3. Vanity Town
虚栄の町
近頃、ルースにはずっと不思議に思っていることがあった。
ジョナサンとフェリックスの関係だ。
(どうして、あんなに仲が良いのかしら?)
一足先に目が覚めたルースは、天幕の中で縮こまって眠るジョナサンをじっと見ていた。
冷気が中にも忍んでくる。身を震わせ、ルースは背中にかけたコートに袖を通した。
外に出ると、見張りをしていたフェリックスが振り返った。
「よう、ルース」
「おはよう。はい」
つっけんどんな口調で、ルースはフェリックスにカップを押しつけた。コーヒーの香りに、フェリックスは嬉しそうな顔をする。
「ありがとう」
フェリックスは礼を口にして、香ばしい匂いのコーヒーを一口飲んだ。
「もう起きたのか」
「早く出ないと、夜までに次の町に着けないもの」
ルースは自分も温かいコーヒーをすすり、ふうっとため息をついた。
朝焼けが、荒野を赤く染める。遠くの空はまだ藍色だが、鮮烈な赤が世界を染め始めている。
「ね、変なこと聞いて良い?」
「何を?」
フェリックスは不思議そうに眉を上げた。
「あんたとジョナサンって、何でそんなに仲が良いの?」
一瞬の沈黙の後、フェリックスは大笑いした。
「参っちゃうなあ、ルース。嫉妬?」
ルースに背中を殴られ、フェリックスは思い切りむせていた。
自分が話題になっているとも知らないジョナサンは、寝ぼけ眼で天幕の中を見回した。
「お姉ちゃん?」
一緒に寝ていたはずのルースがいないので心細くなったが、こんなことでは強い男にはなれないと思い、捜しにいくこともしないで大あくびをした。
「ジョナサン」
顔を上げると、いつの間にやら兄が外から覗いていた。
「もう起きろ。出発だぞ」
「ふあい」
あくび混じりに返事をして、ジョナサンは身を起こした。
「――なあ、ジョナサン」
オーウェンは名前を呼んだ後しばらくためらっていたが、思い切ったように尋ねてきた。
「お前、あの用心棒の秘密を知ってたりしないか?」
ぎくり、とした。けれど、もちろんそれを顔に出したりはしない。
「知らないよ?」
約束を破るわけにはいかない。ジョナサンはありったけの演技力で、笑顔を作ってみせた。
「そうか……。なら、良いんだがな。妙に仲が良いから、ひょっとして――と」
「僕も、聞いて良い?」
ジョナサンが反対に聞き返すと、オーウェンは不審そうに眉をひそめた。
「どうして、そんなこと聞くの?」
「……ちょっと、気になることがあったんだ。良いか、ジョナサン。あいつに懐きすぎるなよ」
それだけ言い残して、兄は行ってしまった。
オーウェンは優しくて頼れる兄だ。ジョナサンは兄にだって懐いている。だけれども、フェリックスを裏切る気は起きなかった。
町に着いた途端に、ジョナサンは馬車から飛び出した。
「そんな……」
同時に出てきたルースも、ジョナサンの後ろで息を呑んでいる。
誰が想像できただろう? 荒野ばかりが広がる大地に、突如として緑に囲まれた町が出現するなど――。
ジョナサンは浮かれる前に不気味さを覚え、ハッと後ろを振り返った。
フェリックスの表情は、カウボーイハットに隠されて伺い知れなかったが、確かに唇を噛むのを見た、と思った……。
「こりゃ、豊かそうな町だな。美しい――」
アーネストの呟きに、皆は呆けたようにただ頷いたのだった。
幌馬車が町に入った瞬間、たくさんの子供たちが寄ってきた。皆、ふくよかに肥えて、飢えなど知らないように見える。
溢れる花の香りに、くらくらしてしまう。濃い香りは、意識を惑わせる。
「旅芸人だ!」
明るい子供たちの声に、自然と家族の口元が綻んだ。
公演の約束を取りつける必要もなく、人々は音楽を所望した。とにかく、明るい元気な曲をというリクエストを受けて座長は頷く。
ジョナサンのフィドルが演奏のスタートを切ると、人々は拍手喝采した。
気前の良い人々は今までの町では考えられないほどの報酬を一家に与え、宿も無償で提供してくれた。
