ニライカナイの童達
第二部
第一話 覚醒 6
もう日が暮れて暗かったので、道行く人にユルの血に気付かれることもなく二人は無事に家に帰った。
「だめだ……寝て来る。夕食いらないって言っといてくれ」
ユルはそう言い残して、ふらふらと階段を上がって行く。傷は癒えたとはいえ、かなり失血していたせいでふらつくのだろう。
「大丈夫? 病院行く?」
ククルは彼の背に問いかけたが「いい。寝る」と返され、引き下がった。
その後、ククルは食事と入浴を終えてからユルの部屋に行った。部屋の扉に、鍵はかかっていなかった。
「ユル……」
昏い部屋の中、寝息が聞こえる。
部屋に入って、ベッドに近付く。ユルがぐったりした様子で、眠っていた。
血の付いたシャツを着替える余裕もなかったのか、上半身は裸で布団もろくにかぶっていない。
「風邪ひくよ」
声をかけ、布団をかぶせてやる。
血に濡れたシャツは、床に落ちていた。それを拾い、ククルは思案する。
血に汚れ、大きく破れているので、もう着られないだろう。伊波一家に心配をかけてもいけないだろうから、これはこっそり捨てておこうと決める。ユルもきっと、そうしろと言うはずだ。
シャツを抱えたままククルは床に座って、ユルの様子を伺った。
(ちゃんと、話さないと)
さっきの一件、話さなければならないことがたくさんあった。しかし帰り道はどちらも余裕がなくて、何も話せないままだった。
「ごめんね……」
聞こえていないとわかっていても、謝ってしまった。
(ユルは、助けに来てくれたのにね)
自分はユルではなく、もういない兄――ティンを頼ったのだ。その結果が、あれだ。
ほろりと、自責で涙が零れた。
ククルはハッとして、目を開ける。いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。
ユルのベッドに、うつぶせになって寝ていたようで腕が痛かった。
ふと、ベッドにユルがいないことに気付く。
(あれ……?)
戸惑い、立ち上がったところで背後の扉が開いた。
ユルが、入って来た。髪は濡れ、寝間着用の浴衣に身を包んでいる。風呂に入って来たようだ。
「ユル! 大丈夫?」
「……ああ。なんとかな」
ユルはあくびをかみ殺し、電気をつける。その後、ククルの横を通り過ぎ、ベッドに腰かけた。
「あの……ごめんね、ユル」
「……」
謝ると、彼はじっと底知れない闇色の目でククルを見た。
「ちょっと待て。喉乾いたから、何か取って来る」
そう言って立ち上がろうとしたユルを、ククルは押しとどめた。
「私が行くから。じっとしてて」
「……わかった」
ユルがあっさり従ってくれたので、ククルは急いで部屋を出た。
冷蔵庫からペットボトルの水を二本取って来て、ククルはユルの部屋に戻った。
二人並んでベッドに腰かけて、話を始める。
「何でお前、学校を抜けたんだよ?」
聞かれるだろうと思っていたことだった。
「……」
ククルは一口水を飲んで、うつむく。
説明して、いいのだろうか。
「……言わなくちゃ、だめだよね」
「そりゃそうだ。さっさと吐け」
言いにくいことだったが、事情を説明せねばユルは納得しないだろう。
そうして、ククルは語った。美奈と綾香に協力を頼まれたこと。カフェでユルとお揃いの首飾りを持っているところを目撃され、それを報告されたこと。結果、美奈と綾香が怒ってしまったこと――。
話し終え、ククルはユルの横顔を見る。ユルは何とも言えない、複雑そうな表情になっていた。
「それで、私――とても辛くなっちゃって。昨日見た兄様みたいな人を思い出して、彼を捜そうと学校を出たんだよ。今考えたら、どうしてそういう発想になったかわからないんだけど……もう幻惑されてたのかな」
ユルはぐっと水をあおってから、ようやく口を開いた。
「まあ……事情はわかった。正直、どう言えばいいかわからねえけど……とにかく、お前はそれで衝撃を受けて、心が弱って魔物《マジムン》に付け込まれたってことだな」
「そうだね」
