ニライカナイの童達
第二部
第十五話 行楽
「あれ、もう来てたの。雨見くん」
部室に入ってきた河東に声をかけられて、ユルは本を手にしたまま振り返って「ああ」と応じた。
河東とは学科が違い、取っている授業もほとんどかぶっていないので、連休明けで顔を合わせるのがこれが初めてだった。
古書研究会の他のメンバーは、まだ来ていない。
「雨見くん、連休どっか行った?」
「キョウトに行ってきた」
「キョウトお!? 何で、それまた。あー、もしかしてあの幼なじみ巫女さんを連れていってあげたのー?」
にやにや笑いながら、河東が尋ねてくる。
「そうだけど、ふたりきりじゃなかった」
淡々と説明して、ユルは読んでいた本を閉じ、本棚に戻した。
「あっそう。それは残念。デートイベントじゃなかったんだね」
「…………」
「無視しないで!!」
河東は喚きながら、リュックを机に置いて、椅子に座っていた。
「雨見くん。お前はどこかに行ったのか? って聞いてくれないの?」
「お前はどこかに行ったのか?」
「コピペか! まあいいよ、答えてしんぜよう。僕はイベントに行ってましたー。同人誌いっぱい買えてほくほく」
「ふうん」
「あからさまに興味なさそうな態度、止めて! んもー、つまんないな。巫女さんって、和田津さんって名前だっけ。あの子、たまには連れてきてよ」
「何で連れてこないといけないんだ」
「たまには僕も癒やし系萌を摂取したい」
いまいち意味がわからなかったが、ユルは冷たく「断る」と答えておいた。
「くっ……ガードの高い保護者め。しかし僕の攻撃力は五十六万……」
無視して別の本を手に取って、ぱらぱらめくっていると「雨見くん、また無視したー」と河東が嘆いてきた。
河東は悪いやつではないのだが、いかんせんやかましすぎる。
ふと思い出して、ユルは顔を上げた。
「そうだ、河東。お前ってトウキョウ生まれだろ」
「ん? そうだよ。実家は今住んでるところよりも、もっと西にあって田舎だけどね」
「なら、ミッチーランドにもたくさん行ったことあるだろ」
「まあ、友達と遊んだり遠足で行ったり……と行った回数は多いけどさ。どうして、そんなこと聞くんだい?」
「ククルが行きたいらしい。だから、今度の日曜に一緒に行くことになった」
「デートイベント自慢かよ! はいはい楽しんでー」
「違う。オレは、修学旅行で一回しか行ったことないんだ。でも、あそこって結構広いだろ。だから……」
「はいはい、おすすめ教えろってことだね。うーん、絶叫系が大丈夫なら、そこを中心に回ったら? 絶叫系はどこも人気だから待つし、自然と時間が潰れるよ。待ち時間のときにケンカするかしないかで、カップルの相性が問われるって噂もあるしねー」
「……なるほど」
ククルが絶叫系に耐性があるかどうか、わからない。一回乗せてみるしかないだろう。
ちなみにユルは、修学旅行のときにクラスメイトに引き回されて、絶叫系には乗っていた。怖くはなく、爽快感があって悪くないと思っていた。
(ククル……微妙だな)
臆病と思いきや、変に度胸がすわっているときもある。ククルが絶叫系で楽しめるかどうか、やはり実際一回乗せてみないとわからないだろう。
「和田津さんって、絶叫系平気なの?」
考え込んでいると、河東が尋ねてきた。
「わからない。あいつは一度も乗ったことないからな」
「へー。あ、そっか。君たちの実家って、琉球でも離島の方か。遊園地なかったの?」
「まあな」
信覚島にはもしかするとあるかもしれないが、少なくともユルは知らなかった。
「ミッチーランドかあ。しばらく行ってないなあ」
河東が呟き、天井を仰いだとき、ばんっと戸が開いて誰かが入ってきた。
「ナハトー! ミッチーランドに行きたいの? ワタシ、行くっ!」
いきなり抱きつかれたので、ユルは舌打ちしてエルザを引きはがした。
「何で、お前が来るんだ」
「だってー。ワタシ行ったことないんだもの。ワタシも連れていってくれるわよね!」
エルザは目をきらきらさせており、ユルはため息をついた。
(そういえば……あいつ、予備校で友達できないって言ってたな)
エルザはククルとペアを組むこともあるし、仲良くなっても損はないだろう。
「わかったわかった。だけど、おごらないしククルも一緒だからな」
「えーっ。ナハトとふたりきりがいい!」
「元々ククルと行く計画だってのに、何でお前とふたりにならなきゃいけないんだよ」
「むーっ。まるで、あの子とふたりきりがよかったみたいね!」
エルザが腕を組んだところで、ユルはふと閃いた。
三人だと、二人乗りの乗り物に乗るとき、ひとり余ってしまう。
「おい、河東」
