ニライカナイの童達

第十六話 失踪


 ククルは、包丁でじゃがいもの皮をむいていた。
 今日はククルが夕食当番だった。今でも、たまに失敗することもあるが、失敗の回数も減ってきて「おいしい?」と聞いたら、ユルも「うまい」と言ってくれるようになっていた。
 琉球にいる間、高良夫人に料理を熱心に習った甲斐があったというものである。
「……ユル、遅いな」
 七時になって一通り料理を作り終えたククルは、壁時計を見上げた。
 今日は仕事が入っていないと、朝に聞いていた。
 サークルで遅くなっているのだろうか。
「先に食べちゃっていいかな?」
『いいんじゃない? 冷めちゃうわよ』
 いつの間にか傍に来ていた祥子が、促してくる。
「うーん……。じゃあ、食べようかな。そうだ、ユルに電話……は迷惑かな。メールで今日何時ぐらいになるか聞いてもいいかな」
『それこそ、ライソを使えば? あれ、相手がメッセージ読んだら既読ってついて、わかりやすいし』
 祥子に提案されて、ククルは居間のテーブルに置いていた携帯を取りにいった。
 座って、携帯を操作する。
「えーと、ライソ……で、ユルはこれだね」
『ユルくんって、アイコン設定してないのね。ま、キャラじゃないものね。何でもかんでもデフォルト画面にしてそうだわ』
「そういえば、そうだね」
 一方ククルは、祥子に教えてもらって、ミッチーランドで撮影したミッチーの着ぐるみの写真をアイコンに設定してある。
「ていうか、ユルとライソするの初めてだ。緊張する」
『今更、何を緊張するのよ……』
 祥子のツッコミは、最もだった。
 ククルは、『今日、何時に帰ってくる?』というメッセージを送った。
「さて、返事を待っている間に食べちゃおうか」
 携帯を置き、ククルは立ち上がった。
 
 結局、ククルが食べ終え、勉強をして、風呂に入ってからもユルが帰ってくるどころか、返信さえなかった。
「もう十時……。祥子さん、電話した方がいいかな」
『そうねえ。大学生だから、仲間と盛り上がってるだけかもしれないけど……何の連絡もないのは、ちょっと心配よね』
「だよね。電話しよう」
 ククルは自室のベッドに腰かけ、ユルの携帯に電話をかけた。
 数回コール音が響いたあと、『おかけになった電話は、電波の届かない場所にある、または電源が入っていないため、おつなぎできません』と電子音声が応答した。
「え? ど、どうしたの? これ……」
『ククルちゃん、落ち着いて。急な飲み会で、携帯の電源が切れてるだけかもしれないわ。一晩、待ってみましょう』
「……うん」
 頷いたものの、ククルのなかには嫌な予感が渦巻いていた。

