1. Saga of the West

3



 サンセット刑務所は絶壁の上にある。脱獄犯には死あるのみ、という物騒な精神を掲げているせいか脱獄犯はほとんどいなかった。単に逃げてもすぐに射殺されるといった寸法だ。
 この刑務所には、西部でもとびきりの悪党が送られる。世間を騒がせているブラッディ・レズリーに関係する者も、ここに送るのが決まりだった。ただしその決まりがあっても、ブラッディ・レズリー一味そのものは捕まっていない。現在ブラッディ・レズリー関連で捕らえられている者は、“ブラッディ・レズリーに関わった者”でしかなかった。
 エウスタシオは空になった独房の前で、何をするでもなく佇んでいた。
 思い出すのは、うずくまった自分に差し伸べられた手と声。
『――私の手を取れ』
 あのとき、手を取らなければ自分はとっくの昔に死んでいただろう。そう思うと、不思議で仕方なかった。
「エウ」
 声をかけられて振り向くと、フィービーが眉をひそめて立っていた。
「ここで、何をしている」
「……少し、思い出していました。特に意味はありませんよ」
 それ以上の追求を避けるかのごとく、エウスタシオはフィービーの横をすり抜け、早足で進んだ。
 地下に設けられた通路は、いつ来ても黴臭かった。
「まあ、お前の勝手だがな。あんまり良くないと思うぞ。聞いているのか」
 後ろからフィービーがまくしたてながら付いてくるので、エウスタシオは苦笑した。
「大丈夫ですよ――」
 そこで、右手側から異国語の怒声が響いた。もっともエウスタシオにとっては母国語でもある、南大陸の大半で通じる言語――イスパニア語だった。
「おやおや、こりゃー久しぶりだなあ!」
 目をやると、歯の抜けた男がにやにや笑っていた。
「立派になっちまって。今や、連邦保安官補になっちまったんだもんなあ。どうしたら、そうなれるのやら。体でも売ったのかい? 娼婦のように――」
 呆然とするエウスタシオを後目に、フィービーの靴が鉄柵を蹴った。
「今すぐ黙らないと、その欠けた歯の目立つ口から銃口突きつけて頭ぶち抜くぞ!」
 脅しだけでなく本当に銃を抜いたものだから、男は悲鳴を上げて部屋の奥へと逃げてしまった。
「チッ。一発、撃っておくか」
「フィービー様。獄卒に怒られますよ。行きましょう」
 エウスタシオに促され、フィービーは独房から渋々離れる。
 しばらく双方無言で通路を歩いていたが、唐突にフィービーが口を開いた。
「あいつ、独房移ったんだな」
「ですね……。ところでフィービー様、彼が言ってること……わかったんですか?」
 フィービーは、イスパニア語は解さなかったはずだ。
「わからんが、あいつが不愉快なことを言っているのはわかった。それで十分だ」
 言い切るフィービーの横顔を見て、エウスタシオは微笑んだ。
「お前な、ああいうときは問答無用で脅して撃てば良いんだぞ」
「だから、それでは獄卒に怒られますって……」
「構わん」
「あなたが構わなくても、私は構います」
 そんな会話を交わしている内に通路を抜け、休憩所に出た。
「ああ、連邦保安官。何やら怒鳴ってませんでした?」
 刑務所長は大あくびをして、新聞をたたんでいた。
「気のせいだ」
「そうですか。ところで、手紙が届いてましたよ」
 渡された手紙を受け取り、フィービーはすぐさま封を切った。
「まさか、報告書の滞納のことでは……」
「違う。エウ、すぐにここを出るぞ」
 手紙を握りつぶし、フィービーは真剣な顔で告げる。
「すぐ、ですか?」
「すぐだ!」
 フィービーが言い切り、エウスタシオは眉をひそめる。
 尋問に時間を取られ過ぎて長逗留になっている自覚はあったが、今すぐ出発というのはいくらなんでも急だった。
「行くぞ!」
 有無を言わさず、フィービーは歩き出した。



