ニライカナイの童達

第十六話 失踪 2


 弓削の先導に従い、ククルとエルザはトウキョウの町を駆けた。
 異界は、電車を使うまでもないぐらいの近いところにあった。
 一見、何の変哲もない空き地だが……注意して見れば、空間が歪んでいた。
 ククルは首飾りの宝石を左手で握って隠し、それを確認してから弓削が「行こう」と言って踏み入っていった。ククルとエルザも、すぐに続く。
 入った瞬間、ククルはきょろきょろとあたりを見渡した。
 キョウトで見たような、昔ながらの大和家屋が並んでいる。
 三人は、一列になるようにして歩いていった。
 道ばたで話しているのは人間、かと思いきや一つ目だったり三つの尻尾が生えていたりしていた。
(本当に、魔物の町なんだ)
 恐ろしくなって、ククルは宝石を握る手に益々力をこめた。



 ぼそぼそと話す声が聞こえて、ユルは顔をあげた。
(……オレ、どうなったんだっけ)
 頭が痛い、と思ったら液体が額を伝う感触で、出血しているのだとわかった。
 手首も足首も痛い。
 顔を横に向けると、手首には枷がはめられていた。見下ろさなくても、わかる。足も同様に枷をはめられているのだろう。動けない。
 ――つまり、壁にはりつけにされているらしい。
 舌打ちしたところで、ユルの前に女がひとり現れた。
「ふふふ。琉球の神の子……。みんな、いい値で競り落とすだろうね」
 一目見ただけでは、魔物――妖怪とはわからない。だが、彼女は髪で角を隠しているだけで、人間ではない。鬼だった。
 先日、小さな妖怪が広がっているため、所員総出で妖怪探しを行った。一通り退治したところで、ふと弓削とはぐれてしまったのだ。
 そのとき、この鬼女はユルの前に現れた。
「時戻りの方法を探している人間というのは、お前?」
 長い黒髪に、あでやかな赤い唇。赤い着物に身を包んだ美女だった。
「…………」
 ユルは油断せず、天河を顕現して構えた。人間に見えたが、明らかに妖気が立ち上っていたからだ。
「ふふ。そんな物騒なもの、お仕舞いよ。時戻りなんて、人間の手に負えるものじゃない。でも、妖怪の世界でなら見聞きしたことがあるよ」
「本当に、か?」
「その代わり、代償が必要だ」
「何だよ」
「命だよ。命さえあれば、ひとりぐらい過去に飛ばしてやれる」
 話を聞いて、すぐに信じたわけではなかった。
(……オレの命で、ククルが帰れるなら)
 ククルはまだ、トゥチやカジが恋しそうだ。
『元の時代、帰りたいよお……』
 後日否定していたが、あれは本心のように思えてならなかった。
『……かえり、たい』
 去年、大和に来たときも「帰りたいか」と問うと、そう答えた。眠る前の無防備な状態で吐かれた言葉こそ、ククルの隠している願いな気がしてならなかった。
 ユルはもう少しで女の肩をつかむところだったが、すんでのところでこらえた。
「……魔物は、信頼できない」
「あらそう。でも、気が変わったら、いつでもあたしのところに来なさいな。たまに、トウキョウで妖怪の町が立つ。そこに、あたしはいるからさ。あたしの名は、紅葉《もみじ》。紅葉と言えば、皆知ってるからさ」
 婀娜っぽく笑いかけて、紅葉は姿を消した。
 そして――この前、古書店で見つけた文献に「妖怪による時戻り」について詳しく書いてあったのだ。それには、代償に誰かの命を必要とすると――。
 魔物を信用するなんて、馬鹿げている。だが、そうでもしないと人間は時を遡れないのだろう。
 神による時戻りの方法がないかと文献を漁ったが、神による時間操作は「神隠しにより昔の人間が、未来に現れること」ぐらいしかなかった。
 おそらく神は、理に反することはできないのだろう。
 時戻りは、外法に違いない。だからこそ、力のある妖怪ならできるというのは信憑性があるように思えた。
 そして、ユルは昨日、この町に来て紅葉を探した。紅葉にはすぐに会えたが、家にあがって待っているように言われて、畳の上で彼女を待っていた。すると、いきなり後ろから殴りつけられたのだ。
 ……それから先は意識を失って覚えていないが、紅葉が嬉々としてはりつけにしたのだろう。
 顕現したいのに、天河は呼びかけに応じない。枷で力が封じられてしまったのか。
「オレをどうするつもりだ」
 かわいてかすれた声で問いかけると、紅葉はにやりと笑った。
「競りにかけるのさ。切り分けて売る。神の血統なんて、このご時世、貴重だからねえ。爪も一枚一枚はがして、売りつけてやる。神の子は、爪一枚でも食べれば力が出るんだ。みんな、ほしがるよ。それに、あんたは仲間を屠っていった敵だからねえ。憎い憎いって、思ってるやつもいるだろうね。そういうやつには、お代を取って切り分けさせてやろうかね」
「……時戻りの方法は、嘘だったのか」
「あはははは。そうさ。妖怪を信じるなんて、馬鹿だね。普段のあんたには、神気が強すぎて負けちゃうからね。妖怪の力が増して、神の力が弱る……この町に誘いこんでやったのさ」
 紅葉は背伸びをして、ユルの頬を撫でた。
「本当に、馬鹿な方。昔から、無鉄砲なところは変わりませんね」
 響いた声に、ユルは戦慄した。
 ……まさか。いるはずがない。彼女は、消えたはずだ。
 だが、紅葉の後ろに立っていたのは、紛うことなくウイだった。蛾の化生。聞得大君の補助をしているかと思いきや、彼女を裏から操っていた、とんでもない魔物。
 鮮やかな模様をあしらった白い琉装を身にまとい、彼女は艶然と微笑んでいる。
「ウイ……。嘘だろ。お前は死んだはずだ!」
「死んだように見えていただけでは? あれから数百年経つのです。私が復活していても、何の問題もないでしょう」
「畜生っ!」
 全身の血が煮えたぎりそうだ。早く天河で、あの魔物を斬りつけて消滅させないと気が済まない。
「ちょっと。競りはまだだよ。勝手に商品と話さないでよ」
 紅葉がウイを振り返り、注意した。
「これはこれは……失礼いたしました。若様、助けてほしいですか?」
 問われて、ユルは唇を噛む。
「助ける気なんて、ないだろ」
「あれ、わかってしまいましたか? 嘘は得意なんです。競りは見物させてもらいますよ、若様」
 ウイが去ると、紅葉が舌打ちした。
「あんたの縁者かい」
「縁者じゃない。かたきだ」
「……ふうん。琉球の妖怪がここに来るのは、珍しい。あんたに惹かれてきたのかね」
 紅葉がいぶかしむのも不思議ではなかった。なぜ、ウイが大和にいるのだろう。
「さあ、早く競りを開いちまわないとね」
 紅葉は明るく言って、ユルの頭から伝う血を指で拭い、その指を口に含んだ。
「ああ、うまい。これが半神の血か。つまみ食いしちまわないよう、気をつけないと」
 その笑顔は美しくもおぞましく、ユルは目をそらした。
 