「とりあえず、話を進めるか。オレの傷を治したのは、お前だよな?」
ユルに問われ、ククルは頷いた。
「うん。――命薬《ヌチグスイ》」
呼ぶと、またあの小刀が手に現れた。
「これで、治したんだよ。癒しの力があるみたい」
ユルは驚いたように、小刀を見た。
「天河《ティンガーラ》」
ユルも静かに、あの名前を呼ぶ。彼の手に、刀が顕現する。
「この刀は、魔物を斬れるみたいだな。どういうことなんだ?」
「よくわからないけど――私たちは兄妹神として、色々なことができたけど、魔をも断つ攻撃の力と癒しの力が一番大きかったよね。その力を、神様が分離させて残してくれたってことかな」
ククルは考え込み、力を抜いた。すると、命薬は消え失せた。
「……どうして、オレたちはこの力を残されたんだろうな」
ユルがすっと手を放すと、天河も消えてしまう。
二人とも、首飾りの宝石を見下ろしていた。太刀と小刀は、それぞれの宝石から現れたようだ。名を呼べば、顕現する。
「わからないなあ……。神の力はなくなったとはいえ、神の血は残っているわけだから、身を守る力を残してくれたのかもね」
「……ああ、なるほど」
ユルはため息をついて、後ろに寝転んだ。
「考えても仕方ないか。その内、思い出すかもしれないし」
「そうだね」
「――それより、話は戻るが……その、お前の友達の件どうする?」
「友達?」
聞き返して、美奈と綾香のことを言っているのだと一歩遅れて気付く。
「あ……ええと」
どうすればいいのだろう、とククルは自分の手の甲を見やる。
「どうしようもない気がする……。首飾りのこと、言い訳できなかったもの」
「まあ、そうだよな。……一応オレから、話しておくか」
「う、ううん。それはいい。私が告げ口したみたいになっちゃうじゃん」
ククルは勢いよく、首を横に振った。
「それにね、ユル。私――ちゃんと、自分から言うよ。親戚なんだけど、恋人じゃないけど、大切な存在なんだって。だから首飾り、お揃いの持ってるんだって。それで納得してもらえなかったら、仕方ない」
「……それで、いいのか?」
「うん」
ククルはしっかりと、頷いた。
まだ体が怠いというので、ユルは翌日学校を休んだ。
ククルは初めて一人で登校した。
授業が始まる前に、美奈と綾香を廊下に呼び出す。
「ごめんなさい。私とユルは親戚だけど、大切な存在なの。だから、お揃いの首飾りを持ってる。恋人とかじゃないけど……それでも、ただの親戚とは言えない。だから――」
そこまでまくしたてたところで、美奈と綾香は顔を見合わせた。
「言ってること、よくわからないわ」
美奈が静かに、ククルに告げる。
「引き受けたのが間違いだった。協力は、できない」
はっきり口に出すと、意志が固まった。そうだ、ククルは本当は嫌だった。ユルを利用して友達を作ったみたいで嫌だったし、ユルの気持ちを無視して協力というのも嫌だった。
心の奥底の感情に気付かないふりをして、提示された友情に飛びついてしまった。
「ごめんね」
謝ると、美奈は不快そうに顔をしかめた。綾香はどうしていいかわからないかのように、戸惑っている。
「もちろん、邪魔はしないから。でも、ユルが好きなら自力で頑張って。私を通さないでほしいの。邪魔はしないけど、応援できない。ユルは私の――」
兄だから、と言いかけてククルは考え直した。
「大事な、人だから」
言ってしまうとすっきりして。ククルは頭を下げて、教室に戻った。
帰り道に商店でシークワーサーゼリーを買ってから、ククルは家に帰った。
「ただいまー。入っていい?」
ユルの部屋の扉を叩いて呼びかけると、「ああ」と短い返事があった。
扉を開き、中に入る。ユルは、ベッドに座って本を読んでいるところだった。
「おかえり。何だそれ?」
「シークワーサーゼリー。お見舞いだよ。おいしそうでしょ」
ユルの隣に座り、袋からゼリーとスプーンを取り出し彼に渡した。
「どうも」と礼を言って、ユルはゼリーを食べ始めた。
ククルも自分の分を取り出し、食べながらぼうっと天井を見上げた。
