ニライカナイの童達

第二部

第十九話 自覚



 十二月に入り、冬が深まってきたある日曜日。
 自室で勉強をしていたククルは突然、伽耶からの電話を受けた。
「はい、和田津です」
『ククルさん。少し、話したいことがあるの。悪いけど、事務所が入っているビルにあるカフェに来てくれるかしら』
「……はい」
 何を話されるかは、わかっていた。
 ククルはユルの部屋の扉を開けて、声をかけた。
「ユルー。私、ちょっと出かけてくるね。夕方には、帰ってくるから」
「……ああ」
 ユルはおざなりな返事をして、ベッドに横たわったままだった。
 最近、ユルは調子が悪い。
 夏に命薬《ヌチグスイ》で浄化したのに、霊力の削りが止まることはなく、むしろ進行していた。
 そのため最近ユルは仕事を休んでいて、大学にだけ行っている。
 それでも体がだるいらしく、休日はほとんど眠っている。
 この状態になったのが、二週間前だ。
 ククルもあれこれ試してみたが、ユルがよくなることはない。
 伽耶もきっと、ユルを心配しているのだろう。
 
 ククルは、カフェの二人がけテーブル席で伽耶と向き合った。
 手元にはカフェモカがあり、それをそろそろとすする。
 伽耶はブラックコーヒーを静かにひとくち飲んでから、口を開いた。
「私が何を言いたいかは、わかる?」
「ユルのこと、ですよね」
「そうよ。しばらく休養させていたけど、今も治っていないんでしょう? 雨見くん。年末に帰るって言っていたけど、それで治るの?」
「わかりません。でも、大和にいるよりは私の力も発揮できるから、浄化できるはず……」
「浄化ねえ……。たしかに、もう浄化が必要なのは私にもわかるわ。でも、それより雨見くんの存在が小さくなっているように見えるのよ、私には。なぜか、わかる?」
 それは、ククルもずっと考えていたことだった。
「ユルの霊力が、削れています」
「それは、いつから?」
「今年の夏ぐらいに、おかしいなと思って――。でも、浄化すれば治ると思っていたんです」
「だけど、治っていないわけよね。むしろ、悪化している」
「……はい」
「ククルさん。このままじゃ、本当に危ないのよ。昨日、雨見くんを見ようとしたら微かに暗い影が見えた。私は千里眼とはいえ、あなたたちのことは見えにくいの。だから、一番雨見くんのことをわかっているであろうあなたを呼んで、こうして相談しているわけ。あなたの意見を聞かせて。私は、雨見くんを罠にかけた紅葉を疑っているわ。呪いか何かでも、かけられたんじゃないかって。でも、呪いの痕跡は見えないのよね。ククルさんは、どう思う?」
「……ウイが、絡んでいるかもしれません」
「ウイって?」
「前の時代で、ユルのお母さんを操っていた強力な魔物《マジムン》です。何もしていないと見せかけて、ユルの霊力を吸い取る呪いでもかけたのかも」
「呪いの痕跡はわかる?」
「それが、見えないんです」
 呪いがかかっていれば、ククルにはわかるはずだ。
 だが、ユルにはその痕跡が見当たらなかった。
「呪いじゃない方法で、ユルの力を吸い取っているのかな……と」
「それで、どうやったらウイを退治できるの? そもそも、どこにいるの?」
 ――私は、あそこにいますよ。
「琉球だと、思います。前に八重山に帰ったときにはいなかったから、ユルの故郷である本島にいるのかも」
「そう。なら、一旦は琉球に帰らないといけないのね。もうすぐ冬休みなのが、救いね。頼んだわよ、ククルさん。あなたにしか、雨見くんは救えないと思うわ」
 話はそこで終わって、ククルは帰宅した。
 