 
 
 初めは弓削が先頭を行っていたのだが、彼は式神などの助けなしではユルの気配を辿れなかった。
 そのため、ククルが「なんとなく、ユルの気配を感じるから私が先導します」と宣言し、先頭を歩くことになった。
「ナハトはどこなの。随分、奥まで来たわよ」
 エルザが小さくも鋭い声で、ククルに問う。
 たしかに、ここまでかなり歩いている。ククルも不安になってきたところだった。
「……もうすぐだと、思う」
 握り込んだ海の宝玉から、力が流れ込んでくる。片割れのユルの位置を、勘が告げる。
「ここ」
 ククルが足を止めたのは、昔ながらの大和家屋だった。何かの店らしく、のれんがかかっている。キョウトで見た和風カフェに、外観が似ていた。
 三人は顔を見合わせたあと、そこに踏み入った。そして、同時に言葉をなくす。
 ユルがはりつけられており、その傍に女が佇んでいた。
 彼女は、こちらには気がついていないようだった。
 ユルは目を閉じている。眠っているのだろうか。
「ククルちゃん。一旦、出よう」
 弓削に手を引かれて、ククルは青ざめながらも外に出た。
 例の建物から少し離れたところに行って、弓削は口を開いた。
「感知の力なら、ククルちゃんが一番だね。あの女は、厄介そうかい?」
「……はい。多分、とても長く生きている大物で……大和の鬼……みたいです。角は隠していたけど、うっすらと見えました」
「なるほど。さすがだ。……正面から戦わない方がいいね?」
「はい」
 あの鬼を倒したとしても、ここには他の魔物がたくさんいる。戦いは、避けるべきだろう。
「了解。式神を放って鬼女をかく乱して、その間に夜を救う。あの枷は、おそらく特殊なものだろう。エルザ、君の炎で焼き切れるか」
「できると思うわ。でも、式神のかく乱だけじゃ時間が足りないと思うわ。ククル、あなたが囮になりなさい」
「囮って……。ククルちゃんが捕まってしまったら、どうするんだ」
「ナハトさえ解放できれば、あの霊剣が使える。ククルは、入り口に向かって走ればいい。ハルキ。式神を使って、ククルを追うように仕向けるのよ。それがベスト。いい?」
 エルザの提案に弓削は逡巡していたが、ククルは頷いた。
「私、エルザさんの案がいいと思う。ユルを解放したら、最悪――私が捕まっても何とかなる」
「……ククルちゃん」
「大丈夫だよ、弓削さん。もしも、の話だから。それに、私はこの左手を放せば、海神の宝石が神気を放つから……。囮役には、もってこいでしょ」
 強気に笑ってみせると、弓削は泣き笑いのような表情になって、ククルの右手を握った。
「君を追わせないようにしたいけど……そうも、いかないみたいだ。ごめんね。式神を使って、あいつを外に出す。そしたらすぐに、走って。他の妖怪も追ってくるだろうから、気をつけて。僕がなるべく、妨害するけど」
「うん、任せて」
 しっかりと手を握り直すと、弓削はようやく心を決めたように表情を引き締めていた。



