ニライカナイの童達

第二部

第十八話 欠片 3



 食事を終え、ククルはペットボトルの水を持って、二階にあがった。
 弓削の泊まっている部屋の前で、大きめの声で呼びかける。
「弓削さーん! ククルです! お水、持ってきました。具合どうですか?」
「……ああ、ククルちゃん。入っていいよ」
 許可を出されたので、ククルは襖を開けて中に入った。
 弓削は布団に入って、横たわっていた。
「大丈夫ですか?」
「うーん。頭が痛い……。調子に乗って、歩きすぎたんだろうね。ちょうど、飲み物を取りにいこうと思っていたんだ。助かるよ」
 弓削の枕元に置かれていた、お茶のペットボトルは空っぽになっていた。
「頭痛ですか。鎮痛剤、飲みます?」
「ああ、あるならもらえるかな?」
「はい。私の部屋にあるので、取ってきますね」
 ククルは一旦退室して、自分の部屋に置いてあった荷物のなかから鎮痛剤の箱を取り出して、弓削のところに戻った。
 ククルが鎮痛剤の箱を渡すと、弓削はすぐに水で薬を流し込んでいた。
「これで、マシになるといいけど……」
「暑さのせいですかね?」
「そうかもね。真昼間に歩きすぎたな。暑いは暑いけど、体感的にはトウキョウに比べてそこまで暑いとは思わなかったのに……。キョウトはもっと、暑いんだよ。湿気もすごくてね。でも不思議だな。ここも海に囲まれているから、湿気があるはずなのに」
「琉球は、風が強いから……」
「ああ、なるほど。そういえば、夏のキョウトは風がないな」
 納得したように頷いたあと、弓削は水をごくごくと飲んでいた。
 真夏のキョウトは、相当暑いらしい。春に行ってよかった、とククルは心のなかで呟く。
「明日は、家でのんびりしてるよ。ほとんど見て回ったし」
「弓削さん……八重山の島、全部に行ったんですか?」
「そうだね。無人島には行ってないけど……。なんだか、どの島も既視感があるんだよ。君のお兄さんも、島を巡ったのかい? でも昔だと、今ほど簡単には行けなかったよね?」
 そこで、ククルは詰まった。
「挨拶回りの旅で……」
「挨拶?」
「はい。うちは兄妹神が代替わりしたら、諸島の親戚に挨拶して回ったんです。私が兄様と行ったとき、私は幼くて記憶もおぼろげで……。でも、兄様なら覚えているだろうから、既視感を覚えたんだと思います」
「お兄さんの記憶が、反応したんだね。なんだか不思議な気分だ」
 弓削は微笑み、残りの水を飲み干していた。
「……あ、そうだ。弓削さん。ユルに、自分のこと話してみたらって提案したんですけど……反応が芳しくなくて。ユルは複雑な事情を持ってるから、言いにくいだけで。弓削さんのことを信頼してないわけでは、ないと思います」
「そうか。別にいいよ、ククルちゃん。言いたくないこともあるだろうし。無理して聞き出すつもりはないよ」
 弓削の言葉を聞いて、ククルは安堵の息をついた。
「それよりさ、お兄さんには婚約者がいたんだよね?」
「はい。トゥチ姉様っていう、とてもきれいな女性でした」
 目を閉じれば、思い出す。長い漆黒の髪に、白い肌。同じ女性でも息を呑むほど美しくて。
 ティンと並ぶと、いっぷくの絵のようだった。
「お兄さんは、そのひとを愛していた?」
「……ええ、とても」
「そのひとは、生まれ変わっているのかな?」
「多分。実は、トゥチ姉様のお兄さんに、カジ兄様というひとがいたんです。そのひとの生まれ変わりと思しき男性を、トウキョウで見つけたんです」
 声の音量を落として教えると、弓削は驚いていた。
「ククルちゃん、わかるの?」
「なんとなく」
「すごいな。その……トゥチさんと僕は、惹かれ合う運命なんだろうか?」
 弓削の問いに、ククルは静止した。
 カジが生まれ変わっていたのだ。トゥチも、同じ時代――つまり今、生まれ変わっている可能性は高い。おそらく、ふたりは神々に願ったのではないだろうか。ククルとユルが帰る時代に生まれ変わりたい、と。
 普通はそんな願いごとを神々が叶えるとは考えがたいが、ティンやユルという半神に深く関わった者として、神々が慮ったのではないだろうか。
 トゥチが生まれ変わっている可能性があるとして。
 ティンの生まれ変わりではなく、魂を埋め込まれた存在として――弓削が、トゥチと惹かれ合うのは有り得るのだろうか。
 そしてそれは、ティンが望むことなのだろうか。弓削春貴は、ティンはではない。魂の一部が、ティンなだけだ……。
「ククルちゃん? ごめん、変なこと聞いたかな」
「……あ、いえ。でも、私にはよくわからないんです。ユルは前世の縁を持ち込むのはよくない、って言ってました。それに、弓削さんは兄様の生まれ変わりじゃないから……」
「そうだよね。魂の一部を、埋めてもらっている状態だし」
「それに、トゥチ姉様の生まれ変わりなら、琉球にいると思います。カジ兄様の生まれ変わりは、トウキョウにいたけど、琉球系大和人だって言ってました」
「なるほどね。出逢いたいなら、琉球を巡るしかないわけか」
 弓削は、大仰なため息をついていた。
「弓削さんは、トゥチ姉様の生まれ変わりと出逢いたいんですか?」
「……まあね。ある意味、運命の相手なのかなと思って。でも、僕のなかにいる君のお兄さんは複雑なのかな」
「うーん……」
 ティンの意識はないが、たしかに魂は弓削のなかにある。なら、弓削とトゥチの生まれ変わりが結ばれればティンは幸せ……になるのだろうか?
「ごめんなさい、私にはわからないです……。考えすぎて、熱が出そう」
「えっ。それはまずい。ごめんごめん。……あれ? 話しているうちに、頭痛が治ったな。鎮痛剤が効いたみたいだ。ありがとう、ククルちゃん」
「よかった。お水、また持ってきましょうか」
「いや、自分で行くからいいよ。少し小腹も空いたし、高良の奥さんに頼んで何かもらってくる」
 それじゃあね、と弓削は部屋を出ていってしまう。
 残されたククルも立ち上がり、天井を仰いだ。
「兄様……トゥチ姉様に会いたい? ……会いたいよね。私も、会いたいもの」
 返事がないとわかっていて、ティンに語りかけずにはいられなかった。