 夕食を作っていると、ユルが部屋から出てきた。
「……悪い。俺が当番の日なのに」
 ククルの隣に立ち、ユルが詫びる。
「ううん、いいよ。具合悪いんだから、休んでて」
「でも、お前だって試験が近いだろ」
「うん……」
 ククルの志願する大学の入試は、二月に迫っていた。
「大丈夫だよ。家事は気分転換になるし。ユルは、気にしないで」
 明るく笑ってみせると、ユルは「悪い」とまた謝りながら、リビングに向かっていった。
 ユルはローテーブルの前に座って、テレビをつけていた。
『ユルくん、大丈夫? 今日もずっと寝てたわよね』
「ああ……。だるいだけだ」
『ところで私、“転生したら金星の王だった件”のアニメ観たいんだけど。今、ちょうどやってるのよね』
「断る」
 すげなく断られて、祥子が『そんなー!』と嘆いていた。
 彼らのやりとりを聞いて笑いながら、ククルは鍋の様子を見る。
 今日のメニューのひとつは、ポトフだった。
 いきなりポケットに入れていた携帯が鳴って、ククルは慌てて携帯を取り出し、通話ボタンをスライドさせて耳に当てた。
「は、はーい」
『やあ、ククルちゃん。久しぶり』
「弓削さん! お久しぶりです」
『今日、所長が君と会ったって報告してくれてね。夜の調子はどうだい?』
 ククルはユルのほうを見やる。
 幸い、ユルはこちらには視線を向けずにニュース番組を観ていた。
「相変わらず、です。日常生活は問題ないんですけど……。大学に行くだけでも、辛そうで。サークルも休んでいて、休みの日はずっと寝ています」
 ククルは声をひそめて、弓削に報告した。
 ユルが魔物退治に出られないので、今は弓削はエルザと組んでいる、と聞いていた。
『そっかあ……。このあと、お見舞いに行こうかなって思ってるんだけど。迷惑かな? ちょうど、おいしいシュークリームが手に入ってね』
「シュークリーム!」
 嬉しさのあまり叫んでしまい、ククルは口を押さえた。
 案の定、ユルが振り返る。
「あ、では……是非。ちょうど、ごはん作ってるところなんです。弓削さんも、食べていきます?」
『いやいや、いいよ。今から、僕の分も用意しようと思ったら、大変だろう。でも、君たちとごはんを食べるのも悪くないね。自分のは何か弁当でも買っていくから、心配しないで』
「それじゃあ……それで、お願いします」
『うん、またあとでね』
 電話を切って、ククルはリビングに向かった。
「ユル。弓削さんが、お見舞いに来てくれるって」
「見舞い? あいつも、大げさだな……」
「弓削さんも、心配なんだよ。しばらく会えてないし。一緒に、ごはん食べようってことになったからね。弓削さんは、自分の分を何か買ってくるってさ」
「ふうん……」
 ユルは頬杖をついて、テレビの画面を眺めていた。
「そういや、お前。今日、出かけてたな。何か用事だったのか?」
「所長さんに呼び出されたの。ユルの様子について、話し合ったよ」
「――そうか」
 ユルはそれ以上、聞いてこなかった。
「私、ウイが原因だと思うから、次に琉球に帰るときにナハで何泊かしてから帰ろうと思うの。ウイは本島にいるはずだから。その手配してもらうけど、いいよね? ユル」
「ああ……。手配って、誰に」
「高良のおじさん! ナハに親戚がいるって言ってたから、泊めてもらおうと思って。近い内に電話するよ」
「ナハ――いや、シュリか」
 琉球王国の都だった地名を呟き、ユルは少し暗い表情になった。
 あまり行きたくないのだろう。
『ククルちゃん! 鍋がふきこぼれそうになってるわよ!』
「あわわ! 祥子さん、ありがとう!」
 祥子の警告を受け、ククルは慌てて台所に走った。

 それから三十分ほどして、弓削がやってきた。
 インターホンが響いた途端、ククルは走って玄関の扉を開けた。
「やあ、久しぶり。ククルちゃん」
「弓削さん、いらっしゃい! どうぞどうぞ!」
「お邪魔します」
 弓削をリビングに案内すると、ユルが「よう」と声をかける。
「夜も、久しぶり。大丈夫かい?」
「まあな」
「ああ、そうそう。忘れないうちに。ククルちゃん。これ、ヒトガタ。そろそろなくなってきた頃だろう?」
 弓削は、鞄からヒトガタの束を取り出し、ククルに渡してくれた。
「ありがとうございます、弓削さん。心強いです」
 ユルが事務所に行かなくなったので、そろそろなくなりそうなヒトガタをどうしようか悩んでいたところだった。
 今のところ何もしてこないとはいえ、紅葉の報復は怖い。
 ユルの力が弱っている今は、尚更だ。
 最近は、ユルにもヒトガタを渡していた。
「うん。少なくなってきたら、いつでも連絡してね。届けにいくから」
「そうします! 弓削さん、さあ座って座って。あの、ポトフ食べます? ポトフはたくさん作っているから……」
「ククルちゃんがいいなら、お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「わあいっ。すぐ、用意しますね!」
 弓削が座ったところで、ククルは台所へと走った。