 ジェーンは手紙を配達人に託した後すぐに、フェリックスを捕らえている郡保安官《シェリフ》に会いにいった。
 ルースも付いていくと言い張ると、ジェーンは渋々同行を許してくれた。
「久しぶりねえ、郡保安官《シェリフ》」
「あんた誰だ?」
 まだ年若い郡保安官の一言に、明らかにジェーンの眉が上がった。
「あら――あ、そっか。あなたは知らないわ。先代とは、割と仲良くやってたんだけど? 私の名前はジェーン・A・ジャスト」
 名乗ると、郡保安官の顔色が変わった。
「あんたが、あのジェーンか!」
 名前だけで反応されるとは、やはりジェーンは有名らしい。
「俺の先代は、ひどくあんたを恨んでたぞ。手柄をほとんど取られたってな!」
「あっちゃあ。ま、先代は先代よ。ところで郡保安官。あなたが捕らえている、フェリックス・E・シュトーゲルって子についてお願いがあるのよ」
 開き直って、ジェーンは机を叩く。
「シュトーゲル……? ああ、今朝送られてきた人殺しか」
 ルースはその言い方にムッとしたが、ジェーンはルースが口を開く前に猫なで声で続けた。
「人殺しって言っても、証拠不十分でしょう? このお嬢ちゃんが、別の者が殺したのを見たって主張してるのよ」
「残念だが、あの男の仲間だから、あんたの証言に対する信憑性は低い」
 つい、と顔を背けて書類に目を落とした郡保安官にジェーンはぐっと顔を近づけた。
「ねえ、お兄さん」
「な、何だ」
 近すぎる距離に幾分どぎまぎした様子を見せ、郡保安官は応答する。
「疑わしきは罰せず、の精神を実行するつもりはないの?」
「ないね。大体、証拠というか証人ならいるんだ。あの家の使用人が、シュトーゲルっていう男が殺したところを見たと言っている」
 新たな情報に、思わずルースとジェーンは目を見交わした。
「――そう、わかったわ。一旦退く」
 ジェーンはあっさりそう告げて、戸惑うルースの手を引いて部屋から出ようとする。
「面会しても良い?」
「……好きにしろ」
 思い出したようなジェーンの質問に、郡保安官はこちらを見ようともせずに答えた。

 フェリックスは、すっかり落ち込んだ様子で――というわけでもなく、独房の中で寝転がっていた。
 ルースとジェーンに気づいて、身を起こす。
「ルースにジェーン! 助けにきてくれたんだな! ずっと待ってた!」
 この非常事態だというのに明るい調子にルースは呆れたが、ジェーンは眉をひそめて牢の前にひざまずいた。
「ああ、かわいそうなフェリックス。あんたは良い子なのにね……」
「そうだろう、ジェーン。俺が悪いことなんてしないの、みんな知ってるよな?」
 柵越しに顔を近づける二人を見て、ルースは盛大にため息をついた。
(薄々気づいてたけど……この二人ってノリが似てる。師匠が一緒だからかしら)
 すっかりルースの存在を忘れているのかと思いきや、フェリックスはルースのうろんげな視線にしっかり気づいたようだった。
「ルースってば、そんなに熱く見つめちゃって」
「見つめてないわよ! 呆れて眺めてるだけよ!」
「あっはっは。面白いわね、お嬢ちゃん」
 むきになって言い張ると、フェリックスだけでなくジェーンにも笑われてしまった。
「やっぱり、あなたたち二人は似てるわ」
 思わず出た呟きに、ジェーンとフェリックスは顔を見合わせていた。
「だって、フェリックスに色々教えてあげたのは私だものねー」
「ねー」
 二人で頷き合っている。
「色々、って何?」
「色々、は色々よねー」
「ねー」
 質問を、はぐらかされた。
 付き合ってられない、とばかりに大きなため息をつくと、さっきまでのふざけ方はどこへやら、急にフェリックスは真剣に問いかけてきた。
「で、今は何がどうなっている状態なんだ?」
「フェリックス、残念なお知らせよ。郡保安官、頭が堅そうだわ。しかも、あんたに不利な目撃者が現れてる」
「何だって?」
 ジェーンの答えに、フェリックスは目を見開いた。
「まあ心配しないで。フィービー呼んでみたから」
「それ、余計心配になるんだけど!?」
 予想通りの反応に、ジェーンもルースも思わず笑ってしまう。
「大丈夫。多分、助けてくれるわ」
「あいつらが、俺を助けるわけないだろ!」
「命は助けたがるわ。大体、そもそも冤罪なんだから。利用するもんは利用するの」
 ジェーンに諭されたものの、フェリックスは納得していないようだった。



