1. Saga of the West
2
揺さぶられて、フェリックスは頭痛と共に覚醒した。
「ルース……?」
「フェリックス、大変よ。……お、おじいさんが撃たれて……でも別人になって……」
動揺しているのか、ルースの言うことは支離滅裂だった。
「いってえ……」
痛みにうめいたフェリックスは、頭から血を流して倒れている青年を見つけた。三十代ほどの男には――確かに、あの老人の面影があった。
「ああ、そういえば、あいつが言ってたっけ……」
本当は、三十歳だと。
「あの、俺を押さえつけてた男が殺したんだよな?」
「ええ」
「一体、何者なんだ?」
フェリックスは痛みに耐えてしばらく顔をしかめていたが、ルースの青ざめた顔に気づいて眉を寄せた。
「ルース、大丈夫か。ああ、血の臭いがするからな。ここから……」
「そうじゃないの、フェリックス。あの男は、もう姿を消してしまって……使用人がここを見て……」
それだけで、ルースが何を言いたいかわかった。
「俺が殺したって?」
「違う、って何度も訴えたわ! でも――あたしたち以外の誰も、あの男を見てなかったのよ! どうしよう、フェリックス……あんたが捕まっちゃう」
肩を震わせるルースの頭に手を置き、フェリックスは安心させるように微笑んだ。
「実際、殺してないんだから大丈夫だ。証拠はないし、ルースっていう証人がいるじゃないか」
「……そう、よね」
凄惨な現場に似合わぬ和やかな雰囲気が流れかけたそのとき、けたたましい音と共に扉が開かれた。
「手を上げろ!」
言われた通りに、フェリックスとルースは手を上げる。
入ってきた男たちは、問答無用でフェリックスを取り押さえた。
「止めて! この人は殺してないわ!」
「あんた、こいつの身内だから庇うんだろう」
すげなく一蹴され、ルースは息を止めた。
「保安官のところに連行する。おい、何人かはここに残って監視してろ」
「フェリックス!」
「ルース、大丈夫だから。――この子も連れていって良いだろう? 死体のある家に置いていきたくない」
「ふん、お前が殺したくせに何を言う。まあ、良いだろう」
許可が出たので、フェリックスはルースに顔を向けた。
「ルース、ジョナサンを」
「わかったわ!」
ルースは慌ててジョナサンの眠る部屋に走り、まだぐっすりと眠っているジョナサンの布団をはぐ。その拍子に、ジョナサンが目を覚ました。
「お姉ちゃん……?」
「ジョナサン、ちょっと移動するわ。あたしにおぶさりなさい」
「うん……」
ずしりと重みが背中にかかる。
ジョナサンも、もう十歳なのだから背負って軽々移動できるわけではないが、具合の悪いジョナサンを夜中に歩かせたくはなかった。
ルースが居間に出ていくと、フェリックスは縄で手首を縛られているところだった。
怒りと理不尽さに、ルースは唇を噛み締めた。
引っ立てられていくフェリックスの背中を追い、外に出る。暗闇の中、松明があかあかと燃えていた。
「馬車に乗って」
急かされ、フェリックスとその縄を引く男が先に乗り込み、ルースはその後に続いた。
ジョナサンを座席に下ろして、横たえてやる。正面のフェリックスはその光景を見て、少しだけ微笑んでいた。
「保安官って……どこの町の保安官なの?」
「ここは町に属してないから、町の保安官はいない。郡保安官《シェリフ》のところに連れていく」
ルースの質問に対し男は端的に答え、目をつむってしまった。目を閉じてもフェリックスに突き付けた銃はぴくりとも動かない。逃げられそうにもなかった。
「フェリックス……」
「喋るな」
会話すら、許してくれない。
ルースはため息をつき、傍らで眠るジョナサンの柔らかい金髪を梳いた。
(ジョナサン……全然、目を覚まさないわ……)
弟の体調が思わしくない上にフェリックスが捕まってしまい、ルースの心は不安でいっぱいだった。
フェリックスは、薄暗い牢屋に放り込まれた。
「そこで大人しくしてろ。――さて、お嬢さんはどうするかね」
「……しばらく、ここにいさせて」
ジョナサンを背負ったまま、ルースは堅い声で答えた。
「頑固なお嬢さんだ。保安官が来たら退くんだぞ」
男たちが行ってしまってから、ルースは牢屋に近づいた。
「――ごめんね、フェリックス。あたしがあのとき、早く逃げてたら良かったのよね」
「済んだことは仕方ない。大丈夫。無罪になるさ」
「でも、あたしが証人じゃ、だめだって……言ってたじゃない」
本当は泣きたかったが、ここで泣いてどうしようもないと自分に言い聞かせて、ルースは喉に力を入れてこらえる。
「大丈夫だって。それより、ルース。この町の名前、聞いたか?」
「ええ。“リーズロッド”だって」
「幸か不幸か、待ち合わせの町だ。町の中央に宿屋がある。ウィンドワード一家とジェーンは、もう着いているだろう。早く行くんだ」
ルースはためらい――こくりと頷いた。
ここにルースがいても、何もできない。
「わかったわ。ジェーンさんに相談して、あんたを出してもらうわ」
そう言うと、フェリックスは微笑んだ。
「そうしてくれると助かる。ありがとう」
「……じゃあ、行くわ」
ルースは思い切って、フェリックスに背を向ける。
「ルース」
呼び声に振り向くと、フェリックスはにこにこ笑っていた。
「気にしなくて良いから。わかったな?」