「こんなにも話がうまいと、疑っちゃうわ」
「本当だね」
二人部屋だったので、ルースはジョナサンと同じ部屋だった。もちろん両親は同じ部屋。そして余りの二人が、同室となった。
「それよりジョナサン、いつまで起きてるつもり? 寝なさい、って言ったはずよ」
ルースは髪をとかしながら、本を読んでいるジョナサンを叱責した。
「良いじゃない。別に明日、早起きしなくて良いし」
「そういう問題じゃないの。寝なさいっ」
「やだ」
一向に言うことを聞かないジョナサンの態度を腹に据えかね、ルースは怒りの表情で振り返ったが……
「ジョナサン?」
ジョナサンは既に、どこかに行ってしまった後だった。
「お姉ちゃんてば、ほんとにうるさいと思わない?」
「今に始まったことじゃないだろ」
ジョナサンの愚痴に応じたのは、フェリックスだった。
「お兄ちゃんは、どこに行ったの?」
「さあ。とりあえず、部屋割に怒ってたぞ。ひどいなあ、兄さんてば」
フェリックスの泣き真似を見て、ジョナサンは笑った。
「じゃあ、僕ここで寝て良いよね」
「別に良いんじゃないか? オーウェンとルースは兄妹だから、同じ部屋でも問題ないだろ」
フェリックスの答えを聞き、ジョナサンは不思議そうに首を傾げた。
「兄妹じゃなかったら、だめなの?」
「他人同士なら、年頃の男女が同じ部屋なのはよろしくないとされる」
フェリックスは、わざとらしく堅い表現で答えていた。
「何で、よろしくないの?」
「お前も、大人になればわかるさ」
フェリックスは達観したようなことを言って、曖昧に濁した。
「ほんとの兄妹じゃなくても、よろしいの?」
ジョナサンの質問に、フェリックスは眉を上げた。
「――それは場合によるが。まさか、あの二人って……。いや待て。お前とルースは、よく似てるよな――」
「うん。お兄ちゃんだけ、血がつながってないんだって。お母さんもだけど」
ジョナサンはフェリックスが知らなかったことに驚いたが、言わなければ似ていない家族だと思う方が自然かもしれない。
「なるほど。エレンさんの子供がオーウェンなんだな。それで、親父さんとエレンさんは再婚なわけだ」
フェリックスは納得したように頷いていた。
「そうそう。僕とルースお姉ちゃんとキャスリーンお姉ちゃんのお母さんはね、死んじゃったんだって」
それを聞いて、フェリックスは痛ましい表情を浮かべる。
「それは、残念だな――」
「うーん。でも、僕は全然覚えてないから……」
よく、境遇を知った人に「実のお母さんがいなくて淋しくない?」と聞かれる。しかし顔も知らない実母を恋しく思うことは、あまりなかった。物心ついたときから、母はエレンだったからだ。
「そうか」
フェリックスはそれ以上、何も聞かなかった。
しばらくは二人でたわいのない話をしていたが、話し疲れたのか、いつしかジョナサンは寝入ってしまった。
布団をかけてやったところで、けたたましくドアが開いた。
「ジョナサン! ――こんなところに!」
「おいおい、寝てるんだぜ。静かにしてやれよ」
「……っ!」
ルースは地団駄を踏んで、怒鳴るのを必死にこらえていた。
「捜し回ったのよ。外に行ったのかと心配して……ああもう、盲点。――兄さんは?」
「俺と同じ部屋で寝るのが、嫌なんだとさ。ひどくない?」
「そうね。でも気持ちはわかるわ」
ルースの辛辣な言葉に、フェリックスは「ルースも、ひどい!」と叫んでいた。
「ジョナサンも、ひどいわよ。人の言うことちっとも聞かないで、ここに転がりこんでるなんて」
「あんまり小言言うと嫌われるぞ」
「うるさいわねっ。ひとの教育方針に、口を出さないでちょうだい。あんたみたいにしないよう、頑張ってるんだから」
「今日は、やけに辛辣だな!」
フェリックスは苦笑し、眠りこんだジョナサンを抱き上げた。
「部屋に運んでおこうか」
「あら、ありがとう。もう、ここで寝かしても良いかと思ったんだけど」
「それじゃ、帰ってきた兄さんが俺と二人きりじゃないことに、がっかりしちゃうだろ」