「……お前、今日話したのか」
問われ、ククルは小さく頷く。
「うん。協力できないって、ちゃんと言ったよ」
「怒ってなかったか?」
「怒ってたけど、仕方ない」
「……そうか」
ユルは複雑そうな表情をしていた。ユルからしてみれば、口を出しにくい話題だろう。
「でも、ユルもとやかく言われたらごめんね」
その言葉に、ユルは虚を突かれたような表情になって、こちらを見た。
「どういうことだ?」
「私――恋人じゃないけど、大事な存在だって言いきっちゃったから。噂されるかも」
「お前……結構大胆なこと言うなあ」
ユルは呆れて笑っていた。
「でも、もう兄妹って言うのも違うし……友達とも親友とも違うし」
他にどう言えばいいのかわからなかった。だから、ああ言ってしまった。
「別に噂されたりとやかく言われても、オレはどうでもいい。お前もそう思ったから、そう言ったんだろ?」
笑って顔を覗き込まれて、ククルもつられて微笑んだ。
「うん!」
喧嘩をしながら、一緒に旅をして。手をつないで、一緒にニライカナイに行った。そんな二人の絆は、誰にどう言われようが揺るがない。
ユルも同じ気持ちなのだと知って、ククルは嬉しくてたまらなかった。
結局、美奈と綾香は話しかけて来なくなった。だが、意地悪をされるというわけでもないので、ククルはどこかホッとした気持ちで日々を過ごしていた。
休み時間に、先日買った漫画を読んでみる。台詞に片仮名の大和語が多くて、よくわからなかった。辞書を引きながら読んでいると、隣席の女生徒が話しかけて来た。
「あ……それ、私も今読んでるの」
驚き、顔を上げる。
「そ、そうなんだ。まだ私、ちょっとしか読んでないんだけど」
「私は最新刊まで読んだよ。二巻からびっくりな展開になるんだよ」
「そうなの!?」
話が盛り上がりかけた時、教師が入って来た。
「……あ、先生来たね。また後で話そう」
「うん!」
ククルは心からの笑みを浮かべた。
結局、おすすめの漫画を貸してもらう約束まで取り付け、ククルはご機嫌で帰路についた。
「なんだか嬉しそうだな、お前」
隣を歩くユルは不思議そうに、ククルを見下ろす。
「ふふふ」
ククルはにこにこ笑い、歩を進める。ふと、通りすがる人に兄――ティンの面影を感じ、思わず振り返った。
「どうした?」
「……ううん、何でも」
ティンは生まれ変わっているのだろうか。カジやトゥチも、転生したのだろうか。
どうしても、過去の人たちを捜してしまう。ここにいないと、わかっているのに。
(懐かしく思っても、いい。淋しくなることがあったって、いい。でも……)
過去に捕らわれては、いけないのだ。それは彼らが望まないことだから。
たとえ彼らが生まれ変わってこの時代に生きていても、ククルのことは覚えていないだろう。関わることもないのかもしれない。
それで、いい。
「ユル。またあのかふぃーの店行こうよ」
「また?」
「……嫌なら、一人で行くけど」
「わかったわかった。付き合ってやるよ」
渋々了承したユルの様がおかしくて、ククルは思わず笑ってしまった。
兄様へ――
心の中で、この手紙をしたためます。
兄様はまだニライカナイにいるのか、それとも生まれ変わって現世に戻ったのか、私にはわかりません。
でも、願っています。あなたの魂《マブイ》の平穏を。
どうか兄様の魂に、たくさんの幸福が訪れますように。
もしかしたら兄様が心配しているかもしれないから、近況報告を。
この時代にはびっくりです。色々なものが変わっています。私は昔からのんびり屋だから、付いて行くのに一苦労です。
でも、カジ兄様の子孫の方々が助けてくれています。何より、共にニライカナイに行って時代を超えたユルが一緒にいるので、心強いです。
……そういえば、兄様はユルのことが嫌いだったんですね。もしかしたらユルと一緒にいるの、心配だったりします?
あのね、兄様。わかりにくいけど、ユルは優しいです。だから大丈夫。
では、また。この心の手紙が届きますように。
――ククル