「なにー? 雨見くん。部室でラブイベント繰り広げるの、止めてほしいんだけど」
河東の文句は無視して、一言告げた。
「お前も来い」
「え? 河東くんとエルザさんも来るの!?」
帰ってきたユルから話を聞いたククルは驚いて、大きな声をあげてしまった。
「部室で話してたら、エルザが来て連れてけってうるさかったんだよ。嫌か? 嫌なら断るけど。でも、あいつ日にち知ってるから普通に来そうなんだよな」
たしかに、とククルは苦笑した。
エルザの強引さなら、絶対に来そうだ。
「別に、嫌じゃないけど……」
「そうか。なら、この機会に友達になっておけよ」
「エルザさんと、友達?」
「お前、トウキョウで友達できないって嘆いてたじゃねえか」
「そ、そうだけど……」
エルザは数回顔を合わせただけだが、あまり好かれている気がしない。
友達になんて、なれるのだろうか。
「で、河東さんは、どうして?」
「奇数になると、ややこしいだろ」
要するに、数合わせで河東も来ることになったらしい。
(ふたりきりかと思ったら、四人か……。賑やかになるね)
呆然と考えている内に、ユルの姿が消えていた。自室に行ったのだろう。
『あらあら。残念そうね、ククルちゃん。せっかくのデートだったのに』
それまで天井付近にいた祥子が、にやにや笑ってククルの前に舞い降りる。
「で、でえとっ!? そ、それは……やたらよく少女漫画に出てくるやつ! ……違うよ、祥子さん。それは恋人同士が出かけるときのこと、言うんでしょ。横文字苦手な私でもわかるよ」
『えー。そういえばユルくんとククルちゃんって、同居までしてるのに付き合ってないのよね。もどかしいわ。乙女ゲーで好感度が足りなくて目当てのキャラが攻略できないぐらい、もどかしいわっ』
後半は何を言っているのかわからず、ククルは首を傾げた。大和語は難しい。
『でも、ふたりきりだと距離も縮まったかもしれないのに。ユルくんも無粋よねえ。女の子連れてくるなんて。私から言ってあげようか?』
「いいよ、祥子さん。私も、これを機にエルザさんと仲良くなれたら、と思うし。河東さんとはもう一度話してみたかったし」
『河東、ってユルくんの友達よね? 数合わせの……。どんなひとなの?』
「ユルの入ってるサークル……古書研究会のひとなの。私は去年、ユルの大学に行ったとき、会ったの。私に萌とか妹キャラとか言ってきたけど……あれって何だったんだろうね」
『ベクトルは違うけど、私と同類ね、きっと。急に河東くんに親近感湧いちゃった』
「祥子さん、河東さんと気が合うかもね。来られたらいいのに」
『地縛霊でさえ、なければね……。ま、いいわ。私はトウキョウ生まれのトウキョウ育ちで、ミッチーランドには数え切れないぐらい行ったから。それより、ククルちゃん。エルザって子にユルくんを盗られないように、がしっとつかまえておくのよ』
祥子に忠告されたが、あのエルザを押しのける勇気は湧いてこなかった。
かくして、日曜日。
一行は、トリプルサンダーマウンテン、という乗り物の列に並んでいた。
当然のようにエルザはユルの隣を確保し、腕に腕を巻きつけている。ユルが何度振り払おうとしても、がっしりつかんでいる。力の強さもさることながら、執念が凄まじい。
そういうわけで、ククルは河東の隣だった。
「和田津さん、ごめんね。雨見くんの隣がよかっただろうに」
河東は暑いのか、ひっきりなしにハンカチで汗を拭いていた。今日は天気がよく、五月にしては気温が高かった。ククルも河東ほどではないが、たまにタオルで顔や首をあおいでいた。
「ううん。ああなるって、わかってたし。それに私、河東さんとも話してみたかったもの。あの電話以来だよね」
「どきっ! ああ、三次元に耐性のない僕には刺激の強い言葉! ……まあでも、わかってるよ。和田津さんには、こわーい保護者がいるからね。わかってるから、時々殺気をこめて振り返るの止めてくれないかな、雨見くーん!」
途中で、河東は後ろを向いたユルに必死に語りかけていた。
「なかなか乗れないんだね……」
つい、ククルはぼやく。
かなり混むと聞いていたので、朝早くに出て開園と共に入園し、一番人気だというこのアトラクションに並んだのだが、さっきからわずかに進むだけで、アトラクションの建物にも入れないでいる。
「まあね。でも一時間待ちだから、まだマシなほうだよ。ひどいと、二時間とか三時間とか……」
「三時間!?」
河東の話を聞いて、ククルは仰天した。そんなに待っていたら倒れてしまう。
「次に乗ろうとしてるスプラッシュリバーは、ファストパス取ったから、こんなに並ばずに乗れるよ」
「そうなの?」
「うん。優先券みたいなもんだから」
河東は嫌がるでもなく、親切に教えてくれた。