 無言で馬を走らせ続けるフィービーの背に向かって、エウスタシオは声を張り上げた。
「いい加減、手紙に何が書いてあったか教えてくれませんか!」
「着いたら教えてやる」
 さきほどから、こればかりだ。エウスタシオは舌打ちして馬に拍車を入れ、フィービーの乗る馬と並んだ。
「……私に、言いたくない理由でも?」
「いちいち、うるさい奴だな。着いたら言ってやるって言っただろ」
 ふいっ、とフィービーは顔を背ける。
 こうなったら頑固なフィービーのこと。意地でも語ってくれまい。
 そうこうしている内に町が見え、二人は馬の足を緩めた。

 フィービーは真っ先に、町の中心にある宿へと向かった。
 宿のロビーに入るなり、銃を構えて声を張り上げる。
「連邦保安官だ!」
 何事かと人々が注目する中、奥の方から女が一人進み出た。
「あら、早かったわね」
「出たな、ジェーン・A・ジャスト。私に再び喧嘩を売るとは、良い度胸だ」
 愛用の銃をもてあそびながら、フィービーはにやにや笑った。
「あら、こんなところで乱戦はよしましょう。外に出ましょうか」
 ジェーンはにこやかに笑いながらも、ナイフの収まった皮のケースにそっと手を添えている。
「良いだろう」
 二人が視線で火花を散らせる中、ジェーンの前に少女が飛び出してきた。
「おや、小娘じゃないか」
 見覚えのある姿に、フィービーは目を丸くする。
「ジェーンさん! 何て書いて呼んだんですか!」
「喧嘩の続きをしましょう、って書いて送ったのよ」
 答えを聞いて、ルースは肩を落としていた。
「そう書いたら、この女は絶対来るはずだと思ったのよ。手紙で事情説明するの面倒だし」
「何? お前、私を謀ったのか!」
「ある意味ね。いつか決着をつけたいとは思ってたから、嘘じゃないわよ」
 思わず発砲しそうになっていたフィービーの腕を、エウスタシオがつかむ。
「待ってください。まさか、喧嘩買うためだけにここに……?」
「いかにもそうだ」
 悪びれた様子など微塵も見せずにフィービーは自信満々に頷き、エウスタシオは大きなため息をついていた。
「一体、何の用だったんですか」
 きつい口調でエウスタシオはジェーンを詰問したが、彼女は動じることなく艶やかに微笑んだ。
「あら、連邦保安官補の坊や。この野獣の面倒見るの、大変でしょ。同情するわ」
「殺す!」
 フィービーが銃を構えそうになったところで、またエウスタシオが腕をつかんで止める。
「落ち着いてください。宿で喧嘩したら、間違いなく建物に被害が出ます。弁償ということになったら、上がうるさいですよ。――ところで、私の質問に答えてください」
 もう一度エウスタシオはジェーンに告げ、厳しく睨んだ。
 そこでルースが、ジェーンの前に進み出る。
「あの、あたしがジェーンさんに、あなたたちを呼んでもらうよう頼んだの」
「あなたが?」
 エウスタシオは、あからさまに顔をしかめた。
「事情は、ちゃんと話すわ。とりあえず、どこかに移動しない? サルーンにでも行きましょう」
 宿のロビーには野次馬が溢れかえっていたので、一同はジェーンの提案に従うことにした。