視線が注がれる。
(治安が良いって言ってたけど、そうでもなさそうね)
 ジェーンが言っていたのは、あくまで比較してのことなのだろう。他の町だったら、一番治安の悪い地区でもこうはいかないはずだ。
 席に着いて、フェリックスがウェイターを呼ぶ。しばらく来そうにないので、その間に、とルースはフェリックスに尋ねた。
「普段、この町ってこんなに混雑してるの?」
「いや――ジェーン曰く、賞金稼ぎがここに帰ってきてるんだそうだ。よりにもよって、賞金首から喧嘩売られてるんだ。町を守ろうとしてるんだろ」
「……そう」
 ルースは恐ろしかった。これまでも、クルーエル・キッドの噂を聞いていただけに。
「ジェーンさんが、あんたは昔はとんがってたって言ってたけど本当?」
 更に質問を重ねると、フェリックスは何とも微妙な表情になった。
「参ったなあ。ジェーンは、お喋りだ」
「今のあんたからは、想像つかないんだけど?」
「俺も若かったのさ」
 それ以上の追及を避けるかのように、フェリックスは先ほど買った新聞を広げていた。
 ジョナサンがきょとんとして、ルースを見つめる。
 どうも、過去を詮索されたくないらしい。フェリックスが拒絶の態度をはっきりと示すのは、珍しいことだった。
 ルースはため息をつき、話題を逸らすべく、わざと大きな声をあげた。
「ところで、ウェイター遅いわね。どうなってるのかしら」
 呼んでから既に、結構な時間が経過している。
「忙しいんだろうさ」
 フェリックスの言う通り、見ればウェイターはてんてこ舞いだった。普段以上の客入りに、対応できていないのだろう。
「この調子じゃ、食べるまで一時間以上待ちそうだな。他のところに行こう」
「他のところ?」
「一軒、知ってる店があるからさ。ほら立って」
 フェリックスが新聞を畳んでさっさと立ち上がって行ってしまったので、ルースとジョナサンは慌てて彼を追いかけた。

 お世辞にも綺麗とは言えない二人部屋で、ルースとジョナサンはベッドに潜り込んだ。
「おやすみ、ジョナサン」
「おやすみ、お姉ちゃん」
 そうして二人は目を閉じたが――
 散発的な銃声が響き、すぐに目を開いてしまった。
「さっきから、ずっとね。まだ収まってないのかしら」
 銃声は、宿に帰る少し前から響いていた。フェリックスは、小競り合いだろうと言っていたが……。
 もしクルーエル・キッドが外にいたらと思うと、ぞっとする。
「ジョナサン、あんた怖いでしょ。一緒に寝てあげる」
 恩着せがましく言って、ルースはジョナサンのベッドに潜り込んだ。
「ええ? それって、お姉ちゃんが怖いだけでしょ。僕のせいにしないでよ」
「黙らっしゃい。姉の優しさに感謝しなさい」
「また、お姉ちゃんの勝手が出た」
 ぶつぶつ呟くジョナサンを黙らせるように、背中からぎゅうっと抱きしめると、少し恐怖が薄らいだ気がした。ジョナサンも怖かったのは同じだったようで、ホッと息をついている。
 しかし、銃声は止まない。
「眠れないわね」
「うん」
 窓から悪漢が侵入してきたらどうしよう、と要らない想像まで浮かんでくる。
「お姉ちゃん、放して」
 ジョナサンがルースの腕をはがしにかかる。
「何でよ」
「僕、フェリックスの部屋に行く」
「あんた! 姉を置いて行く気!?」
「お姉ちゃんも来れば良いじゃん。僕もお姉ちゃんも銃なんて使えないから、絶対その方が良いよ」
 ジョナサンはルースの腕が緩んだ隙に、一気にベッドから抜け出す。
「待ちなさい!」
 ルースの静止むなしく、薄情な弟は姉を置いて出ていってしまった。
 ルースは悔しさのあまり、しばし転げ回った。
(だからって、あたしまで行くのは……。大体、あっちは一人部屋のはずよ)
 ジョナサン一人なら何とかなるかもしれないが、ルースまで押しかけたらフェリックスも困るだろう。
 されど銃声は止まない。恐怖は去ろうとしない。
(しょうがないわ! 怖いものは怖い!)
 ルースは開き直り、自分とジョナサンの荷物を抱えて部屋を出た。
 ノックしてドアを開け、ルースは早口でまくし立てた。
「フェリックス? ジョナサンが怖くて仕方ないって言うから、あんたの部屋に移動させることにしたわ。でも、あたしも一人じゃさすがに……ね。だから来たけど、床に何か敷いて寝るから気にしないで……」
 そこまで言ったところで、ジョナサンがぽかんと口を開けてこちらを見ていることに気づく。
「フェリックスなら、いないよ?」
「――何で、いないのよ! ったくもう、腹が立つ男ね!」
 気恥ずかしくて思わず罵ってしまったが、いないだけで罵るというのはさすがにひどかったかもしれない。
「どうして、腹が立つんだ?」
 後ろから声がして、ルースは驚きのあまり前に転びそうになってしまった。とっさに、フェリックスがルースの腕をつかんで止める。
「どうしたんだ、二人共」
「お姉ちゃんが銃声怖いって言ったから、こっちに二人で避難して来たんだよ」
「ジョナサン、あんたも怖がってたでしょ!」
 言い合う二人を呆れたように見た後、フェリックスはからから笑った。
「何だ、そういうことか。ああ、あっちはよく聞こえるんだな。こっちは、そうでもないんだ」
「……あら、本当だわ」
 銃声はしているが、さっきの部屋ほどは響いていない。部屋のある位置の問題なのだろう。
「部屋を交換しようか?」
「えっ。それはだめだよ、フェリックス。もし、こっちから悪い人が来たらどうするのさ」
 フェリックスの提案を、ジョナサンが一蹴した。
「――ああ、なるほど。それでは怖がりな二人のために、俺が添い寝してあげよう」
 フェリックスがにやにや笑って、腕を広げた。
「結構よ。あたしは床で眠るから、あんたジョナサンとベッド使って」
「その必要はないって」
 フェリックスが指差した先には、部屋の狭さに似つかわしくないほどの大きさのベッドがあった。
「……一人部屋じゃなかったの?」
「ここしか空いてなかったんだ。まあ良いから寝なさい。俺はちょっと用があるから下に行くけど、ここなら銃声もそこまでひどくないだろう?」
「まあね」
「じゃあ、二人共おやすみ」
 そうして、フェリックスはまた階下に行ってしまった。
「なんだか、気が抜けちゃったわ」
「だねー。僕、こっちで寝るね」
 ジョナサンが端っこを陣取ろうとしたので、ルースはむんずとジョナサンの首根っこをつかんで押しとどめた。
「あたしが端っこ。あんたは、真ん中よ」
「えー」
「えー、じゃないわよ」
 渋るジョナサンを有無を言わさず真ん中に置き、ルースは端っこに転がる。
 緊張が解けたせいか、ルースはすぐに眠りに落ちた。