また、列が少し進む。
相変わらず、前方ではエルザがユルにべったりくっついて何事かを早口で喋っていた。
聞き取れないと思ったら、英語だ。ククルは、ぽかんと口を開けた。
「あれ、英語だよね? すごーい。ユル、英語喋ってる」
「ほぼ相づちだけだけどね……。よく、あんな早口聞き取れるよね。雨見くんって、語学センスあるよね」
河東も感心していた。
「そうだね……」
そういえば、ユルは神の島に流れ着いたとき、ちゃんと八重山の方言を喋っていた。ククルが、ユルが八重山のひとではないと気づかないぐらい、違和感がなかった。今はそれほど違わないが、昔は琉球の本島の言葉と八重山方言はかなり違っていたのに。ククルは本島に行く際、カジに苦労しながら習ったものだ。
そんなことを考えながら、ククルはぼんやり前方を見る。
エルザとユルがくっついているのを見ると、妙な気持ちになってしまう。
(なんだか、嫌だな……って思っちゃう。だめだなあ)
ティンとトゥチが婚約を発表したときも、拗ねた記憶がある。自分は心が狭いのだろうか。
気を紛らわすためにも、ククルは河東に顔を向けた。
この調子では、エルザはずっとユルに引っついていて友達になるどころではないだろう。河東となら、友達になれそうな気がした。
「そうだ、河東さん。連絡先教えて」
「おお、女子と連絡交換イベントキタコレ! 喜んでー。和田津さんも、スマホ出して」
にこにこ笑って、河東は携帯を取り出した。
「スマホ?」
「スマートフォンだよ。持ってるよね?」
「あ、携帯電話のことだね」
ククルは鞄から携帯電話を取り出して、固まった。
「どうやって、連絡交換すればいいの? 私、今までずっと誰かにやってもらってたから」
「世間知らずな女の子、萌ポイント高し! ロック外して、貸して。電話帳に登録するから。あ、ライソの方がいい?」
「ライソって?」
「メッセージアプリだよ。なんだ、入ってるじゃん。これで僕を検索して……。はい、おしまい。電話帳にも入れたし、ライソの連絡先にも追加したよ」
ククルの携帯を受け取った河東は、素早く操作して返してくれた。
「ライソ……」
そういえば、薫がこの前会ったときにククルの携帯に入れてくれた気がする。
「ちょっとびっくりしたんだけど、ライソに雨見くん入ってないじゃん」
「え? ユルも、ライソ持ってるの?」
「サークルでグループライソ使うからね。そんなに連絡取り合う必要ないとか?」
「うーん……そうかも。一緒に住んでるし」
ククルがぽろりと呟くと、河東は愕然としていた。
「なっ……はああ!? ど、同棲してるの!?」
「うん。知らなかった?」
「知らないよ! 幼なじみ通り越して、もう妻じゃん!」
「つ、妻じゃないよ」
ふたりが大きめの声で言い合っていると、不審そうにエルザが振り返った。
河東は声をひそめ、ククルに忠告した。
「間違っても、彼女には知られないほうがいいと思うよ。怒り狂うのが目に浮かぶ」
「……そうなのかな。ユル、言ってないのかな?」
「少なくとも僕は初耳だよ。なんだか和田津さんって、ちょっとズレてないか? 同棲って、普通は恋人同士がすることだよ」
「……こい、びと!? ち、違うよ!」
ククルは驚き、河東を見上げた。
「私とユルは、高校に通ってるとき下宿先も一緒だったから……。一緒に住むのに、抵抗ないの」
「抵抗あるとかないとかの問題なのか!? 近すぎて意識できないのか? 三次元には滅法弱い僕、君たちが恐ろしくなってきたよ!」
「私とユルって、おかしいの?」
「おかしいというか……そこまで近しいなら、さっさと爆発しろ……じゃなかった、結婚しろって思うけど。雨見くんは、ああして独逸人の美女にくっつかれて、家に帰ったら幼なじみの妹系巫女さんが待ってるとか……。ギャルゲーの主人公かよ! やっぱりイケメンは有罪だ!」
途中で河東が理不尽に怒っていたが、ククルは「結婚」という言葉に気を取られていた。
「……河東さん。違うよ。私とユルは、兄妹みたいなものなの。だから、ユルが結婚するとしたら違うひととだと思う」
「え? そうなの? 和田津さんは、雨見くんのことどう思ってるのさ。ここまで来たら、詳細希望!」
「どう……って」
どう思っているのだろう。いざ言葉にしようと思うと、詰まってしまって、どう言えばいいかわからない。
「わからない……」
「はあ、さいですか。僕も三次元には疎いからなあ。まあいいや、この話は止めよう」
「え?」
「和田津さん、すごく暗い顔になってたよ。せっかくミッチーランドに来たんだから、楽しもうよ」
河東は笑って、ポケットから入り口で取っていたパンフレットを取り出していた。