 その夜は、結局ろくに眠れなかった。寝不足を感じながら起き上がると、午前六時だった。
「ユル!」
 名前を呼んで、ユルの部屋に向かう。ユルの部屋に鍵はかかっておらず、すぐに開いたが――部屋の主の姿はなかった。
 居間にも行って、ついでに風呂場も覗く。どこにも、ユルはいない。
『おはよう、ククルちゃん。ユルくん、まだみたいね』
「……うん。急に仕事入ったのかも。それなら、弓削さんが知ってるはずだから……」
 居間に座りこみ、ククルは握りしめていた携帯の画面を見た。相変わらず、返事も着信もない。
 朝早いのでどうしようと思いながらも、ククルは弓削に電話した。
『…………はい。ククルちゃん? どうしたの』
「弓削さん、朝早くにごめんなさい。ユル、昨日帰らなかったんです。何か知りませんか?」
 ククルの質問で、眠気が飛んだらしい。弓削の声が、さっきの眠そうな声から一変した。
『夜が、帰っていない? ……昨日は、仕事はなかったから僕は夜に会ってないよ。ククルちゃんは、最後にいつ夜を見たの?』
「昨日の朝です。ユルが大学に行くとき、見送りました。それ以来、見てないし……連絡しても返事がなくて」
『それは、穏やかじゃないね。前後不覚に酔っ払って……って可能性も、夜はない。何度か、一緒に飲んだことあるんだけどね……。あいつ、酒強いから』
「…………どうしたら、いいんでしょう」
 声が震えて、泣きそうになってしまう。
『落ち着いて。所長に連絡を取ってみる。所長なら千里眼で、何かわかるかもしれない。ククルちゃん、事務所の場所わかるよね? そこに来て。あと、他に心当たりがあったら連絡してみて。じゃあ、一旦切るから。気をしっかり持ってね』
「はい……ありがとうございます」
 通話を終え、ククルは次に河東に電話をした。
『和田津氏ー。眠いでござるよ……』
「河東さん、ユルを昨日見てない? 昨日、帰ってこなくて」
『…………雨見くんが!? 僕は昨日、大学で会ったよ。サークル活動があったからね。でも、雨見くんは用事があるとかで途中で帰ったんだ』
「それ、何時か覚えてる?」
『四時半ぐらいだったかなあ。和田津さんには、何も言ってなかったのかい?』
「はい、何も聞いてなくて」
『女の子に心配かけるなんて、イケメン失格だよ全く! ……というのは冗談で。大丈夫?』
 ククルは、よほど心細そうな声をしていたらしい。
「大丈夫。ありがとう」
『……そう。何か思い出したら、連絡するよ』
「うん。じゃあ、切るね」
 河東との通話を終えたが、ククルはそのまま携帯の操作を続ける。
 コール音が長く響き、もう出ないかと思ったところで応答があった。
『……………………何』
「エルザさん。私、和田津ククル。実は、ユルが昨日帰ってこなかったの。何か知らない?」
『…………………………グーテンモルゲン』
「は? ぐーて?」
『挨拶よ。……ナハトが戻ってない? まるで一緒に暮らしているような口ぶりね』
 そういえば、エルザは知らないのだった。ククルは詰まって、とっさに言い訳を口にした。
「ち、近くに住んでるの。それで、ごはんは一緒に食べてるから」
『ふうん。昨日は、ナハトと授業で会った。あとはランチを一緒に食べたぐらいだけど。留学生交流会の集まり、なかったし。退魔の仕事は?』
「仕事もなかったみたいなの。弓削さんに聞いたから、間違いないと思う」
『パートナーのハルキが言うなら、間違いなく仕事はなかったのね。ナハトだって健全な男子なんだから、たまには外泊ぐらいあるんじゃない? むかつくけど』
「でも、それなら連絡してくれると思う……。こっちからライソしても電話しても、応答ないのもおかしい」
『なるほどね。……で、あなたのシャーマンとしての勘はどう言ってるのよ』
 問われ、ククルは左胸に手を当てた。
「すごく、嫌な予感がする」
『決まりね。トラブルだわ。ワタシも捜索に協力するわ』
「ありがとう、エルザさん。今から、退魔事務所に行くの。弓削さんが、所長さんにも連絡してくれるって言ってた」
『わかったわ。ワタシも行く。あとでね』
 通話を終え、ククルは息をついた。
『ククルちゃん……』
 祥子は、心配そうにククルの顔を覗きこんできた。
「祥子さん。私、ユルを捜しにいってくるね。大丈夫。ひとりじゃないし」
『わかったわ。もしユルくんが帰ってきたら、一喝してすぐにククルちゃんに連絡するよう言ってあげるから』
「ありがとう。準備するね」
 ククルは立ち上がり、自室へと向かった。
 
 ククルは退魔事務所に向かった。雑居ビルの入り口に、弓削が立っている。
「おーい、ククルちゃん」
「弓削さん。朝早くにすみません」
「いいよ。所長も、もうすぐ来るはずだよ」
「電話では、何か言ってなかったんですか?」
「時間がもったいないから、みんなが来てから言うってさ。……何か、見えたんだろうね」
 弓削のため息交じりの推測に、ククルは一気に不安になった。
「あ、そうだ。エルザさんも来てくれるそうです」
「エルザが? それは、心強いね。君から連絡取ったの?」
「はい。緊張したけど、ユルの行方を知ってるかもしれなかったし、ユルのためなら動いてくれそうだし……と思って」
「なかなかたくましいね」
 弓削が褒めてくれたところで、伽耶とエルザが並んでやってきた。
「所長さん!」
 思わず駆け寄ると、伽耶は苦笑した。
「ごめんなさいね。悪いニュースよ。雨見くんの居場所が見えなくなってるの」