 その日は久々に弓削を交えての食事となり、ククルは楽しかった。
 弓削を見送ったあと、後片付けをしようとして、ユルの姿が見えないことに気づく。
「あれ? ユル? 祥子さん、ユル知らない?」
 浮遊していた祥子に声をかけると、祥子は首を傾げた。
『さあ……。あのひとを、送っていったんじゃない? でも、聞いてた通り、弓削さんってかっこいいひとだったわねー。優しい系イケメン!』
 興奮している祥子に苦笑しながら、ククルは玄関のほうを見つめた。
(弓削さんを、送っていったにしても、何も言わないなんて――。一声、かけてくれてもいいのに)



 足音に気づいて、弓削は振り返った。
「夜? 何をしてるんだい?」
 ちょうどユルたちの住まいを出て、道を歩いているところだった。
 ユルは、息を切らせて早足で弓削に近づいた。
「話があるんだ」
「話? いいけど……立ち話もなんだから、どこかカフェにでも入ろうか?」
「いや、ここでいい」
 ユルは、弓削の胸ぐらをつかんだ。
 黒々とした目が、弓削をまっすぐに見すえる。
「オレがいなくなったら、ククルを頼む」
「……何の話だ」
「オレは、治らないかもしれない」
 ユルは手を下ろし、囁いた。
「そう弱気になるな。一度、琉球に帰るんだろう? そこで、何か手がかりが――」
「わかってる。諦めたつもりはない。だけど、今日――電話で所長に言われた。……オレに、黒い死の影が見えているらしい」
「嘘だろ……? それ、ククルちゃんは知っているのか?」
「いや、言わないでくれってオレから頼んだ。お前も、言わないでくれ」
「一番知らないといけないのは、あの子じゃないか」
「いいんだよ!」
 ユルは声を荒らげ、ここが道端であることを思い出したかのように、舌打ちして声をひそめた。
「聞いてくれ。オレは元々、短命なのかもしれない」
「短命? なぜ」
「――オレは、ずっと昔の生まれだと言っただろう。琉球がまだ琉球王国だった頃、聞得大君という国家の祭祀を司るノロがいた。オレの母親は王族で、聞得大君だった。王族は空の神の血を引いていた。そして、オレの父親は空の神だ」
「つまり……血族婚?」
「そうなるな。オレの母親の代には、かなり血が薄まっていたが――血族であることはたしかだ。現代に来て、知った。血族婚は弊害を生むこともあると。オレの母親は、霊力が高かった。先祖返りだった可能性もある」
「血族婚のせいで、君が短命だと?」
 弓削は信じられない気持ちで、ユルを見下ろした。
「神の血だ。何が起こっても、不思議じゃねえだろ。オレは、所長に死の影が見えると聞いたときに、真っ先にその可能性を考えたんだ。オレの推測が正しければ、何をしてもオレは治らない。そのまま、死ぬ」
「夜!」
「黙って聞け。ククルは大和の大学に通って、しばらく大和にいるだろう。お前に託したいのは、お前を信頼しているからだし、ティンがお前の中にいるからだ」
「君のいない大和に、ククルちゃんが留まるとは思えないよ」
「そんなの、わからないだろ。せっかく、勉強してここまで来たんだ。もしも、の場合だ。オレの代わりに、力になってやってくれ」
「……夜」
 弓削が声をかけるも、ユルは踵を返して遠ざかっていってしまう。
 しかし、彼はふと足を止めた。
「ああ、そうだ。弓削、それとは別にお前に頼みがある」
 ユルは弓削に、希望を伝えた。
「いいけど――」
 奇妙な注文だったが弓削は承諾し、できたらエルザに託しておくと告げた。
 今度こそ、ユルは止まらずに行ってしまった。