「……ありがとう」
それ以上言葉を重ねると思わず泣き出してしまいそうだったので、ルースはぐっとこらえて歩を進めた。
自分が情けなくて、ルースは背負ったジョナサンの温もりに救われながら、ひたすらに知らない町を歩いた。
少年を背負って歩く少女の光景が異様なのか、人々の視線が集まる。
フェリックスに教えられた通り、町の通りの中央には大きな宿屋があった。ためらいがちに扉の前に立つと、傍らに立っていたボーイが扉を開けてくれた。
「どうぞ、お嬢さん」
「ありがとう……。――兄さん!?」
ルースは宿のロビーに兄の姿を見つけて、声を漏らした。
「ルース」
オーウェンも驚いたように妹を認め、こちらに駆け寄ってきた。
「無事で良かった。……ジョナサン、どうしたんだ?」
「――具合が悪いみたいなの」
重さでずり落ちそうになったジョナサンの体をルースから受け取り、オーウェンは軽々と抱き上げた。
「ジョナサン、大丈夫か」
しかし返事はない。眠ってしまっているようだ。
「ところで、用心棒は?」
「それが、大変なの。ジェーンさんは?」
「上にいると思う」
「兄さん、ジョナサン見ててね!」
ルースはキッと顔を上げて走り出した。階段を駆け登りながら、誓う。
(泣いたって仕方がない。あたしは、あたしのできることをするまでよ)
どんなに自分が無力に思えても、絶望して何もしないよりは良いはずだと自身に言い聞かせてルースは走った。
兄に教えられた部屋のドアを乱暴に叩くと、不機嫌そうな声が飛んできた。
「だあれ?」
「ルースです! お願いジェーンさん、助けて!」
すると、ドアはすぐに開かれた。
「あらあら、お嬢ちゃん。随分、時間かかったのね。血相変えて、一体どうしたの?」
「フェリックスが捕まっちゃったの!」
ルースが叫ぶと、ジェーンは大きなため息をついた。
「連邦保安官に?」
「違うわ。郡保安官《シェリフ》よ」
「郡保安官!? 一体どうして」
「殺人の疑いがかかったの」
顔を上げると、ジェーンは眉間に皺を寄せて厳しい顔をしていた。
「ゆっくり話を聞かせてちょうだい。まずは下に行きましょう。あなた、顔色が悪いわ。とにかく一旦、何か温かいものでも飲んで落ち着きなさい。良い?」
「……はい」
そういえば、と夕食の後、何も飲み食いをしていなかったことに気づく。今更のように、水分を失って久しい喉がひりりと痛んだ。
一通り事情を説明し終えると、ジェーンは舌打ちし、オーウェンは無表情で腕を組んだ。
両親は今、ジョナサンに付き添っている。彼らにも事情を説明しなくてはならないが、まずはジェーンに手を打ってもらうことが先決だった。
「厄介ね。お嬢ちゃん以外に、目撃者はいなかったんでしょう?」
「ええ」
「犯人の顔は見たの?」
「……いえ。覆面だったの」
帽子にスカーフ。よくある悪人の覆面だが……あの声には、聞き覚えがあるような気がしていた。
(サルーンで出くわした、ブラッディ・レズリーの人かもしれない)
しかし、確証はなかった。
「うーん、間違いなく裁判にかけられるわね。こういうとき、流れ者って絶対に不利なのよね……」
ジェーンは自分のことも含めて言ったつもりなのか、淋しそうに息をついた。
「ねえ、ジェーンさん。連邦保安官なら何とかしてくれないかしら? フィービーっていう、連邦保安官を知ってるんだけど……」
フィービーの名前を聞いた途端に、ジェーンの顔色が変わった。
「馬鹿ね! あの暴走保安官を呼んだら、嬉々としてフェリックスの尋問に立ち合って即有罪にするわよ!」
どうやらジェーンも、フィービーのことを知っているらしい。
「でも、殺人罪だったら絞首刑になることもあるんでしょう? それは、連邦保安官も困ると思うの。よく知らないけど、連邦保安官はフェリックスから証言を引き出したいみたいだし」
「ああ、なるほど。殺されたら事情聞き出せないものね。でも、あの女が素直に取引するかしらねえ。それに、連邦保安官といっても管轄外の事件は取り扱えないのよ」
ジェーンは肩をすくめて、コーヒーを一気飲みした。
「わかってます。けど証拠を見つけたり、郡保安官に口添えぐらいしてくれるかなって……。それに、あたし――犯人の声を聞いたんだけど……前のときにサルーンで出くわしたブラッディ・レズリーの男の声に、似てた気がして」
「何ですって! ――それじゃ、フィービーを呼ぶ理由になるわね」
ルースの必死な訴えに、ジェーンも考えを改めたようだった。
「そうね。もしブラッディ・レズリーの男が犯人なら、彼女の事件にもできる。……といっても、フィービーが今どこにいるかわからないわ」
「フェリックスが、フィービーたちはブラッディ・レズリーと取引していた町長の護送に付いていった、って言ってたけど……」
「あらそう。それなら、わかるわ。ブラッディ・レズリー関係は、あの刑務所って決まってるから――サンセット刑務所ね」
ジェーンの閃きに、ルースは思わず腰を浮かせた。
「じゃあ、すぐ呼びに――」
「まあ待ちなさい、お嬢ちゃん。手紙を送れば、すぐに飛んでくるわよ。あたしたちが行く必要なし。まだいることを祈って、速達を頼むわ。もし出発していたとしても、どこに行ったかは言い残しているはずだから、追ってもらいましょう」
気楽に笑って、ジェーンはウィンクしてみせたのだった。