 熱い、と思ったらエルザが近くにいて両手に炎を現し、ユルの手の枷を焼いていた。
 口を開こうとしたところで、睨まれる。
「黙ってて」
 紅葉はどうしたんだ、と首を巡らすと、武者姿の少年少女に斬りつけられ、悲鳴をあげて逃げ回っていた。
 耐えかねたのか、彼女は腕を振り回しながら、外に走り出す。
「やっと出たわね。あとは、ククルとハルキに任せるしかないわ」
「……弓削はともかく。なぜ、ククルなんだ」
「彼女には囮役を頼んだわ」
「嘘だろ!」
「じっとしてなさい、ナハト! 動けば、あなたの枷が外れるのが遅れて、助けにいく時間も遅れるわよ!」
 エルザに叱りつけられ、ユルは歯を食いしばって焦燥感と熱気に耐えるしかなかった。
 
 

 鬼女が出てきて、ククルは身をすくませる。
 弓削の式神は善戦していたが、外に出た途端、紅葉は式神たちを長い爪で切り裂いてしまった。
 彼女が中に戻る前に、ククルは握り込んでいた宝石を解放する。
「……あら。また、異国……琉球の神気を感じるわ。ああ、そう。助けに来たのかい? 残念だったね。あんたも、競りにかけてやるよ!」
 鬼女が走り出した途端に、ククルも背を向けて走り出す。
 他の家屋からも妖怪が出てきて、彼らもククルを追う。
 追う気配が増えて、ぞっとする。
 たまに悲鳴が響くのは、弓削が式神を放ってくれているからだろう。
 後ろを向く余裕はなかった。
 転びそうになりながらも、必死に走る。早く、早く、入り口が見えてくれないだろうか――。
 がっ、と頭をつかまれて引き倒され、ククルは悲鳴をあげた。爪が額に食い込み、痛む。
 見下ろしているのは、あの鬼女だった。
「つーかまえた。観念しな……」
 長い爪が振り下ろされ、ククルは目をつむったが……
「ぎゃああああ!」
 絶叫と共に、ククルから手が離れる。ククルが立ち上がって振り向くと、ユルが天河を片手に立っていた。
 鬼女の背から、血が溢れている。
「夜! 深追いは無用だ! エルザ! ククルちゃんを頼む!」
 弓削が、ユルの手を引く。ユルは肩で息をし、足下もおぼつかなかった。相当、消耗していたところに、天河を振るったからだろう。
「ラジャー!」
 エルザはククルを横抱きにして、入り口めがけて走り出す。
 さっき必死に走って疲れていたので、運んでもらえるのはありがたかった。
 そして四人は、町から脱出した。
 
 出るなり、ユルは膝をついて倒れ込んでしまった。
 今まで、気力で持っていたのだろう。
 エルザはククルを放るようにして、下ろす。
「……救急車、呼ぼうか。夜は頭を怪我しているし」
 弓削はすぐに携帯を取り出し、救急車を呼んでいた。
 ククルはユルの傍にひざまずき、仰向けにさせる。
「ユル、大丈夫?」
 ハンカチで額の血を拭ってやる。気絶しているとわかっていて、声をかけずにはいられない。気を抜けば、泣いてしまいそうだった。
「ワタシは、カヤに報告の電話をかけておくわ」
 伽耶のことを思い出したらしいエルザは宣言してから、電話をかけていた。