 祭りの日がやってきて、例年通りにククルは女踊りを、ユルは二才《ニセー》踊りを披露した。
 地元のひとも、観光客も大いに盛り上がっていた。
 御獄回りも終わり、宴会の時間になる。
 ククルはごくごくと桃のジュースを飲んで、息をついた。
「やあ、ククルちゃん。お疲れ」
「弓削さん。ありがとうございます」
 隣に、ビール缶を手にした弓削が座る。
「といっても、私の舞は昨日だったし……今日のお疲れ、はユルなんですけど」
 ちらりと、ユルのほうを見やる。彼は少し離れたところで、せがまれて三線を弾いていた。ユルの弾くどこか淋しげな民謡に耳を傾けて、ククルは目を閉じる。
「そうだったね。でも、昨日はろくに話せなかったし」
「あはは……。すみません」
 ククルは舞が終わったあと、自室で気絶するように眠ってしまったのだ。夕食を取るのも忘れて寝入ったのは、緊張が解けたからだろう。今日は今日で朝も早くから神事をこなして、ユルの舞が始まる前に裏方の手伝いもしていたので、弓削と顔を合わせられなかったのだ。
「ククルちゃんの舞、きれいだったよ」
 褒められて、頬が熱くなる。
「えへへ、未熟な舞で恐れ入ります……」
「ほんとほんと。お世辞じゃないって。それに、夜はさすがだね。あんな激しい舞とは思ってなかったよ。かっこいいね、二才《ニセー》踊り。観光客の女の子も黄色い悲鳴をあげてたよ」
「ユルは本当に、上手ですし。剣術を習ってたから、剣を振るう振り付けがすごく様になりますよね」
 自分が褒められたかのように嬉しくなって語ると、弓削は微笑んだ。
「そうだね。……剣術を習っていたのか。夜は昔から、天河を?」
「あ、違うんです。前にも言ったように、私が祈ってユルが力を振るう……って構図で。ユルが使っていたのは、普通の武器でした。私たちがニライカナイに渡ったとき、神様が私たちの力を分離したみたいなんです。天河は、ユルの霊力の結晶みたいなもの……かな」
 ククルの説明に、弓削は「ふうん」と返事をしてビール缶をプシュッという音を立てて開けていた。
 今になっても、ユルは弓削に身の上話をしていないようだ。
 ククルもあれ以来、ユルにお願いすることはなかった。本人が嫌がっているのに、無理強いするのは酷な話だと思ったからだ。
「あー、明日には大和に帰らないとな。君たちは、もう少しここにいるんだよね」
「はい」
「……なんだか、名残惜しいな」
 弓削は缶ビールを飲んで、ぼそりと呟いた。
「懐かしかったですか?」
「うん。多分、僕のなかにいる君のお兄さんが無意識下で喜んでいるんだろうね。辛い思いもしたようだけど、きっと故郷が恋しかったんだよ」
 そう聞いて、ククルは涙をこらえる。
 目を閉じれば、まなうらに色あせない思い出としてティンの姿が蘇る。優しい笑顔で、トゥチと手をつないでいる。
「僕と君たちの関係性もわかって、よかったよ。所長に報告してもいい?」
「もちろん。でも、所長さんは既に知ってるんじゃ……?」
「さすがに、所長もわかってなかったんじゃないかな? 千里眼といっても、何でもかんでも見えるわけじゃないらしいからね。でも、僕と夜を組ませたのは、何か感じるものがあったからなのかもね」
「なるほど……」
 伽耶は、どこまで見透かしていたのだろう。

 翌日、弓削は朝早くの飛行機で一足先に大和に戻っていった。
 彼を見送ったあと、ククルとユルは空港から出る。
 今日もいい天気だ。見上げれば、雲がいくつか風に流されていっている。
 髪と服を、風があおる。
「おい、ククル。立ち止まって、どうしたんだ?」
「……ううん。何でもない」
 ユルの言葉でハッとして、ククルは数歩先に佇むユルに追いつくべく、駆け足になる。
(本当は……ユルのお父さん……空の神様が何か、教えてくれないかな、って思ったのだけど)
 並んで歩きながら、ククルはユルの横顔をちらりと見た。
 八重山の海で完全に浄化を終わらせたのに、ユルの霊力に未だに違和感がある。
 ククルには、それがなぜかよくわからなかった。
(大和に戻る前にもう一度浄化させてもらって……。あとは、所長さんに聞いてみよう)
 そう決めて、ククルはユルの手を取った。
「……何なんだよ」
「なんとなく。嫌?」
「別に……」
 素っ気なく答えた割に、手は存外にしっかりとした力で握り返された。
『君が一歩進まない以上、関係は変わらないよ』
 河東の言葉を思い出す。
 この、言葉にできない関係が心地よいのに。どうして変えなければならないのだろう。
 ずっとこのままでいられたらいいのに、と思ってククルは握った手を意識した。