「……あんたね。だから、兄さんに嫌がられるのよ」
ルースの忠告もどこ吹く風、でフェリックスはにやにや笑うだけだった。
揺さぶられ、ジョナサンは目を覚ました。姉が不機嫌そうに見下ろしている。
「……おはよ、お姉ちゃん」
「おはよう。言っとくけど、あたし怒ってるんだからね」
「何で?」
「何でか、自分で考えなさいっ。それより、早く支度して」
見れば、姉は既に着替え終わっている。
「今日も公演するの?」
「そうよ。公演はお昼から。午前に練習するわ。元気の良い曲のリクエストが多いから、あんたの早弾きが要《かなめ》よ。下でごはん食べてから、貸してもらったホールに来なさい。宿から出たら、正面に見える建物よ」
てきぱきと指示を出した後、ルースは自分の分の荷物を抱えて部屋を出ていってしまった。
眠りそうになりながらも着替え、ジョナサンは階下に行った。もう誰もいないかと思ったら、フェリックスがテーブルで暇を持て余したように頬杖を付いていた。
ジョナサンに気づいた途端に、フェリックスが手を振る。
「よーっす、ジョナサン。ここ座れ」
「うん」
ジョナサンはフェリックスのいるテーブルに駆け寄り、ちょこんと座った。
「寝坊だな」
「みんなはもう、食べちゃったんだね」
「そう。それで俺がお前を待ってるように、言われたわけさ。宿といえど、一人じゃ心配だからな」
フェリックスは声を立てて笑ってから、ウェイトレスを捕まえて注文していた。
「この子に、朝食セット一つ」
「もう朝食セットは終わりの時間よ」
「まあ、そう言わずに」
フェリックスがウィンクしてみせると、ウェイトレスは苦笑した。
「仕方ないわね。今日だけよ」
「さっすが。美人は気前が良い、って本当なんだな」
「もう、お世辞は良いわよ」
と言いつつも、ウェイトレスは嬉しそうだった。
「すごいなあ、フェリックス。フェリックスにかかると、女の子ってみんな優しくなるよね。何でなの?」
「レディには優しく、を信条としていれば自然とそうなるのさ」
得意げに説明したフェリックスだったが――
「でもお姉ちゃんは、フェリックスにだけ優しくないよね」
放たれたジョナサンの言葉に、がっくり肩を落としていた。
「ところでジョナサン。今回も俺は野暮用があるから、みんなをごまかしておいてくれ」
「……うん。この町にも、いるの?」
フェリックスの野暮用とは、きっと悪魔祓いのことだろう。
こんなに平和な町なのに――と続けたかったのを察したのか、フェリックスは微かに笑った。
「何事も、極端なものは不自然と決まってるんだ」
「――今回も、僕は立ち会えないの?」
ジョナサンは期待半分で尋ねたが、フェリックスはきっぱりと首を横に振った。
「もちろん、だめだ。ジョナサン、言っておくが――悪魔祓いの現場は極力見ちゃいけない。感謝はしてるんだ。俺に協力してくれて」
「……そう」
やっぱり、とがっかりした。フェリックスはほとんど、ジョナサンに頼みごとをしない。したのは一度だけ。牧師が悪魔だったあの町で、十二人のマリアが悪魔の僕かもしれないと察したフェリックスは、もしものときはこれを撃ってくれと聖水の入ったおもちゃの水鉄砲を渡したのだった。
「ルースの調子はどうだ?」
「よくわかんない。でも、思い出すことはないみたい」
「それなら、良かった」
ジョナサンには、よくわからなかった。けれど、フェリックスはルースに思い出して欲しくないことがあるらしい。
それが、悪魔に関することだとしか知らない。でも深くは聞かないと、ちゃんと約束した。
ジョナサンは運ばれた朝食をぺろりと平らげ、席を立った。
「じゃあ僕、行ってくるね」
「ああ。ホールは、宿から出てすぐのところにあるから」
フェリックスは宿にまだ用事があるのか、動く気はなさそうだった。
ジョナサンは食堂の出口に向かって歩きながら、思い出していた。自分が、フェリックスの正体を知ったときのことを――。