 とにかく中へ、と促されて事務所の会議室に通された。
 伽耶は、道中で買ったらしいコーヒーを皆に配ってくれた。
 ククルはミルクと砂糖を入れて、マドラーでコーヒーをかき混ぜながら伽耶の発言を待った。
「カヤ。見えない、ってどういうことなの?」
 我慢できずに、エルザが息せき切って尋ねた。
「文字通りの意味よ。私は千里眼。誰かの居場所を見ようと思えば、普通は見られる。弓削くんから電話をもらってすぐ、試したわ。見えない、というのは見えない状態になっているということよ」
「どういう、意味ですか」
 青ざめて、ククルは伽耶を見据えた。
「最悪のケースは、この世にいない……ね」
「ナハトが死ぬわけない!」
 エルザが机を叩いて、立ち上がった。
「落ち着きなさい、エルザ。座って。これは最悪のケースよ。もうひとつの可能性の方が、高いと思っているわ。ククルさん。雨見くんのサークル仲間は『用事がある』と雨見くんが言った、と話していたわね」
「はい」
 先ほど、事務所に入る前にククルが河東の証言を話しておいたのだ。
「おそらく、その用事がらみで見えなくなってるんだわ。異界に行くと、私にも見えなくなるから」
「異界……? たとえば、ニライカナイみたいな?」
 ククルの質問に、伽耶は頷いた。
「でも、ニライカナイじゃないと思うわ。大和からは行けないでしょう。他の異界に、心当たりがある。妖怪の世界よ」
「魔物《マジムン》……妖怪の世界って、あるんですか……」
「あるわ。力のある妖怪は異界を作れるの。トウキョウでも、たまに妖怪の町が立つことがある。見てみたら、いつからか立っているみたい。このあたりよ」
 伽耶は鞄からタブレットを取り出し、しばらく操作したあと、みんなに見えるように机に置いた。
 ククルは未だに土地勘がなく、地図の見方もよくわかっているとは言いがたかったので、曖昧に頷く。エルザも同様だったらしく、深く頷いた弓削に向かって「ハルキ、連れていってね」と頼んでいた。
「そもそも、夜はなぜ異界になんて行ってしまったんでしょう?」
 弓削の最もな問いに、伽耶は腕を組んだ。
「そこ、なのよね……。以前、雨見くんが知性のある妖怪に接触した光景が漠然と見えたことがあったの。あのときに、何か話したみたいね。でも、普通は妖怪に用事なんてないでしょう? だから、あれきりだと思っていたんだけど」
 エルザと初めて組んだときのことだろう。ユルはひとり合流が遅れ、伽耶に忠告されていた。
「何か、探しているのかしら?」
 伽耶の言葉で、ククルはふと思い当たった。
「……ユル、何か本を探していたみたいなんです。ユルの入っているサークル――古書研究会の河東さんが電話でそのこと言ってて……。去年のことですけど。何を探してるの、って聞いても答えてくれなかったんです」
 ククルが説明すると、三人は同時に眉をひそめていた。
「何を探していたか、カトウなら知ってるでしょう。聞いてみて。手がかりになるかもしれない」
「う、うん」
 エルザに促され、ククルは鞄から携帯を取り出した。
 震える指で操作し、どうにか河東に電話をかける。
『はい! 雨見くん、見つかった?』
 電話は、すぐにつながった。
「ううん、まだなの。河東さん。ちょっと、聞きたいことがあって。ユル、何か本を探してたんだよね? それ、何か教えてもらえる……?」
『え? ああ、うん。それが、何か必要なの?』
「……手がかりになるかも」
『手がかりに? 怪しいと思うけどな。だって、時戻りの方法だよ? 雨見くん、何でそんなの探してるのかって不思議だったんだよね』
 それを聞いて、血の気が引いた。もう少しで、携帯を落とすところだった。
『和田津さん?』
「ごめん、河東さん……。時を戻る方法が書いてある文献……なんだね」
 みんなに聞こえるように大きめの声で確認すると、河東は『そうだよ』と相づちを打つ。
「ありがとう。一旦、切るね」
『うん。また何かあったら、教えて。僕も協力するし。じゃあ、気をつけて』
 通話を終えて、ククルは泣き出しそうになるのをこらえて、携帯を仕舞った。
「時を戻る方法……。その様子だとククルさん、心当たりがあるのね」
「わ、私……一度、帰りたいって言ったことがあって……それを、ユルはずっと気にしてたんだと思います」
 一昨年、祭りのあとにユルは『……時を遡る方法があるかもしれない。大和に行って、捜してみる。何とかして、お前を帰してやるよ』と言っていた。すぐに、ククルはちゃんと否定して謝った。……だけれども。気にし続けて、いたのだろう。
 更に、去年大和に来たときにユルが聞いてきたのだ。『……ククル。まだ、帰りたいか?』と。ククルは「琉球に帰りたいか」かどうかを聞いていると思って、「帰りたい」と答えてしまった。
 大和に来てからずっと、ユルは探していたのだ。ククルを帰す方法を。
 ククルがとうとう泣き出してしまうと、隣席の弓削が背中をさすってくれた。
 伽耶は難しい表情で、うつむいている。
 ふたりには、ユルが何をしたいかわかったのだろう。
 だが、ククルとユルの事情を知らないエルザはきょとんとしていた。
「よく、わからないんだけど」
「エルザ。今は、あなたに説明する暇はない。ククルさんも、悪いと思うなら泣くのはあとにして。弓削くん、ふたりを先導してここに行けるわね? 私は、ここで待機しておくわ。戦力にはならないし。雨見くんが先に異界から抜け出したら、連絡を取ってくるかもしれない。入れ違いになるのは、避けたいわよね」
 伽耶がぴしゃりと言って、指示を出す。
「はい、所長。行く前に、準備します」
 弓削は立ち上がり、ククルとエルザに札を飛ばした。
 飛んだ札は、ククルとエルザの胸元に貼りついた。
「ハルキ。これ何?」
 エルザが不快そうに顔をしかめる。
「妖怪に気配を近づける、お札だよ」
 説明して、弓削は自分にも札を貼っていた。
「ククルちゃん。そのペンダントは神気を放っているから、札を貼っていても気取られる。宝石部分を手で握り込んでおいてね」
「は、はい」
「まだ、しなくていいよ。異界に入る前でいいから。さあ、異界の発生している場所に向かおう」
 弓削が声を張り上げたところで、ククルとエルザは真剣な面持ちで立ち上がった。